ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年03月10日(木) 春風の予感

日中は今日も春らしい陽気となった。

陽射しをいっぱいに浴びているとほっこりと優しい気持ちになる。


玄関先に植えていた葉牡丹から花芽が見え始めた。

菜の花のような黄色い花を咲かせるのだけれど

今年は種を採ってみようかと思っている。

薪時は秋だろうか。芽が出たらどんなにか嬉しいことだろう。



今日も母の施設の看護士さんから電話があった。

ちょうど県立病院から派遣された医師の診察日であったらしく

CT検査をした結果、胆石などの異常は見当たらなかったとのこと。

単なる胃腸炎だと思われるという診断だったそうだ。

ただ感染性の胃腸炎の疑いもあるので母は個室に移されたとのこと。

救急搬送される心配は無くなったのだけれど

腰痛と腹痛が重なったことになんとなく疑問を感じずにいられない。

明日もおそらく電話があるだろう。少しでも快方に向かうことを願っている。



私達夫婦は3回目のコロナワクチン接種日であった。

私は職場から接種会場に向かう予定だったけれど

特に急ぎの仕事も無かったので早めに帰宅して一緒に出掛ける。

副反応の不安もあり気がすすまなかったけれど

「人並みに」とじいちゃんが言うので観念するしかなかった。

決して無敵のワクチンではないけれど備えにはなるのだろう。

市内の感染者も増えておりまるで「賭け」のような接種であった。


今のところ副反応らしき症状は出ておらず

こうしていつものように平穏な夜を過ごしている。

明日は何があっても仕事に行かねばならないので

気を引き締めたまま眠りに就こうと思っている。


明日の風は春風だろうか。どうか優しい風でありますように。



2022年03月09日(水) 鬼の目にも涙

春うらら。日中はずいぶんと暖かくなる。

白木蓮の蕾がふっくらとふくらむ。

今日よりも明日と純白の花を咲かせることだろう。



母の施設から今日も電話があり今度は腹痛とのこと。

食事も摂れなくなり点滴を始める旨の連絡があった。

正直言って何が何なのか訳が分からず途惑うばかりである。

医師にも原因が分からないとのことであまりに酷くなれば

県立病院へ救急搬送されるかもしれない。

電話が鳴るたびに病院からではないかとびくびくしている。


私が薄情である証拠に母に振り回されたくはないと言う気持ちが大きい。

やはり世間一般の母娘とは違うのだろうと思う。

少女期に受けた傷が未だに尾を引いているのかもしれない。

あれこれと考えていると自己嫌悪になってしまいそうだった。

人並みに娘らしくありたいけれど本心は醜く歪んでいるようだ。

かと言って心配は尽きない。大事に至らない事を祈ってもいる。

とても複雑な気持ちではあるけれどこれも試練なのだろうか。


もし真夜中に電話があれば義父に任せるべきだとじいちゃんが言う。

その言葉に救われたような気持ちになった。

やはりささやかな距離が必要なのだろう。まるで第三者であるかのように。

血の繋がった娘ではあるけれど家族ではないのだと思っている。

家族だったのは遠い昔のことで母はあくまでも去った人に他ならない。


心を鬼にするのはとても切ないけれど

まさに鬼が宿っているかのように私の心は厳しく彷徨い続けている。



2022年03月08日(火) 暮れなずむ空

雲ひとつない晴天。降り注ぐ陽射しは春そのものであった。

明日は今日よりも暖かくなるとのこと楽しみなことだ。

まだまだ寒の戻りがあるだろうけれど些細なことに思う。

それはまるで春の器に冬の欠片を落とすようなものなのだろう。



母の施設から連絡があり骨折の心配はないとのこと。

しばらく安静にして様子見をすることになった。

介護士さんが湿布を貼ってくれ有り難いことだと思う。

今まで以上にお世話をかけるけれど頼るしかないのだった。

面会も叶わず手も足も出せないのがもどかしくもある。

それにしても昨日の昼食時までは元気溌剌だったとのこと。

その後に転倒もしておらずいったい母に何があったのだろう。



職場は相変わらずの忙しさであったけれど定時で帰路に就く。

同僚も通院日で早退を申し出ていた。

焦っても仕方ないことでこんな日もあってよしと思う。

帰宅してからも電話が鳴り続け対応に追われていた。

職場の電話は常に転送にしてありすべて私の携帯に繋がっているのだった。

殆どのお客さんの番号を登録してあるのでとても便利でもある。

たまに「はいは〜い」と出てしまう時もありそれも愛嬌かと。

相手が名乗る前にすでに顔が浮かんでいるのである。


そんなわけで仕事尽くしの一日が暮れていく。

夕食後に暮れなずむ空を見上げつつ達成感に浸るのが常であった。


母のことも案ずるより産むが易しかもしれない。

優先順位を考えればどうしても仕事に重点を置かざるを得ない。


明日はあしたの風が吹くだろうといつも思いながら眠りに就く。



2022年03月07日(月) いっぱいいっぱい

曇り日。日中の気温も上がらず冬の名残りとなる。

それでも確実に春は訪れているようで

今日は職場の近くに沈丁花の花を見つけて嬉しかった。

明日から週末にかけて春らしい陽気になるとのこと。

冬の背中をそっと押してあげなければいけない。



仕事が忙しく一時間程の残業となった。

今日は私も工場の仕事を手伝い洗車をしたりする。

工場には洗車機が無く手洗いなのだけれど

変わり仕事をしたせいかぐったりと疲れて帰宅した。



夕方、母がお世話になっている病院内の施設から電話があり

母が腰痛を訴えておりベッドから降りることも出来ないとのこと。

車椅子への移動も叶わず今は寝たきり状態と聞き驚く。

原因が分からず介護士さん達も途惑っている様子だった。

病院には整形外科がないけれどレントゲンは撮れるので

明日にでも出来る範囲で原因を調べてみてくれることになった。

骨折にしても原因があるはずだけれど母も心当たりがないのだそうだ。


つい先日、お雛祭りの楽しそうな母の姿を見たばかりで

なんだか信じられず寝耳に水のような出来事であった。

大事に至らなければ良いがとただただ祈るばかりである。


一気に心の余裕が薄れていくのを感じている。

「いっぱいいっぱい」なのだ。その上に母の心配が追いかぶさって来る。

いくら薄情な娘だと言え「知らない」とどうして言えるだろうか。


これも試練なのだろうと受け止めることにした。

「神のみが知る」そんな信仰心もないけれど神に縋りたい気持ちだった。


だいじょうぶ。きっとなんとかなるだろう。



2022年03月06日(日) 安堵の涙

冬の背にそっと息を吹きかけて別れ道まで見送っていく


今朝の高知新聞の「高新文芸」に私の短歌が一席に選ばれていた。

すでに落選慣れしており今朝も落選と思い込んでいただけに

あまりにも思いがけず胸に熱いものが込み上げて来た。

認められたと思っても良いのだろうか。いやそれは違うだろう。

まだまだ精進しなければいけない一歩なのではないだろうか。


新聞を見たと言って小学生時代の恩師からメールを頂く。

4年生の時の担任で先生は大学を出たばかりの新任教師であった。

半世紀以上の歳月が流れているけれど今もその縁が続いている。

先生にとって私はとても印象深い生徒だったそうだ。


国語の授業になると真っ先に私を指名し教科書を読ませる。

それが頻繁になりとうとう「贔屓している」と陰口を叩かれるようになった。

私も辛かったけれど先生はもっと辛かっただろうと思う。

あまりの攻撃に耐えきれず先生は教壇でおいおいと泣いたこともあった。

その時のなんとも居たたまれなかった気持ちは今でも鮮明に憶えている。

転校生だった私と新任教師だった先生との間に絆のようなものが芽生えた。


数年前に山里で同窓会があった時、先生ははるばる訪ねて来てくれたそうだ。

私は出席しておらず後になりずいぶんと悔やまれたことだった。

友達が写真を届けてくれ昔の面影を残したままの先生の笑顔に会えた。

70代とは思えない若々しさで凛とした美しさがあった。


「これからもずっと高新文芸を楽しみにしているから」と言ってくれる。

私の名を探し続けていてくれたのだろう。ほんとうに有難いことだった。


短歌も詩も自信はなくただ認められたい「欲」ばかりが先走る。

その欲に善悪を決めつけるにはあまりにも未熟な私であった。


ただ励みに思い救われたような安堵感で満ちた一日となった。



2022年03月05日(土) 桜島大根

二十四節気の「啓蟄」冬ごもりをしていた虫たちが目覚める頃。

けれども虫に限らずあらゆる生物に当てはまるのだそうだ。

命あるものすべてとなると草や木、そして人間も同じなのだろう。

冬の間ふさいでいた心が生き生きとしてくるのかもしれない。



朝のうちに買物を済ませておきカーブスへ。

開店間際の混雑を予想していたけれど思いがけずに空いていた。

今日は計測があり確実に成果が表れているようだった。

何よりも左足の痛みがずいぶんと楽になって来ている。

それは筋肉量が増えている証拠であるらしい。

始めたのは昨年の6月だったからもう9ヶ月目になるのか。

体重は10キロ減。ウエストは3センチ減であった。


私は少女時代からの下半身デブで「桜島大根」と呼ばれていた。

そのあだ名を付けてくれた友人もかなり太っていたけれど

私は彼女にあだ名をつけることをしなかった。

体型に繋がるあだ名はやはり相手を傷つけることになる。

桜島大根と呼ばれてにこにこすることで良き友人関係を保てたのだと思う。


その頃の私の上半身はひどく貧弱でバストは78センチしかなかった。

ウエストは58センチ。足さえ太くなければかなりスリムだったのだ。

それが今はどうだろう。バストはずいぶんと豊かになり

入浴時には持ち上げてみたりして優越感に浸っている有り様である。


今の体重はちょうど出産後の体重と同じになっている。

あと4キロ減量できれば目標達成となることだろう。

それで何かが変わるわけでもないけれど挑戦してみたい気持ちが大きい。

この年になり努力することも張り合いになるのではないだろうか。


炭水化物を控えている為たまに白米のおにぎりが食べたくなる。

海苔など要らない塩だけのおにぎりにかぶりついてみたいのだ。






2022年03月04日(金) ささやかな距離

晴れのち曇り。陽射しのない午後は少し肌寒かった。


裸木ばかりだった山里に柳の新芽が出て来る。

若い緑がしなやかに風に揺れるのを見ていると心が浮き立つようだ。

たくさんある木々のなかで柳はいち早く春を知らせてくれることを知る。



今朝はけい君を学校へ送って行ったじいちゃんが

遠足であることを知らせてくれたけれどお弁当が気になってしょうがない。

そうしたら「お母さんが作ってくれた」と嬉しそうに言ったそうだ。

お嫁さんの体調が落ち着いているようでほっと胸を撫で下ろす。

けい君が不憫でならないといつも心配ばかりしているけれど

お嫁さんも精一杯に努力しているのだと思う。

無理をさせてしまったのかもしれないけれど

けい君の笑顔に救われたのではないだろうか。



日暮れ間近のこと某SNSに母のお雛祭りの様子が発信されていた。

施設のある病院のアカウントで先日からフォローさせてもらっている。

まさかこんなかたちで母に会えるとは思ってもいなかった。

職員の皆さんの計らいにはひたすら感謝しかない。

女雛に扮した母の楽しそうな笑顔に思わず目頭が熱くなった。

コロナ禍で面会が叶わないけれど諦めてはいけないのだと思う。

今後もきっと笑顔の母に会えることだろう。楽しみでならない。


昼間には母の旧知の友人から電話があった。

母の携帯電話の番号を教えたけれど無事に繋がっただろうか。

確かめてはいないけれど笑顔で語り合う母が目に浮かんで来る。


私は薄情な娘を貫きながらも母とのささやかな距離を保っている。


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