ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年06月02日(木) オムライス

土手の道を夕散歩している人の姿が見える。

よちよち歩きの幼子もいて微笑ましい光景である。

午後7時。まだ空は明るく微かに西の空が茜色に染まった頃。

私はぽつねんと窓辺に佇んでいてこれを記し始めた。


何か無性に書きたいことがあるような気がしてならないのだけれど

もどかしさばかりが勝ってうまくきっかけが掴めずにいる。

それはきっとすらすらとは言葉に出来ないことなのだろう。

記憶は時に残酷であり古傷を晒そうとするのだった。

振り返ってはいけないのかもしれない。今はそう思うことにしよう。





あやちゃんのリクエストで今夜はオムライスだった。

我が家のそれは大皿に盛りつけた巨大なオムライスで

それぞれが食べたい分だけ取り分けるのだった。

実は私も大好きなのだけれどひたすら我慢する。

炭水化物を控えるようになって一年が経ち

10キロの減量に成功したその努力を讃えてやりたい。

ストレスになっているかと問えばそうでもなく

もう慣れてしまったようだ。胃も小さくなったのだろう。

今夜も鰹のお刺身とお豆腐でお腹がいっぱいになった。

とにかくたんぱく質を多く摂り筋肉を作らなければいけない。

筋肉が付けば足の痛みも和らぐだろうと信じているのだった。


炭水化物を全く摂らないと云う訳ではない。

先日のように丼ご飯を食べたりラーメンを食べる時もある。

それは自分にとってのご褒美のようなものではないだろうか。



ここまで書いて我ながらなんとつまらない日記だろうと思う。

少しめげている。こんなはずではなかったと後悔もしている。

書いた後の後味が悪いのだ。少しも「書いた」気がしない。

題名も思いつかない。「オムライス」にするしかないだろう。

どうやら私は大きな壁にぶつかってしまったようだ。



2022年06月01日(水) 灰色の夏

夕風が心地よい。茜色の空を仰ぎながらこれを記し始めた。

時々むなしくなる。「こんなものを」と自分を卑下したくなる。

それでも書かずにいられないのは微かな自尊心だろうか。

いや、そんな大それたことではなくただしがみついているだけかもしれない。

見苦しい時もあるだろう。それはなんの感慨もない駄文にも等しい。



仕事で経理ソフトの入力をしていてはっと驚いたことがあった。

売上元帳に顧客名の苗字を入れたら何人かの名前が表れて

その中に青春時代の忘れられないひとの名前があったのだった。

以前に検索したことがあってPCが記憶していたのだろう。

個人情報に関わることだけれど住所と電話番号が表記されていた。


高校卒業後大学に進学しそのまま都会暮らしをしていると思っていたけれど

故郷に帰って来ていることを知ったのだった。

そのことを知れただけで充分に思う。もちろん電話などするつもりはない。

ただ消息を知りたかった。知ったからといえ何も変わらないけれど。

朧げな現在の姿が見えたような気がしてほっとしたのだった。


最後に会ったのは47年も昔の夏のことである。

彼は白いTシャツにジーンズ姿で懐かしそうに笑顔を見せていた。

けれども私はその笑顔に応えることが出来なかった。

もう一度やり直すことなどどうして出来ただろうか。

話もろくにしないまま私は逃げるようにその場を去った。

その時の彼の途惑った顔を今でもはっきりと憶えている。

確かなのはその時すでに私の青春は終わっていたのだろう。

それほど儚いものなのだ。青い春などではない。灰色の夏のことだ。


66歳になった彼のことなど想像もつかないけれど

私の心の中には最後に会った19歳の彼がずっと佇んでいる。



2022年05月31日(火) 自立への道

5月もとうとう晦日。あっという間に日々が流れた。

なんだか春の日に忘れ物をしたような気がする。

もう初夏と思えば尚更のことで引き返すことは出来ないけれど

背中を押されるようにまた歩み出して行かなければならない。

生きて在ればこそと思う。私にもきっと未来があるだろう。



息子が準夜勤のため下校時からけい君を預かっている。

10時には仕事を終えるけれど夕飯やお風呂や

さすがにマンションへ独りで置いておくわけにはいかない。

夜中に連れて帰るのも可哀想で今夜は我が家に泊まることになった。

臨機応変にと思う。また独りで夜を明かす日もあるだろう。

今日は気のせいかもしれないけれどなんとなく大人びた様子。

日に日に成長しているのだなと感慨深く思った。


「もう2、3年だな」とじいちゃんが呟く。

祖父母に頼ることもなくなり少年として「自立」するかもしれない。

それはそれで寂しいけれどきっと逞しくなることだろう。

私達はそんなけい君をあたたかく見守ってやらなければいけない。


過去を辿れば私も少女として「自立」していたのだと思う。

大人に頼ることもせず泣き言も言わなかった。

母親が居ない現実をしっかりと受け止めていたし

まして母に会いたいなどとはつゆとも思ってなどいなかった。

それほどの強い精神力があったのかはさだかではないけれど

「おかげさま」で少女から大人になれたのかもしれない。

青春時代の傷も今思えば勲章のように感じられる。

取り返しのつかない罪も「覚悟」として胸に刻み込んでいる。

あとは与えられたいのちを全うするだけではないだろうか。


けい君の未来にこの先何が待っているのか知る由もないけれど

彼はきっとどんな困難も乗り越えるのではないだろうか。

傷つくこともあるだろう。寂しくてたまらない日も。

それでも歯を食いしばって未来の自分に会いに行くのに違いない。



2022年05月30日(月) ジャストモーメント

雨のち曇り。本降りの雨となり田畑には恵みの雨になったようだ。

気温は昨日よりも10℃近く低くなりずいぶんと肌寒い。

体調は悪くはないけれど頭痛が少し。気圧のせいかもしれない。

そんな些細なことが不安になり死が頭を過る。

くも膜下出血で亡くなった友人の顔が目に浮かんでならなかった。

死んだら魂はそして意識はいったいどうなってしまうのだろう。


谷川俊太郎のエッセイを読んでいたら

「もう生きていた頃のことはさっぱり忘れ死んだことに熱中しよう」と

書いてあった。なんだかとてもすっきりとして気分が晴れていく。

たかが頭痛くらいでくよくよと思い詰めることもないだろう。





雨にも関わらず来客の多い一日だった。

お昼前にはロージーが「ワタシパンクネ」と来てくれる。

先客があったのでしばらく待たせてしまったけれど

「ジャストモーメント」で良かったのか「オッケイ」と微笑んでくれた。

待ち時間に家庭菜園の話をした。「トメイト植えた?」と訊けば

「モウニョキニョキヨ」と今日の雨を喜んでいるようだった。

以前はご主人の通訳なしでは会話も出来なかったけれど

ロージーの日本語は凄まじく上達している。

私の英会話はまるで駄目だけれど会話が出来るのがとても楽しかった。

領収証を切る時もまた愉快。私がローマ字でPANKと書いたら

「ノーノー、パンクティよ」と英語の綴りまで教えてくれた。

その綴りをもう忘れてしまってここに記せないのは少し残念である。


そんなこんなで仕事は楽しくてならない。

来客が多いほど私のテンションも高くなるのである。


若ければもっともっとと思うことだろう。

けれども未だゴールが見えない限り私は走り続けるのに違いない。



2022年05月29日(日) 仕合せ

快晴ではなかったけれど夏らしい陽射し。

全国的に気温が高くなり猛暑日になった所もあったようだ。

涼しい夕風を期待していたけれど無風状態となり

堪りかねてついに扇風機を出してしまった。



今日はあやちゃんのお友達の誕生日会を我が家でするそうで

邪魔にならないようにとじいちゃんとドライブに出掛けていた。

四万十町で昼食を摂り大正、十和、江川崎経由で帰って来る。

四万十川を見渡せる絶好のドライブコースであったけれど

水量がとても少なく最後の清流には程遠く感じられた。

GWには大勢の観光客で賑わっていた沈下橋もひっそりと佇む。


昼食は「お好み焼き定食」を楽しみにしていたのだけれど

人手不足でお好み焼きを焼くことが出来ないとのこと

仕方なく「焼肉定食」」にしたらじいちゃんの苦手なピーマンが入っていた。

我慢しながら食べている様子は少し憐れでもあった。

定食にはミニうどんが付いていてご飯はなんと丼にてんこ盛り。

さすがに残す訳にはいかず頑張って完食したけれどお腹が破裂しそう。

普段は白米を殆ど食べないのでひと月分位食べたような気がした。


満腹になるとすぐに睡魔が襲って来る。

助手席でうとうとする私をじいちゃんは決して咎めない。

「寝ていろや」と言ってくれるけれど後ろめたさも少しはある。

はっとしたように目覚めてはしゃべりまたうとうとするばかり。


帰宅したら誕生日会の真っ最中でなんとにぎやかなこと。

二階には上がらず茶の間で録画してあった「ポツンと一軒家」を見る。

愛媛と高知の県境だそうで何処だろうととても興味深かった。

90歳の現役農家の逞しいおじいちゃんが義父の姿と重なる。

義父もきっと長生きをして90歳になってもばりばり働いているだろう。



娘むこは今日は釣り。キスを5匹ほど釣って来ていた。

ここいらではキスとは言わず「キスゴ」と呼ぶ。

三枚におろして天ぷら。骨も「骨せんべい」にして食べられる。

昨日の貝類もまだ残っており今夜もおうち居酒屋となった。


幸せだなと思う。それはすべてが「仕合せ」に他ならない。



2022年05月28日(土) 居酒屋

晴れのち曇り。日中は少し蒸し暑さを感じる。

我が家ではまだ炬燵や温風ヒーターを置いて在り

そろそろ片づけて扇風機を出すべきではないだろうか。

これも家事を疎かにしている証拠であった。

何事に対しても思うだけで行動力は廃れるばかりである。



けい君は無事に独りで一夜を明かしたようだった。

いや、猫を飼っているので独りぼっちではなかったのか。

それにしてもよく頑張ったものだと感動すら覚える。

きっと大きな自信に繋がったのだと思う。「えらかったよけい君」



午後、あやちゃんとめいちゃんのお友達が遊びに来てくれて

賑やかになるかなと思っていたけれどそうでもなかった。

私は本も読めたしお昼寝もちゃんと出来たのだった。

お友達のお家は農家で新生姜とピーマンを持って来てくれる。

お野菜を頂くのはほんとうに有難く嬉しいことである。



早朝から仕事に行っていた娘むこが早めに仕事を終えられたそうで

素潜り漁でそれは沢山の貝類を獲って帰って来た。

牡蠣、ナガレコ、ニガニシ。牡蠣はもちろん分かるはずだけれど

ナガレコはトコブシのこと。ニガニシはどう説明したら良いか

少し苦みのある貝だけれどそれが癖になる美味しい貝だった。

他人様から見たらなんと豪華な食卓であろうか。

いや「おかず」ではなくすべてビールの友、「酒の肴」である。

男たちに加わり娘までもまるで居酒屋さんのような有り様であった。

食卓が笑顔でいっぱいになる。私はそんな家族の顔を見るのが好きだ。


孫たちは「鶏の唐揚げ定食」あやちゃんはご飯のお代わりをする。

鶏肉は午前中から下味を付けてありよく浸みており美味しかった。

「おばあの唐揚げは日本一」と褒められれば私も悦に入るのである。

平日には出来ないので週末にはよく作ることが多い。

私もやれば出来るのだけれど普段は手抜き料理ばかりだった。


気がつけばだらだらと書き綴りどうでも良いのような日記になってしまった。

こんな日記でも読んで下さる方々が居てくれてどれほど励みになっているか。

改めて感謝の気持ちを伝えたいと思う。ほんとうに有難いこと。


こころはいつも揺れ続けている。

風に吹かれたり波にもまれたりしながら

それでも凛と立ち尽くす日もきっとあるだろう。



2022年05月27日(金) 独りぼっち

雨あがりの晴天。爽やかな風のおかげで暑さを感じずに済む。

紫陽花の花が少しずつ色づき始めている。

気になるのは去年の花が化石のように残っていること。

それはいつの間にか消えてしまうけれど

いったいどんな仕組みになっているのだろうと不思議でならない。

枯れても散れない花はなんと切ないことだろうか。



さて、昨夜のけい君とじいちゃんのこと。

まるで怒り合いの喧嘩をしているように見えたのだけれど

就寝前には二人が肩を並べて歯磨きをしていた。

どうやらまるく納まったらしい。私もほっとして床に就いたのだった。

今朝はけい君のあどけない寝顔を見ながら目頭が熱くなった。

甘やかすのは確かに良くないけれどこの子に何の罪があるのだろう。

余程のことが無い限りきつく叱ってはいけないと思ったのだった。


今夜も息子が深夜勤のため預かることになっていたのだけれど

息子から連絡がありけい君を独りで寝させてみると言うので驚く。

けい君も「だいじょうぶ」と健気に頷いているらしい。

それだけ成長した証拠かもしれないけれどやはり心配でならない。

何もなければ良いけれど地震でもあったらと不吉なことが頭を過る。


明日は学校も休みだし息子も早朝には帰宅するらしい。

息子も考えてのことだろう。まるで我が子を試すかのように。

我慢と辛抱の上にまた大きな試練を与えようとしている。


優しい?じいちゃんがマンションへ泊りに行こうかと連絡をしたら

「来なくていい」とけい君が言ったそうだ。

「けい君なかなか言うな」ちょっと愉快な気分になってきた。








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