ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年03月17日(木) 希望の日

午前4時に目覚めるまで東北で大きな地震があったことを知らなかった。

宮城、福島は震度6強という11年前の大震災の記憶が蘇る。

どんなにか怖ろしかったことだろう。不安な夜となったことだろう。

避難中に亡くなられた方もいて心が痛むばかりであった。

とても他人事ではなく明日は我が身だと思う。

高知の報道でも「南海トラフ」に備えるようにとしきりに伝えていた。

ただただ恐怖心がつのる。いったいどうなってしまうのだろうか。





今日はじいちゃん(夫)70歳、母84歳の誕生日であった。

平穏な一日となりなんとありがたいことだろう。

夕方母から電話があった。例の介護士さんが促してくれたらしい。

体調は落ち着いているようだけれど腰痛は未だ完治せず

それでも声は朗らかで笑顔が見えるようであった。


じいちゃんはめいちゃんからお手紙をもらって感激していた。

「いつもじゃないけどおひるごはんつくってくれてありがとう」と

それは土曜日の昼食の事だとすぐに分かった。

優しくて素直な手紙に私もほろりと目頭が熱くなる。

「おじいちゃんの宝物」と言って夫も泣きそうな笑顔だった。


70歳という年齢は人生の大きな節目にもなるだろう。

日増しに老いを感じるようになり肉体も衰えていく。

もう70と思うのかまだ70と思うかは彼次第だろうと思う。

気弱にならず現実を受けとめつつ前を向いて突き進んでいかねばならない。

私も必ず後を追う。二人して与えられた人生を全うしたいと思う。



「南海トラフ」の大地震は後30年で80%の確率で必ず起こると言う。

どれほどの覚悟が必要なのか途方に暮れてしまうけれど

生きてさえいればと願ってやまない。

もし逃げ遅れて津波にのみ込まれてもそれが私達の宿命なのだろう。


「生きたい、生きたい」と呪文のように呟きながら

平和そのものだった一日がまるで希望のように暮れていった。





2022年03月16日(水) 精一杯に

初夏のような陽気も今日までだろうか。

明日から次第に気温が下がっていくようだ。

体調を崩さないように用心しなければいけない。

ここ数日夏服の孫たちも途惑うことだろう。

娘に任せておけば良いものをついつい口を出しては叱られている。



職場は同僚の通院日で午前中は開店休業だった。

そんな日に限って来客が多く対応に追われる。

同僚は内科だとばかり思っていたら眼科だったそうで

白内障が悪化し近いうちに手術をしなければいけないとのこと。

おまけに緑内障の疑いもあるそうで一気に心配が増えた。

明後日は整形外科の通院日なのだそうでなんだか仕事どころではなく

かと言って身体が資本であり十分な治療を願ってやまない。

58歳。まだまだ働き盛りと思っていたけれど現実は厳しかった。


午後2時を過ぎてから義父の仕事を手伝う。

ワゴン車のバックドア交換は一人ではとても無理な作業であった。

女手でも少しは役に立ち重いドアを持ち上げたりと精を出す。

最終的にはフォークリフトを使いなんとかドアを交換する。


午後4時になりやっと帰路に就いていたら警察署から電話があり

お客さんが自損事故を起こし車が国道を塞いでいるとのこと。

お客さんは救急搬送され連絡の取りようもなかった。

警官は事故車の処理を依頼して来たのだった。

すぐに義父に連絡をし事故現場へ駆けつけてもらう段取りをする。

なんだか頭がパニックになりそうな出来事であった。

お客さんの怪我の状態も心配であったけれどそこまで手が回らず

なんだか後ろ髪を引かれるようにしながら家へ帰り着く。


「今日はここまで」と自分に言い聞かせていた。

出来ること。出来ないこともあるのが世の常だろう。

手を抜いたつもりはない。精一杯の一日だったと思いたい。



2022年03月15日(火) 親子丼

3月とは思えないほどの暑さとなりとうとう夏日を記録する。

季節はずれと言って良いのだろう。週間天気予報を見ていると

彼岸の入りの頃には平年並みの気温に戻るのだそうだ。

ちょうど桜(ソメイヨシノ)の開花も予想されており

「花冷え」の日もあるだろうと思われる。

寒との別れもあるのが季節のけじめなのではないだろうか。



仕事は朝のうちに郵便局へ行ったきりで他には特になし。

まるで高卒で初就職した本屋さんの頃のようであった。

後ろめたさはあったけれど店番をしながらひたすら本を読む。

来客一人のみ。電話も全く鳴らない静かな一日であった。


ふとあの頃を思い出す。本はいくらでも読み放題であったけれど

たまに所長が営業所に居る時もあってさすがに読書とはいかず

世間話をしたり時には昼食をご馳走してくれることもあった。

営業所のすぐ隣に食堂があり私はよく親子丼を食べた記憶がある。

所長は本当に気さくな人で何事にも親身になってくれた。

結果的に裏切るようなカタチで退職した事が今でも悔やまれる。


健在ならば80代の後半だろうか。顔ははっきりと憶えているけれど

再会する機会もなく悪戯に時が流れていくばかりであった。


「過去」という一言で私の人生は語りきれないけれど

一期一会があったからこそ今の私が存在しているのだと思う。


「帰りたい」と思ったことは一度もないけれど

記憶はいつまでたっても私の元から去ろうとはしないのだった。



2022年03月14日(月) まるで初夏

最高気温が24℃。ほぼ夏日の気温となり

春を通り越して初夏のような陽気となった。


朝の国道沿いでは白木蓮の花が満開となっており

思わず歓声をあげて見上げたことだった。

それは大木で民家の二階建ての屋根よりも高くそびえ

まるで空から千切れた綿が舞い降りて来たかのように見えた。





職場は相変わらずの忙しさですでに4月の上旬まで予約で埋まる。

義父は田植えの準備に追われておりてんてこ舞いしていて

同僚一人では手に負えないような有り様であった。

整備士の資格などない私は何の役にも立たないけれど

せめて洗車をと思い自分に出来ることに励むことにする。

今日はそれが裏目に出てしまって失態をしでかしてしまった。

フロントガラスの内側を拭いていたら油膜がにじみ出て来る。

どうやら雑巾代わりのタオルに油脂が付いていたらしい。

ガラス拭き専用のスプレーで何度も擦ったけれど落ちないのだ。

暑さで汗びっしょりなりとうとう同僚に助けを求めた。

同僚いわく。二度手間になるので今後は洗車をしないようにと。

私の洗車は雑過ぎて任せてはおけないと言うのだった。


若い頃にはガソリンスタンドに勤め洗車はお手の物と思っていたけれど

さすがに40年以上も経つと昔取った杵柄も通用しなくなったのか。

いささかショックではあるけれど所詮役立たずの我が身であった。


2時間の残業になりぐったりと疲れて帰宅する。

洗濯物は娘が畳んでくれておりお風呂洗いはあやちゃんがしてくれる。

今週は「お手伝い週間」なのだそうだ。なんとありがたいこと。


今日は母の心配もなく落ち着いていられた一日だった。

明日のことなど誰にも分からないけれど

穏やかな春の陽射しをいっぱいに浴びたいと思う。



2022年03月13日(日) 狐の悪戯

曇り日ではあったけれど気温が高くなりずいぶんと暖かだった。

ご近所に河津桜だろうか早咲きの桜が満開になっており

それは目を瞠るほどの美しさで心惹かれるばかり。

写真を撮りたいけれど敷地内に勝手に踏み込む訳にもいかず

憧れの眼差しでただただ愛でるばかりであった。



早朝7時前に母の施設の看護師さんから電話があり

突然の不整脈の発作で血圧が異常に下がっているとのこと。

危険な状態なので県立病院へ救急搬送する旨の連絡があった。

義父にも連絡をして救急車の後を追うように病院へ向かった。


本音を言えば今度こそ駄目かもしれないと思う。

冷静に母の死を受けとめている自分が不思議にも思えた。

それだけ覚悟が出来ている証拠でもあるのだろう。

お通夜の事、お葬式の事と考えながら仕事の事も頭から離れない。


救急外来の待合室で一時間程待機していただろうか。

処置室から微かに母の声が聞こえ幸い意識はあるようだった。

その後二時間ほどしてやっと医師からの説明を受ける。

点滴中に歌をうたっていたらしく医師も苦笑いをしていた。

発作はすぐに治まり血圧もほぼ正常に戻ったと聞く。

もう帰っても良いですよと言うので狐につままれたようだった。


助手席に母を乗せて施設のある病院へ向かった。

空腹を訴える母。腹痛はすでに治まっており食欲のある証拠である。

腰痛はまだ治まらず数年前の骨折の後遺症ではないかとの診断だった。

季節の変わり目のことで古傷が悪さをしているのだろう。


母は今日が日曜日だと知らずにいたらしく

しきりに仕事の心配をしていた。私のお弁当の心配もしてくれる。

日曜日だと伝えると「ああ、良かった」と安心したようだった。


施設の介護士さんが出迎えてくれて母を軽々と車椅子に乗せてくれる。

母はまた思い出したように昼食の心配をしていたけれど

介護士さんの笑顔に救われたようににっこりと笑顔を見せていた。

「しなちゃん、ほんと人騒がせなよ」私も頷きながら笑っていた。


今日のことは狐の悪戯だと思うことにしよう。

発作はまたいつ突然に起こるのかわからないけれど

母の生命力は私が思っている以上に強く逞しいのだと思った出来事だった。



2022年03月12日(土) まっしぐらに春

黄砂だろうか杉花粉だろうか春霞の空。

気温は昨日よりも高くなり春らしい陽気となる。


暖かくなるとなんだか肩の力が抜けたようになり

ふにゃふにゃと崩れ落ちてしまいそうな気がする。

ここ数日気が張っていたのだろう。

今日はずいぶんとリラックス出来たようだった。


朝のうちに図書館に行き帰りに買物を済ます。

10時からカーブスで終り次第に職場に向かった。


カーブスの店長であるMコーチが来月早々に退職するとのこと。

明るくて朗らかな人だったので残念でならない。

私が通い始めて9ヶ月になるけれどもう4人目の退職者だった。

傍目には楽しそうな職場に思えるけれど苦悩もあるのだろうか。

解らないものだなと思いつつふと不信感がつのったりした。

理想的な環境は思うよりも難しいものなのかもしれない。



仕事はひたすら義父の帰りを待つ。

おかげでずいぶんと読書がはかどった。

午後4時にやっと帰って来てくれて車検終了の書類を作成する。

帰宅したら5時を過ぎており急いで夕食の支度を始めた。

娘の帰宅も遅かったのでてんやわんやの夕暮れ時であった。

義妹から鶏飯が届く。あやちゃんの大好物でとても助かる。


入浴時の暖房も不要になりずいぶんと気が楽になった。

これからはお風呂の楽しみも出来ることだろう。


まだまだ寒の戻りがあるだろうけれどそれも些細なことに思う。

私のこころはまっしぐらに春に向かっている。













2022年03月11日(金) また明日

最高気温が20℃にもなりすっかり春の陽気となる。

暖かさに誘われたのか先日娘が植えてくれたチューリップの芽が

一気に5センチ程まで伸びていてその生命力に驚かされる。

植物もひともみんな精一杯に生きているのだなと改めて思った。



東日本大震災から11年目の今日。やはり複雑な気持ちが込み上げて来る。

決して忘れてはいないけれどコロナ禍や戦争の悲惨さに心が奪われていく。

せめて被災地に寄り添う気持ちを大切にしなければいけない。



今日は母の施設から何も連絡がなかった。

これ幸いと思ったのは言うまでもない。きっと快方に向かっているのだろう。

頭の中は仕事のことでいっぱいですっかり余裕がなくなっている。


昨日のワクチン接種の副反応は殆ど無くほっと胸を撫で下ろしていた。

気を緩めてはいけないと肝に命じていたせいもあるだろう。

病は気からではないけれど「負けるもんか」と強く思っていた。



なんだかあれこれとまとまりのない日記になってしまったけれど

気持ちの整理をしながらのことでお許しを願いたい。

明日のことはまた明日だけれど

少しでも心に余裕が出来ることを願ってやまない。


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