3月とは思えないほどの暑さとなりとうとう夏日を記録する。
季節はずれと言って良いのだろう。週間天気予報を見ていると
彼岸の入りの頃には平年並みの気温に戻るのだそうだ。
ちょうど桜(ソメイヨシノ)の開花も予想されており
「花冷え」の日もあるだろうと思われる。
寒との別れもあるのが季節のけじめなのではないだろうか。
仕事は朝のうちに郵便局へ行ったきりで他には特になし。
まるで高卒で初就職した本屋さんの頃のようであった。
後ろめたさはあったけれど店番をしながらひたすら本を読む。
来客一人のみ。電話も全く鳴らない静かな一日であった。
ふとあの頃を思い出す。本はいくらでも読み放題であったけれど
たまに所長が営業所に居る時もあってさすがに読書とはいかず
世間話をしたり時には昼食をご馳走してくれることもあった。
営業所のすぐ隣に食堂があり私はよく親子丼を食べた記憶がある。
所長は本当に気さくな人で何事にも親身になってくれた。
結果的に裏切るようなカタチで退職した事が今でも悔やまれる。
健在ならば80代の後半だろうか。顔ははっきりと憶えているけれど
再会する機会もなく悪戯に時が流れていくばかりであった。
「過去」という一言で私の人生は語りきれないけれど
一期一会があったからこそ今の私が存在しているのだと思う。
「帰りたい」と思ったことは一度もないけれど
記憶はいつまでたっても私の元から去ろうとはしないのだった。
最高気温が24℃。ほぼ夏日の気温となり
春を通り越して初夏のような陽気となった。
朝の国道沿いでは白木蓮の花が満開となっており
思わず歓声をあげて見上げたことだった。
それは大木で民家の二階建ての屋根よりも高くそびえ
まるで空から千切れた綿が舞い降りて来たかのように見えた。

職場は相変わらずの忙しさですでに4月の上旬まで予約で埋まる。
義父は田植えの準備に追われておりてんてこ舞いしていて
同僚一人では手に負えないような有り様であった。
整備士の資格などない私は何の役にも立たないけれど
せめて洗車をと思い自分に出来ることに励むことにする。
今日はそれが裏目に出てしまって失態をしでかしてしまった。
フロントガラスの内側を拭いていたら油膜がにじみ出て来る。
どうやら雑巾代わりのタオルに油脂が付いていたらしい。
ガラス拭き専用のスプレーで何度も擦ったけれど落ちないのだ。
暑さで汗びっしょりなりとうとう同僚に助けを求めた。
同僚いわく。二度手間になるので今後は洗車をしないようにと。
私の洗車は雑過ぎて任せてはおけないと言うのだった。
若い頃にはガソリンスタンドに勤め洗車はお手の物と思っていたけれど
さすがに40年以上も経つと昔取った杵柄も通用しなくなったのか。
いささかショックではあるけれど所詮役立たずの我が身であった。
2時間の残業になりぐったりと疲れて帰宅する。
洗濯物は娘が畳んでくれておりお風呂洗いはあやちゃんがしてくれる。
今週は「お手伝い週間」なのだそうだ。なんとありがたいこと。
今日は母の心配もなく落ち着いていられた一日だった。
明日のことなど誰にも分からないけれど
穏やかな春の陽射しをいっぱいに浴びたいと思う。
曇り日ではあったけれど気温が高くなりずいぶんと暖かだった。
ご近所に河津桜だろうか早咲きの桜が満開になっており
それは目を瞠るほどの美しさで心惹かれるばかり。
写真を撮りたいけれど敷地内に勝手に踏み込む訳にもいかず
憧れの眼差しでただただ愛でるばかりであった。
早朝7時前に母の施設の看護師さんから電話があり
突然の不整脈の発作で血圧が異常に下がっているとのこと。
危険な状態なので県立病院へ救急搬送する旨の連絡があった。
義父にも連絡をして救急車の後を追うように病院へ向かった。
本音を言えば今度こそ駄目かもしれないと思う。
冷静に母の死を受けとめている自分が不思議にも思えた。
それだけ覚悟が出来ている証拠でもあるのだろう。
お通夜の事、お葬式の事と考えながら仕事の事も頭から離れない。
救急外来の待合室で一時間程待機していただろうか。
処置室から微かに母の声が聞こえ幸い意識はあるようだった。
その後二時間ほどしてやっと医師からの説明を受ける。
点滴中に歌をうたっていたらしく医師も苦笑いをしていた。
発作はすぐに治まり血圧もほぼ正常に戻ったと聞く。
もう帰っても良いですよと言うので狐につままれたようだった。
助手席に母を乗せて施設のある病院へ向かった。
空腹を訴える母。腹痛はすでに治まっており食欲のある証拠である。
腰痛はまだ治まらず数年前の骨折の後遺症ではないかとの診断だった。
季節の変わり目のことで古傷が悪さをしているのだろう。
母は今日が日曜日だと知らずにいたらしく
しきりに仕事の心配をしていた。私のお弁当の心配もしてくれる。
日曜日だと伝えると「ああ、良かった」と安心したようだった。
施設の介護士さんが出迎えてくれて母を軽々と車椅子に乗せてくれる。
母はまた思い出したように昼食の心配をしていたけれど
介護士さんの笑顔に救われたようににっこりと笑顔を見せていた。
「しなちゃん、ほんと人騒がせなよ」私も頷きながら笑っていた。
今日のことは狐の悪戯だと思うことにしよう。
発作はまたいつ突然に起こるのかわからないけれど
母の生命力は私が思っている以上に強く逞しいのだと思った出来事だった。
黄砂だろうか杉花粉だろうか春霞の空。
気温は昨日よりも高くなり春らしい陽気となる。
暖かくなるとなんだか肩の力が抜けたようになり
ふにゃふにゃと崩れ落ちてしまいそうな気がする。
ここ数日気が張っていたのだろう。
今日はずいぶんとリラックス出来たようだった。
朝のうちに図書館に行き帰りに買物を済ます。
10時からカーブスで終り次第に職場に向かった。
カーブスの店長であるMコーチが来月早々に退職するとのこと。
明るくて朗らかな人だったので残念でならない。
私が通い始めて9ヶ月になるけれどもう4人目の退職者だった。
傍目には楽しそうな職場に思えるけれど苦悩もあるのだろうか。
解らないものだなと思いつつふと不信感がつのったりした。
理想的な環境は思うよりも難しいものなのかもしれない。
仕事はひたすら義父の帰りを待つ。
おかげでずいぶんと読書がはかどった。
午後4時にやっと帰って来てくれて車検終了の書類を作成する。
帰宅したら5時を過ぎており急いで夕食の支度を始めた。
娘の帰宅も遅かったのでてんやわんやの夕暮れ時であった。
義妹から鶏飯が届く。あやちゃんの大好物でとても助かる。
入浴時の暖房も不要になりずいぶんと気が楽になった。
これからはお風呂の楽しみも出来ることだろう。
まだまだ寒の戻りがあるだろうけれどそれも些細なことに思う。
私のこころはまっしぐらに春に向かっている。
最高気温が20℃にもなりすっかり春の陽気となる。
暖かさに誘われたのか先日娘が植えてくれたチューリップの芽が
一気に5センチ程まで伸びていてその生命力に驚かされる。
植物もひともみんな精一杯に生きているのだなと改めて思った。
東日本大震災から11年目の今日。やはり複雑な気持ちが込み上げて来る。
決して忘れてはいないけれどコロナ禍や戦争の悲惨さに心が奪われていく。
せめて被災地に寄り添う気持ちを大切にしなければいけない。
今日は母の施設から何も連絡がなかった。
これ幸いと思ったのは言うまでもない。きっと快方に向かっているのだろう。
頭の中は仕事のことでいっぱいですっかり余裕がなくなっている。
昨日のワクチン接種の副反応は殆ど無くほっと胸を撫で下ろしていた。
気を緩めてはいけないと肝に命じていたせいもあるだろう。
病は気からではないけれど「負けるもんか」と強く思っていた。
なんだかあれこれとまとまりのない日記になってしまったけれど
気持ちの整理をしながらのことでお許しを願いたい。
明日のことはまた明日だけれど
少しでも心に余裕が出来ることを願ってやまない。
日中は今日も春らしい陽気となった。
陽射しをいっぱいに浴びているとほっこりと優しい気持ちになる。
玄関先に植えていた葉牡丹から花芽が見え始めた。
菜の花のような黄色い花を咲かせるのだけれど
今年は種を採ってみようかと思っている。
薪時は秋だろうか。芽が出たらどんなにか嬉しいことだろう。
今日も母の施設の看護士さんから電話があった。
ちょうど県立病院から派遣された医師の診察日であったらしく
CT検査をした結果、胆石などの異常は見当たらなかったとのこと。
単なる胃腸炎だと思われるという診断だったそうだ。
ただ感染性の胃腸炎の疑いもあるので母は個室に移されたとのこと。
救急搬送される心配は無くなったのだけれど
腰痛と腹痛が重なったことになんとなく疑問を感じずにいられない。
明日もおそらく電話があるだろう。少しでも快方に向かうことを願っている。
私達夫婦は3回目のコロナワクチン接種日であった。
私は職場から接種会場に向かう予定だったけれど
特に急ぎの仕事も無かったので早めに帰宅して一緒に出掛ける。
副反応の不安もあり気がすすまなかったけれど
「人並みに」とじいちゃんが言うので観念するしかなかった。
決して無敵のワクチンではないけれど備えにはなるのだろう。
市内の感染者も増えておりまるで「賭け」のような接種であった。
今のところ副反応らしき症状は出ておらず
こうしていつものように平穏な夜を過ごしている。
明日は何があっても仕事に行かねばならないので
気を引き締めたまま眠りに就こうと思っている。
明日の風は春風だろうか。どうか優しい風でありますように。
春うらら。日中はずいぶんと暖かくなる。
白木蓮の蕾がふっくらとふくらむ。
今日よりも明日と純白の花を咲かせることだろう。
母の施設から今日も電話があり今度は腹痛とのこと。
食事も摂れなくなり点滴を始める旨の連絡があった。
正直言って何が何なのか訳が分からず途惑うばかりである。
医師にも原因が分からないとのことであまりに酷くなれば
県立病院へ救急搬送されるかもしれない。
電話が鳴るたびに病院からではないかとびくびくしている。
私が薄情である証拠に母に振り回されたくはないと言う気持ちが大きい。
やはり世間一般の母娘とは違うのだろうと思う。
少女期に受けた傷が未だに尾を引いているのかもしれない。
あれこれと考えていると自己嫌悪になってしまいそうだった。
人並みに娘らしくありたいけれど本心は醜く歪んでいるようだ。
かと言って心配は尽きない。大事に至らない事を祈ってもいる。
とても複雑な気持ちではあるけれどこれも試練なのだろうか。
もし真夜中に電話があれば義父に任せるべきだとじいちゃんが言う。
その言葉に救われたような気持ちになった。
やはりささやかな距離が必要なのだろう。まるで第三者であるかのように。
血の繋がった娘ではあるけれど家族ではないのだと思っている。
家族だったのは遠い昔のことで母はあくまでも去った人に他ならない。
心を鬼にするのはとても切ないけれど
まさに鬼が宿っているかのように私の心は厳しく彷徨い続けている。
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