ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年05月12日(木) 希望の雨

早朝には小雨だったけれど日中は本降りとなる。

幸い風が無かったので大荒れにはならずに済んだ。

お遍路さんを数人見かけたけれど雨合羽は上着のみで

足元のズボンや靴はずぶ濡れになったことだろう。

傘を差して歩くお遍路さんは一人も見かけなかった。

声も掛けられず横顔にただ会釈を繰り返すばかり。

一方通行ではあるけれど何かが伝わるのではないかといつも思う。



仕事でパソコンのトラブルがあり四苦八苦してしまった。

私のせいではないのに義父に責められ少し落ち込む。

「出来ないのか!」と怒鳴るのは勘弁して欲しいものだ。

いつもは優しい義父がまるで鬼のように思えてしまう。


一時間程残業になり帰路に就いたけれど帰り道のダム湖に掛かる橋に

運転席に誰も乗っていない軽トラックが駐車してあった。

どうしてこんな所に停めてあるのだろうと思いつつ通り過ぎたけれど

帰宅するなり義父から電話あり投身自殺があったらしい。

時間的に私が通り過ぎる直前の事のようだった。

もう10分早く退社していたら間に合ったかもしれない。

不審な行動をしていたならきっと声をかけていただろう。

もしかしたら思い留まらせることも出来たのかもしれない。

無力な私でも話を聞いてあげることは出来たのだと思う。

とても残念でならないけれど起きてしまった事はもう取り返しがつかない。



芸能界でも自死が相次いでおり心の悩みを抱えている人が多い。

ふと息子のお嫁さんの事が頭を過らずにいられなかった。

我が子にも会えずどんなにか前途を悲観していることだろう。

息子には時々電話があるらしいけれど決して明るくはないと言う。

「帰りたい」とも言わないそうですでに諦めている様子が窺える。

気長に養生すればなどと言えばそれは気休めにも等しい。

どんなにか辛い日々を送っていることだろうか心配でならなかった。

かと言って私から電話するのも躊躇われ何もしてあげられないのだった。



今夜は息子が深夜勤でそろそろけい君を連れて来る頃。

明るく笑顔で出迎えてあげるのが私の務めだと思っている。


命あってこその未来。命あってこその希望ではないだろうか。



2022年05月11日(水) 吉野家の牛丼

小雨が降ったりやんだりで気温もさほど上がらず。

週末までぐずついた天気が続くらしい。

明日は大雨の予報が出ていてついつい身構えてしまう。

今年の梅雨入りは例年より早いのかもしれない。


田んぼの畦道や道路沿いにコスモスに似た黄色い花を見かけるようになった。

外来種で「オオキンケイギク」という名の花らしい。

漢字だとどう書くのか調べてみたけれど分からなかった。

繁殖力がとても強く駆除対象の花になっているのだそうだ。

花には罪はないけれど咲く土地を間違えてしまったのだろう。

見つけたらすぐに根こそぎ引き抜くようにとネットには書いてある。

憐れな花なのだなと思う。ただ遠い国から旅をして来ただけなのに。





息子の早出が続いており今朝も6時にはけい君が来ていた。

息子も気を遣っているのだろう。朝食は済まして来たとのこと。

茶の間にはまだ炬燵を置いて在り潜り込んだけい君はとても眠そう。

あやちゃんやめいちゃんと遊ぶ余裕もない慌ただしい朝のことで

7時過ぎにはそれぞれが重いランドセルを背負い登校して行く。


息子のお嫁さんは身の回りの物を取りに一度帰宅していたらしいけれど

けい君は学校へ行っており顔を合わすこともなかったそうだ。

もうあの日からひと月が過ぎた。母と子の複雑な気持ちを察するけれど

けい君は一言も母親のことを口にせずひたすら我慢をしている様子。

お嫁さんの実家からもあれ以来何も言っては来ないのだった。


前途は決して明るくはないけれど少しでも希望をと願わずにいられない。

何事にも限界はあるけれどその先にはきっと未来があるのだと信じたい。


夕方、仕事を終えた息子が迎えに来た時けい君は炬燵で寝ていた。

まるで炬燵布団が母親であるかのようにすっぽりと潜り込んで。


「おい、起きろ、牛丼買いに行くぞ」と息子が起こす。

今夜の夕食は吉野家の牛丼らしい。









2022年05月10日(火) 母子草

曇り日。風は南風だろうか東風だろうかずいぶんと強く吹く。

夕方からぽつぽつと雨が降り始めた。明日も雨らしい。


朝の国道から山道に差し掛かる道沿いに広いブロッコリー畑があり

毎朝収穫している農家の人を見かけるのだけれど

今朝は畑にそれは沢山の蝶が飛んでいるのを見た。

のどかな光景ではあったがあまりの蝶の群れに目を瞠った。

ブロッコリー畑から生まれた蝶達なのだろうか。

そんなどうでも良いようなことが気になってならない。



職場からであったが母がお世話になっているケアマネさんに電話。

昨夜の母との会話で母の日に届けたはずのビスケットを

母は断固して受け取っていないと言い張るのだった。

何かの手違いがあったのかもしれずとりあえず連絡をしてみた。

そうしたらおやつの時間にちゃんと食べていますよと言うこと。

ただ母は私から届けられたことを忘れてしまっていたようだ。

認知症ではないけれど時々呆けたふりをするとのこと

それが愉快なのですよと電話口から笑い声が聴こえてくる。

おやつの時間にもう一度伝えますねと言ってくれた。


日曜日の「母の日」を母は知っていたのだと言う。

娘や息子からも見放されたと思い込み寂しい思いをしたのだそうだ。

私が届けたビスケットはもしかしたら翌日のおやつだったかもしれない。

職員さんには申し訳ないけれどふとそんな思いが頭を過った。

日曜日のことで人手も足りなかったことだろうと察せられる。



職場の玄関先の雑草が目に付くようになり少し草引きをした。

そうしたら母子草が咲いていて思わず手を止めずにいられない。

これだけは引けないと思った。これだけは残しておきたい。


母は今日もビスケットを「これ大好き」と言って食べてくれただろうか。



2022年05月09日(月) 歯車

雨が降ったり止んだり。気温も上がらず少し肌寒い一日だった。

朝の山道でそれはそれは沢山のアマリリスが咲いていた。

山奥とはいえ民家が数軒ある小さな集落があり

とある一軒のお宅の石塀に沿ってそれは植えられていた。

深紅のアマリリスがずらりと並んでいる光景に感動をおぼえる。

そこは遍路道。お遍路さん達もきっと心を和ますことだろう。






昨夜ここに記したことで詫びなければいけないことがある。

ついつい感情を露わにし過ぎていたようだ。

大人げない行為だったのかもしれないと今更ながらに悔やまれる。


実は昨夜寝る前になってじいちゃんから真相を聞かされた。

娘むこは決して悪気があってそうした訳ではなかったのだそうだ。

私達の昼食が早い事を知っていてとっくに済んでいると思ったらしい。

そんな単純な理由でけい君の分を買わなかったのだそうだ。

その事をあやちゃんから聞いてじいちゃんも納得したらしい。

あやちゃんもけい君が可哀想だと思っていたのだろう。

そうして父親である娘むこの立場を庇おうとしたのだと思う。

私も一言が足らなかった。「買って来てあげてね」と言うべきだった。


そんなふうに歯車が上手くかみ合わない時もある。

ほんの些細な事で波風が立つ時もあるのだろう。

それは信頼感の欠如にも繋がる大切なことなのに違いない。

一瞬裏切られたように感じた私がいちばん愚かなのではないだろうか。


本来なら昨夜の日記を削除するべきなのだろう。

けれどもそれはしない。そこには5月8日のありのままの私がいる。

何を感じ何を思ったのか。私は書き残しておきたいのだった。

削除する事は簡単だけれど昨日の私は何処に行けば良いのだろう。



歯車に油を差し手入れを怠らない日常でありたい。

それを人任せにしないで自分の手でやり遂げたいと思っている。

まわり続ける歯車は私の人生そのものであるかのように。



2022年05月08日(日) 母の日

晴れのち曇り。少し蒸し暑さを感じる一日だった。

今は窓を開け広げ夕風に吹かれながらこれを記している。

それにしても日が長くなったものだ。午後7時外はまだ随分と明るい。


朝のうちに母の施設のある病院へ。

担当の介護士さんからティッシュを届けて欲しいと連絡があった。

もちろん面会は叶わないけれど母の大好きなミレービスケットも届ける。

母は今日が「母の日」であることを知らないかもしれないけれど

介護士さんがきっと伝えてくれるだろうと思った。



息子は今日も早出で6時にけい君を連れて来る。

宿題をするようにと言われたのが気に障ったのかご機嫌斜めだった。

持参したランドセルを足で蹴とばしたりしてひどく苛立った様子。

昨日のこともあり宥めつつなんとか静かにさせることが出来た。


娘は仕事でいつも通りに出勤。娘むこは釣りに行かないと言う。

困ったことになったなと思った。娘以上に気兼ねが大きくなる。

娘むこもたまには子供達と過ごそうと思ったのだろう。

これまで日曜日に家に居ることは殆どなかった。


娘むことめいちゃんが出掛けて行ってけい君はあやちゃんと遊んでいた。

お昼前になり帰って来たらマクドのハッピーセットを買って来ていた。

それをけい君の目の前で広げたらしい。けい君が階下に駆け下りて来る。

「ぼくのぶんがない」それはとても悲しそうな顔をしていた。

憐れさを通り越して酷い仕打ちを受けたように思わずにいられない。

あまりの思い遣りの無さに胸が詰まるような憤りを感じた。


けい君も子供心に複雑な何かを感じたのだろう。

「もう二階に上がったらいかんよ」と言ったら素直に頷いてくれる。

じいちゃん曰く。「そんなもんさ」とはよく言えたものだ。

私は怒りよりも悲しくてならなかった。そうして不信感もつのる。

けい君は決して他人の子ではない。それは家族の延長にも等しい。


午後、あやちゃんはお友達と約束があり出掛けて行った。

めいちゃんも近所のお友達の家に遊びに行ってしまう。

とうとうけい君は独りぼっちを余儀なくされてしまった。

おまけにじいちゃんに叱られたらしくしょんぼりとしていた。

少しくらい我が儘を言ったからとどうして叱るのだろう。

けい君の味方になってあげなくてどうする。

けい君は寂しくてたまらないのだ。なぜそれを理解してあげないのか。


「母の日ってぼくはどうすればいいの?」

けい君がぽつんと呟いた言葉がせつなくてならない。



2022年05月07日(土) トムとジェリー

最高気温が25℃の夏日となり初夏らしい一日。

つい先日まで花のような新芽を見せていた枇杷がもう実をつけていた。

枇杷の実をみると子供の頃を懐かしく思い出す。

他人様の畑の隅に植えてあったのを勝手に食べてしまって

母にひどく叱られたこと。それはもはや苦い思い出ではなかった。




息子が早出だったので午前6時にけい君を連れて来る。

早起きを頑張ってえらいなと感心したのだけれど

8時頃に起きてきた娘に「朝早くからやかましい」と小言を食らった。

それがいささかショックで気分が滅入ってしまう。

娘も悪気があってそう言ったわけではないのだろう。

分かっているつもりでも気兼ねせずにはいられなかった。


じいちゃんは早朝から作業場に行っていて

先日撤収を終えた竹杭の後始末に追われていた。

先端を丸ノコで研いで尖らし次の漁期に備えるための作業だった。

私は週一のカーブスへ行く予定だったけれど

娘にけい君を頼んで良いものかと頭を悩ませていた。

どうしても言い出せない。娘の不機嫌を怖れていたのだった。


仕方なくけい君を作業場へ連れて行く。

「おじいちゃんのおてつだいをする」と言ってくれて救われる思い。

なんとかなるだろうと逃げるように立ち去っていた。


カーブスを終えその足で作業場まで行ったらけい君がいない。

「帰りたい」と言ったそうでじいちゃんが連れて帰ったそうだ。

おそるおそる玄関を開けたら台所で娘が昼食の支度をしていた。

けい君の分も用意してくれていてなんと有り難いことだろう。

もう大丈夫かもしれないと思った。そう思いつつ娘の顔色を窺う。

不機嫌ではなさそう。ただとても忙しそうにしていた。


勇気を出して「一時間だけお願いね」と告げ作業場へ走る。

じいちゃんと二人で研いだ竹杭を束ね終えることが出来た。


午後、けい君とめいちゃんを連れて図書館へ行く。

少しでも娘に楽をさせてあげたかった。

せっかくのお休みだものお昼寝もしたいだろうと思う。


図書館から帰って借りて来た本を静かに読むだろうと思っていたけれど

それは大きな誤算だった。かくれんぼが始まり鬼ごっこが始まる。

まるで家中をネズミが走り回っている様な賑やかさであった。

娘に申し訳なくて「ごめんね」と泣きそうな顔で謝る。

そうしたら娘が「まるでトムとジェリーやね」と笑ってくれた。

その笑顔にどれほど救われたことだろう。


午後4時、トムは帰って行った。ジェリーはとても寂しそうだった。











2022年05月06日(金) ミートソース

時おり霧のような雨が降る。それはとても思いがけず

夏日の予報だったけれど20℃に満たず肌寒いほどだった。


北海道では初夏の陽気となり桜が満開と聞く。

ながい冬を乗り越えてこその今が春なのだろう。

友の顔が目に浮かぶ。雪の季節にメールの返信を怠ってしまった。

決して無視をしたわけではないけれど今更ながらに悔やまれてならない。

「あの時はどうかしていた」ひとはよくそんな言葉を使う。



長いこと連休を頂き7日ぶりの仕事だった。

四万十大橋を渡る時なんだかとても清々しくなる。

お遍路さんの姿も数人見かけ日常が返って来たのだなと思う。

スローライフも捨てがたいけれど職場が懐かしくもあった。

する仕事が沢山あって嬉しい。それが正直な気持ちである。


仕事が一段落して定時で帰路に就いた。

おや?と不思議に思ったのは足の痛みが薄れていること。

スーパーで買物をしながら颯爽と歩けている自分におどろく。


ネットで調べてみたら「変形性股関節症」と言うらしい。

治療法として適度な運動が効果的だと書いてあった。

カーブスに通っているのもまんざら悪くはなさそうでほっとする。

痛いからと言って何もせずにいたら筋肉も衰え悪化するのだそうだ。

整形外科の医師は手術しか治療法は無いと言ったけれど

鵜呑みにせず調べてみて良かったのだなと思った。



帰宅したらじいちゃんが「めしが無いぞ」と苦笑い。

炊飯器を開けてみたらお茶碗に一杯分程しかなかった。

娘夫婦と私は夜は白米を食べないので良いのだけれど

孫たちの分が足らない。あやちゃんに相談したらパスタが食べたいと言う。

パスタは常に買い置きがありレトルトのソースもあった。

恥ずかしい話だけれど私はミートソースを手作りしたことがない。

どうやって作るのかも知らない。その前に作ろうともしないのだった。


あやちゃんが大盛りパスタをぺろりと平らげるのを見ていた。

思わず笑みがこぼれる。それは見事に豪快な食べっぷりであった。

あやちゃんにとってはそれが我が家の味なのだろう。

それがとてもありがたいことに思えてならなかった。








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