ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年03月22日(火) 春の恵み

午前中は冷たい雨となったけれど静かで優しい雨であった。

関東は名残雪とのこと。その上に電力不足が追い打ちをかける。

寒い夜に停電にでもなったらなんとも気の毒でならない。



朝の山道に小さな集落があり「タラの芽あります」の立て看板。

もうそろそろではないかと待ちかねていたので早速買い求める。

良心市には可愛らしい湯呑が置いて在りその中に百円硬貨を入れた。

鍵付きの料金箱を備える良心市が多いけれどそれは無防備で

いかにも「良心」を問うような光景であった。



夕方、母の施設の看護師さんから電話があり

以前から予定されていた専門病院での腎臓の検査を見送ることになった。

コロナ禍の影響で先延ばしにしていたのだけれど

今の母の状態ではとても透析に耐えられそうにないのだそうだ。

透析となれば施設も移らなければならず悩んでいただけに

思わずこれ幸いと思ったことは言うまでもない。

この先腎不全が悪化する恐れもあるけれど仕方ないことだろう。

それよりも母が今の施設で笑顔で過ごしてくれることを望んでいる。

敢えて義父には伝えない事にした。私の一存で母を守ってあげたい。

血の繋がった娘として最後の親孝行になるのかもしれないけれど。



夕食は「タラの芽の天ぷら」柔らかくてとても美味しかった。

それと「ふ海苔の卵とじ」初物尽くしで春の恵みを有り難く頂く。





2022年03月21日(月) 甲子園

曇り日。午前中は少しだけ薄陽が射していた。

暖かいうちにと庭の草引きをする。

庭といっても猫の額ほどでしかもコンクリートであった。

雑草のなんと逞しいこと。それはコンクリートの隙間から

僅かな土を糧にしたかのように力強く伸びている。

そんな雑草に身を寄せるように野スミレの花が咲いていた。

周りの雑草だけを引き抜き野スミレを残す。

数えてみたら10本もありすっかり野スミレの庭になった。

自然のままにさりげなく。とても可憐な姿であった。





春分の日。お彼岸の中日でもあったけれどお墓参りは行かず。

例年ならば義妹が率先して段取りをするのだけれど

彼女も不整脈の発作が起こるようになり弱気になっているようだった。

お墓はお寺の裏山にあり急こう配の山道を上らればならなかった。

私達夫婦もすっかり足腰が弱くなり自信のないのが本音でもある。

これ幸いと思えば亡き義父母に申し訳がないけれど

今年は許して頂こうと意見が一致したのだった。


その代わりではないけれどお大師堂にお参りに行く。

お菓子をお供えして拙い般若心経を唱える。

それがせめてもの供養にも思えた。


昼食後からしばらく本を読んでいたけれど

甲子園で高知高校の初戦があったのでじいちゃんと観戦する。

9回裏に逆転されるのではないかとはらはらしていたけれど

無事に初戦突破できて何よりだった。胸に熱いものが込み上げて来る。


私はプロ野球には全く興味が無いけれど高校野球は昔から好きだった。

あれは高一の時だったから昭和46年の夏だったろうか。

高知商業高校の益永投手の大ファンになり「おっかけ」をした。

高知市営球場での予選も観に行き写真を撮ったこともある。

その時の写真は今でも手元にあり大切に保存している。

それは試合中の写真ではなくて待機中の写真なのだけれど

益永君はカメラを意識したのかはにかんだような横顔だった。

必ず優勝して甲子園に行くと信じていた通りになって

その夏の私の熱狂ぶりは半狂乱だったことは言うまでもない。

勝っても泣き負けても泣いた記憶が今でもはっきりと蘇る。


ずいぶんと歳月が流れたけれどそれは私の青春に他ならず

「甲子園」と聞けば必ず益永君の事を思い出すのだった。





2022年03月20日(日) ささやかなこと

午前中は肌寒く午後になりやっと暖かくなった。

それでも気温は平年並みとのこと。

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。

先日のように一気に夏日になるよりも身体には優しい。


我が家のチューリップにもう花芽が見え始めた。

つい先日まで5センチ程だったのが10センチにもなっている。

花の色はまだよくわからないけれど黄色ではないだろうか。


葉牡丹の花もいつの間にか咲いておりその成長におどろく。

種を採ろうと目論んでいるけれど上手くいくだろうか。

庭の手入れも怠ってばかりだけれど植物はとても健気であった。





最低限の家事だけに留めひたすら本ばかり読んでいた。

吉村昭の「破船」読了。夕方近くなりまた図書館へ走る。

裏の書庫から今度は「長英逃亡」を借りて来てすぐに読み始める。

片時も本から目を離せない困った人になってしまったようだ。

たまには掃除でもしたらどうだとじいちゃんは苦笑いしている。

そのうちやる気スイッチが入ることだろう。しばし待てと言いたい。

一人の作家に魅かれると全著書を読破しなければ気が済まず

今は8割程だろうか。あと一月はかかりそうであった。



夕食は焼肉。先日のじいちゃんの誕生日が平日だったため

家族がみな揃う日曜日にしたのだった。

家族6人でテーブルを囲むのはめったにないことで嬉しかった。

娘も気を効かせてくれたようで有り難く思う。

じいちゃんは子供の頃から誕生日に縁がなかったらしく

家族で祝うなどと言う習慣は皆無だったと聞く。

私が嫁いでからは少しずつ改善されて来たけれど

姑さんも舅さんもかなり戸惑っていた記憶がある。

特別な事をすれば「贅沢」だと思うのが当然の事だったのだろう。

郷に入れば郷に従えと言うけれど私は少し反発していたのかもしれない。

それを認めてもらうためには少なからず歳月が必要であった。


今はもう亡き人の誕生日と命日をカレンダーに記し続けている。

生きていればと思いつつ亡き人を偲ぶ日でもあった。



2022年03月19日(土) サクラサク

寒の戻りだろうか。日中も気温が上がらず肌寒い一日だった。

高知城下の桜(ソメイヨシノ)が咲いたそうで

全国に先駆けて開花宣言がある。

同じ高知でも四万十の桜はまだ蕾が固いように見え

咲き始めるのは彼岸明け頃ではないだろうか。



10時にカーブスへ行き終わり次第に職場に向かう。

自動車道で事故があったらしくパトカーが4台も停まっていた。

徐行しながら通り過ぎたけれど2台の車が損傷しているのが見えた。

高速道路なのでかなりのスピードが出ていたことだろう。

明日は我が身と思いつつ気を引き締めて慎重に走った。


工場の仕事はなんとか一段落。まだ後の予約が控えているけれど

それはまた連休明けの事として今日は肩の荷が下りたような気がした。

同僚のお給料は週給制なので少し奮発して支給する。

経営者側に立てば労う気持ちがとても大切に思うのだった。


高齢者のお客さんが多いけれど今日は珍しく20代の若者。

子供の頃に会ったきりだったのがすっかり好青年になっていた。

両親の離婚を経験しており女手一つで育てられたと聞いていたが

明るくて素直で少しも「陰」を感じることはなかった。

「お父さんには会っているの?」そこまで口に出掛けたけれど躊躇する。

もし絶縁状態になっていたら傷つけてしまう恐れがあった。


青年が帰ってから1時間程してその「お父さん」がやって来る。

まさにニアミス状態で父と子の再会が叶ったのかもしれなかった。

立派に成長した息子の姿を見せてあげたかった気持ちがつのる。

もし離婚してから一度も会っていないのなら尚更のことであった。

けれども「会いたくはなかった」と言われればそれまでのこと。

私にとってはとても他人事には思えない出来事であった。


もし45年前に私が母を頼りにしなかったら

私と母はどうなっていたのだろうと思う。

父を犠牲にしたように母を犠牲にしてしまったかもしれない。

母は死んだものと思い平然と暮らしていたのかもしれなかった。


切っても切れない血縁だとしても「会わない」選択は出来ただろう。

そこまで考えてしまうと私の今の暮しは消滅してしまうのだった。


母と再会したからこそ今の暮しがあるのだと思う。

あの時の私の選んだ道は決して間違ってはいなかったのだ。





2022年03月18日(金) 彼岸の嵐

夜明け前からかなりの雨。一時は小康状態になっていたけれど

お昼過ぎにかけて滝のような大雨となった。

朝の道でお遍路さんの姿を見かけていたので

どんなにか難儀をしていることだろうと気になった。

今朝は3人のお遍路さん。無事に目的の札所に着いただろうか。


国道沿いの白木蓮の花も雨に打たれたらしく

今朝はかなり散っており道路を雪のように覆っていた。

儚いものだなと思う。散り急ぐ花ではないだけに憐れであった。


彼岸の嵐と言うらしい。季節の分かれ目でもあり

冬と春がせめぎ合いつつまるで格闘をしているような一日のこと。







工場の仕事は順調に捗らず思うようにはいかなかった。

世間は3連休らしいけれど明日も出勤することに決める。

なんとしてもこの繁忙期を乗り越えなければいけない。

私は段取りをするばかりで何の役にも立たないけれど

義父や同僚を励ますことは出来るのではないだろうか。



娘の帰宅が遅くなる日だったので夕食の支度に奮闘していたら

昨日の今日でまた母から着信があった。

傍らから介護士さんの声が聞こえていて促されたことが分かる。

母は忙しい時間帯だとちゃんとわきまえているのだけれど

介護士さんにはそれが上手く伝わらなかったようだった。

気遣ってくれる気持ちはとても有り難いけれど

本音を言えば連日の電話は控えて欲しいと願ってしまう。


「ごめんね」と母が言った。「ありがとうね」と私は言った。



2022年03月17日(木) 希望の日

午前4時に目覚めるまで東北で大きな地震があったことを知らなかった。

宮城、福島は震度6強という11年前の大震災の記憶が蘇る。

どんなにか怖ろしかったことだろう。不安な夜となったことだろう。

避難中に亡くなられた方もいて心が痛むばかりであった。

とても他人事ではなく明日は我が身だと思う。

高知の報道でも「南海トラフ」に備えるようにとしきりに伝えていた。

ただただ恐怖心がつのる。いったいどうなってしまうのだろうか。





今日はじいちゃん(夫)70歳、母84歳の誕生日であった。

平穏な一日となりなんとありがたいことだろう。

夕方母から電話があった。例の介護士さんが促してくれたらしい。

体調は落ち着いているようだけれど腰痛は未だ完治せず

それでも声は朗らかで笑顔が見えるようであった。


じいちゃんはめいちゃんからお手紙をもらって感激していた。

「いつもじゃないけどおひるごはんつくってくれてありがとう」と

それは土曜日の昼食の事だとすぐに分かった。

優しくて素直な手紙に私もほろりと目頭が熱くなる。

「おじいちゃんの宝物」と言って夫も泣きそうな笑顔だった。


70歳という年齢は人生の大きな節目にもなるだろう。

日増しに老いを感じるようになり肉体も衰えていく。

もう70と思うのかまだ70と思うかは彼次第だろうと思う。

気弱にならず現実を受けとめつつ前を向いて突き進んでいかねばならない。

私も必ず後を追う。二人して与えられた人生を全うしたいと思う。



「南海トラフ」の大地震は後30年で80%の確率で必ず起こると言う。

どれほどの覚悟が必要なのか途方に暮れてしまうけれど

生きてさえいればと願ってやまない。

もし逃げ遅れて津波にのみ込まれてもそれが私達の宿命なのだろう。


「生きたい、生きたい」と呪文のように呟きながら

平和そのものだった一日がまるで希望のように暮れていった。





2022年03月16日(水) 精一杯に

初夏のような陽気も今日までだろうか。

明日から次第に気温が下がっていくようだ。

体調を崩さないように用心しなければいけない。

ここ数日夏服の孫たちも途惑うことだろう。

娘に任せておけば良いものをついつい口を出しては叱られている。



職場は同僚の通院日で午前中は開店休業だった。

そんな日に限って来客が多く対応に追われる。

同僚は内科だとばかり思っていたら眼科だったそうで

白内障が悪化し近いうちに手術をしなければいけないとのこと。

おまけに緑内障の疑いもあるそうで一気に心配が増えた。

明後日は整形外科の通院日なのだそうでなんだか仕事どころではなく

かと言って身体が資本であり十分な治療を願ってやまない。

58歳。まだまだ働き盛りと思っていたけれど現実は厳しかった。


午後2時を過ぎてから義父の仕事を手伝う。

ワゴン車のバックドア交換は一人ではとても無理な作業であった。

女手でも少しは役に立ち重いドアを持ち上げたりと精を出す。

最終的にはフォークリフトを使いなんとかドアを交換する。


午後4時になりやっと帰路に就いていたら警察署から電話があり

お客さんが自損事故を起こし車が国道を塞いでいるとのこと。

お客さんは救急搬送され連絡の取りようもなかった。

警官は事故車の処理を依頼して来たのだった。

すぐに義父に連絡をし事故現場へ駆けつけてもらう段取りをする。

なんだか頭がパニックになりそうな出来事であった。

お客さんの怪我の状態も心配であったけれどそこまで手が回らず

なんだか後ろ髪を引かれるようにしながら家へ帰り着く。


「今日はここまで」と自分に言い聞かせていた。

出来ること。出来ないこともあるのが世の常だろう。

手を抜いたつもりはない。精一杯の一日だったと思いたい。


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