梅雨入りを思わすような雨が降っている。
真っ直ぐで素直な雨である。正直なのかもしれない。
純真なのかもしれない。決して荒れすさんではいないのである。
落ちる場所を見失ってはいない。とにかくそのような雨なのである。
下校時からそのままけい君を預かっているのだけれど
夕食後、茶の間でじいちゃんに叱られたらしく
鉛筆を投げたりランドセルを蹴ったりと
ひどい怒りようで手が付けられない有り様だった。
「鬱憤」というものが子供にもあるのだろう。
その矛先を何処に向ければ良いのか途惑っているようだった。
「おまえはいいからさっさと二階へ行け」と言われて
こうしていつものようにこれを記しているのだけれど
はらはらとするばかりでどうにも落ち着かない。
男同士でケリを付けるつもりなのだろう。
それにしてもどちらかが折れないと治まりそうにない。
じいちゃんはいつまでも尾を引く性格ではないけれど
けい君はどうなのだろう。根に持つ性格なのだろうか。
まだにわか暮しのことでよく理解が出来ないのであった。
「おじいちゃんはけい君が大好きながやけん」と言ったら
「ぼくは大きらい!」と鬱憤はまだまだ彷徨っているようだ。
「けい君を守ってあげんといかんろ」とじいちゃんに言えば
「甘やかしたらいかんぞ!」とこれもまた凄い剣幕なのである。
どうやら私の出る幕は無さそうでもう口出しは出来なかった。
雨音が激しくなってきた。今夜はどれほどの雨になるのだろう。
素直なはずの雨が風を伴い荒れ狂うのかもしれない。
けれども明日は爽やかな青空が広がるのだそうだ。
連日の夏日。蒸し暑さはなく初夏らしさをたのしむ。
明日は雨だそうで一気に気温が下がりそうだ。
梅雨入りも近いことだろう。季節はもう後戻りできない。
田辺聖子の「楽老抄」を読んでいてずいぶんと励まされる。
どうしようもなく老いて行くけれど嘆いてはいられない。
せつなくてならなかったけれど哀しんでばかりいてどうする。
田辺聖子風に言うと「あほとちゃうか」と笑い飛ばしてしまいそう。
ここ数日母からの着信が多く少し途惑っている。
それは先日亡くなってしまった母の友人の妹さんのことを
つい口を滑らせて母に話してしまったからだった。
知らないままでいたほうがどれほど母の為だったか
今さら後悔しても遅いけれどずっと秘密にしておくべきだったのだろう。
母はそれ以来ずっとその妹さんのことを考えているらしい。
「どうして死んだんやろうね?」と何度も私に訊ねる。
「分からんよ知らんよ」とそのたびに応えるしかなかった。
病死なら諦めもつくだろう。母もそれほど心を痛めなかったかもしれない。
「さびしくてたまらない」母の言葉が私の胸を刺すばかりだった。
老いれば老いるほど死は身近になってくる。
与えられた命を全うしてこそ「生きた」と言えるのだろう。
自ら命を絶つことは「生きられなかった」としか言いようがない。
もしかしたら母は悔しくてならないのかもしれない。
残念でならずなんとかして自分の気持ちを宥めようとしている。
そんな母に寄り添っていてあげなくてはと改めて思うのだった。
「あほは死なななおらへん」田辺聖子は決してそう言わない。
「生きてこそなんぼのもんや」胸を張ってそう言うだろう。
| 2022年05月24日(火) |
喉元過ぎれば熱さを忘れる |
最高気温が28℃まで上がりもう少しで真夏日になるところだった。
今日も爽やかな風が吹き気温のわりに過ごしやすい一日となる。
朝の山道でとんだ失態。目から火が出るように恥ずかしかった。
道端の草むらにお遍路さんがうずくまっており
てっきり体調でも悪いのではないかと「大丈夫ですか?」と声をかけた。
そうしたら顔を上げたお遍路さんが「すみません」と頻りに謝るのだ。
一瞬どうして謝るのだろうと不思議に思ったのだけれど
すぐにズボンを下ろした下半身が見えて事情が分かったのだった。
謝らなければいけないのは私の方でお遍路さんに罪は無い。
急な便意に堪えきれず草むらに走り込んだのであろう。
まだ若い青年だった。気づかぬふりをして通り過ぎであげるべきだった。
私も恥ずかしかったけれどお遍路さんもどんなにか恥ずかしかったことか。
むやみに声を掛けてはいけない。けれどもこれも縁なのかもしれない。
その青年の顔がはっきりと目に浮かび旅の無事を祈らずにいられない。
職場ではちょっとしたハプニングがあった。
義父がネット販売で注文した商品が10日たっても未だ届かず
そのサイトの会社情報を調べ確認の電話を掛けてみたのだった。
そうしたら先週あたりから何件かの苦情が舞い込んでいるとのこと。
注文した商品は扱っておらず全く架空のサイトであり
「会社情報」を悪用されその会社も被害者なのだと言われた。
代金はすでに送金してあり事実上の詐欺被害に遭ったことになる。
その会社の社長さん自ら警察に被害届を出すようにと進言してくれた。
けれども大した金額ではないので義父は苦笑いしながら諦めると言う。
ネットで何でも買える時代だからこそこんな落し穴があるのだろう。
義父の衝動買いを戒める良い機会になったと思いたい。
朝からあれこれとあったけれど喉元過ぎれば熱さを忘れる。
家に帰れば穏やかな日常のことが待っていてくれる。
ただ今日の市内の感染者数が過去最多だったことには驚愕が走った。
一日も早くコロナが治まってくれることを願ってやまない。
快晴ではなかったけれど27℃と気温が高くなる。
幸い蒸し暑さは感じず過ごしやすい一日だった。
吹き抜ける風が心地よい。南風だったのだろうか。
山里に居ると北も南も分からなくて周りは新緑の山ばかり。
今朝はめいちゃんが頭痛を訴え朝食を食べようとしない。
集団登校に間に合わず私が出勤する時間までぐずぐずしていた。
後ろ髪を引かれるように先に家を出たのだけれど
後からじいちゃんから電話がありなんとあやちゃんも一緒に休んだそう。
とにかく少しでも早く帰って来て欲しいと困り果てたような声だった。
仕事を定時で終らせてもらって急いで帰宅すると
茶の間から聴こえるのは二人のはしゃぎ声であった。
めいちゃんに「あたまは?」と訊くと「もうなおった」と言う。
あやちゃんは妹が心配なので学校を休んだのだと言い張る。
仮病とずる休みと決めつけるのはあまりにも可哀想だろうか。
娘は察していたらしく出掛けにタブレットを取り上げていたらしい。
それも銀行の貸金庫に預けるとあやちゃんに告げたらしかった。
あやちゃんはそれを信じ込んでいて仕方なく諦めていたようだ。
退屈と言ってしまえばさすがに後ろめたさを感じたのだろう
ずっと茶の間に居てじいちゃんの側を離れなかったのだそうだ。
それから二人は洗濯物をたたむのを手伝ってくれる。
あやちゃんはお風呂掃除もしてくれた。
夕飯の支度も手伝ってくれて随分と助けてくれた。
めいちゃんは食後の食器洗いを率先してやってくれたのだった。
めいちゃんのお友達から手紙が届いていて
「はやくげんきになってね」「またいっしょにあそぼうね」と。
私はそれを読んで涙が出た。めいちゃんはどんな気持ちだったのだろう。
今朝は私も心配したけれどお友達もみんな心配してくれていたのだ。
頭痛は決して嘘ではなかったのかもしれない。
そう信じてあげなければめいちゃんの立場が無くなってしまう。
遅くなって帰宅した娘が隠していたタブレットを取り出してくれた。
お手伝いをいっぱいしてくれたのだものそれはご褒美に他ならない。
めいちゃんはともかくとしてあやちゃんはどれほど後ろめたかったことか。
それを身をもって感じた貴重な一日だったのかもしれない。
朝の肌寒さもつかの間、日中は汗ばむ程の陽気となる。
朝のうちにやっとお大師堂へ。随分と久しぶりのこと。
やはり花枝(シキビ)がもう限界だったようで
葉が落ちかけているのを新しく活け替える。
シキビの艶やかな新芽がとても清々しく感じた。
私以外にそれをする者はいない。ささやかな任務なのだろう。
息子が早出出勤だったので6時半にはけい君を連れて来ていた。
昨日からじいちゃんと相談していて今日は何処かに出掛けようかと。
家に居るとどうしても二階に入りびたりになってしまうので
娘達に迷惑をかけてしまう。それだけは避けたかった。
「ドライブに行こうか」幸いけい君も素直に喜んでくれる。
じいちゃんの提案で西へ。宿毛市から愛媛の津島町まで。
間寛平の生まれ故郷の楠山を過ぎ坂本ダム経由で県境を越す。
けい君にとっては生まれて初めての愛媛県だったようだ。
道路標識を見ながら「えひめ県や!」と嬉しそうに叫んでいた。
山道ばかりで子供の遊び場などなかったけれど
松田川のせせらぎ。何よりも新緑の山々が目に眩しかった。
特に目を瞠ったのは大きな栴檀の木でそれは見事な薄紫の花。
「せんだん分かる?」と訊けば首を傾げるけい君であったけれど。
自然の風景に触れることで大いに気分転換が出来たのではないだろうか。
お昼時を過ぎてしまいやっと帰り道の宿毛市郊外のレストランへ。
私達はお手軽にラーメンセットを頼んだけれど
けい君はピザが食べたいと言う。てっきり冷凍ピザだろうと思っていたら
随分と待たされてそれは思いがけずに手作りピザだったらしい。
私達が食べ終えてもけい君のピザは運ばれて来なかった。
時刻は1時半を過ぎており空腹に悶えるけい君はちょっと愉快。
またまた辛抱と我慢に耐え忍ぶ姿に試練を垣間見たのだった。
乗り越えてこそのご満悦。ピザはとても美味しかったようだ。
ささやかな一日だったけれどけい君はまた少し成長したのかもしれない。
| 2022年05月21日(土) |
生きてさえいてくれれば |
二十四節気の「小満」あらゆるいのちが満ち満ちていく頃。
道端の雑草にもいのちがあることを忘れてはならない。
小雨が降ったりで生憎の天気だったけれど今は茜色の空が見えている。
黄昏ていく景色の中に鳥たちのさえずりも聴こえのどかな夕暮れ時となった。
息子が仕事だったためけい君を預かっていたけれど
娘達は出掛けておりあやちゃんもめいちゃんも居ない。
それでも寂しがりもせずよく辛抱したものだと思う。
息子が「おかあさんのところに遊びに行くか?」と訊いたけれど
けい君は笑顔を見せず首を横に振るばかりだった。
ちいさな心が葛藤しているのを感じられ不憫でならなかった。
そういえば弟もそうだったと遠い昔の記憶が蘇って来る。
小学4年生だったから今のけい君とほほ同年代だった。
弟も涙ひとつ見せず必死の思いで耐えていたのだと思う。
それは私も同じだったけれど男の子は特に母親を恋しがるものだった。
父も姉である私も母の代わりにはなれなかっただろう。
けれども弟は家族に甘えることもせず立派に成長して行ったのだった。
それがどれほどの大きな試練だったか今更ながらに感慨深く思う。
けい君は決して母親に捨てられたのではない。
ただ母親と一緒に暮らせない現実を受けとめようとしているのだろう。
生きてさえいてくれればと私も弟もどんなにか願ったことだろう。
今思えばながい人生のほんの一部分の些細なことだったかもしれない。
| 2022年05月20日(金) |
花は咲く時を知っている |
曇り日。昨日に比べると随分と涼しい。
栴檀の木に薄紫の花が咲いているのを見つけた。
季節は確かに初夏であり春が遠ざかったことを感じる。
自然の営みのなんと健気なことだろう。
逆らうこともせずにいて素直に順応しているのだった。
たとえ寒暖の差があろうと風雨に晒されようと花はじっと耐えている。
一晩ぐっすりと寝てしまえば今朝は嘘のように体調が良くなっていた。
元気溌剌とはいかないまでもそろりそろりと動き出す。
幸いと言って良いのか仕事もさほど忙しくはなく
明日は休みを頂くことにして定時で終らせてもらった。
今夜はけい君の心配もなくなんだか肩の荷が下りたよう。
やはり娘達に気兼ねし過ぎて気疲れが出ていたのかもしれない。
それではこの先が思いやられるばかりでいけないなと思っている。
神経が過敏になり酷く緊張する。時には焦りまくる時もある。
もっと大らかにど〜んと構えていなくては身が持たないだろう。
とにかく一日も早く慣れることだ。それがけい君の為にもなる。
もちろんくたばるわけにはいかない。元気でいなければいけない。
あやちゃんがとても優しくてほろりと涙が出そうだった。
今夜も「けい君は?」と心配そうに訊いてくれる。
けい君もあやちゃんとゲームをして遊ぶことが多く
姉のように慕っているふうで微笑ましい二人だった。
一人っ子のけい君にとってそれがどれほど嬉しいことだろうか。
今日は母親であるお嫁さんの朗報も舞い込む。
決して悪いことばかりではないと改めて未来に思いを馳せている。
花は咲く時を知っている。それはその季節にふさわしい人生のように。
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