昨日から降り続いていた雨が止む。
強風もおさまり静かな黄昏時となった。
夕陽は当然のように見えないけれど西の空がほんのりと明るい。
仕事を終えて帰宅していたら小学生時代の恩師からメール。
55年間一度も再会は叶わなかったけれど
よほど縁深かったのか今でもささやかに繋がっている。
車を道路脇に停めてメールを確認し愕然としてしまった。
なんとそこには「死にたくない」とだけ書かれていたのだった。
いったい何があったのか体調が急変したのかもしれないと
不安でいっぱいになりすぐさま電話をかけたのは言うまでもない。
電話に出なかったらどうしよう。手遅れになってしまったのでは。
そんな私の杞憂にも関わらず思いがけなく元気な声が耳に届く。
「ごめんねえ」と笑い声にどれほどほっとしたことだろうか。
聞けばウクライナの詩人の訳詞を私に見せたかったのだそうだ。
それがスマホの操作を間違えてしまって冒頭だけ送信してしまったらしい。
「死にたくない」確かにそれは今のウクライナ人の切実な祈りであろう。
その詩を私に見せたかったという恩師の気持ちも痛いほどに感じる。
共感するべきもの。共に涙を流すべき詩だったのだろうと思う。
55年前。新卒教員だったN先生は私達の担任となった。
国語の時間になるといつも私を指名し教科書を読ませるのだった。
最初のうちは少し得意顔の私ではあったけれど
次第に級友たちからの風当たりが強くなってしまって
「N先生はひいきをしている」と言われるようになってしまった。
教壇に立ったN先生は涙を流しながらそれを否定した。
私も堪えきれずに泣いてしまったことを今でもはっきりと憶えている。
ずいぶんと歳月が流れてしまったけれど
今でもN先生は「国語好きやったもんね」と私に言ってくれるのだった。
「短歌も詩も諦めたらいかんよ」と励ましてくれるのだった。
声ばかりの再会ではあったけれど笑顔が目に浮かぶようである。
私はなんと縁に恵まれていることだろうか。
小雨降る一日。どうやら四国地方も梅雨入りしたようだ。
待ちわびていたわけではないけれどなんとなく落ち着く。
季節の区切りのようなこと。梅雨があってこそ本格的な夏が来る。
雨の季節ならではの楽しみもあるだろう。欝々などしていられない。
どんな空も受けとめられるような大らかな気持ちでいたいものだ。
今朝はふと思い立ち母の服を着てみた。
先日母の衣類を整理していて見つけたもので
少し地味かなと思っていたけれど着てみればけっこう似会う。
母が着ることはもうないのだと思うと少しせつなくもあったけれど
処分するにはやはり気が咎めまるで遺品のようにして仕舞ってあったのだ。
高級志向だった母は「しまむら」などにはまったく縁が無く
殆どをブティックで買い求めていて品が良い物ばかりであった。
私が着た服もおそらく10年は経っているだろう。
色褪せや型崩れもなくとても古着には思えなかった。
「母を着る」それはなんとなく気恥ずかしくてくすぐったいような。
まるで自分が母の分身であるかのような不思議な気持ちになる。
そうしてそれを着ていた頃の母の面影が目に浮かんで来た。
綺麗にお化粧をした母。紅い口紅がよく似合っていた。
会社の専務でもあり仕事もどれほど頑張っていたことだろう。
体調が優れない日も「大丈夫よ」と気丈な母であった。
きっと死ぬまで働き続けるつもりだったのだろう。
そんな母の老後をどれほど案じたことだろうか。
今は施設で一日中病衣姿でいる。それも慣れてしまったらしい。
もちろんお化粧もしない。けれども肌は白く艶々としている。
そんな母を私は「うつくしい」と思うのだった。
私はこれからも母を着たい。決して母にはなれないけれど
母の面影を決して忘れることのないように。
夜が明ければ快晴の空。朝風が心地よく吹き抜けていく。
薄闇でしきりに鳴いていたホトトギスの声が聴こえなくなる。
夜行性なのだろうかその習性はよく知らないけれど
昼間にその声を聴いたことがない。とても不思議な鳥だなと思う。
朝のうちにお大師堂へ行き思わず愕然としてしまった。
つい先日活け替えたばかりの花枝(シキミ)が無残な有様だった。
誰かが姫女苑の花を添えてくれていたけれどそれも枯れ
自分の怠慢を思い知らされたような光景を目の当たりにする。
夏場は冬のように長持ちはしないことは知っていたけれど
やはり常に見守ってやらなくてはいけない。反省の極めである。
つい先日と云っても私の足が遠のいていた証でもあろう。
そうなればもうお参りどころではなくなってしまって
急いで新しい花枝を手折りにお堂を飛び出していた。
我が家には姑さんが残してくれたシキミの木が3本ほどあり
特に手入れもしないのに見事な新緑の葉が生い茂っている。
枝ぶりの良いのを5本ほど手折りまた急いでお堂へ駆けつけた。
やっと心が落ち着き清々しい気持ちで般若心経を唱える。
願いごとはしないつもりでもついつい祈りたくなる。
信仰心と云うよりも何かに縋りつきたい気持ちがあるのだろう。
今日は息子のことばかり。一日も早い平穏を祈らずにいられなかった。
帰り際にふと思ったのは今後のお堂の管理のこと。
私もそうだけれどお参り仲間さん達もすっかり高齢となり
今でこそ生き永らえているけれど先の不安は免れない。
地区の役員さんに任せるにも心もとなく感じられるのだった。
やがてはおざなりになるのではないか。いったいどうなるのか。
地区のパワースポットとして永遠に残り続けて欲しいと願ってやまない。
さらさらと流れる大河を眺めながら物思いにふける。
この川は間違いなく太古の昔から流れていたことだろう。
ぽつぽつと雫のような雨。なんとなくしんみりとして来る。
空の呟きがこころに沁みて切なささえ感じた。
もう物思うような年でもないけれどまだ女なのだろうか。
それも嫌だなと思う。出来ることならば逃げ出してしまいたい。
今朝はとても嬉しく励みになるようなことがあった。
高知新聞のローカルジャーナルに所属している同人誌の紹介が出ており
たくさんのお仲間さん達を差し置き私の短歌が掲載されていたのだった。
新聞社の担当者の方が選んでくれたのだろう。
同人誌では落ちこぼれの私にとってそれなまさしく希望に他ならない。
日々の努力が報われたような気がして思わず涙ぐんでしまった。
諦めてしまえばそこでお終い。肝に銘じでこれからも書き続けて行こう。

お昼前に息子から電話があり急きょけい君を預かることになった。
朝昼兼用のコンビニ食を嫌がり自棄を言って困らせたらしい。
「もうそんなものは食べたくない」と言ったそうだ。
準夜勤で出勤時間の迫っていた息子も苛立ってしまったのだろう。
「とにかく何でも良いから食べさせてやってくれ」と言って来る。
聞けば準夜勤の終わる10時まで留守番をさせるつもりだったらしい。
何も食べずに夜遅くまでどうして独りで置いておけるだろう。
我が家にもろくなものは無かったけれどレトルトのハヤシライスで。
それも大盛りにしてそれは満足そうに食べてくれた。
温かいご飯に飢えていたのかもしれない。「おいしい」と喜ぶ。
息子も日々精一杯でついつい手を抜いてしまうこともあるだろう。
けい君にそんな父親の苦労が分かるはずもなかった。
まだ甘えたいし我が儘も言いたい年頃なのだ。
夕食にはフライドポテトが食べたいと言って
娘が機嫌よく揚げてくれてなんとほっとしたことか。
気を遣うことばかり考えていたけれどやはり家族なのだなと思った。
今夜は泊まらずお父さんと帰ると言っている。
夜遅くなるけれどぐっすりと眠って欲しい。
お父さんをあまり困らせてはいけませんよ。
薄っすらと陽射し。風がなかったので少し蒸し暑く感じた。
明日は雨らしいのでそろそろ梅雨入りなのではないだろうか。
紫陽花の季節にはやはり雨がふさわしく思う。
陽射しを浴びた紫陽花はなんとなく弱々しく儚げに見える。

息子43歳の誕生日。なんだか信じられないような気分だった。
世間的には初老を過ぎたおじさんの年齢ではあるけれど
まだまだ若く今が働き盛りの青年にさえ見える。
若い頃の苦労は買ってでもせよと云うけれど
どれほど苦労をしていることかと思えば不憫でならなかった。
いつかきっと報われる日が来ると信じてやりたいと思う。
今日はふと思い立ったように古いアルバムを開いていた。
生まれて間もない頃から初めて歩いた時の姿など
記憶はとても鮮やかにあり遠い日に馳せ向かうようであった。
歳月は愛しいものである。それを過去とは呼びたくもない。
息子は日に日に成長していき私も母らしくなれたのだろう。
子の幸せを願わない親はない。今はただそればかりだった。
今回の決断も決して間違った道ではなかったのだと思う。
一番に何を守るべきか。私達は息子の強い意志を感じた。
仕事に励みながら主夫業も子育ても疎かにはせずに
人生の大きな壁に立ち向かっていく姿は勇気そのものだと思う。
いつかきっと報われる時が来るだろう。
胸を張っていればいい。未来はきっと明るいのに違いない。
晴れたり曇ったりの一日で今は夕焼けも見られない。
窓から見える景色は今日も微笑ましくて
めいちゃんとまあちゃんそれからせりちゃんも遊んでいる
子供はほんとうに無邪気でいい。夕暮れ時の天使のようだった。
土手にはチガヤの白い穂。姫女苑の花もたくさん咲いている。
そろそろ除草作業の頃となりすべて薙ぎ倒されてしまうのも残念なことだ。
雑草としての運命だなのだろう。植物は決して嘆きはしないけれど。

今朝は出勤したら珍しく義父が居て
「臨時休業」の貼り紙を「めんどしいけん剥がしたぞ」と苦笑いしていた。
「めんどしい」とは方言で「体裁が悪い」と云うような意味である。
ちいさな村のことですぐに村中の噂になってしまうのだった。
それは義父のプライドが許さなかったらしい。
それがなんとも可笑しくてならず私は「しめしめ」と思った。
緊急の来客の場合はすぐに帰って来ると言い置き農作業に出掛ける。
おまけに田んぼの場所まで教えて行ったからよほど気にしている様子。
けれども来客は一人も無く電話も一切鳴らなかった一日となった。
呼び出しを食らうこともなく義父はほっとしていたことだろう。
同僚の白内障の手術は昨日無事に終わったそうだ。
電話をしたらとても退屈そうにしていて愉快でもあった。
「臨時休業」の一件を話したらへらへらと笑い飛ばしていた。
自分あっての工場と自負もあったのだろう。
まさか社長が張り切るとは思ってもいなかっと思う。
皆が協力し合ってこその職場だと改めて感じたことだった。
明日はあしたの風が吹くだろう。
「思い煩うことなかれ」何事もなるようになるだろう。
夕食後めいちゃんの姿が見えないなと思っていたら
土手の道でまあちゃんと遊んでいる姿が見えた。
「だるまさんころんだ」と声が聴こえている。
きゃあきゃあと楽しそうな声に思わず微笑まずにいられない。
夕陽は微かに西の空を茜色に染めつつ沈もうとしている。
燕の親鳥が巣に帰って来た。めいちゃんもそろそろお帰りなさい。

同僚が白内障の手術のため今日から2泊3日の入院。
その間やむなく職場は臨時休業となった。
私は決算処理の事務仕事等があり留守番がてら出勤していた。 。 義父は相変わらずの農作業で本業はそっちのけである。
幸いと云うべきか来客は無くなんとか一日をしのぐ。
けれども義父の経営者としての自覚をつい問いたくなる。
暗黙の了解と呼ぶにはいささか理不尽にも思えるのだった。
とにかく農作業に夢中になっている義父は大きな子供のようでもある。
とことん好きなようにやらせてあげるのが一番なのだろう。
かつては母との諍いが絶えなかった。
母は義父が農業に精を出すのをとても憤慨していて
事あることに目くじらを立てて嫌味ばかり口にしていたものだった。
お客さんから「本業を捨てたらいかん」と云われたせいもあるだろう。
その頃は私も同じ考えだったけれど決して口出しは出来なかった。
はらはらとしながら見守っていた事も今ではとても懐かしい。
稲作には全くの無知である私があれこれと訊くと
まってましたとばかりに義父は色んなことを教えてくれる。
それは嬉しそうな顔をして、私を協力者として認めているのだろう。
義父を決して不機嫌にしてはいけない。
それは少なからずストレスになってしまうけれど
笑顔の義父を見ているとほんとうに救われたような気分になる。
なさぬ仲ではあるけれど少しは娘らしくなったのだろうか。
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