ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年04月21日(木) 雨遍路

小雨降る一日。ずいぶんと肌寒く感じた。

田畑は少しは潤っただろうか。恵みの雨には程遠かったかもしれない。


雨遍路さんを数人見かけた。どの人も颯爽と歩いており

雨にくじけている様子は少しも感じられない。

女性の二人連れのお遍路さんは笑顔を交わし合っていた。

まるで雨を楽しんでいるようにほのぼのとした姿に映る。

どんな日もあるものなのだ。嘆いていては前に進められないだろう。



息子にお嫁さんから電話があり明日退院するとのこと。

今回も2週間弱の短期間の入院となった。

退院後の療養は実家ですると報告があったらしい。

息子もそうするように勧めたとのことで複雑な思いが募って来る。

やはり元の暮らしに戻るのはもう困難なのかもしれない。

けい君は健気に母親のことは一切口にしないけれど

小さな心をどんなにか痛めていることだろうか。

「なるようにしかならない」そんな言葉も酷に感じるのだった。

雨を受けとめ風を受けとめる。ひとはそれほど強くはないのだと思う。




あやちゃんとめいちゃんはダンス教室のある夜だけれど

あやちゃんは宿題も出来ないまま夕方からぐったりと寝入ってしまう。

最近夜更かしが多いのだそうだ。早起きが堪えているのだろう。

それに私もそうだけれど木曜日頃になるとどっと疲れが出て来る。

もうひとふんばりといつも思う。週末はゆっくりと休みたい。


もう8時前となりやっと目を覚ましたようだ。

台所では娘が海老天で「天むす」を作っている。


私はこれを記しながら色んなことを考えている。

一日を心地よく終わらせるためのささやかな作業にも等しい。

何があっても明日はきっと来るだろう。


けい君もあやちゃんもめいちゃんも笑顔で朝を迎えられますように。



2022年04月20日(水) 希望の向こう側

二十四節気の「穀雨」穀物を潤す春の雨が降る頃。

今日は晴天だったけれど明日からしばらく雨の日が続きそうだ。

田んぼが水不足なのだそうできっと恵みの雨になることだろう。

夏野菜の植え付けをしてある農家も多く雨を待っていることと思う。




午後から隣町の宿毛市まで集金に行っていた。

ほぼ毎月のことだけれど手土産を欠かさない。

今日は「青さ海苔入りつまみ海苔」を持参する。

今朝出勤前に近所の地場産店で買い求めたものだった。

本来なら自家製の「青さ海苔」を届けてあげたかったけれど

それは叶わずなんだかもどかしく複雑な気持ちであった。

製造業者には備蓄があるのか製品を作り続けているらしい。



今日は漁協の養殖部会がありじいちゃんが出席していた。

このままでは種の採取は困難で先の見通しは暗いけれど

とにかく少しでも種の確保に努めることになったそうだ。

あくまでも試みであって失敗に終わる可能性も大きいけれど

皆が心をひとつにして希望を抱くべき時なのだろうと思う。


もう10年以上も昔のことだけれど全滅の年があった。

その時のことを思えば決して諦めてはいけないのだと思う。

自然に逆らうのではなく自然に立ち向かう勇気が必要だった。


40年の歳月を思い起こす。

じいちゃんが再就職してからは私一人でどんなに頑張ったことだろう。

雪の舞う冷たい日にも嘆くこともせずに収穫に精を出した。

今はもうそんな体力もないけれど懐かしく思い出している。


希望は決して捨てはしないけれど

再起不能となれば潔く廃業する覚悟もしている。


貧乏暮らしもまんざらではない。心はとても豊かであった。



2022年04月19日(火) 哀愁

曇り空ではあったけれど春らしいやわらかな陽射し。

空のぬくもりを羽織ったように過ごす。


職場の庭には母が育てていた藤の花が咲いていた。

今日まで気づかずにいてつい「ごめんなさいね」と声をかける。

あたりには枯草が生い茂りまだ冬の名残りが感じられ

やがてそれも緑になるだろうと初夏に想いを馳せていた。


背を丸めて草引きをしていた母の姿が偲ばれる。

荒れ果てた庭を見たらどんなにか嘆くことだろうか。



仕事が忙しく一時間の残業となる。

先日の車庫証明を取り付けたお客さんの車検証が届き

やっと今日が納車となり感激で胸がいっぱいになった。

中古車なので同僚が綺麗に洗車をして仕上げてくれる。


実は曰くつきの車でとあるお客さんの遺品でもあった。

東京に住んでいる娘さんに連絡したらとても喜んでくれて

解体処分にするにはあまりにも忍びなかったと言う。

今後も大切に末永く乗り継いでくれることだろう。

それが少しでも供養になればと思わずにいられなかった。



帰宅したらけい君、あやちゃんとめいちゃんが勢ぞろい。

あやちゃんとめいちゃんは今日が家庭訪問だったようだ。

娘が玄関や茶の間を綺麗に掃除してくれていた。

家庭訪問は無事に終わったようだったけれど

けい君は今年もどうやらパスしたらしい。

学校側がそれをすでに容認してくれている事は有り難いと思う。

それぞれの家庭の事情がある。強引に踏み込むことは避けて欲しい。


夕食後、仕事を終えた息子が迎えに来て笑顔で帰って行く。

息子には夕食を食べさせてあげられなかった。

遠慮しているのが感じられ胸が締め付けられるように辛かった。

「腹減った」その一言をどんなに待っていたことだろう。


もう決して若いとは言えない息子の後ろ姿に哀愁が漂っていた。



2022年04月18日(月) やれば出来た

曇り日だったけれど薄く陽射しがあり日中は暖かくなる。

山里では植えられたばかりの稲がちろちろと風に揺れていた。

のどかな田園風景を見ているだけで心が癒される。


あたりの山々には新緑に混じって椎の木の花だろうか

黄な粉色をした木が目立つようになった。

その木の花が沢山咲いた年には大きな台風が来ると聞いたことがある。

まだ春が始まったばかりだけれど今年はどんな夏になるのだろう。




仕事から帰宅したらめいちゃんが毛布に包まって寝ていた。

てっきり学校で体調が悪くなり早退したのかと思った。

そうしたらあやちゃんの声がして午後の授業は休みとのこと。

今日から家庭訪問が始まり短縮授業になったのだそうだ。


一時間程して子供部屋を覗いたらあやちゃんも寝ていた。

新学年となり緊張して疲れることも多いのだろう。

暖かさに誘われるように眠くなる気持ちもよく分かる。



娘の帰宅が遅くなる日だったので台所で奮闘していたら

じいちゃんが揚げ物を手伝ってくれてとても助かった。

以前に「一人で何もかもしようとするな」と言ってくれたことを思い出す。

それはそれなりに手を抜けと言うことにも等しい。

「焼きそば」にしようかなとスーパーで迷ったけれど

結局あれこれと作ることにして買物をして来たのだった。

あやちゃんに「手抜きじゃん」と言われるのも悲しいし

やれるだけのことをしようと意気込んでいたのだと思う。


たかが夕食のことだけれど少なからず達成感はある。

何事もやったらやっただけのことがあるものなのだ。



そろそろ午後8時になろうとしているけれど

あやちゃんは宿題をしていてまだ夕食も食べていなかった。

「先に食べたら」と声をかけたら「まだ食べたくない」と応える。


おばあちゃん頑張ったのになと声にならない声を上げているいま。



2022年04月17日(日) 今日よりも明日

今朝は昨日の朝より肌寒くなったけれど

日中は昨日よりも暖かく感じた。

快晴でたっぷりの陽射しが降り注ぎ新緑がまぶしい。

雀色だった土手にも若草が萌え始め特に蓬はとても逞しく見える。

子供の頃に転んでかすり傷を負った時など

蓬の葉をよく揉んでその葉汁を傷口に塗ったものだった。



けい君6時に起床。朝ご飯を少ししか食べず心配になる。

母親から離れて一週間が過ぎそろそろ恋しくなって来ているのかもしれない。

母親の事は一言も口にせずそれが返って憐れに思えてならない。

夜勤明けの息子が迎えに来て早々に帰って行った。

その時車の中から笑顔で手を振るけい君が見えて少しほっとした。



9時に美容院へ。鬱陶しかった髪をさっぱりと短くする。

チェーン店である美容院にも転勤があったのだろうか

初顔の美容師さんはまだ若い男性であった。

白髪交じりの髪を晒すのに少し羞恥心を感じる。

「軽くしておきますね」その言葉通りに軽く爽やかな仕上がりとなる。

カット代は980円。貧乏人には神様のような美容院であった。


買物を済ませ帰宅したらじいちゃんが居なかった。

今日は市会議員の選挙投票日だったので一緒に行くつもりだったので

電話をしたけれど一向に出ない。何処に居るのだろうと心配になった。

しばらく待っていたら電話がかかって来て川に居るとのこと。

高波で海苔の漁場が荒らされ急きょ網の撤収作業を始めたらしかった。

海苔は全滅状態で収穫は皆無だったけれど撤収はしなければならない。

なんとも皮肉な事だけれどそれが宿命なのだろうと思う。

来年の種の目処もつかない。いったいどうなってしまうのだろうか。


「明日の事を思い煩うことなかれ」聖書の教えにあるらしい。

私はカトリックの信者ではないけれどふと信じたくなった。


くよくよと思い詰めるよりも明日を信じるように生きていきたいものだ。





2022年04月16日(土) こでまりの咲く頃

予報通りの肌寒い朝で暖房のお世話になる。

明日の朝は更に気温が下がるのだそうだ。

日中は20℃程で快適な暖かさとなった。

暑からず寒からずで身体には優しい一日となる。


「こでまりの指先に散る白き夢」まだ20歳を過ぎたばかりの頃

そんな句を詠み高新文芸の俳壇に一席として入選したことがあった。

こでまりが咲く季節になるとなぜか思い出してしまうのだった。

若い頃の感性はもはやなく老いた我が身にその句が沁みる。




今朝は9時に図書館へ。それから買物を済ませ帰宅し

休む間もなくカーブスへ行き終わり次第に職場に向かった。

相変わらずの慌ただしさをむしろ楽しんでいたように思う。

読書に熱中するようになってから「退屈」とは無縁になったけれど

何もすることがないことほど辛いことはないように思う。


4時まで仕事の予定だったけれど一段落し3時で終わる。

新緑が目立ち始めた山道をゆっくりと車を走らせていた。

後続車も対向車もなくまるで快適なドライブのようだった。


帰宅して娘と一緒に洗濯物をたたむ。なんとなくほのぼのとした気持ち。

あやちゃんの靴下と娘の靴下との見分けがつかなくなった。

聞けばもう足のサイズが21センチなのだそうだ。

私も娘も23センチなのでその成長に驚かずにいられない。



今夜は息子が夜勤なので夕方からけい君を預かっている。

夕食もお風呂も済ませて来たそうで後はお泊りだけだった。

息子曰く。お嫁さんが居ないほうがずっと楽なのだそう。

それだけ今まで主夫業に専念して来たのだろうと思う。

不憫でならないけれどもう以前のような暮しは無理なのかもしれない。

何事にも限界はあるだろう。今回の事はそのきっかけになった。


隣室からあやちゃんとけい君の楽しそうな声が聴こえている。

そんな笑顔をいつまでも守ってあげたいと思う。







2022年04月15日(金) クリア

小雨が降っていたけれど夕方近くなり雲間から青空が見える。

そうして強い風が吹き始め気温が次第に下がり出したようだ。

明日の朝は冷え込むそうで身構えるような気持ちでいる。

年のせいもあるけれど寒暖差についていけない身体になってしまった。



今日は予定がぎっしりの日となり

午前中で仕事を終わらせてもらっていつもの病院へ。

次は母の入居料の支払いにお世話になっている病院へ。

買物を済ませてから一度帰宅し次は胸部レントゲン検診へ。

そうして最後に警察署へ車庫証明の受け取りに行く。


なんと慌ただしい一日だったけれど心地よい達成感があった。

特に車庫証明は苦労しただけに無事に受理出来て安堵している。

仕事用のバックの中に入れていたけれど不安になった。

大地震でも起こったら家の中がめちゃくちゃになるだろう。

それならばいっそ車の中が安全なのではないだろうかと思った。

地震直後にすぐに持ち出して避難すれば紛失することはないだろう。

用心に越したことはない。それだけ大切な書類なのだった。



胸部レントゲン検診は地区の集団検診が午前中で間に合わず

午後2時半からの他の地区の検診場所へと向かった。

若い頃に勤めていた縫製工場のあった地区で懐かしい。

そこで伸子姉ちゃんと京子姉ちゃんに会うことが出来て嬉しかった。

二人ともすでに80歳を超えているのではないだろうか。

マスクをしていても昔の面影をしっかりと感じられた。


工場長以外は女ばかりの職場であった。

私は最年少だったから先輩たちを「姉ちゃん」と呼ぶのが常だったけれど

自分の母とほぼ同年代の同僚が多かったと記憶している。

一番お世話になった主任の典子姉ちゃんは一昨年亡くなっていた。

伸子姉ちゃんに典子姉ちゃんの事を詳しく訊きたかったけれど

ゆっくりと語り合う時間が無かったのがとても残念に思った。


もし健在だったならきっと今日会えただろうに違いない。

「遊びに来てね」毎年届く年賀状にはいつもそう記されていた。


潮風を浴びるようにそびえ立つ墓地の墓石を見ることもなく

私は後ろ髪を引かれるように急ぎ足で去って行った。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加