四国地方も梅雨明け。例年よりも随分と早いようだ。
空にも伝わったようで今日は入道雲が見られた。
偶然ではないだろう。よくしたものだなと感心さえする。
そんな夏空が茜色に染まるのを見上げつつこれを記し始めた。
土手の道では夕散歩に出掛けためいちゃんがまあちゃんと遊んでいる。
お揃いの服を着ていてまるで双子のように見えて微笑ましい。
絵本の中の女の子のようだ。おしゃべりの声をそのまま絵本にしてみたい。
そんなめいちゃんに今朝はほろりとさせられたのだった。
寝起きがすこぶる悪く例のごとくで癇癪を起し大暴れしていた時
私が部屋を覗いたら「見るな!くそばばあ」と叫んだのだった。
子供の事とは云え少しは傷つく。余計な事をしたのだなと思った。
娘も負けじと暴言を吐いており穏やかな朝は何処に行ったのか。
それからしばらくしてからの事だった。
めいちゃんが私の部屋に入って来て「おばあちゃんこれ」と言って
紙切れに書いた手紙を照れくさそうに渡してくれたのだった。
そこには「おばあちゃんごめんね」とハートマークも添えてある。
思わず目頭が熱くなるような心のこもった手紙であった。
「ありがとうね」と思わずぎゅっと抱きしめたくなるほどに。
子供心に自分が癇癪持ちだと分かっているのだと思う。
でもそれが起こると自制が出来ずに大きな苛立ちになってしまうのだ。
泣きわめき大暴れをした後に我に返る。そうしてやっと冷静になる。
反省もするし後悔もする。それこそが成長の証ではないだろうか。
今朝は真っ先に私に謝ろうと思ってくれたのだろう。
その気持ちは根っからの優しさに他ならないと信じてやりたかった。
絵本の中の女の子は眠くなって大きなあくびをしている。
学校から帰ってすぐ宿題をしなかったからそのツケが回って来たらしい。
ぐすんぐすんと泣きたくてたまらないのを一生懸命我慢をしている。
「出来るよめいちゃん」隣室からおばあちゃんはエールを送っている。
午後から青空。まだ入道雲は見られないので夏空とは云い難い。
関東や南九州では梅雨が明けたらしい。関東では連日の猛暑である。
異常気象なのだろう。今年の夏は酷暑になるのではないだろうか。
夏は好きだけれど意に反して身体には少し堪えているようだ。
こればかりは「夏の思い出」も助けてはくれそうにない。
あの日は36℃だった。などと感慨に浸るのも程々にしようと思う。
ただ記憶があまりにも鮮明で私を捉えて離そうとしないのだった。
女は愚かだ。だからもう女ではいられなくなった。

同僚が退院し復帰したけれど今日は仕事中に怪我をする。
不注意を責める訳にもいかず「なんとかなった」一日。
義父が汗だくになりながら精を出してくれて随分と助かった。
新車が立て続けに3台も売れる。目の前がぱあっと明るくなった。
仕事はやはり面白くてならない。後10年頑張れそうな気がする。
75歳が何だって云うのだ。くたばるもんかと勇気が出て来た。
自分は試されているのかもしれない。ならばとことん試してくれたまえ。
何事も気の持ちようだけれど弱気になる時もあるだろう。
不安や心細さは歳を重ねる程に膨らんで来るのだと思う。
嘆くのも自分。負けるのも自分だと云うことを忘れてはならない。
ようは立ち向かう体力も気力も自分次第だと云うことなのだ。
私は暗示に掛かりやすい性格なのでそれを上手く逆手に取るようにする。
自分を励ましてやらねばならない。決して人任せなどにせずに。
それが出来ないのであれば生きている甲斐もないのだとさえ思う。
ひとはみな弱いのだ。強く逞しく生きているひとは
どん底の苦労を乗り越えて来たからではないだろうか。
私はまだまだ苦労が足らない。だから苦労を待ち続けている。
大気が不安定だったのか今朝はにわか雨が降る。
大量の洗濯物を干し終えたばかりで大急ぎで取り入れたことだった。
午後は青空となり夏らしい陽射しが降り注ぐ。
関東など6月とは思えないほどの猛暑だったようだ。
朝のうちにお大師堂へ。花枝はまだ大丈夫。
お線香の補充のみ。後は拙い般若心経を唱えた。
お大師さんにけい君の報告をする。
ささやかな祈りとしてきっと伝わるに違いない。
仏頼みとして縋りつきたいような気持であった。
なんとしても守ってやりたい。それは願掛けにも等しい。
それから図書館へ。凝りもせずまた田辺聖子の本を借りて来る。
とにかく不信感を拭い去りたい。納得できる作品がきっとあるはず。
「欲しがりません勝つまでは」そこには13歳の彼女が居た。
すでに小説を書いている。まさに天才的な少女だったのだ。
今日一日で3分の2程読み進む。手応えは確かにある。
とにかく読みたい。とにかく知りたい気持ちが募るばかりであった。
私も15歳から詩や短歌を書き始めたけれど
半世紀の歳月が流れても未だ芽を出せずにいる。
もしかしたらずっとこのまま種として生きる運命かもしれない。
認められたい欲ばかりが先走りなんと愚かなことだろう。
それでも書かずにいられないのは自分を信じているからだと思う。
種としての誇りがある。それは実があってこその種に他ならない。
諦めずに何度も何度も種を蒔いた。その度に悔しさがバネになって行く。
そんな生き方もまんざらではない。私はよりいっそう逞しくなっている。
朝のうちつかの間の青空。その後は薄曇りとなりとても蒸し暑くなる。
鮮やかに咲き誇っていた紫陽花がとうとう枯れ始めてしまった。
桜のように潔く散れない花はなんとも切ないものだ。
毎年のことだけれど目を背けてはいけないと思う。
やがては化石のようになってしまう花を最後まで見届けてやりたい。
ついつい我が身に重ねてしまうけれど定めのようなことを
私はどれほど受けとめているのだろう。もがいたり嘆いたり
もしかしたら咲いてなどいなかったのかもしれないと云うのに。
紫陽花は毎年咲いてくれるけれど人生は一度きりのことであった。

田辺聖子の「姥勝手」を読了。文章は軽快で読んでいて楽しかった。
けれども80歳の主人公にどうしても感情移入が出来ない。
溌剌とした大阪の婆さんは作者自身だと解説に書いてあったけれど
その裕福ぶりが少し鼻につく。それは私のひがみかもしれない。
正直言ってこんな年寄りには決してなれないと思った。
豊富な趣味を持ち社交的で何よりも派手である。
老後の不安ばかりの私にどうしてそんな暮らしが待っていようか。
僅かの年金を頼りに生きていくだけで精一杯なのだと思う。
経済的なゆとりが無ければ趣味も諦めざる得ないだろう。
何をするにも「お金」が必要。それが世間の掟でもある。
あの「18歳の日の記録」を書いた田辺聖子は何処に行ったのか。
流行作家となり何を書いても売れたことだろう。
けれどもそれは本当に心底から書きたかったことなのだろうか。
好きな作家ではあるけれどなんだか不信感が募って来る。
「姥シリーズ」は何冊か出版されているらしいがもう読む気はしない。
老いは誰しも避けられないこと。それはとても切なくてならない。
高級なアクセサリーを身に着け浮かれている場合ではありません。
まるで梅雨が明けたかのような晴天。
強風注意報が出ていたけれど気温が高くなり今日も真夏日となる。
室温32℃、心地よい夕風に吹かれながらこれを記し始めた。
けい君またもや微熱があり登校を断念せずにはいられなかった。
懇意にしている小児科医に相談したら県立病院での受診を勧められる。
直接電話をしてくれて受診の段取りをしてくれ随分と助かる。
最初の発熱からもう10日目。尋常ではないと案じてくれていた。
仕事を休ませてもらい連れていくことに決めたのだけれど
早朝から出勤している息子に知らせておかなくてはいけない。
スマホは繋がらず仕方なく職場に電話を掛けてしまった。
それがいけなかったようだ。息子は即刻退勤命令が出たのだそうだ。
そんな大事になるとは思ってもいなかった。なんと迂闊だったことか。
結局、帰宅した息子と一緒に県立病院に向かったのだけれど
けい君は再度のPCR検査。陰性が判明してからやっと小児科外来へ。
息子の機嫌がすこぶる悪くひどく苛立っている様子であった。
「勝手なことをするな」と叱られて私も気分が落ち込んでしまう。
診察と検査の結果、取り立てて何処にも異常は見られなかった。
微熱が続く原因が判らない。それでどうして安堵が出来ようか。
やはり心因性のものなのかもしれないそう思うしかなかった。
懇意にしている小児科医はそれも在り得ると言っていた。
子供の心はおとなが思っているよりずっと繊細でか弱いものなのだ。
だからどうする。その対処方法が今は未だ見つけられない。
けい君自身が乗り越えて行くとしても不憫さの方が勝るのだった。
じいちゃんは甘やかしてはいかんぞと厳し過ぎる。
私はとことん甘えさせてやりたい気持ちが募るばかりであった。
けい君の心の中が見えない。ただ感じることは出来る気がする。
けい君は寂しくてたまらないのだと思う。
連日の真夏日。梅雨の晴れ間を有り難く受けとめている。
天気図を見ると梅雨前線が遠ざかっているようだ。
今年の梅雨は短く明けるのも早いのかもしれない。
水不足が懸念されるけれど自然に任せるしかないだろう。
稲作は今のところ順調のようだ。
ただ備蓄米の在庫がかなりありお米の価格が急落しているとのこと。
義父の苦労が「捕らぬ狸の皮算用」になるのではと気がかりでもある。
稲作だけとは限らないけれど農家の苦労は報われないことが多い。

息子がとある感染者の濃厚接触者となりPCR検査。
すぐに結果がわかり「陰性」だと知らせてくれてほっと胸を撫で下ろす。
息子も気が気ではなかったようだ。もし陽性だったらけい君も危ない。
そうして必然的に我が家にも影響があるのは目に見えている。
今回は難を逃れられたけれどまたいつそんな危機が襲って来るか。
これまで以上に気を引き締めて身を守らねばと肝に銘ずる。
息子は日勤であったけれど職員会議があり帰宅が遅くなるとのこと。
下校時からけい君を預かっていて夕食も我が家で済ます。
娘がハンバーグを作ってくれて「おいしい」と3個も平らげた。
今は茶の間で宿題と格闘しているようだ。
今夜は地区の役員会があったのだけれど欠席する。
最初の役員会で日曜の午前中か平日の夜かと談義があったのだけれど
区長さんは多数決を採ることもなく平日の夜と決めてしまったのだ。
私は大いに反論したけれど聞き入れてはもらえなかった。
たとえ一時間でも夜の時間を犠牲になどしたくない。
じいちゃんが行くにしても晩酌も出来ないではないか。
お風呂上がりのビールをどれほど楽しみにしていることだろう。
そうは言ってもなんとも心苦しく後ろめたい気持ちが募る。
私がこの日記を書くことを潔く諦めれば済んだことなのだ。
大したことなど書いていない。こんなつまらない日記はあるまい。
梅雨の晴れ間。曇りの予報だったので思いがけない青空だった。
気温も30℃を超え一気に真夏日となる。
夏至に入りまだまだこれからが夏本番である。
猛暑も覚悟の上でこの夏を乗り切っていかなければならない。
夏が好きになった「あの日」がある。いくら封印しても
記憶が鮮やかに蘇りつい昨日のように思うことがある。
女だったのかもしれない。それは決して悔いではなかった。

けい君微熱の朝。37℃4分で登校は可能であったけれど
「しんどい」と言うので無理をさせずに休ませることにした。
息子は早出で6時には出勤しておりじいちゃんが迎えに行ったのだった。
マンションで独りきり。どんなにか心細かったことだろう。
一日我が家で過ごしたけれど日中は平熱となり元気そのものだったそう。
仕事を終えた息子が迎えに来て笑顔で帰って行った。
最初の発熱から一週間。風邪の症状が全く無いのが少し気になっている。
職場は今日からまた臨時休業。同僚が二回目の白内障の手術だった。
けれども義父が待機してくれていて随分と助かる。
お客さんの自損事故があり現場まで駆けつけてくれた。
本来なら稲の消毒をしたかったのだそうだ。
「今日は何も出来んかった」とぼやいていたけれど
少しは優先順位を考えて欲しい。とは決して口に出せないけれど。
私は心底から助けて欲しいと願っている。それさえも禁句なのだろうか。
なんとかなることもあればそうはいかないこともある。
それは世の常のことでありもがいても仕方ないことなのだろう。
明日はあしたの風が吹くらしいが明日になってみなければ分からない。
だから眠る。そうして夜明けを待つ。
人生はその繰り返しであり何ひとつ欠けてはならない。
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