ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年06月07日(火) くちなし

6月とは思えない程の青空。そうして爽やかな風が吹く。

梅雨入り前だからこそのこと。今が一番好きな季節かもしれない。

見わたせば紫陽花ばかりではない。くちなしの花も咲いている。

立葵の花も。今朝は桔梗が咲いているのを見つけて嬉しかった。


「くちなし」あれは16歳の頃だったろうか。

同じ文芸部に所属していた友人の律子が詩を書いていたのを思い出す。

残念なことにどんな詩だったのかは思い出せないのだけれど

とても繊細な詩で私にはとうてい書けそうにない詩だったことは憶えている。

憧れと同時に嫉妬も感じた。それは律子の純真さそのものだったのだろう。

50年の歳月が流れようとしている。律子は今でも詩を書いているだろうか。





めいちゃんがスマホデビューしてから3日が経った。

キッズ用のスマホかと思えば大人用を買い与えたらしい。

まだ2年生であまりにも早過ぎるのではと思ったけれど

娘夫婦にも考えがあってのことらしく口出しは出来なかった。

早速私の番号も登録してくれて「おばあちゃん」と表示されている。

私もすでに3回程かけてしまった。隣室に居てもかけてしまうのだ。

なんとなく声が聴きたくなる。「もしもしなあに?」が聴きたい。


あやちゃんも欲しがるのではないかと思っていたけれど

今は未だ必要ないとのこと。決して我慢をしている風には見えない。

その代わり家の電話はもはやあやちゃん専用となっている。

不審な番号からの電話には出ず友達の番号は登録してある。

鳴ったらすぐ出られるように子機を勉強机に置いてあるのだった。


それにしても便利な世の中になったものだ。

5年後10年後を思うとなんだか怖ろしくなってしまう。

SNSでいじめとか今も問題になっているけれど

なんとしても子供を守ってやらなくてはいけない。




2022年06月06日(月) 男の涙

午後には青空が見え始め爽やかな風が吹く。

二十四節気の「芒種」であったけれど

稲はもうとっくに田に植えられており季節感を感じられない。

特に高知は早場米の産地であり田植えも稲刈りも早かった。

昔の人は芒種の頃に種もみを撒き稲作を始めたのであろう。

次の節気は「夏至」となり本格的な夏の訪れがやって来る。


すっかり稲作農家となってしまった義父は畦の草刈りに追われ

今日は異常発生したタニシを退治していたようだ。

78歳とは思えない働きぶりで目は生き生きと輝いている。







下校時から2時間程けい君を預かっていたのだけれど

二階の子供部屋へ上がろうとして階段を踏み外してしまったようだ。

いわゆる「弁慶の泣き所」を強く打ったらしく大声で泣きじゃくる。

まるでこれまでの我慢が爆発したような泣きっぷりであった。

最初には「泣きたいだけ泣かせてやれ」とは云ったものの

挙句には「男だろ、いいかげんにせよ」と叱られてしまった。

そうしたらあやちゃんが「それは差別やけん」と仲裁に入る。

痛い時は誰も同じ。それに男女の区別は在ってはならないのだ。


気分転換にとあやちゃんがタブレットを貸してくれた。

自分も遊びたかっただろうになんと優しいことだろう。

おかげで5分もしないうちにけい君は笑顔になっていた。


母親と離れて2ヵ月になろうとしている。

その間一度も泣き言も云わずどれほど耐えて来たことだろうか。

今日の涙はまるでそのご褒美のようにも思われた。



2022年06月05日(日) なんとなく好き

3時頃からぽつぽつと雨が降り始めた。

今夜から明日の朝にかけて本降りになりそうである。

今はまだ静かな雨音を聴きながらこれを記し始めた。

雨だれの音が耳に心地よい。私までもこぼれ落ちてしまいそうだ。

そこは何処だろう。不安がってばかりいてはいけないと思う。


田辺聖子の「おかあさん疲れたよ」を読了。

図書館で借りた時にはてっきり自叙伝的な小説だと思い込んでいたけれど

読んでみれば夫と妻のそれぞれの恋心のような想いが描かれていた。

はっきり言って私には無縁の物語のように思えたけれど

意に反して感情移入してしまい読後感がとてもせつなく胸に沁みた。

尾を引きながらもきっぱりと断ち切るような潔さも感じられる。


最後に恋をしたのはいつのことだったか。

まだ40代の女盛りだった頃は死ぬまで恋をしていたいと思っていた。

そんな情熱も年を重ねるごとに薄れてしまったようだ。

人間的に惹かれる人はいても恋には結びつかない。

男だとか女だとかに拘るのもまっぴら御免だと思うのだ。

女として見られるのもひどく嫌悪感を感じるようになった。

出来れば「ニンゲン」として見て欲しいと願ってやまない。


恋するせつなさ。胸のときめき。涙もあれば苦しさもある。

私はそんなあれこれからすでに解放されているのだと思う。

生きることに精一杯でわき目を振る暇もない程に忙しい。

縁は確かにあるけれどそれはあくまでも魂の出会いであろう。

「なんとなく好き」そんな言葉でひとくくりにしてしまいたい。


去る者は追わず来る者は拒まずが信条ではあるけれど

私を女だと思って近づこうとする人は断固として拒否したい。

そうして人間関係をまあるく納めていくのが私の理想である。


もう恋なんてするつもりはない。

たとえ死ぬまで女だったとしても。






2022年06月04日(土) 暗闇でこそ光る

3時頃から曇り空となり夕陽が見えない。

土手のチガヤの白い穂が真っ直ぐに立っており

無風状態の夕暮れ時となったようだ。

明日は雨とのこと。梅雨入りも近いことだろう。

やはり来るべき季節が来ないとなんとなく落ち着かないものだ。


朝のうちにカーブスへ行っていたけれど

相変わらずの足の痛みで心から愉しめない。

毎週行く度に足の痛みを訴えているにも関わらず

新人コーチは忘れている様子でとても心もとない。

股関節だと伝えていたのに今日は「膝ですか?」と訊かれた。

うまく意思疎通が出来兼ねるけれど続けるしかないだろう。

カーブスはリハビリにも似て病院に通っているようなものだった。

通い始めてちょうど一年。体重10キロ減、ウエスト14センチ減。

その成果は自分にとって大きな励みとなっている。



午後、お葬式から帰って来たじいちゃんが「あっけないもんやな」と。

あっけらかんとしているようでやはりショックだったのだろう。

二人でしばし故人の思い出話をしたりしていた。

可愛い盛りのお孫さんが4人。どんなにか生きたかったことだろう。

口にこそ出さないけれど明日は我が身のことでもあった。


私は臆病者であるから死ぬのが怖くてたまらない。

不治の病なら覚悟は出来るけれどある日突然もあり得る。

睡眠中によく自分が死んだ夢を見ることがあるのだけれど

「あっ、死んだ」と思う。そんな風に些細なことなのだろうか。

魂は暗闇でこそ光を放つらしい。それは希望に他らない。

生きたかったひとの分まで生き抜いてみせなければいけないのだ。



2022年06月03日(金) 懐かしい風

先ほどまで西日が射し込んでいたせいか室温が31℃もある。

夕風が涼しくはあるけれどお風呂上がりの汗が引かず

扇風機を回している。彼女は忙しなく首を左右に振り続けているばかり。

物心ついた時分から扇風機はあったけれど

母はよく団扇を使うことが多かった。お昼寝の時などそれは優しく

まるで母の手そのもののように撫でられているような気がしたものだ。

今では団扇を使うことなど無くなりただただ懐かしい風となった。





昨夜じいちゃんの友人が亡くなり今夜はお通夜だった。

気さくで明るい人だったので一気に寂しさがつのる。

水道屋さんの仕事をしていたので我が家もよくお世話になった。

最後に会ったのは昨年の秋だったか、「もう俺はいかんぜ」と

半ば冗談のように嘆いていたけれどやはり病魔に勝てなかったようだ。

覚悟はしていてもあまりにもあっけない最期に胸が詰まる。


お通夜から帰って来たじいちゃんも気落ちしているだろうと思えば

なんとあっけらかんとしていて「先に逝ってしもうた」と平然としている。

彼は私のようにくよくよと思い詰める性格ではない。

自分もやがてその時が来るだろうと達観しているようであった。

明日は我が身だとは思わないのだ。その時はその時のことなのである。

私はそんな彼を尊敬してやまない。まるで人生の師のようでもあった。


生きている限り死は免れない現実だと思う。

私は必死の思いで命にしがみついているけれど愚かなことなのだろうか。

何かひとつでも手放すものがあるのかもしれない。

それが分からないままただただ明日の扉を開こうとしている。



2022年06月02日(木) オムライス

土手の道を夕散歩している人の姿が見える。

よちよち歩きの幼子もいて微笑ましい光景である。

午後7時。まだ空は明るく微かに西の空が茜色に染まった頃。

私はぽつねんと窓辺に佇んでいてこれを記し始めた。


何か無性に書きたいことがあるような気がしてならないのだけれど

もどかしさばかりが勝ってうまくきっかけが掴めずにいる。

それはきっとすらすらとは言葉に出来ないことなのだろう。

記憶は時に残酷であり古傷を晒そうとするのだった。

振り返ってはいけないのかもしれない。今はそう思うことにしよう。





あやちゃんのリクエストで今夜はオムライスだった。

我が家のそれは大皿に盛りつけた巨大なオムライスで

それぞれが食べたい分だけ取り分けるのだった。

実は私も大好きなのだけれどひたすら我慢する。

炭水化物を控えるようになって一年が経ち

10キロの減量に成功したその努力を讃えてやりたい。

ストレスになっているかと問えばそうでもなく

もう慣れてしまったようだ。胃も小さくなったのだろう。

今夜も鰹のお刺身とお豆腐でお腹がいっぱいになった。

とにかくたんぱく質を多く摂り筋肉を作らなければいけない。

筋肉が付けば足の痛みも和らぐだろうと信じているのだった。


炭水化物を全く摂らないと云う訳ではない。

先日のように丼ご飯を食べたりラーメンを食べる時もある。

それは自分にとってのご褒美のようなものではないだろうか。



ここまで書いて我ながらなんとつまらない日記だろうと思う。

少しめげている。こんなはずではなかったと後悔もしている。

書いた後の後味が悪いのだ。少しも「書いた」気がしない。

題名も思いつかない。「オムライス」にするしかないだろう。

どうやら私は大きな壁にぶつかってしまったようだ。



2022年06月01日(水) 灰色の夏

夕風が心地よい。茜色の空を仰ぎながらこれを記し始めた。

時々むなしくなる。「こんなものを」と自分を卑下したくなる。

それでも書かずにいられないのは微かな自尊心だろうか。

いや、そんな大それたことではなくただしがみついているだけかもしれない。

見苦しい時もあるだろう。それはなんの感慨もない駄文にも等しい。



仕事で経理ソフトの入力をしていてはっと驚いたことがあった。

売上元帳に顧客名の苗字を入れたら何人かの名前が表れて

その中に青春時代の忘れられないひとの名前があったのだった。

以前に検索したことがあってPCが記憶していたのだろう。

個人情報に関わることだけれど住所と電話番号が表記されていた。


高校卒業後大学に進学しそのまま都会暮らしをしていると思っていたけれど

故郷に帰って来ていることを知ったのだった。

そのことを知れただけで充分に思う。もちろん電話などするつもりはない。

ただ消息を知りたかった。知ったからといえ何も変わらないけれど。

朧げな現在の姿が見えたような気がしてほっとしたのだった。


最後に会ったのは47年も昔の夏のことである。

彼は白いTシャツにジーンズ姿で懐かしそうに笑顔を見せていた。

けれども私はその笑顔に応えることが出来なかった。

もう一度やり直すことなどどうして出来ただろうか。

話もろくにしないまま私は逃げるようにその場を去った。

その時の彼の途惑った顔を今でもはっきりと憶えている。

確かなのはその時すでに私の青春は終わっていたのだろう。

それほど儚いものなのだ。青い春などではない。灰色の夏のことだ。


66歳になった彼のことなど想像もつかないけれど

私の心の中には最後に会った19歳の彼がずっと佇んでいる。


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