朝のうちは霧雨だったけれどお昼頃から本降りの雨となる。
田畑には恵みの雨となったのではないだろうか。
程よい雨はひとの心も潤し渇きも自然と癒されていく。
そうしてさらりと水に流すように救われていくのだった。
田植えが一段落した義父が一日中居てくれて
ずいぶんと工場の仕事が捗りほっと胸を撫で下ろしていた。
二足の草鞋を履くとどうしても疎かになることが出来るものだ。
私にも経験があるけれど「あちらを立てればこちらが立たず」となる。
どちらも完璧にとはいかないのが世の常なのであろう。
そんな時には優先順位を定めるのが一番の得策だと思う。
まず一番に何をするべきか。後の事は二の次にして良いのだった。
今夜は孫たちが久しぶりにダンス教室に行っている。
市内のコロナ感染者が少し落ち着いて来たからだろう。
それでも皆無とはいかず今日も4人と発表があった。
「コロナ慣れ」と言ってしまえば不謹慎に聞こえるけれど
自粛ばかりでは気が滅入るばかりであった。
感染対策をしっかりとしながら上手く付き合っていくしかない。
日頃から活発なめいちゃんは嬉しさを隠しきれない様子であった。
あやちゃんはあまり気が進まない様子でしぶしぶと出掛けて行く。
けい君はどうしているだろう。やはり気になってしょうがない。
息子が休みなので大丈夫だと思うのだけれど
母親のいない現実にちいさな心を痛めているような気がする。
人一倍感受性の強い子だった。なんとしても乗り越えて欲しい。
強くなるチャンスなのだと信じてあげたい気持ちもつのる。
雨は今も降り続いている。雨音がしみじみと心に沁みて来る。
大気が不安定との予報に反して思いがけずに青空が広がる。
気温も26℃まで上がりすっかり初夏の陽気となった。
遅咲きの桜はまだ咲き誇っており躑躅や藤の花も見られるようになる。
冬枯れていた銀杏の木にも鮮やかな若葉が萌え始めている。
朝の国道では数人のお遍路さんを見かけたのだけれど
山道に入り峠を越え山里の県道を走っていたら
見覚えのある後ろ姿はやはりMさんであった。
前回は2月14日だったのでほぼ2ヵ月ぶりの再会となる。
車を停めたらすぐに走り寄って来てしばしのドライブだった。
もう百巡以上しているMさんは車のお接待を快く受け
時には公共交通を利用する時もあるのだそうだ。
決して無理をせず臨機応変でなければ職業遍路は続かないだろう。
4月2日に無事に初孫が誕生したとのこと。
元気な女の子だそうで嬉しくてならないと目を輝かせていた。
「なんかすごい励みになってさあ」と声も弾んでいた。
娘さんやお孫さんにどんなにか会いたいことだろう。
山梨に帰ろうと思えば不可能ではないはずなのだけれど
頑なにお遍路に拘っている強い意志を垣間見たような気がする。
いったい何がMさんを動かしているのか知る由もなかった。
職業遍路は終わりなき旅にも等しい。
Mさんには大きな覚悟があり四国に骨を埋めるつもりなのかもしれない。
「おかあさんまた会おうね」重そうなリュックを背負うと
Mさんは笑顔で手を挙げながら葉桜の道を遠ざかって行った。
| 2022年04月12日(火) |
春雨じゃ濡れて行こう |
曇り日。山里では時おり霧のような雨が降っていた。
まさに春雨で濡れてもまったく気にはならない。
あちらこちらで田植えが行われていて活気が感じられる。
義父も早朝から植え始め目まぐるしいほどの忙しさであった。
懇意にしている友人が3人も手伝いに来てくれて有り難いこと。
おかげでずいぶんと捗ったようだった。
お昼時になっても当然のように帰って来ないので
田んぼに様子を見に行ったら畦道に4人が車座になって
楽しそうにお弁当を広げているところだった。
義父の笑顔が見えていてきっと嬉しくてならなかったのだろう。
私も胸を撫で下ろすようにほっとして嬉しさが込み上げて来た。
定時で帰路に就きスーパーで買物をしていたら
「おばあ」と呼ぶ声。横を見たら娘も買物をしていたようだ。
今夜もけい君を預かることになっていたのであれこれと買ってくれていた。
そんな娘の気遣いが嬉しくひたすら感謝しかない。
甥っ子も我が子と同じように大切に思ってくれているのだろう。
もちろん不憫でならない気持ちも大きいのだろうと思う。
学校から帰るとそれぞれが宿題タイムであった。
けい君は学習机がないので茶の間の炬燵で頑張っていた。
国語と算数のプリントをまるで朝飯前のようにさっさと済ます。
それからじいちゃんとお風呂に入ったのだけれど
アトピーの薬を塗りながらまた憐れな気持ちが込み上げて来る。
成長と共に症状は軽くなるらしいけれどまるで傷跡のように痛々しい。
夕食は娘夫婦が気を遣ってくれて賑やかで楽しかった。
独りっ子のけい君にとって大家族がどんなにか嬉しいことだろう。
息子は準夜勤で深夜の帰宅とのこと。
飼い猫は居るけれど侘しいのではないかとまた気遣ってしまう。
その一方で今までどれほど苦労をしてきたことかと思う。
きっときっと報われる日が来るのだと信じてやまない。
曇り日。昨日は暑いくらいだったのでずいぶんと涼しく感じた。
平年並みの気温がいちばん身体に優しいのではないだろうか。
東北地方では真夏日になった地域もあるようで異常気象だと思われる。
やはりその季節にふさわしい気温を望まずにいられない。
車庫証明申請の書類がなんとか整い警察署へ提出する。
すぐに不備を指摘されるのではないかと不安でいっぱいだったけれど
係の署員が「上出来ですよ」と言ってくれてとてもほっとした。
自信はなかったけれど何事もやれば出来るのだなと思う。
経験を積み重ねるうちにそれが自然と自信に繋がるのだろう。
帰宅して息子のお嫁さんのご実家へ電話。
病院の待ち時間が長く4時間もかかったとさすがに疲れた様子だった。
本来なら夫である息子が付き添うべきだったのだろう。
なんだか後ろめたさを感じたけれど今回は仕方ないことだと思う。
お嫁さんはやはり入院となり期間は未定とのことであった。
短期間では完治の見込みは皆無であり長期の治療を願ってやまない。
けい君はすっかりわきまえている様子で我が家から元気に登校する。
子供心に不安も少なからずあるだろうけれど健気な姿であった。
不憫でならないけれどあまり気遣い過ぎても行けない気がする。
息子とも話したけれど今は現実を受けとめるべき時だと思う。
現実に逆らえば逆らうほど運命の歯車が狂ってしまうのではないだろうか。
「どうしてこんなことに」と人はよく口にするけれど
嘆いても何も変わらないのが「現実」なのだと思う。
私は何があっても受けとめられる強い心を持ちたいと願っている。
今日もほぼ夏日となり汗ばむほどの陽気となる。
菜種梅雨だろうか火曜日あたりから連日雨になりそうだった。
台風も一号二号と発生しており今後の進路が気になっている。
午前中に隣町の黒潮町まで。田野浦という港町であった。
中古車を購入してくれたお客さんの車庫証明の手続きで
詳しい図面を書いて警察署に届けねばならなかった。
田野浦地区に行くのは初めての事でじいちゃんの運転で行く。
日曜日でお客さんも在宅しており土地の計測など手伝ってくれる。
車庫証明の申請は不慣れで自信は全くないのだけれど
とにかくやってみなければと挑戦するような気持ちであった。
お客さんから「ちりめんじゃこ」を沢山頂いて嬉しかった。
さっそくつまんで口に入れると仄かに潮の香がしてとても美味しい。
息子のお嫁さんのお母さんから電話があり
今日はずいぶんと落ち着いている様子でほっと胸を撫で下ろす。
明日はお嫁さんを病院へ連れて行ってくれるそうだ。
おそらくまた入院になると思うけれどそのほうが安心に思う。
ご両親とも高齢でお嫁さんの里帰りは大きな負担になっているだろう。
今後のことも話に上がったけれどまだ結論は出ていない。
どのような結果になろうともけい君だけはなんとしても守ってあげたい。
今夜は息子が夜勤なのでけい君を預かることになった。
寝室にお布団を三組並べお泊りの準備も整っている。
我が家に来るのはお正月以来であやちゃん達とはしゃぎまわっている。
けい君の笑顔を見ていると救われたような気持ちになるのだった。
ぐっすりと眠って明日は元気に学校へ行こうね。
子供は周りの不安や心配を敏感に感じ取るものだった。
私達も出来る限りあっけらかんと笑顔で過ごしたいと思っている。
日中は初夏のような陽気となる。
何という種類なのか定かではないけれど遅咲きの桜もあるようだ。
花はソメイヨシノよりも大きく八重で葉は緑色をしている。
もう桜の季節は終わったと思っていたのでなんと思いがけないことだろう。
11時より仕事。午後とても懐かしい来客があった。
タイヤ交換に来てくれて待ち時間の間にしばし語らう。
思い出話よりも近況を話すことが多かった。
昔の話などすればもう思い出したくもない程恥ずかしいと言う。
「若い頃はいろいろあったよね」と。でもそれがあってこその今なのだろう。
「すべてが運命なのよね」と彼女は微笑むことが出来るのだった。
私も同じように運命に身を任せて来たのだろうと思う。
若気の至りはあるけれど今が幸せならばもう過ぎ去ったことなのだ。
夕方、息子のお嫁さんのご実家のお母さんから電話があった。
とても取り乱しており泣き声で「助けて」と叫ぶばかり。
お嫁さんの精神状態が尋常ではなく息子が電話をかけたらしい。
ここで詳しいことを書くのは控えなければいけないけれど
とりあえずご実家でしばらく預かってもらうことになった。
私もすぐにマンションに駆けつけたけれど息子は憔悴し切っている。
けい君は朝から何も食べていないのがとても憐れでならなかった。
ふともう限界ではないかと思う。もう最悪の事態なのかもしれない。
泣き叫ぶばかりのお母さんに「しっかりしなさい」と叱咤激励をした。
お嫁さんはとても悲しそうな顔をして俯いていたのだった。
なんとかなる。なるようになると信じたい気持ちは山々だけれど
どうしようもできない事が襲って来た一日でもあった。
ずいぶんと日が長くなり外はいま黄昏時である。
西の空をほうずき色に染めて陽が沈もうとしているところだった。
室温が25℃もあり窓を開け放しているのだけれど
風はそよとも吹かずお風呂上がりの火照った身体に汗がにじんでいる。
今日は田植えの準備をしている義父のもとに工具を届けに行ったら
水を張られた田んぼに白鷺が二羽もいてとても綺麗だった。
人慣れしているのか飛び立つ様子もなく寄り添っているように見えた。
それから農機具の上には雨蛙さんがいてそれも可愛らしかった。
まるで義父の助手であるかのようにちょこんと座っているのだった。
それを見た義父がにっこりと笑ったのが私はとても嬉しかった。
稲作の知識には疎く父のしている農作業の事がよく分からない。
「シロ掻き」と言うのだろうか、田植え前の大切な作業らしい。
それをしないと稲の苗を植えても雑草がはびこるのだそうだ。
私は水が張られたらすぐに田植えと思い込んでいた。
工場の仕事は繁忙期の峠を越え同僚一人でなんとかなっている。
その同僚も稲作をしており休日返上で農作業に追われているらしい。
今朝も出勤前に一仕事して来たのだと少し疲れているようだった。
私は職場では「段取り課長」と呼ばれており段取りばかり。
その上に「金庫番」もしているけれど少しも苦に思ったことはない。
むしろ遣り甲斐を感じることが多く活き活きと仕事をしている。
する仕事のあることは本当に有難いことだと思うのだった。
このところ土曜日も出勤しておりより一層遣り甲斐を感じている。
それが充実でなくてなんだろう。やったらやっただけのことがあるのだ。
難破船のようだった職場も今は海洋に乗り出している。
遭難して沈没させるわけにはいかないのだ。
「段取り課長」は舵を握れないけれど航路を示すことは出来る。
行きつく先は何処かの港だろうか、それとも島だろうか。
遥かな大海原を見つめながら明日も航海を続けよう。
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