連日の真夏日。梅雨の晴れ間を有り難く受けとめている。
天気図を見ると梅雨前線が遠ざかっているようだ。
今年の梅雨は短く明けるのも早いのかもしれない。
水不足が懸念されるけれど自然に任せるしかないだろう。
稲作は今のところ順調のようだ。
ただ備蓄米の在庫がかなりありお米の価格が急落しているとのこと。
義父の苦労が「捕らぬ狸の皮算用」になるのではと気がかりでもある。
稲作だけとは限らないけれど農家の苦労は報われないことが多い。

息子がとある感染者の濃厚接触者となりPCR検査。
すぐに結果がわかり「陰性」だと知らせてくれてほっと胸を撫で下ろす。
息子も気が気ではなかったようだ。もし陽性だったらけい君も危ない。
そうして必然的に我が家にも影響があるのは目に見えている。
今回は難を逃れられたけれどまたいつそんな危機が襲って来るか。
これまで以上に気を引き締めて身を守らねばと肝に銘ずる。
息子は日勤であったけれど職員会議があり帰宅が遅くなるとのこと。
下校時からけい君を預かっていて夕食も我が家で済ます。
娘がハンバーグを作ってくれて「おいしい」と3個も平らげた。
今は茶の間で宿題と格闘しているようだ。
今夜は地区の役員会があったのだけれど欠席する。
最初の役員会で日曜の午前中か平日の夜かと談義があったのだけれど
区長さんは多数決を採ることもなく平日の夜と決めてしまったのだ。
私は大いに反論したけれど聞き入れてはもらえなかった。
たとえ一時間でも夜の時間を犠牲になどしたくない。
じいちゃんが行くにしても晩酌も出来ないではないか。
お風呂上がりのビールをどれほど楽しみにしていることだろう。
そうは言ってもなんとも心苦しく後ろめたい気持ちが募る。
私がこの日記を書くことを潔く諦めれば済んだことなのだ。
大したことなど書いていない。こんなつまらない日記はあるまい。
梅雨の晴れ間。曇りの予報だったので思いがけない青空だった。
気温も30℃を超え一気に真夏日となる。
夏至に入りまだまだこれからが夏本番である。
猛暑も覚悟の上でこの夏を乗り切っていかなければならない。
夏が好きになった「あの日」がある。いくら封印しても
記憶が鮮やかに蘇りつい昨日のように思うことがある。
女だったのかもしれない。それは決して悔いではなかった。

けい君微熱の朝。37℃4分で登校は可能であったけれど
「しんどい」と言うので無理をさせずに休ませることにした。
息子は早出で6時には出勤しておりじいちゃんが迎えに行ったのだった。
マンションで独りきり。どんなにか心細かったことだろう。
一日我が家で過ごしたけれど日中は平熱となり元気そのものだったそう。
仕事を終えた息子が迎えに来て笑顔で帰って行った。
最初の発熱から一週間。風邪の症状が全く無いのが少し気になっている。
職場は今日からまた臨時休業。同僚が二回目の白内障の手術だった。
けれども義父が待機してくれていて随分と助かる。
お客さんの自損事故があり現場まで駆けつけてくれた。
本来なら稲の消毒をしたかったのだそうだ。
「今日は何も出来んかった」とぼやいていたけれど
少しは優先順位を考えて欲しい。とは決して口に出せないけれど。
私は心底から助けて欲しいと願っている。それさえも禁句なのだろうか。
なんとかなることもあればそうはいかないこともある。
それは世の常のことでありもがいても仕方ないことなのだろう。
明日はあしたの風が吹くらしいが明日になってみなければ分からない。
だから眠る。そうして夜明けを待つ。
人生はその繰り返しであり何ひとつ欠けてはならない。
午前中は本降りの雨。時おり激しく降る。
今は止んでおり夏至の太陽を雲が覆い尽くしている。
「雲の上にはおひさまがいるよ」いつだったか母が言ってくれた。
経営難で行き詰った時ではなかっただろうか。
「そうやね、くよくよしていたらいかんね」と頷いたことを憶えている。
母はそれほど楽天家ではなかったけれどやはり人生の大先輩だけある。
苦労をして来た人だからこそ云える言葉だったのだろう。
嘆いたり欝々ばかりしていても何も変わらない。
人は太陽の慈愛を受ける権利を持って生きているのだと言えよう。
心の翳りにそれは皆に等しく降り注ぐものなのだと思う。

田辺聖子の「18歳の日の記録」を読了。
これは遺品を整理していた親族が見つけた当時の日記なのだそうだ。
まさか死後にそれが一冊の本となり出版されるとは
彼女自身夢にも思っていなかったことだろう。
芥川賞を受賞してからの作品と比べるとまるで別人のようにも感じる。
18歳の多感な少女は戦争の真っ只中で逞しく生きていた。
思ったこと感じたことを純真に素直に書き綴っている。
時には級友の悪口も。けれどもそれも爽快な文章となっている。
ただただ読み応えがあった。これほどの感動があるだろうか。
日記の中には小説も幾つか書かれており「無題」と抄した長編には
戦中の女学生の心境がありのままに書かれており心を打たれた。
当時は発表する場所さえ無かったのだ。いったいどんな気持ちだったのか。
戦後、小説家として世に出てもその「無題」は埋もれたままだった。
すでに過去として葬ってしまったのだろうか。それも惜しくてならない。
ながい歳月を経て遠い過去から届いた「無題」を
私はとても新鮮な気持ちになり読み進むことが出来たのだった。
これはもう感謝しかない。よくぞ書いてくれたと敬意を示したい。
「無題」は彼女自身のせつなさでもあろう。
永遠に葬るつもりだった「こころ」そのものなのだと思う。
相変わらずの梅雨空。時おり霧のような雨が降る。
明日はもう夏至だけあって外はまだ随分と明るい。
玄関先の燕が巣立ったばかりだと云うのに
また新たな巣を作ろうと燕達が勤しんでいる。
古巣には見向きもせずに今度は玄関扉の真上であった。
それはさすがに困る。あっという間に玄関は泥だらけの有り様。
燕を憎むわけではないけれどアルミホイルで覆いをした。
毎年試みていることでこれがけっこう効き目があるのだった。
「どうか古巣にお入りなさい」と念じているのだけれど
今度は一切寄り付かなくなってしまう。それも寂しい。
意地悪な家主と恨んでいるのかもしれない。
燕が巣を作る家は幸運に恵まれると云うけれど本当だろうか。

けい君4時半に起床。今朝は随分と早起きだった。
熱は37℃、微熱ぎりぎりの微妙なところだったけれど
食欲もあり元気なので大丈夫だろうと登校させる。
久しぶりの学校で嬉しかったのか兎のように跳ねながら出掛けた。
月曜日の仕事は少し忙しく郵便局へ行ったり役場へ行ったり
お昼休みにも来客があり対応に追われていた。
午後は隣町の宿毛市まで集金。お得意様なので手土産を持って行く。
山里の地場産店で「筋なし豌豆」を買った。
お得意先の事務員さんが「今夜のおかずね」と喜んでくれる。
笑顔あってこその商売だとつくづく思ったことだった。
そんなこんなで仕事が面白くてたまらない。
やはりゴールが見えないほうが身の為かもしれなかった。
最近はある日突然職を失ったらどうしようと不安になる。
それは一番に経済的なことだけれど年金だけでは食べていけない。
物価はどんどん上がっているにも関わらず年金は下がる一方なのだ。
まるで国に見捨てられた難民にも等しいのではないだろうか。
食費を切り詰め半額商品を漁っている庶民の味方は何処にも居ない。
義父はあと10年は頑張ると意欲を漲らせている。
私は75歳。どれほど衰えていることだろう。
けれども父の意欲に励まされ尚且つ縋りつくような気持ちである。
おそらくそれからが私の老後なのだと思う。
長生きをして全うするべき人生の春なのに違いない。
生きたい生きたい。そればかり欲のように頭から離れない。
命にしがみつく。それは決して諦めないことだ。
梅雨の晴れ間とはいかず空は灰色の雲に覆われていた。
近所に住む従兄弟が「やまもも」を沢山届けてくれる。
甘酸っぱくてとても美味しい。子供の頃が懐かしく思い出される。
おてんば娘だったので木に登って採ったものだった。
採りながら口いっぱいに含み種を飛ばしたりもした。
あれは友達の由美ちゃんのお祖母ちゃんの家だったと記憶している。
大きな木だった。今でも山里にあるのではないだろうか。
昔は子供の絶好のおやつだったけれど今の子供は食べようともしない。
沢山頂いたやまももはとても食べきれずご近所さんにお裾分けをした。

息子が準夜勤なのでお昼前からけい君を預かっている。
熱はすっかり下がっていたけれど夜になると微熱が出るとのこと。
気にかけていたらお風呂上がりに37℃5分あった。
本人も少し神経質になっているようなので「大丈夫よ」と言って聞かす。
今夜は我が家で早めに寝て明日こそは学校へ行かせてやりたい。
娘は仕事。娘むこは素潜り漁に出掛けていたので
日中は二階であやちゃんとずっと一緒に居て仲良く遊んでいた。
3時頃娘むこが帰って来たので二階から下りるように言ったら
あやちゃんが「どうして?」と真剣な顔をして私に問う。
「お二階はあやちゃん達家族の部屋だからよ」と応えると
ムキになった顔をして「けい君も家族やんか」と言ってくれた。
「姉弟じゃないけどいとこじゃんか」まさにその通りである。
あやちゃんの優しさが身に沁みて思わず涙が出そうになった。
けれども私達祖父母はなんとしてもそのルールを守りたい。
いくら不憫であってもけい君にけじめを付けさせたいのだった。
それがけい君の為になるではないかと不確かながら信じてやまない。
父の日だったので今夜は焼肉パーティーだった。
娘がせっせとお肉を焼いてくれてけい君のお皿にも入れてくれる。
娘も気を遣ってくれているのだ。有り難いことだなと思った。
お風呂上がりのけい君はじいちゃんと茶の間でおとなしくしている。
その静けさに少し胸が痛むけれど決して淋しくはないだろう。
先日は熱のあった夜に2ヵ月ぶりに母親に会うことが叶い
一晩添い寝をしてもらったそうだ。どんなにか嬉しかったことだろう。
けい君は決して見捨てられてはいない。皆に守られているのだと思う。
夕方近くなり久しぶりの青空。夕陽を仰ぎつつこれを記し始めた。
今日は青春の記念日。もう53年も昔のことである。
少年は皆から「直ちゃん」と呼ばれていた。
背が高く坊主頭で決して美少年ではなかったけれど
成績優秀でリーダー格でもありなんと云っても人気者であったらしい。
「らしい」と表現するのは私がまだ彼のことを殆ど知らなかったからだ。
生まれてからずっと山村育ちの私は転校生であった。
海辺の町。潮風の匂い。そして乱暴にも聞こえる土佐弁。
途惑うことも多かったけれどその町はとても新鮮味で満ちていた。
まだ親しい友達も出来ないでいる頃、隣のクラスの男子がやって来て
お昼休みに裏庭に行くようにと半ば命令口調で言うのだった。
もしかしたらいじめられるのかなと思った。
転校生は目立つ為いじめの標的にされることがよくある。
逆らってはいけないと意を決しおそるおそる裏庭に行ったのだった。
少年はとても堂々としていて自信に溢れているように見えた。
そうしていきなり「俺はおまえが好きや」と言うのだった。
「私も」などとどうして言えるだろう。ほぼ初対面にも等しい。
気がついたら一目散に逃げだしていた。
胸が張り裂けそうなくらいどきどきしていたことを憶えている。
直ちゃんは7月生まれ、私は12月生まれだからまだ12歳の頃のこと。
今思えば随分とませた子供だったのだと思う。
一目惚れにしても告白するような年頃ではないのではないだろうか。
それ以来、直ちゃんはちょくちょく私にちょっかいを出しに来た。
休み時間を待ってましたとばかりに隣のクラスから顔を見せに来る。
私が英語の授業に付いていけないのを知って「教えちゃろか」と言ったり
なんと鬱陶しいことか。私は無視するのに必死であった。
その後も恋に発展することはなかったけれど
直ちゃんのご両親が相次いで急死してから私の気持ちに変化があった。
母性本能なのかよく分からないけれど「守ってやりたい」と強く思う。
誰かが側に居てあげなくてはいけない。それを自分の役目のように感じた。
高校時代に一度だけデートをしたことがある。
二人で高知城の近くの動物園に行った。
その時お城の石垣の間から可愛いらしいリスが飛び出して来た。
その光景が忘れられず今でも目に鮮やかに思い出される。
同窓会でもあれば必ず最後まで一緒にいる。
深夜2時を過ぎて屋台で一緒にうどんを食べたりもした。
直ちゃんは男なのに違いないけれど今もって色気は全くない。
それを言うと「失礼な!」と怒るけれどその顔が私は好きなのだ。
女友達も何人かはいるけれど「親友は?」と問われたら
私は真っ先に「直ちゃん」と応えるだろう。
二人とも65歳になり老いの不安も少なからずある。
けれどもそんな話は一切しない。ただありのままの今を生きている。
少年の日の6月18日を直ちゃんは全く憶えていないのだそうだ。
梅雨らしい蒸し暑さが続いている。
とうとう根負けして冷房のスイッチを入れてしまった。
事務所に商工会のK君がやって来て「おお、ここは涼しいね」と
どうやら辛抱していたのは私だけではなかったようだ。
零細企業の根性とやらも意外と脆いものである。
職場の庭のヤマモモの実が色づきそろそろ食べ頃になった。
ずいぶんと昔に母が植えた木らしくかなり大きな木になっている。
どれ初物を一粒と手を伸ばしても残念ながら手が届かない。
仕方なく地面に落ちている実を拾って食べてしまった。
こう云うのを「いやしん坊」と言うのだけれど
その実は思いがけずに甘く癖になるような美味しさだった。
ふとヤマモモの木の隣を見ると合歓(ネム)の木の花も咲いていた。
まるで天使が羽根を休めているような可憐な花である。
ああ母に見せてやりたいものだと娘らしいことを思う。
薄情なふりをしているだけで根は優しいのかもしれない。
仕事は午後から忙しくなり2時間近く残業となる。
活気があってよろしいのではないかと思い自ずと生き生きとしてくる。
私はそんな自分が好きでならない。そう自分に惚れるのである。
自分を嫌いになることはまずない。自己嫌悪とは無縁でありたいのだ。
ひとは自分を愛してこそまわりの人を愛せるのらしい。
昔読んだ自己啓発の本にそう書いてあった。
欝々と悲観ばかりしていたその頃に私は救われたのであろう。
ずいぶんと成長したものだ。私もまんざらではないらしい。
かと云って決して自信満々ではないのだけれど
自信に溢れている人は見苦しいと感じることが多い。
そんな人はもう努力をしない。名声や誇りにすでに満たされている。
自分が頂点なのだから立ち向かうこともあるまい。
可哀想な人だなと私などは思うのだけれどどうなのだろう。
私は不安で心細い。この先の命の保障もない。
突然訪れるかもしれない死に覚悟することも出来ないでいる。
だからいつもじたばたしている。無我夢中で生きているのだろう。
そんな私だけれど愛に満たされこの上ない程に幸せであった。
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