ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年05月03日(火) 指切りげんまん

朝から青空が広がり爽やかな晴天となる。

風薫る五月とはよく言ったもので清々しい風が心地よい。

薫っているのは新緑だろうか。それとも潮の香だろうか。

川仕事をしていると海がすぐ身近に感じられる。



今日は竹杭に付着している藤壺をこそぎ落としていたら

魚(チヌ)がすぐ近くまで寄って来てなんとも可愛らしかった。

まるで人慣れしているかのように逃げようとしない。

最初は一匹だったけれどもう一匹やって来て私のすぐ足元で

戯れるように泳ぎまわりついつい声をかけずにいられない。

じいちゃんが言うには藤壺の身を好むらしい。

沢山こそぎ落としたから格好の餌になったのだろう。




あやちゃん10歳の誕生日で今夜はささやかにお祝い。

ちょうどけい君も来ていて賑やかな夕食となった。

ケーキに10本の蝋燭。あやちゃんは照れくさそうに吹き消す。

そんな姿をけい君が少し途惑ったような顔をして見ていた。

おそらくけい君には経験が無く初めて見た光景だったのかもしれない。

不憫な気持ちはあるけれど良き経験だったと信じてあげたかった。


あやちゃんがもう10歳。本当にあっという間の10年だったように思う。

感慨深く思い出すことも多く過ぎ去った歳月も愛しかった。

反抗期もあったけれど今はとても素直で優しい子に育ってくれた。

そうしてまた歳月があっという間に流れてしまえば

もう少女ではなくなり成人したあやちゃんに会えることだろう。


そんなあやちゃんと指切りげんまんをするように

長生きをしなければとつくづく思ったことだった。


あやちゃん生まれて来てくれてほんとうにありがとう。





2022年05月02日(月) 持病を増やす

爽やかな晴天。吹き抜ける風のなんと心地よいこと。

立春から数えて八十八日目の夜を「八十八夜」と言う。

「夏も近づく」と歌われるように立夏も目前となった。


今日は予定通りに川仕事へ。

暑さを覚悟していたけれど風のおかげでずいぶんと涼しかった。

大潮のため潮がすごい勢いで引いていくので

とにかくせっせと撤収作業に精を出す。

最初は胸のあたりまであった川の水があっという間に膝下になり

終いには川底に座って竹杭を洗わなければいけなかった。

2時間のつもりだったけれど1時間半ほどで作業を終える。

あと2日もあればすべて終わるだろう。明日も頑張ろうと思う。



10時半には帰宅していたので市内の整形外科へ。

左足の痛みはずいぶんと楽になっていたのだけれど

数日前からまた痛み始め歩くのも辛くなっていた。

重い物も持てず今日も船からトラックへ竹杭を積み込めない。

我慢できないことはないけれどやはり原因を知りたいと思う。

普段は思うように仕事が休めず今日しかないと決めたのだった。


レントゲンの結果、左の股関節が変形していることが分かり

手術以外に治す方法はないと言われいささかショックを受ける。

とても優しい医師で「すぐに手術とは言いませんよ」と。

私ももちろんそのつもりはない。痛みさえ薄れてくれればと思った。

完治は無理としても日常生活に差しさわりがない程度ならばと。

医師も私の気持ちを汲んでくれてしばらく湿布で様子を見ることになった。

やっかいなことになってしまったけれど深刻に考えず

こればかりはなるようにしかならないのだと思う。

そもそもこの年になって痛みと無縁ではいられないだろう。

誰しも身体に不調があり重い病気と闘っている人さえもいるではないか。

それに比べれば私は恵まれているのだと思うし

持病のひとつやふたつなどとても些細なことに思えて来るのだった。



学校から帰ったあやちゃんに話したら

「おばあちゃんは食べ過ぎ、飲み過ぎ、吸い過ぎやけんよ」と

ちっとも心配な様子も見せずへらへらと笑い飛ばしてくれた。







2022年05月01日(日) あっけらかんと

曇り日。午後には薄っすらと陽射しがあった。

爽やかな風が吹きいかにも五月らしい。


土手にはチガヤの若い穂がちろちろと揺れ

野あざみやしろつめ草。川辺には野ばらが咲く頃になった。

どれも家の中ばかりに居ては気づかない季節の花達である。


ずいぶんとご無沙汰していたお大師堂。

花枝(しきび)はそろそろ限界のようで持参しなかったことが悔やまれる。

お供えのお菓子もすっかり無くなっていた。

前回来た時に戸棚の中に隠しておいたお菓子が忽然と消えている。

そもそも隠すという行為がいけなかったのだろう。

いっそお供えしておけば嫌な思いをせずに済んだものをと思う。

起きてしまったことは仕方ない。誰を責められようか。



じいちゃんが一人で川仕事に行っていたので様子を見に行く。

海苔網の撤収作業はすでに終わり後は竹杭のみとなっていた。

収穫ゼロのままの撤収作業はとても虚しいことだけれど

明日から私も手伝い一気に片づけることになった。

国交省から借りている漁場なのでなんとしてもやり遂げねばならない。

お仲間さん達もどんなにか虚しいことだろう。

けれども誰一人嘆く人もなく皆がまるで任務のように精を出している。


自然相手のことで恵まれる年もあれば不運に終わる年もある。

ようは何事も受けとめる気持ちが必要なのだろう。

もがけばもがくほど追い詰められるだけだった。


いつもあっけらかんとしているじいちゃんには頭が下がる。

私も二足の草鞋を履かずに済み救われたのかもしれない。


家計にはとても厳しい春だったけれど

それもなんだか些細なことに思えるのだった。


明日はもう八十八夜。季節はゆっくりと夏になろうとしている。



2022年04月30日(土) 嫁入り道具

爽やかな晴天。すでに風薫る五月のようであった。

駆け抜けたような四月もとうとう晦日を迎える。

待ち切れずにカレンダーを捲れば鯉のぼりが空を泳いでいた。



じいちゃんの寝汗が酷く敷き布団を干そうとしていたけれど

あまりにみすぼらしい有り様で捨てることに決める。

新しい布団を買う経済的ゆとりもなくて

確かあったはずと押入れを探していたら新品の布団があった。

それは40年以上も昔の私の嫁入り道具だった。

今の布団のように軽量ではなくずっしりと重い。

けれども総綿のぬくもりを感じられとても貴重に思う。

赤く派手な柄もシーツを被せれば大丈夫だろう。

さっそく干しておひさまの恩恵でふかふかになった。


新しい布団というものはなんだかわくわくするものだ。

寝心地もきっと良いだろう。じいちゃんもきっと喜んでくれると思う。


それにしても40年以上もの歳月を押入れの中で眠っていたのかと。

憐れにも思い感慨深くも思う。やっと日の目を見る時が来たのだ。

「生きているうちに」それを叶えてあげられて良かったなと思う。


嫁入り道具の殆どを断捨離してしまったけれど

そうすることで人生の「けじめ」をつけてきたのかもしれない。

母や義父が苦労して揃えたくれた物を惜しげもなく捨てて来た。

不思議と未練はなくむしろ潔い決断だったと思っている。


どんなに古い布団でもそれは新鮮になり得る。

おそらく一生ものとして我が家に残ることだろう。



2022年04月29日(金) 峠を越えて

「菜種梅雨」は「筍梅雨」とも言うのだそうだ。

どちらもこの時期らしい雨の続く日で季節感を感じられる。

今日も午前中は雨。午後から少しだけ青空が見えた。

強い風が吹き荒れ雨雲を遠ざけて行ったようだ。



世間ではGWに突入。今日は昭和の日で祝日であったけれど

5月2日と振り替える事になり平常通りの仕事となった。

工場には4月最後の車検受けの車が入庫しており

同僚が頑張ってくれて午後3時前にやっと完了する。

私はただ待機していただけだったけれど心地よい達成感があった。

同僚もきっと同じ気持ちではなかっただろうか。


ずっとずっと仕事の段取りで頭がいっぱいだった。

お客さんに迷惑を掛けないよう順調にとそればかり考えていた。


帰り道は口笛を吹きたいような気分。なんとも清々しい。

明日から6連休を頂いたので仕事のことは忘れていられそうだ。



いつものスーパーに寄ったら駐車場に警備員さんがいてほぼ満車状態。

店内もひどく混雑しており身が縮まるような思いだった。

帰省客だろうか観光客だろうかとにかく人で溢れている。

コロナ禍にも関わらず多くの人が訪れているのだろう。

これはもうコロナ慣れと言うべきもので仕方ないことだけれど

各自が自覚と責任を持って行動してもらいたいと切に願う。

「後のことは知らない」ではあまりにも無責任ではないだろうか。

地元の私達は身の危険を感じつつ一層感染対策に努めなければならない。




けい君は早朝息子が迎えに来て笑顔で帰って行った。

2日の月曜日は遠足だそうで息子がまたお弁当を作るらしい。

「見事に茶色で決めてやる」と笑い飛ばしていたけれど

けい君が肩身の狭い思いをするのではと気がかりでならない。

お弁当が原因でいじめられることもあるかもしれない。

などと考えていたらきりがなく息子の「男の意地」に賭けてみたい。

手助けはしないと決めたらけっこう気楽にもなり得る。

「案ずるより産むが易し」と言うではないか。


けい君の居ない我が家はひっそりと静かで

あやちゃんが「けい君どうしているかな」と寂しそうに呟いていた。





2022年04月28日(木) 男の意地

曇り日。時おり陽射しはあったものの長続きしなかった。


躑躅が満開を過ぎ少しずつ枯れ始めている。

5月になれば今度は皐月が咲き始めることだろう。

花達はほんとうに健気に季節を知らせてくれる。

やがて紫陽花の季節もやって来ることだろう。



息子が深夜勤のため今夜もけい君を預かっている。

あやちゃんとめいちゃんはダンス教室の予定だったけれど

遠足の疲れが出たのだろうかあやちゃんは夕方からダウン。

夕食も食べないままぐっすりと寝入ってしまった。


娘むことめいちゃんがローソンに買物に行くのに

けい君も一緒に行きたがるのを止めることが出来ず

娘むこにお金を渡そうとしたら「いいよ」と受け取ってくれない。

アイスクリームを買ってもらったそうで大喜びで帰って来た。

気兼ねをしながらも結局は好意に甘えるしかないのだろう。

当のけい君は純真な子供らしさをそのままに全く遠慮をしない。

我が家に居る時は本当に伸び伸びと満面の笑顔であった。



娘は急きょ残業になったそうでまだ帰宅していない。

疲れもあるだろうし不機嫌な顔をされたらどうしようと思っている。

一時の事ならまだしもこの先いつまで続くのか分からないのだった。


息子は夜勤明けのその足で明朝けい君を迎えに来てくれるそうだ。

眠る時間も必要なのに憐れさはつのるばかりである。

けれども息子にも「男の意地」のようなものがあるのだろうと思う。

精一杯にけい君を守ろうとしている姿勢がひしひしと感じられる。


私達も身を粉にしても協力を惜しまない。

娘達の途惑いもやがては薄れていくことだろう。

きっときっとみんなが笑顔で暮らせる日が来ると信じてやまない。



2022年04月27日(水)

昨夜は激しい雷雨だったらしいが爆睡していて全く気づかなかった。

「春雷」は季節の分かれ目とも聞くが「八十八夜」「立夏」も近い。


雨あがりの朝。雲間からちいさな青空が見えていたけれど

お天気は回復せずすぐにまた小雨が降り始めていた。

少し蒸し暑くまるで梅雨時のような一日となる。



今夜は息子が準夜勤のためけい君を預かっている。

男の子らしく賑やかに騒ぎまわるのを

なんだか娘達に気の毒でならずついつい気を遣わずにいられない。

口にこそ出さないけれどうんざりしているのではないだろうか。

娘の溜息さえも気になりはらはらとしてしまうのだった。


優しいのはあやちゃん。今夜もけい君と一緒に夕飯を食べてくれた。

その時「けい君のお母さんはいつ退院するの?」と私に訊いた。

一瞬どきっとしてしまい「まだまだ先のことよ」と応える。


それはけい君自身がいちばん訊きたかったことだろう。

すでに退院していることなど口が裂けても言えない。

時期を見て息子の口から真実を伝えるべきことなのだろう。

あやふやなままで日々を過ごすことは決して最善とは言えない。


お嫁さんの実家のご両親からけい君を引き取りたいと言ってきたそうだ。

息子は断としてそれを退けたそうでそれは私も当然のことだと思う。

けい君の生活環境が大きく変化することを望んではいない。

母親は確かに必要だけれど今の状態ではとても任せられない。

この先少しでも病状が落ち着きまともな精神状態になれば

息子もまた思慮し元の暮らしに戻るのかもしれないのだ。

もしそれが不可能であってもけい君を養育する覚悟はすでに出来ている。

それがけい君を守るいちばんの得策に思えてならない。


甘えん坊のめいちゃんが「おかあさん、おかあさん」と連呼する。

その度にけい君の顔色を窺ってしまうのが常となった。

けれどもけい君のなんとあっけらかんとしていることだろう。

寂しそうな顔も見せず我慢している様子も感じられないのだった。

それを決して鵜呑みにしてはいけないことも分かっている。

ちいさな心を痛めながら必死になって乗り越えようとしているのだろう。



明日はあやちゃん達の遠足だそうで娘がお弁当の下拵えをしていた。

苺を買って来ておりテーブルにそのまま置いてあったのを

けい君が見つけて食べたそうにしていたけれど

娘が「それはあやちゃんとめいちゃんの」とけい君に言った。


私はその苺をふた粒だけこっそりとけい君に食べさせてあげようと思う。

娘は決して意地悪をしているつもりはないのだろう。

ただどうしようもなく途惑っている。

それはまるであるべきものの中に混じった硝子の欠片のように。




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