ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年05月10日(火) 母子草

曇り日。風は南風だろうか東風だろうかずいぶんと強く吹く。

夕方からぽつぽつと雨が降り始めた。明日も雨らしい。


朝の国道から山道に差し掛かる道沿いに広いブロッコリー畑があり

毎朝収穫している農家の人を見かけるのだけれど

今朝は畑にそれは沢山の蝶が飛んでいるのを見た。

のどかな光景ではあったがあまりの蝶の群れに目を瞠った。

ブロッコリー畑から生まれた蝶達なのだろうか。

そんなどうでも良いようなことが気になってならない。



職場からであったが母がお世話になっているケアマネさんに電話。

昨夜の母との会話で母の日に届けたはずのビスケットを

母は断固して受け取っていないと言い張るのだった。

何かの手違いがあったのかもしれずとりあえず連絡をしてみた。

そうしたらおやつの時間にちゃんと食べていますよと言うこと。

ただ母は私から届けられたことを忘れてしまっていたようだ。

認知症ではないけれど時々呆けたふりをするとのこと

それが愉快なのですよと電話口から笑い声が聴こえてくる。

おやつの時間にもう一度伝えますねと言ってくれた。


日曜日の「母の日」を母は知っていたのだと言う。

娘や息子からも見放されたと思い込み寂しい思いをしたのだそうだ。

私が届けたビスケットはもしかしたら翌日のおやつだったかもしれない。

職員さんには申し訳ないけれどふとそんな思いが頭を過った。

日曜日のことで人手も足りなかったことだろうと察せられる。



職場の玄関先の雑草が目に付くようになり少し草引きをした。

そうしたら母子草が咲いていて思わず手を止めずにいられない。

これだけは引けないと思った。これだけは残しておきたい。


母は今日もビスケットを「これ大好き」と言って食べてくれただろうか。



2022年05月09日(月) 歯車

雨が降ったり止んだり。気温も上がらず少し肌寒い一日だった。

朝の山道でそれはそれは沢山のアマリリスが咲いていた。

山奥とはいえ民家が数軒ある小さな集落があり

とある一軒のお宅の石塀に沿ってそれは植えられていた。

深紅のアマリリスがずらりと並んでいる光景に感動をおぼえる。

そこは遍路道。お遍路さん達もきっと心を和ますことだろう。






昨夜ここに記したことで詫びなければいけないことがある。

ついつい感情を露わにし過ぎていたようだ。

大人げない行為だったのかもしれないと今更ながらに悔やまれる。


実は昨夜寝る前になってじいちゃんから真相を聞かされた。

娘むこは決して悪気があってそうした訳ではなかったのだそうだ。

私達の昼食が早い事を知っていてとっくに済んでいると思ったらしい。

そんな単純な理由でけい君の分を買わなかったのだそうだ。

その事をあやちゃんから聞いてじいちゃんも納得したらしい。

あやちゃんもけい君が可哀想だと思っていたのだろう。

そうして父親である娘むこの立場を庇おうとしたのだと思う。

私も一言が足らなかった。「買って来てあげてね」と言うべきだった。


そんなふうに歯車が上手くかみ合わない時もある。

ほんの些細な事で波風が立つ時もあるのだろう。

それは信頼感の欠如にも繋がる大切なことなのに違いない。

一瞬裏切られたように感じた私がいちばん愚かなのではないだろうか。


本来なら昨夜の日記を削除するべきなのだろう。

けれどもそれはしない。そこには5月8日のありのままの私がいる。

何を感じ何を思ったのか。私は書き残しておきたいのだった。

削除する事は簡単だけれど昨日の私は何処に行けば良いのだろう。



歯車に油を差し手入れを怠らない日常でありたい。

それを人任せにしないで自分の手でやり遂げたいと思っている。

まわり続ける歯車は私の人生そのものであるかのように。



2022年05月08日(日) 母の日

晴れのち曇り。少し蒸し暑さを感じる一日だった。

今は窓を開け広げ夕風に吹かれながらこれを記している。

それにしても日が長くなったものだ。午後7時外はまだ随分と明るい。


朝のうちに母の施設のある病院へ。

担当の介護士さんからティッシュを届けて欲しいと連絡があった。

もちろん面会は叶わないけれど母の大好きなミレービスケットも届ける。

母は今日が「母の日」であることを知らないかもしれないけれど

介護士さんがきっと伝えてくれるだろうと思った。



息子は今日も早出で6時にけい君を連れて来る。

宿題をするようにと言われたのが気に障ったのかご機嫌斜めだった。

持参したランドセルを足で蹴とばしたりしてひどく苛立った様子。

昨日のこともあり宥めつつなんとか静かにさせることが出来た。


娘は仕事でいつも通りに出勤。娘むこは釣りに行かないと言う。

困ったことになったなと思った。娘以上に気兼ねが大きくなる。

娘むこもたまには子供達と過ごそうと思ったのだろう。

これまで日曜日に家に居ることは殆どなかった。


娘むことめいちゃんが出掛けて行ってけい君はあやちゃんと遊んでいた。

お昼前になり帰って来たらマクドのハッピーセットを買って来ていた。

それをけい君の目の前で広げたらしい。けい君が階下に駆け下りて来る。

「ぼくのぶんがない」それはとても悲しそうな顔をしていた。

憐れさを通り越して酷い仕打ちを受けたように思わずにいられない。

あまりの思い遣りの無さに胸が詰まるような憤りを感じた。


けい君も子供心に複雑な何かを感じたのだろう。

「もう二階に上がったらいかんよ」と言ったら素直に頷いてくれる。

じいちゃん曰く。「そんなもんさ」とはよく言えたものだ。

私は怒りよりも悲しくてならなかった。そうして不信感もつのる。

けい君は決して他人の子ではない。それは家族の延長にも等しい。


午後、あやちゃんはお友達と約束があり出掛けて行った。

めいちゃんも近所のお友達の家に遊びに行ってしまう。

とうとうけい君は独りぼっちを余儀なくされてしまった。

おまけにじいちゃんに叱られたらしくしょんぼりとしていた。

少しくらい我が儘を言ったからとどうして叱るのだろう。

けい君の味方になってあげなくてどうする。

けい君は寂しくてたまらないのだ。なぜそれを理解してあげないのか。


「母の日ってぼくはどうすればいいの?」

けい君がぽつんと呟いた言葉がせつなくてならない。



2022年05月07日(土) トムとジェリー

最高気温が25℃の夏日となり初夏らしい一日。

つい先日まで花のような新芽を見せていた枇杷がもう実をつけていた。

枇杷の実をみると子供の頃を懐かしく思い出す。

他人様の畑の隅に植えてあったのを勝手に食べてしまって

母にひどく叱られたこと。それはもはや苦い思い出ではなかった。




息子が早出だったので午前6時にけい君を連れて来る。

早起きを頑張ってえらいなと感心したのだけれど

8時頃に起きてきた娘に「朝早くからやかましい」と小言を食らった。

それがいささかショックで気分が滅入ってしまう。

娘も悪気があってそう言ったわけではないのだろう。

分かっているつもりでも気兼ねせずにはいられなかった。


じいちゃんは早朝から作業場に行っていて

先日撤収を終えた竹杭の後始末に追われていた。

先端を丸ノコで研いで尖らし次の漁期に備えるための作業だった。

私は週一のカーブスへ行く予定だったけれど

娘にけい君を頼んで良いものかと頭を悩ませていた。

どうしても言い出せない。娘の不機嫌を怖れていたのだった。


仕方なくけい君を作業場へ連れて行く。

「おじいちゃんのおてつだいをする」と言ってくれて救われる思い。

なんとかなるだろうと逃げるように立ち去っていた。


カーブスを終えその足で作業場まで行ったらけい君がいない。

「帰りたい」と言ったそうでじいちゃんが連れて帰ったそうだ。

おそるおそる玄関を開けたら台所で娘が昼食の支度をしていた。

けい君の分も用意してくれていてなんと有り難いことだろう。

もう大丈夫かもしれないと思った。そう思いつつ娘の顔色を窺う。

不機嫌ではなさそう。ただとても忙しそうにしていた。


勇気を出して「一時間だけお願いね」と告げ作業場へ走る。

じいちゃんと二人で研いだ竹杭を束ね終えることが出来た。


午後、けい君とめいちゃんを連れて図書館へ行く。

少しでも娘に楽をさせてあげたかった。

せっかくのお休みだものお昼寝もしたいだろうと思う。


図書館から帰って借りて来た本を静かに読むだろうと思っていたけれど

それは大きな誤算だった。かくれんぼが始まり鬼ごっこが始まる。

まるで家中をネズミが走り回っている様な賑やかさであった。

娘に申し訳なくて「ごめんね」と泣きそうな顔で謝る。

そうしたら娘が「まるでトムとジェリーやね」と笑ってくれた。

その笑顔にどれほど救われたことだろう。


午後4時、トムは帰って行った。ジェリーはとても寂しそうだった。











2022年05月06日(金) ミートソース

時おり霧のような雨が降る。それはとても思いがけず

夏日の予報だったけれど20℃に満たず肌寒いほどだった。


北海道では初夏の陽気となり桜が満開と聞く。

ながい冬を乗り越えてこその今が春なのだろう。

友の顔が目に浮かぶ。雪の季節にメールの返信を怠ってしまった。

決して無視をしたわけではないけれど今更ながらに悔やまれてならない。

「あの時はどうかしていた」ひとはよくそんな言葉を使う。



長いこと連休を頂き7日ぶりの仕事だった。

四万十大橋を渡る時なんだかとても清々しくなる。

お遍路さんの姿も数人見かけ日常が返って来たのだなと思う。

スローライフも捨てがたいけれど職場が懐かしくもあった。

する仕事が沢山あって嬉しい。それが正直な気持ちである。


仕事が一段落して定時で帰路に就いた。

おや?と不思議に思ったのは足の痛みが薄れていること。

スーパーで買物をしながら颯爽と歩けている自分におどろく。


ネットで調べてみたら「変形性股関節症」と言うらしい。

治療法として適度な運動が効果的だと書いてあった。

カーブスに通っているのもまんざら悪くはなさそうでほっとする。

痛いからと言って何もせずにいたら筋肉も衰え悪化するのだそうだ。

整形外科の医師は手術しか治療法は無いと言ったけれど

鵜呑みにせず調べてみて良かったのだなと思った。



帰宅したらじいちゃんが「めしが無いぞ」と苦笑い。

炊飯器を開けてみたらお茶碗に一杯分程しかなかった。

娘夫婦と私は夜は白米を食べないので良いのだけれど

孫たちの分が足らない。あやちゃんに相談したらパスタが食べたいと言う。

パスタは常に買い置きがありレトルトのソースもあった。

恥ずかしい話だけれど私はミートソースを手作りしたことがない。

どうやって作るのかも知らない。その前に作ろうともしないのだった。


あやちゃんが大盛りパスタをぺろりと平らげるのを見ていた。

思わず笑みがこぼれる。それは見事に豪快な食べっぷりであった。

あやちゃんにとってはそれが我が家の味なのだろう。

それがとてもありがたいことに思えてならなかった。









2022年05月05日(木) 宿題

「立夏」暦の上では今日から初夏となる。

薄雲が広がり柔らかな陽射しが降り注ぐ一日となった。


「澄み渡る空に薫風みどり萌えこころ満たして夏が立つ頃」

夜明け前にそんな歌を詠んだけれど少し矛盾していたかもしれない。

その時の私には真っ青な空が目に浮かんでいたのだった。



早朝、夜勤明けの息子が迎えに来てけい君を連れて帰る。

朝ご飯も食べさせてあげられずなんと慌ただしいこと。

聞けば連休中の宿題が手つかずで今日中に済ませなければいけないと。

それはあやちゃんとめいちゃんも同じで思わず苦笑せずにいられない。

早めに済ませておけば「こどもの日」を満喫出来ただろうに。


我が家は娘が仕事。娘むこは釣りに出掛けていて留守だった。

あやちゃんはなんとか宿題を終わらせたようだったけれど

めいちゃんは途中で投げ出しまあちゃんと遊んでばかり。

帰宅した娘に話したら9日の月曜日が提出期限なのだそうだ。

だからなのか。どうやら私の取り越し苦労だったらしい。


けい君の学校はマンモス校なので比較的に宿題は少ないようだ。

担任の先生もそのほうが楽なのだろうと頷ける話だった。

沢山宿題を出せばそれだけ先生が忙しくなるのだろうと思われる。

けい君のことだからきっとちゃちゃっと済ませたことだろう。



私は性格上あまり宿題が好きではない。

子供の頃の記憶はすっかり薄れているけれど

大人になっても「宿題」はまるで人生の掟のように付いてまわる。

「あれをしなさい、これをしなさい」と強制されるのが嫌なのだった。

それよりも自主的に何かに取り組んでいたいと切に願う。

自分で目標を決めてやり遂げるのがいちばんだと思う。

そのほうがずっと達成感があり充実しているのではないだろうか。


だから誰かに向かって宿題を出さない。

私も誰かからの宿題を受けとめないように心がけている。


けれども人生はそうそう思い通りにはいかないものなのかもしれない。









2022年05月04日(水) 生きがい

「五月晴れ」は5月の青空のことを言うのではなく

梅雨時の晴れ間のことを言うのだそうだ。

以前から知ってはいたけれどついついそう言ってしまいそうになる。


早くも沖縄が梅雨入りしたらしい。

明日はもう「立夏」四国もやがては梅雨の季節を迎えることだろう。

季節の移ろいを少し途惑いながらも受けとめようとしているこの頃。



予定通りに川仕事終了。やはり心地よい達成感があった。

けれどもじいちゃんがふと呟いたのは「豊漁だったらな」の一言。

欲を言えばきりがないけれど「全滅」は思いもしなかったこと。

希望が絶望になり潔く諦めることを学んだのだと思う。

「人生苦もあれば楽もある」それこそが生きがいなのかもしれない。

楽ばかりでは幸せを感じることもないのではないだろうか。



午後、チューリップの球根を掘り起こす。

植えたままにしておけば夏の間に腐ってしまうのだそうだ。

枯れた茎を切り落とし球根を水洗いし日陰で保存すれば良いとのこと。

そうして秋の終わりにまた植えれば春に花を咲かせるらしい。

上手くいくか分からないけれどとにかく試してみたのだった。

娘は半信半疑の様子で「駄目なんじゃないの」と苦笑いしていたけれど

私は希望を持つのがよほど好きな性格らしい。



お昼寝をしたり本を読んだり連休を満喫している。

そんなスローライフに憧れる気持ちは大いにあるけれど

よほどの貧乏性でもあるのだろう。

働かないと食べていけないと現実を受けとめる気持ちも大きい。

お財布が寂しいと毎日の買物もストレスになるのだった。

残念ながら楽天家ではないのでついつい明日を思い悩んでしまう。

その度に呪文のように「なんとかなる」と呟いている。


けれども決してそれが不幸だとは思えなかった。

日々を乗り越える試練を頂きありがたいことなのではないだろうか。


いつだって明日はあしたの風が吹く。

そう思う心は「豊か」に育ち続けているのに違いない。




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