桜が満開になってから花曇りの日が続いている。
今日は気温もあまり上がらず花冷えの一日となった。
青空が相応しいように思うけれど曇り空を仰ぐ桜もまた良いものだ。
ひっそりと静かに佇んでいる姿がとても健気に見えてならない。
ふと人も同じではないかと思う。
明るくて朗らかな人。どこか影があり心もとなく見える人。
私はどちらかと言えば後者なのではないだろうか。
義父が田植えの準備に忙しく昼間は思うように工場の仕事が出来ず
昨夜も深夜から明け方まで車の修理をしてくれていたようだ。
そんな義父に人手不足だなどとどうして言えるだろうか。
今日も工場は猫の手も借りたいほどの忙しだった。
私は5時間のパートなので早々と帰路に就いてしまうけれど
母はよく夜遅くまで仕事をしていたことを思い出す。
その間に義父の夕食の支度までしていたのだから頭が下がる。
今思えばずっと働きづめの日々だったことだろう。
施設に入居してからも仕事の事ばかり気にかけている様子で
なんだか可哀想でならず母が不憫でならなかった。
昨日は母の施設のある病院のSNSが更新されており
生け花を楽しんでいる母の写真がアップされていた。
花が大好きな母らしく満面の笑顔にとてもほっとする。
腰痛も続いており少し鬱気味になっているようだと聞いていたので
母の笑顔はほんとうに嬉しく救われたような気持ちになった。
そうして施設側の粋な計らいには本当に感謝以外にない。
コロナ禍で面会は叶わないけれど母の笑顔に会える。
写真を見ながらずっと話しかけていた。
母は何も語らずただただ微笑み続けている。
花曇りの一日。午後には少しだけ薄陽が射していた。
満開になった桜がそれはそれはきれい。
今がまさに春爛漫だと言えよう。
散り急ぐことなかれと手を合わせつつ桜を仰いでいた。
帰り道の県道で珍しいお遍路さんを見かける。
思わずブレーキを踏んだけれど後続車があり停まれなかった。
親子にも見えたけれどお祖父ちゃんとお孫さんだったのかもしれない。
小型のリヤカーを引いており荷台に5歳くらいの男の子が乗っていた。
しっかりと白装束を着ておりすぐにお遍路さんだと分かる。
男の子は髪を刈り上げていて上の方だけ髪の毛があった。
まるで「子連れ狼」の大五郎のような髪型をしている。
ちょうど桜並木の下を歩いており絵のような二人であった。
通り過ぎてから声をかけるべきだったと悔やまれる。
車をUターンすれば近くまで行けたのにと残念でならない。
おそらく区切り打ちのお遍路旅であったことだろう。
小さな子供を連れての通し打ちはとても困難に思えた。
私の想像はふくらみ二人は四国内に住まいがあるのではとか
5歳位に見えたけれど一年生かもしれないとか
学校が春休みだからお遍路に出たのかもしれないと思った。
それは声をかけてさえいれば分かる事実だったのだろう。
とにかく残念でならず今もって後ろ髪を引かれるような思いでいる。
この時期のお遍路は「桜遍路」花に寄り添う旅なのだと思う。
日が暮れるまでに無事に延光寺さんに着いただろうか。
まさか野宿ではあるまいと考え出したらきりがない。
晩ご飯ちゃんと食べたかしら。お風呂にも入ったかしら。
明日は伊予路に差し掛かることだろう。
ただただ旅の無事を祈る事しか出来ない。
声もかけてあげられなかったおばあちゃんを許して下さいね。
昨日の大雨が嘘のように快晴となる
降り注ぐ陽射しは春そのものでぽかぽかと暖かくなった。
桜もほぼ満開となり青空に薄桃色の花が鮮やかに映える。
朝のうちにお大師堂へ。花枝(しきび)を新しく活け替え
残り少なくなっていたお線香の補充もする。
誰かがお供えしてくれたのか一升瓶の日本酒があった。
願かけでもしていたのだろうか。きっと叶ったのだろう。
心のこもった物だけにさすがに持ち帰るわけにはいかない。
昨日の大雨で川が少し増水しておりせせらぎの音が高い。
木屑がたくさん川岸に押し寄せて来ており無残な光景であったけれど
見上げればほぼ満開の桜が微笑んでおり心が和むようだった。
家事らしきことなど殆どしないのが常の日曜日だけれど
今日はホームセンターでコンクリートの小袋を買って来る。
先日草引きをしたばかりの庭と道路の境目が抉れており
今後雑草が生えないようにとその抉れを補修したのだった。
「俺に任せろ」とじいちゃんが得意げに手伝ってくれる。
「元プロだからな」と言ったりしてとても愉快に思った。
30歳で会社を辞めて川漁師になったけれど
夏場は収入がなく家の土台を作る基礎屋さんでアルバイトをしていた。
一輪車で汗を流しつつ生コンを運んだ経験があったのだった。
その後の再就職先は生コン会社で基礎屋さんの注文を受け運んだり
トンネル工事の現場へ大量の生コンを運んだこともある。
久しぶりに見る生コンが懐かしかったのか顔には笑みがこぼれていた。
おかげで補修はきれいに整う。私は惚れ惚れとしながら見ていた。
午後は2時間程読書。1時間程お昼寝をしてから大相撲を観る。
福島出身の新関脇若隆景が初優勝を果たした。
十両に落ちている炎鵬のファンだけれど若隆景もちょっと好きになる。
夕飯は鶏の唐揚げ。ほうれん草のお白和え。ツワブキと厚揚げの煮物。
今夜は珍しく家族そろって食べられて浮き立つように嬉しかった。
娘むこがお白和えを沢山食べてくれる。孫たちは唐揚げ一直線。
みんなの美味しい顔が見られて幸せだなあと思った。
朝はぽつぽつだった雨が本降りになり横殴りの雨となる。
まさに花に嵐となり桜の花も健気に耐えている様子。
幸いまだ満開ではないので花散らしの雨にはならなかったようだ。
むしろ恵みの雨になったのかもしれず満開も近いことだろう。
土曜日恒例のカーブスを終え降りしきる雨の中を職場に向かう。
対向車の殆どがライトを点灯しており私もそれに倣った。
高速運転も危険に思え制限時速内で前方の車の後を追う。
職場では車検整備完了の車が一台あったけれど
あまりの大雨に検査場も水浸しになっており月曜日に延期することに。
そうなれば私のする仕事も無くなり一気に手持無沙汰となった。
義父の計らいで二時間程でとんぼ返りをすることになる。
帰りはいつもの峠道を下っていったのだけれど
お遍路さんが5人も難儀そうに歩いている姿を見た。
雨合羽が強い雨と風に晒され一歩一歩がとても辛そうであった。
延光寺に着くまでには日が暮れてしまうだろうと思うと
思わず手を合わせずにはいられない光景であった。
帰宅して「長英逃亡」を読了。悲惨な最期に涙がこぼれた。
作者の吉村昭も感情移入をせずにいられなかったと書いてあったが
私も同じく長英と一緒に過酷な逃亡をし続けていたのだと思う。
なんとしても救ってあげたかった貴重で偉大な人物であった。
逃れ続けることが叶えば明治維新は目前の事だったのだ。
江戸幕府の犠牲になったことがとても残念でならない。
夕飯は「水炊き」おそらく今季最後の鍋料理だろう。
我が家のタレは大根おろしを沢山入れるのでめいちゃんが手伝ってくれた。
小さな手で一生懸命に大根をすりおろしてくれてなんと有り難いこと。
けれども今夜も家族揃って鍋を囲むことは叶わなかった。
じいちゃんと二人で少し遠慮しながら先に食べる。
もちろん〆のうどんなど叶うわけもなかった。
寂しいけれどそれが当たり前になってしまった我が家の夕食である。
もう慣れてしまったので嘆くこともないのだけれど
決して偽りの家族ではないことを信じてやまない。
陽射しはあったけれど風が強く肌寒い一日。
お天気は下り坂で明日は大雨になるのだそうだ。
毎年の事だけれど桜が咲き始めると荒れる日が多い。
桜にとっては試練のような雨になることだろう。
人にも試練がつきもの。嘆いていても何も変わらず
立ち向かうように突き進んでいかなくてはならない。
きっと困難な事ばかりではないのだと思う。
案外と「のど元過ぎれば熱さを忘れる」事が多いのではないだろうか。
定時で仕事を終え帰路に就く。
いつものことだけれど夕飯の献立に頭を悩ませていた。
自分の食べたい物とはいかず家族の好みを優先しなければいけない。
かと言って孫中心では娘夫婦が納得しないだろう。
晩酌の肴になる物も一品は必ず買わなければならず
高価なお刺身などには手が出ない貧乏所帯であった。
今日は「イワシの丸干し」を買う。
じいちゃんの好物だけれど娘夫婦にはどうだろうか。
後は鶏肉と茄子を揚げ新玉ねぎをのせ南蛮漬けにしてみた。
頂き物のベビーリーフのサラダにはトマトと生ハムを加える。
娘むこは気に入らないと一切箸を付けないのだけれど
イワシの丸干しを二匹も食べてくれていて嬉しかった。
鶏肉好きの孫たちも南蛮漬けをけっこう食べてくれていた。
家族そろって食卓を囲むことは殆ど無くなったけれど
後から食卓をチェックするのが常となったこの頃である。
たくさん残っているとさすがに気落ちするけれど
殆ど残っていないと胸を撫で下ろしほっとするのだった。
同居生活も今年で8年目となる。
一気に大所帯となり最初はパニック状態だったけれど
慣れてしまえばこんなものかなと楽観視も出来るようになった。
いつまでもこの家には居ないと娘は言うけれど
今のところは落ち着いている様子で何よりに思っている。
もしその時が来ても引き止めるつもりはない。
年寄りふたりでひっそりと静かに暮らすのもまた良いものだろう。
朝の肌寒さもつかの間のこと日中は春らしい陽気となる。
予想していた通り桜は一気に咲き始め5分咲き程になった。
中にはまだ咲いていない樹もあるけれど枝には蕾が沢山見えている。
山里では田植えの準備に忙しく水を張られた田んぼが多くなった。
義父は工場の仕事と掛け持ちでてんてこ舞いしており
昼間は田んぼ。夜は遅くまで工場の仕事に精を出している。
それは78歳という年齢を感じさせず頭が下がる思いであった。
まるで忙しさを楽しむように活き活きとしている。
今日は同僚が親戚のお葬式があり午後から開店休業となった。
来客もなかったのでしばらく本を読みながら過ごす。
定時でタイムカードを押し事務所を出ようとしていたら
郵便局のI君が転勤の挨拶を兼ね新任者の引継ぎに来てくれた。
I君は若くてイケメンだったけれど新任者は白髪交じりの人だった。
人を見かけで判断してはいけないけれどなんとなく不安になる。
郵便局の車輌メンテを引き受けているので順調でなければならない。
そんな不安と同時にI君との別れが寂しくもあった。
三月は去るというけれど別れの季節でもあることを改めて感じる。
別れもあれば出会いもあるだろう。どうか新鮮な春であって欲しい。
帰宅したらめいちゃんが昼食を食べなかったとのこと。
今日は卒業式と終了式があって学校はお昼までで終わっていた。
子供部屋を覗いたらもう春休みの宿題に取り掛かっていて
どうやら一気に済ませて春休みを満喫しようと目論んでいるらしい。
通知表を見せてもらったら「よく出来ました」がたくさんあった。
この一年間ほんとうによく頑張ったのだと感慨深く思う。
春休みが終わったらめいちゃんは2年生。あやちゃんは4年生になる。
孫たちの成長がまるで生きがいのように感じるこの頃である。
午後から雨がぽつぽつと降り始める。
春雨と呼ぶには冷たい雨となった。
それでいて桜の季節となり二分咲きくらい。
日に日に蕾が開くことだろう。
山肌には山躑躅が咲いており桃色の花に心が和む。
やがて木の芽も見え始め新緑の季節も訪れるだろう。
冬の名残りを残しつつ季節は確実に春に向かっているようだ。
仕事で久しぶりに軽トラックの運転をする。
自動車道を高速で走りタイヤショップまでの道のり。
時速80キロは出せなばならぬとハンドルを握りしめてのこと。
行きは前方に大型トラックが走っていたので気楽だったけれど
帰りは後続車に追われ逃げるようにアクセルを踏んでいた。
無事に帰り着いたもののもうこりごりだと思った。
自動車免許を取得したのは22歳の時だったから
もう43年も経ったことになる。その間に雪道での事故が二回。
ずっと無違反でゴールド免許だったけれど三年前に初の違反。
山里に覆面パトが来ており不覚にもシートベルトをしていなかった。
初めての事なので勘弁して欲しいと懇願したけれど
「それは出来ませんよ」と警官は笑いながら対応していた。
運転には決して自信はなく過信は事故の元だと思うようにしている。
高齢者の事故が多発している昨今、明日は我が身だとも思う。
ブレーキとアクセルを間違えるなど在り得ないと思いつつも
咄嗟の時になってしまわなければそれも確信は持てないのだった。
かと言って車失くしては身動きが取れずたちまち不自由になる。
今は仕事があるので車を頼りに通い続けているけれど
10年後の事など考えると気が遠くなってしまいそうだった。
とにかく慎重な運転を心がける。事故だけは避けなければいけない。
今日はちょっとした「軽トラック野郎」を頑張ってみた日。
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