氷点下の朝だったけれど日中はずいぶんと暖かくなる。
風がなければぽかぽか日和になったことだろう。
梅の花もほころび青空に映える。それはとても誇らしげに
まるで春の使者としての任務を果たそうとしているかのようだった。
私の任務とは何だろう。一番は仕事なのかもしれないけれど
それ以上に家庭を守り波風を立てぬように努めなければいけない。
大家族なら尚更のこと。親しき仲にも気遣いは大切なことに思う。
かと言って干渉し過ぎてもいけない。ほどほどの距離を保つこと。
今夜は娘がPTAの役員会があり出掛けているのだけれど
「頼むよ」の一言もなくいつの間にか居なくなっていた。
孫たちは自主的に入浴を済ませ部屋でおとなしく遊んでいる。
両親が居なくても大丈夫。それだけ成長した証なのであろう。
頼まれてもいないのにと思いつつ何度も部屋を覗く私はお節介。
分かっているけれど声を掛けずにはいられないのだった。
台所のテーブルにはすっかり冷めてしまった料理が並び侘しい。
娘むこは今夜も遅い帰宅になるのだろうか。
妻でもないのに帰りを待っている私も少し滑稽に思えてくる。
「家族ではない」と言われたからにはそれを受け止めなければいけない。
家族ではないのに毎日大量の洗濯物を欲し
夕食の献立を考えながら必死でやりくりをしている。
それは少しも苦にはならないけれど時々ふっと虚しくなるのだった。
愚痴を言えば波風が立つ。それだけはあってはならないこと。
金曜日のせいか少し疲れているようだ。
あやちゃんとめいちゃんに「おやすみ」を言って早めに床に就こう。
雲ひとつない青空。気温は低目で風は冷たかったけれど
降り注ぐ陽射しはずいぶんと暖かく感じられた。
厳しい寒さも峠だそうで明日は暖気が流れ込んで来るのだそうだ。
冬のあいだの緊張が一気にほぐれるのではないだろうか。
仕事で大変なミスをしていてお客さんに迷惑をかけてしまった。
3年前に新車を購入してくれていたのだけれどPCに入力する際に
車検期日を入れ忘れていたらしい。そのことを今日まで気づかなかった。
一月に車検切れになっていたのをお客さんも全く知らなかったのだ。
車検期日が近づくと案内葉書を出すのが決まりなのだけれど
リストに載っておらず当然のように洩れてしまっていた。
「信頼していたのに」とお客さんから言われたショックは大きい。
それにしても3年前の事。入力ミスなどどうしてしたのだろう。
30年以上もこの仕事をして来て初めての事であった。
幸いお客さんは激怒することもなく「すぐに車検を」と許してくれる。
けれども予約がいっぱいで日程の段取りがつかないのだ。
仕方なくしばらく代車を貸すことにしてなんとか話がまとまった。
同僚は一生懸命に頑張ってくれているのにその上に私の不始末。
社長である義父は米作りの事で頭がいっぱいらしく当てにならない。
いざとなれば助けてくれるだろうけれどその時を待つしかないだろう。
ふうと大きなため息。決して仕事が嫌になったのではない。
どうすれば挽回出来て順調に事が進むのだろうと考えられずにいられない。
これも試練か。また試練なのかと頭の中が渦のように混乱している。
弘法も筆の誤りでは済まない事が世の中には沢山あるのだった。
帰宅するなりじいちゃんに話したら笑いながら「なんとかなる」と言う。
あまり深く考えずにさらりと水に流すべき事なのだろう。
いつもあっけらかんとしているじいちゃんに救われた一日だった。
曇り日。しんしんと底冷えするような寒さ。
それでも梅の花は咲き誇り春の兆しを感じさせてくれる。
咲けない私の心にはふっくらとした蕾がある。
一輪で良いのだ。人生にもきっと春が訪れるのに違いない。
天皇誕生日で祝日だったけれど義父と相談の上仕事をすることにした。
同僚も快く了承してくれて寒い中を励んでくれてありがたいこと。
とにかく工場は大混雑しており一台でも仕上げなければいけなかった。
ホワイトボードの予約客は3月中旬までぎっしり埋まっている。
幸いと言うべきではないけれど今年は家業の海苔養殖が全く目処が立たない。
例年ならばもう収穫を始めている頃だけれど海苔の生育が著しく悪く
最悪の場合は収穫ゼロになってしまうかもしれない。
じいちゃんはもうすっかり諦めている様子でお手上げ状態だった。
私も希望は薄れるばかりでとにかく現金収入をと焦り気味になる。
毎年襲って来る「二足の草鞋」の苦労も遠ざかってしまった。
家業の収入が皆無となれば益々家計が苦しくなるけれど
これも試練だろうと受け止めて日々の仕事に励むしかないと思う。
人生はまだ冬らしい。けれども終わらない冬などあるだろうか。
「あの時はよく乗り越えたね」と笑い合える日がきっと来るだろう。
金は無くても心は錦とも言うけれど私は木綿で良いと思う。
洗いざらしの擦り切れた一枚の布であれば充分ではないだろうか。
やはり風は冷たく。それでいてたっぷりの陽射しが降り注ぐ。
2月も残り少なくなり弥生三月を心待ちにしている。
もう冬だとは言わせない。早春に思いを馳せるばかりであった。
今朝は登校間際になりあやちゃんが「行きたくない」と言い出す。
理由を訊けば髪型が気に入らないとのこと。
昨夜はあんなに喜んでいたのにどうしたことだろうか。
友達の反応が気になっていたのか照れくさかったのかもしれない。
少女の心は複雑でとても繊細であるらしかった。
気になりながら先に出勤したのだけれど
遅刻しながらもなんとか学校へ行ったことを後になって知る。
年頃になってくると髪型にもこだわるようになり
私も小中学生の頃ずいぶんと苦労したものだった。
母譲りの天然パーマでそれもなぜか前髪だけカールしていたものだから
散髪屋さんへ行くと女性の理容師さんに嫌味を言われたことがあった。
ちょうど友達と一緒に行っていたのを「この子の髪はどうしようもない」と
さすがにプロだから髪を切りなんとか整えてくれたのだけれど
子供心にひどく傷ついたことを今でも忘れられずにいる。
後で知ったのだけれどその理容師さんはM兄ちゃんが好きだったらしい。
母とM兄ちゃんの事がその頃にはもう噂になっていたのだろう。
私は憎き敵の娘だったようで髪に触れるのも嫌だったのかもしれない。
中学に入学してすぐに職員室に呼び出された。
前髪にだけパーマをかけているのかとひどく叱られたのだった。
その時には母が学校へ直談判に行ってくれて助けてくれる。
堂々としていれば良いとなんと心強かったことだろう。
成長するごとに髪質が変わったのか高校時代には前髪も気にならず
今この年になれば髪のボリュームは全く無く分け目も薄くなる。
その上に白髪が目立ちまあ年相応と言うところだろう。
娘は隔世遺伝か天然パーマで苦労していたけれど
今はストレートパーマという優れた技術があるらしい。
孫たちは二人ともさらさらの黒髪。遺伝には縁がなさそうだ。
あやちゃんの髪型は好評だったのか笑顔で「ただいま」と帰って来る。
陽射しはたっぷりとあったけれど風はまだ冬の名残り。
北日本は猛吹雪とのこと。南国のなんと恵まれていることだろう。
雪の怖さを知らずにいてのほほんと過ごすのも心苦しいものだ。
仕事から帰宅したら娘の車があり今日は休みだったようだ。
今朝家を出る時に「お先に出るよ」と声をかけたのだけれど
「はいな」と言ったきり休みとは一言も言わなかった。
孫達が帰宅するなり娘があやちゃんを美容院へ連れて行く。
ぼさぼさに伸びていたのをやっと切る気になったようだ。
どんな髪型になっているのかとなんだかわくわくしながら待っていた。
10センチ位切ったようでずいぶんと軽やかでなんと可愛らしいこと。
私も昔は長い髪で二度ほどばっさりと切ったことがある。
一度目は確か19歳の頃。最初の結婚前ではなかっただろうか。
あまりにも色んなことがあったので心機一転のつもりだったのかもしれない。
二度目は38歳頃だったと記憶している。まだ艶やかな黒髪だった。
今思えば愚かな事だけれど切った髪を捨てることが出来ずに
美容師さんに束ねて貰ってその髪を持ち帰ったのだった。
20センチ程あったと思う。それは女盛りの証でもあったのだ。
数年前に断捨離をした時に細長い箱を見つけて「何だろう?」と
蓋を開けてびっくりした。思わず不気味さが込み上げて来る。
それは自分の髪ではあったけれど嫌悪感さえ感じたのだった。
正直言って二度と見たくないと思ったのは言うまでもない。
かと言って不思議と切なさが込み上げて来る。
その時の複雑な気持ちはとても言葉には出来ないものであった。
「さっさと捨ててしまえ」潔くごみ袋に放り込んだ。
太古の昔から髪は女の命と言われているけれど今はどうなのだろう。
白髪だらけの髪をかき上げてもただただ虚しいだけだった。
けれどもそれが年相応の事と誇りを持てないこともない。
老眼鏡をヘアーバンド代わりにしながら今日も仕事に励んだ。
曇りのち晴れ。時雨れたり小雪が舞ったり強風が吹き荒れる。
夕方には風がおさまり穏やかな夕焼け空が見えた。
朝のうちにお大師堂へ。やっと花枝(しきび)を活け替える。
千両はまだ紅い実をつけていたけれどさすがに正月飾りで
思い切って捨ててしまった。ずいぶんと長いこと持ってくれたものだ。
川のせせらぎの音を耳に心地よく拙い般若心経を唱える。
最後は「我らと衆生とみな共に仏道を生ぜんことを」で終る。
花枝を新しくしたせいかとても清々しい気持ちで家路に就いた。
午後はひたすら読書。津村節子の「絹扇」を読了する。
明治、大正と福井の機織業に身を捧げた一人の女性が主人公であった。
7歳の頃から家業の機織業を手伝っており小学校へも通えなかった。
福井では機織りが出来るようになって一人前の女と認められる。
男児は家業の役には立たず女児は一家の貴重な働き手であったらしい。
現在の福井に機織業がどれくらい残っているのか知る由もないけれど
福井は私にとって特別な地でありいつか必ず訪れてみたい町である。
と言うのも福井市には20年来の友人が住んでおり
電話で声を聴くことはあっても一度も会ったことがないのだった。
それも次第に間遠になり昨年からとうとう音信不通になってしまった。
メールをすれば返事が来るだろうけれど敢えてそれをせずにいる。
縁の断捨離ではないけれど私がそれだけ年を取ったからだろう。
繋がっていたい気持ちはあるけれど「もういいかな」と思ったりもする。
おそらく友人も同じ気持ちなのではないだろうか。
潔く別れることも必要に思う。縁を切るのも人生の節目であろう。
あとどれくらいの人生なのか分からないけれど
日本海に沈む夕陽を夢のように心に描き続けている。
雪深い福井にもきっと春が訪れることであろう。
二十四節気の「雨水」雪が雨に変わる頃とされ春の兆しを感じる。
雨の一日になったけれどさほど冷たい雨ではなかった。
冬と春がせめぎ合っており闘うほどではないにしても
暴れようとする冬を春が宥めているようなこの頃である。
土曜日は毎週休ませてもらっているのだけれど
急ぎの仕事があり午後から職場に行っていた。
午前中に買い物を済ませ図書館へも行き
早めに昼食を済ませカーブスへ行く。
やはりお昼時は空いておりほっと安心するのだった。
仕事は二時間程であったが車検の完了した車があり
陸運局に提出する大切な書類を書かなければいけなかった。
「保安確認適合証」と言い確かに車検を受けた証拠になり得る。
三枚複写になっており二枚目を陸運局に提出し
三枚目にはその日から二週間後の日付を朱色で記し顧客が保存する。
その二週間の間の車検証の替りになるものであった。
自賠責保険がその二週間に満たない場合は「検査申請最終日」が必要。
たとえば令和6年3月3日で自賠責保険が切れてしまう場合は
2日足らない事になるので最終日を3月3日としなければならない。
小難しい事を書いてしまったがそう言う決まりになっており
顧客の殆どがそのことを知らないのが実情である。
車検を受けたからもう安心ではないのだった。
その安心を決して裏切らないことが車検場の大きな役割だと思う。
母が現役だった頃は母の仕事だったけれど
今は私の仕事になっており書類を書く時はやはり緊張する。
常に慎重であらねばならずうっかり間違えることは許されない。
責任と誇りを持って全うしなければいけないと肝に銘ずる。
ふといったいいつまでだろうと思う時もあるけれど
自分に与えられた仕事だと思うと有り難くもある。
今日もお客さんが「頼んだよ」と車検受けの車を預けてくれた。
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