ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年06月09日(木) めんどしい

晴れたり曇ったりの一日で今は夕焼けも見られない。

窓から見える景色は今日も微笑ましくて

めいちゃんとまあちゃんそれからせりちゃんも遊んでいる

子供はほんとうに無邪気でいい。夕暮れ時の天使のようだった。


土手にはチガヤの白い穂。姫女苑の花もたくさん咲いている。

そろそろ除草作業の頃となりすべて薙ぎ倒されてしまうのも残念なことだ。

雑草としての運命だなのだろう。植物は決して嘆きはしないけれど。






今朝は出勤したら珍しく義父が居て

「臨時休業」の貼り紙を「めんどしいけん剥がしたぞ」と苦笑いしていた。

「めんどしい」とは方言で「体裁が悪い」と云うような意味である。

ちいさな村のことですぐに村中の噂になってしまうのだった。

それは義父のプライドが許さなかったらしい。

それがなんとも可笑しくてならず私は「しめしめ」と思った。

緊急の来客の場合はすぐに帰って来ると言い置き農作業に出掛ける。

おまけに田んぼの場所まで教えて行ったからよほど気にしている様子。


けれども来客は一人も無く電話も一切鳴らなかった一日となった。

呼び出しを食らうこともなく義父はほっとしていたことだろう。


同僚の白内障の手術は昨日無事に終わったそうだ。

電話をしたらとても退屈そうにしていて愉快でもあった。

「臨時休業」の一件を話したらへらへらと笑い飛ばしていた。

自分あっての工場と自負もあったのだろう。

まさか社長が張り切るとは思ってもいなかっと思う。

皆が協力し合ってこその職場だと改めて感じたことだった。


明日はあしたの風が吹くだろう。

「思い煩うことなかれ」何事もなるようになるだろう。



2022年06月08日(水) だるまさんころんだ

夕食後めいちゃんの姿が見えないなと思っていたら

土手の道でまあちゃんと遊んでいる姿が見えた。

「だるまさんころんだ」と声が聴こえている。

きゃあきゃあと楽しそうな声に思わず微笑まずにいられない。

夕陽は微かに西の空を茜色に染めつつ沈もうとしている。

燕の親鳥が巣に帰って来た。めいちゃんもそろそろお帰りなさい。





同僚が白内障の手術のため今日から2泊3日の入院。

その間やむなく職場は臨時休業となった。

私は決算処理の事務仕事等があり留守番がてら出勤していた。

義父は相変わらずの農作業で本業はそっちのけである。

幸いと云うべきか来客は無くなんとか一日をしのぐ。

けれども義父の経営者としての自覚をつい問いたくなる。

暗黙の了解と呼ぶにはいささか理不尽にも思えるのだった。

とにかく農作業に夢中になっている義父は大きな子供のようでもある。

とことん好きなようにやらせてあげるのが一番なのだろう。


かつては母との諍いが絶えなかった。

母は義父が農業に精を出すのをとても憤慨していて

事あることに目くじらを立てて嫌味ばかり口にしていたものだった。

お客さんから「本業を捨てたらいかん」と云われたせいもあるだろう。

その頃は私も同じ考えだったけれど決して口出しは出来なかった。

はらはらとしながら見守っていた事も今ではとても懐かしい。


稲作には全くの無知である私があれこれと訊くと

まってましたとばかりに義父は色んなことを教えてくれる。

それは嬉しそうな顔をして、私を協力者として認めているのだろう。


義父を決して不機嫌にしてはいけない。

それは少なからずストレスになってしまうけれど

笑顔の義父を見ているとほんとうに救われたような気分になる。

なさぬ仲ではあるけれど少しは娘らしくなったのだろうか。



2022年06月07日(火) くちなし

6月とは思えない程の青空。そうして爽やかな風が吹く。

梅雨入り前だからこそのこと。今が一番好きな季節かもしれない。

見わたせば紫陽花ばかりではない。くちなしの花も咲いている。

立葵の花も。今朝は桔梗が咲いているのを見つけて嬉しかった。


「くちなし」あれは16歳の頃だったろうか。

同じ文芸部に所属していた友人の律子が詩を書いていたのを思い出す。

残念なことにどんな詩だったのかは思い出せないのだけれど

とても繊細な詩で私にはとうてい書けそうにない詩だったことは憶えている。

憧れと同時に嫉妬も感じた。それは律子の純真さそのものだったのだろう。

50年の歳月が流れようとしている。律子は今でも詩を書いているだろうか。





めいちゃんがスマホデビューしてから3日が経った。

キッズ用のスマホかと思えば大人用を買い与えたらしい。

まだ2年生であまりにも早過ぎるのではと思ったけれど

娘夫婦にも考えがあってのことらしく口出しは出来なかった。

早速私の番号も登録してくれて「おばあちゃん」と表示されている。

私もすでに3回程かけてしまった。隣室に居てもかけてしまうのだ。

なんとなく声が聴きたくなる。「もしもしなあに?」が聴きたい。


あやちゃんも欲しがるのではないかと思っていたけれど

今は未だ必要ないとのこと。決して我慢をしている風には見えない。

その代わり家の電話はもはやあやちゃん専用となっている。

不審な番号からの電話には出ず友達の番号は登録してある。

鳴ったらすぐ出られるように子機を勉強机に置いてあるのだった。


それにしても便利な世の中になったものだ。

5年後10年後を思うとなんだか怖ろしくなってしまう。

SNSでいじめとか今も問題になっているけれど

なんとしても子供を守ってやらなくてはいけない。




2022年06月06日(月) 男の涙

午後には青空が見え始め爽やかな風が吹く。

二十四節気の「芒種」であったけれど

稲はもうとっくに田に植えられており季節感を感じられない。

特に高知は早場米の産地であり田植えも稲刈りも早かった。

昔の人は芒種の頃に種もみを撒き稲作を始めたのであろう。

次の節気は「夏至」となり本格的な夏の訪れがやって来る。


すっかり稲作農家となってしまった義父は畦の草刈りに追われ

今日は異常発生したタニシを退治していたようだ。

78歳とは思えない働きぶりで目は生き生きと輝いている。







下校時から2時間程けい君を預かっていたのだけれど

二階の子供部屋へ上がろうとして階段を踏み外してしまったようだ。

いわゆる「弁慶の泣き所」を強く打ったらしく大声で泣きじゃくる。

まるでこれまでの我慢が爆発したような泣きっぷりであった。

最初には「泣きたいだけ泣かせてやれ」とは云ったものの

挙句には「男だろ、いいかげんにせよ」と叱られてしまった。

そうしたらあやちゃんが「それは差別やけん」と仲裁に入る。

痛い時は誰も同じ。それに男女の区別は在ってはならないのだ。


気分転換にとあやちゃんがタブレットを貸してくれた。

自分も遊びたかっただろうになんと優しいことだろう。

おかげで5分もしないうちにけい君は笑顔になっていた。


母親と離れて2ヵ月になろうとしている。

その間一度も泣き言も云わずどれほど耐えて来たことだろうか。

今日の涙はまるでそのご褒美のようにも思われた。



2022年06月05日(日) なんとなく好き

3時頃からぽつぽつと雨が降り始めた。

今夜から明日の朝にかけて本降りになりそうである。

今はまだ静かな雨音を聴きながらこれを記し始めた。

雨だれの音が耳に心地よい。私までもこぼれ落ちてしまいそうだ。

そこは何処だろう。不安がってばかりいてはいけないと思う。


田辺聖子の「おかあさん疲れたよ」を読了。

図書館で借りた時にはてっきり自叙伝的な小説だと思い込んでいたけれど

読んでみれば夫と妻のそれぞれの恋心のような想いが描かれていた。

はっきり言って私には無縁の物語のように思えたけれど

意に反して感情移入してしまい読後感がとてもせつなく胸に沁みた。

尾を引きながらもきっぱりと断ち切るような潔さも感じられる。


最後に恋をしたのはいつのことだったか。

まだ40代の女盛りだった頃は死ぬまで恋をしていたいと思っていた。

そんな情熱も年を重ねるごとに薄れてしまったようだ。

人間的に惹かれる人はいても恋には結びつかない。

男だとか女だとかに拘るのもまっぴら御免だと思うのだ。

女として見られるのもひどく嫌悪感を感じるようになった。

出来れば「ニンゲン」として見て欲しいと願ってやまない。


恋するせつなさ。胸のときめき。涙もあれば苦しさもある。

私はそんなあれこれからすでに解放されているのだと思う。

生きることに精一杯でわき目を振る暇もない程に忙しい。

縁は確かにあるけれどそれはあくまでも魂の出会いであろう。

「なんとなく好き」そんな言葉でひとくくりにしてしまいたい。


去る者は追わず来る者は拒まずが信条ではあるけれど

私を女だと思って近づこうとする人は断固として拒否したい。

そうして人間関係をまあるく納めていくのが私の理想である。


もう恋なんてするつもりはない。

たとえ死ぬまで女だったとしても。






2022年06月04日(土) 暗闇でこそ光る

3時頃から曇り空となり夕陽が見えない。

土手のチガヤの白い穂が真っ直ぐに立っており

無風状態の夕暮れ時となったようだ。

明日は雨とのこと。梅雨入りも近いことだろう。

やはり来るべき季節が来ないとなんとなく落ち着かないものだ。


朝のうちにカーブスへ行っていたけれど

相変わらずの足の痛みで心から愉しめない。

毎週行く度に足の痛みを訴えているにも関わらず

新人コーチは忘れている様子でとても心もとない。

股関節だと伝えていたのに今日は「膝ですか?」と訊かれた。

うまく意思疎通が出来兼ねるけれど続けるしかないだろう。

カーブスはリハビリにも似て病院に通っているようなものだった。

通い始めてちょうど一年。体重10キロ減、ウエスト14センチ減。

その成果は自分にとって大きな励みとなっている。



午後、お葬式から帰って来たじいちゃんが「あっけないもんやな」と。

あっけらかんとしているようでやはりショックだったのだろう。

二人でしばし故人の思い出話をしたりしていた。

可愛い盛りのお孫さんが4人。どんなにか生きたかったことだろう。

口にこそ出さないけれど明日は我が身のことでもあった。


私は臆病者であるから死ぬのが怖くてたまらない。

不治の病なら覚悟は出来るけれどある日突然もあり得る。

睡眠中によく自分が死んだ夢を見ることがあるのだけれど

「あっ、死んだ」と思う。そんな風に些細なことなのだろうか。

魂は暗闇でこそ光を放つらしい。それは希望に他らない。

生きたかったひとの分まで生き抜いてみせなければいけないのだ。



2022年06月03日(金) 懐かしい風

先ほどまで西日が射し込んでいたせいか室温が31℃もある。

夕風が涼しくはあるけれどお風呂上がりの汗が引かず

扇風機を回している。彼女は忙しなく首を左右に振り続けているばかり。

物心ついた時分から扇風機はあったけれど

母はよく団扇を使うことが多かった。お昼寝の時などそれは優しく

まるで母の手そのもののように撫でられているような気がしたものだ。

今では団扇を使うことなど無くなりただただ懐かしい風となった。





昨夜じいちゃんの友人が亡くなり今夜はお通夜だった。

気さくで明るい人だったので一気に寂しさがつのる。

水道屋さんの仕事をしていたので我が家もよくお世話になった。

最後に会ったのは昨年の秋だったか、「もう俺はいかんぜ」と

半ば冗談のように嘆いていたけれどやはり病魔に勝てなかったようだ。

覚悟はしていてもあまりにもあっけない最期に胸が詰まる。


お通夜から帰って来たじいちゃんも気落ちしているだろうと思えば

なんとあっけらかんとしていて「先に逝ってしもうた」と平然としている。

彼は私のようにくよくよと思い詰める性格ではない。

自分もやがてその時が来るだろうと達観しているようであった。

明日は我が身だとは思わないのだ。その時はその時のことなのである。

私はそんな彼を尊敬してやまない。まるで人生の師のようでもあった。


生きている限り死は免れない現実だと思う。

私は必死の思いで命にしがみついているけれど愚かなことなのだろうか。

何かひとつでも手放すものがあるのかもしれない。

それが分からないままただただ明日の扉を開こうとしている。


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