曇り日。時おり陽射しはあったものの長続きしなかった。
躑躅が満開を過ぎ少しずつ枯れ始めている。
5月になれば今度は皐月が咲き始めることだろう。
花達はほんとうに健気に季節を知らせてくれる。
やがて紫陽花の季節もやって来ることだろう。
息子が深夜勤のため今夜もけい君を預かっている。
あやちゃんとめいちゃんはダンス教室の予定だったけれど
遠足の疲れが出たのだろうかあやちゃんは夕方からダウン。
夕食も食べないままぐっすりと寝入ってしまった。
娘むことめいちゃんがローソンに買物に行くのに
けい君も一緒に行きたがるのを止めることが出来ず
娘むこにお金を渡そうとしたら「いいよ」と受け取ってくれない。
アイスクリームを買ってもらったそうで大喜びで帰って来た。
気兼ねをしながらも結局は好意に甘えるしかないのだろう。
当のけい君は純真な子供らしさをそのままに全く遠慮をしない。
我が家に居る時は本当に伸び伸びと満面の笑顔であった。
娘は急きょ残業になったそうでまだ帰宅していない。
疲れもあるだろうし不機嫌な顔をされたらどうしようと思っている。
一時の事ならまだしもこの先いつまで続くのか分からないのだった。
息子は夜勤明けのその足で明朝けい君を迎えに来てくれるそうだ。
眠る時間も必要なのに憐れさはつのるばかりである。
けれども息子にも「男の意地」のようなものがあるのだろうと思う。
精一杯にけい君を守ろうとしている姿勢がひしひしと感じられる。
私達も身を粉にしても協力を惜しまない。
娘達の途惑いもやがては薄れていくことだろう。
きっときっとみんなが笑顔で暮らせる日が来ると信じてやまない。
昨夜は激しい雷雨だったらしいが爆睡していて全く気づかなかった。
「春雷」は季節の分かれ目とも聞くが「八十八夜」「立夏」も近い。
雨あがりの朝。雲間からちいさな青空が見えていたけれど
お天気は回復せずすぐにまた小雨が降り始めていた。
少し蒸し暑くまるで梅雨時のような一日となる。
今夜は息子が準夜勤のためけい君を預かっている。
男の子らしく賑やかに騒ぎまわるのを
なんだか娘達に気の毒でならずついつい気を遣わずにいられない。
口にこそ出さないけれどうんざりしているのではないだろうか。
娘の溜息さえも気になりはらはらとしてしまうのだった。
優しいのはあやちゃん。今夜もけい君と一緒に夕飯を食べてくれた。
その時「けい君のお母さんはいつ退院するの?」と私に訊いた。
一瞬どきっとしてしまい「まだまだ先のことよ」と応える。
それはけい君自身がいちばん訊きたかったことだろう。
すでに退院していることなど口が裂けても言えない。
時期を見て息子の口から真実を伝えるべきことなのだろう。
あやふやなままで日々を過ごすことは決して最善とは言えない。
お嫁さんの実家のご両親からけい君を引き取りたいと言ってきたそうだ。
息子は断としてそれを退けたそうでそれは私も当然のことだと思う。
けい君の生活環境が大きく変化することを望んではいない。
母親は確かに必要だけれど今の状態ではとても任せられない。
この先少しでも病状が落ち着きまともな精神状態になれば
息子もまた思慮し元の暮らしに戻るのかもしれないのだ。
もしそれが不可能であってもけい君を養育する覚悟はすでに出来ている。
それがけい君を守るいちばんの得策に思えてならない。
甘えん坊のめいちゃんが「おかあさん、おかあさん」と連呼する。
その度にけい君の顔色を窺ってしまうのが常となった。
けれどもけい君のなんとあっけらかんとしていることだろう。
寂しそうな顔も見せず我慢している様子も感じられないのだった。
それを決して鵜呑みにしてはいけないことも分かっている。
ちいさな心を痛めながら必死になって乗り越えようとしているのだろう。
明日はあやちゃん達の遠足だそうで娘がお弁当の下拵えをしていた。
苺を買って来ておりテーブルにそのまま置いてあったのを
けい君が見つけて食べたそうにしていたけれど
娘が「それはあやちゃんとめいちゃんの」とけい君に言った。
私はその苺をふた粒だけこっそりとけい君に食べさせてあげようと思う。
娘は決して意地悪をしているつもりはないのだろう。
ただどうしようもなく途惑っている。
それはまるであるべきものの中に混じった硝子の欠片のように。
日中は小雨で午後には薄日が射す時間帯もあったけれど
今夜から明朝にかけて大雨になるのだそうだ。
恵みの雨が一転して災害に繋がるかもしれない。
植えられたばかりの稲も水没してしまえば元も子もないだろう。
程よい雨というものはなかなかに難しいものだ。
仕事から帰宅したら高知新聞から5千円分の図書カードが届いていた。
ずっと昔じいちゃんに言われたことを思い出す。
「何を書いても良いが金になるものを書け」と。
当時の彼は私の「書く」という行為に反感があったようだ。
本名で書くことにも強い反感を示しやむなくペンネームを考えた。
「詩織」としたけれど長い歳月を経てしまうと今更ながら
「栞」にすれば良かったと少し後悔している。
若い頃は思いもしなかったことでやはり年のせいかもしれない。
この先80歳になっても90歳になっても書き続けていたいけれど
「詩織」という名がなんだかひどく無様に思えてしまうのだった。
すでに70歳の高齢となってしまった彼は
今では私の良き理解者となり「書く」ことをすっかり容認してくれている。
先日も新聞で私の名を真っ先に見つけてくれたのだった。
それがどれほど私の励みになっていることだろうか。
わずか5千円の図書カードでも「お金」には違いない。
私は昔のことを根強く憶えているけれど
彼はすっかり忘れているようだった。
それは気楽でもあり私は好きなように書き続けていけるのだろう。
この日記ももちろん「お金」にはならない。
けれどももしかしたら人生の「財産」になるのかもしれない。
つかの間の青空。お昼前から薄曇りの空となる。
明日は雨になりそうで雷雨になるかもしれないとのこと。
荒れ模様の春の嵐になるのかもしれない。
雨あがりの朝。土手のあちらこちらに野あざみの花が咲いていた。
棘があり触れることは出来ないけれどなんと可憐な花だろう。
緑の若草に寄り添うように凛とした姿で咲き誇っていた。
実は私にも棘がある。だから迂闊に触れようとしてはいけない。

今日は仕事の段取りで頭がいっぱいだった。
なんとしても順調にと少し焦り気味の一日となる。
義父が居てくれないと整わないことでひたすら帰りを待つ。
農作業も程々にして欲しいけれど口が裂けても言えない。
2時前にやっと帰って来てくれてなんとかなったけれど
義父は昼食も食べる時間もなくまた田んぼに出掛けて行った。
苛々しているのが伝わって来てとても複雑な気持ちになる。
先日は近所に住んでいる義父の同級生が「狂っている」と言っていた。
それはもちろん冗談なのだけれど私もそう思わずにいられなかった。
休む間もなく働き詰めの義父は78歳。いくら体力はあっても
どれほど身体に堪えていることだろうと心配にもなる。
ある日突然に倒れてしまうのではないかと危惧さえも感じるのだった。
今朝は事務所に「リポビタン」のケースが置いてあり
誰かの差し入れかと思ったけれどどうやら義父が買い求めた物らしい。
冷蔵庫に入れる間もなかったのかすでに5本ほど飲んでいた。
決して弱音を吐かない義父。それは決して自信ではないのだと思う。
もしかしたら体力の限界を感じ必死で耐えているのかもしれない。
残りのリポビタンを冷蔵庫に冷やした。
それ以外に私に出来ることは何もないのだと思う。
午後8時になった。お風呂には入っただろうか。
夕食はちゃんと食べただろうか。
電話をすれば不機嫌な声が聴こえて来そうで躊躇ってしまう。
血の繋がらない娘だけれどこんなにも気遣っている。
早朝にはぽつぽつだった雨がやがて本降りとなる。
田畑にはきっと恵みの雨となったことだろう。
今日は地区の「お大師さん」の行事があったようだ。
「春大師」とも呼ばれており毎年4月21日頃に供養を行っている。
大師堂は明治時代に建立されたもので地区民たちの篤い信仰を受け
今もなおそれが引き継がれておりパワースポットになっている。
お堂の老朽化に伴い昭和の時代に一度建て替えが行われたらしいが
お大師さんの像は明治時代の物がそのままの形で残されている。
昔はきっと沢山の人がお参りを欠かさなかったことだろう。
今は私も含めわずか数人となったけれど
地区の行事として毎年の供養を執り行ってくれていることは有り難い。
夕方土手の道を重そうなリュックを背負って歩くお遍路さんが見えた。
今夜はきっとお大師堂に灯りが点っていることだろう。
私は信仰心があるのか今もってよく分からない。
管理のこともあり半ば義務的に足を運んでいるのかもしれない。
ただお参りに行った時にはとても清々しい気持ちになるのだった。
自室の小さな仏壇にはお大師さんの像と父の遺影を供えて在り
毎朝お線香を立て般若心経を唱えることは欠かさなかった。
その時も父の供養なのかお大師さんの信仰なのか区別がつかない。
どちらにも伝わるように「ありがとうございました」と声にしている。
苦難から救われたようなことがあった時には
父が見守っていてくれていたのだと信じる気持ちが大きくなる。
涙声で般若心経を唱える朝も少なからずあった。
それはやはり父への感謝に他ならずお大師さんは父の傍らにいて
お大師さんが父を守ってくれているような気がするのだった。
四国巡礼を結願した父の納経帳は大切な遺品として私の手元にある。
父に信仰心があったのかは定かではないけれど
父にとってそれが宝物のように尊いものだったことは確信している。
父はきっと天国でお大師さんに会えたのに違いない。
曇りの予報だったけれど午後からぽつぽつと雨が降り始める。
いかにも春雨らしく濡れたくなるような優しい雨であった。
今日も仕事の予定だったけれど同僚が田植えのため臨時休業となる。
休日のみの農作業にも限界があったのだろう。
このところずっと田植えの準備に追われていたようだった。
じいちゃんは漁協の出役で海苔の種を採取に行く。
2時間程で終わる予定だったけれどほぼ一日中かかってしまった。
はっきりと確信は持てないけれど微かな希望があってこそのこと。
多大な苦労が報われることを願ってやまない。
息子が仕事だったので朝からけい君を預かっていた。
あやちゃんとめいちゃんは参観日でいつも通りに登校しており
遊び相手の居ないけい君はとても寂しそうにしていた。
カーブスへ行く時間だけ娘にけい君を任せて
後はゲームをしたりテレビを観たりしながら夕方まで過ごす。
明日はけい君の学校が参観日だそうでお弁当が要るらしい。
手助けを申し出たら息子が「だいじょうぶ」と言って聞かない。
けい君も「お父さんが作ってくれる」と笑顔を見せていた。
息子は明日も仕事で授業参観には行けないのだそうだ。
「おばあちゃんが行こうか」と言ったらそれも却下された。
不憫でならないけれどけい君はもう慣れているのかもしれない。
お嫁さんは退院しているらしいけれど実家からは何の連絡もなかった。
こちらから電話をするのも躊躇われ複雑な気持ちが募るばかりである。
明日が参観日なのも知らないと思う。私の一存で知らせる訳にもいかない。
今日もけい君はお母さんのことは一切口にしなかった。
参観日にお母さんが来てくれたらどんなにか嬉しいことだろう。
ついつい老婆心が先走ってしまうけれど
息子やけい君にとっては今が試練の時なのだろうと思う。
それはもちろんお嫁さんにとっても同じなのではないだろうか。
家族だったと過去形では語りたくはない。
それぞれが痛みに耐えながら乗り越えようとしているのだろう。
雨あがりの爽やかな晴天。新緑がきらきらと眩しい。
いちばん好きなのは柿の葉だろうか艶やかな薄緑が空に映える。
樹が生き生きと空に手を伸ばしている。まるで命そのものであった。
「冬の背にそっと息を吹きかけて別れ道まで見送っていく」
この句は先月の春先に高知新聞に投稿した短歌なのだけれど
思いがけずに一席に入選し頬をつまみたい程に私を驚かせた。
それがそのままでは終わらずに今度は3月の月間賞に選ばれた。
それも一席という信じられない結果となる。
早朝新聞を読んでいたじいちゃんが「おい、早く来てみろ」と叫び
奇跡のようなその紙面に釘付けになってしまったのだった。
「たいしたもんじゃないか」その一声がどんなに嬉しかったことだろう。
認められたい欲はすでに手放したつもりであった。
あるのは微かな自尊心だけでそれは自信に繋がりもしない。
ただ「負けるもんか」その一心で今まで書き続けて来たのだと思う。
いつかきっと報われる時が来るだろうと夢のように思ってもいた。
そのために種を撒く。きっと芽が出ると信じてやまなかったのだ。
これは昨日のことでここに書き記すのはよそうと決めていた。
自慢話だと受け止められるのが嫌だったし
自惚れていると感じられるのも避けたかった。
けれどももし私を応援してくれている人が一人でも居てくれたら
その人に真っ先に知らせたい気持ちが徐々につのって来たのだった。
きっと自分のことのように喜んでくれるに違いないと信じてやまない。
私はこれからも種を撒き続ける。
美しい花になどなれなくてもいい。
ただ小さな芽を「いのち」のように育てていきたいと思う。
老いていく切なさの中でどれほど私が生きていたかをこの世に残したい。
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