ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年02月22日(火) 天然パーマ

やはり風は冷たく。それでいてたっぷりの陽射しが降り注ぐ。

2月も残り少なくなり弥生三月を心待ちにしている。

もう冬だとは言わせない。早春に思いを馳せるばかりであった。



今朝は登校間際になりあやちゃんが「行きたくない」と言い出す。

理由を訊けば髪型が気に入らないとのこと。

昨夜はあんなに喜んでいたのにどうしたことだろうか。

友達の反応が気になっていたのか照れくさかったのかもしれない。

少女の心は複雑でとても繊細であるらしかった。

気になりながら先に出勤したのだけれど

遅刻しながらもなんとか学校へ行ったことを後になって知る。


年頃になってくると髪型にもこだわるようになり

私も小中学生の頃ずいぶんと苦労したものだった。

母譲りの天然パーマでそれもなぜか前髪だけカールしていたものだから

散髪屋さんへ行くと女性の理容師さんに嫌味を言われたことがあった。

ちょうど友達と一緒に行っていたのを「この子の髪はどうしようもない」と

さすがにプロだから髪を切りなんとか整えてくれたのだけれど

子供心にひどく傷ついたことを今でも忘れられずにいる。


後で知ったのだけれどその理容師さんはM兄ちゃんが好きだったらしい。

母とM兄ちゃんの事がその頃にはもう噂になっていたのだろう。

私は憎き敵の娘だったようで髪に触れるのも嫌だったのかもしれない。


中学に入学してすぐに職員室に呼び出された。

前髪にだけパーマをかけているのかとひどく叱られたのだった。

その時には母が学校へ直談判に行ってくれて助けてくれる。

堂々としていれば良いとなんと心強かったことだろう。


成長するごとに髪質が変わったのか高校時代には前髪も気にならず

今この年になれば髪のボリュームは全く無く分け目も薄くなる。

その上に白髪が目立ちまあ年相応と言うところだろう。


娘は隔世遺伝か天然パーマで苦労していたけれど

今はストレートパーマという優れた技術があるらしい。


孫たちは二人ともさらさらの黒髪。遺伝には縁がなさそうだ。

あやちゃんの髪型は好評だったのか笑顔で「ただいま」と帰って来る。











2022年02月21日(月) 女の髪

陽射しはたっぷりとあったけれど風はまだ冬の名残り。

北日本は猛吹雪とのこと。南国のなんと恵まれていることだろう。

雪の怖さを知らずにいてのほほんと過ごすのも心苦しいものだ。



仕事から帰宅したら娘の車があり今日は休みだったようだ。

今朝家を出る時に「お先に出るよ」と声をかけたのだけれど

「はいな」と言ったきり休みとは一言も言わなかった。


孫達が帰宅するなり娘があやちゃんを美容院へ連れて行く。

ぼさぼさに伸びていたのをやっと切る気になったようだ。

どんな髪型になっているのかとなんだかわくわくしながら待っていた。

10センチ位切ったようでずいぶんと軽やかでなんと可愛らしいこと。



私も昔は長い髪で二度ほどばっさりと切ったことがある。

一度目は確か19歳の頃。最初の結婚前ではなかっただろうか。

あまりにも色んなことがあったので心機一転のつもりだったのかもしれない。


二度目は38歳頃だったと記憶している。まだ艶やかな黒髪だった。

今思えば愚かな事だけれど切った髪を捨てることが出来ずに

美容師さんに束ねて貰ってその髪を持ち帰ったのだった。

20センチ程あったと思う。それは女盛りの証でもあったのだ。


数年前に断捨離をした時に細長い箱を見つけて「何だろう?」と

蓋を開けてびっくりした。思わず不気味さが込み上げて来る。

それは自分の髪ではあったけれど嫌悪感さえ感じたのだった。

正直言って二度と見たくないと思ったのは言うまでもない。

かと言って不思議と切なさが込み上げて来る。

その時の複雑な気持ちはとても言葉には出来ないものであった。


「さっさと捨ててしまえ」潔くごみ袋に放り込んだ。

太古の昔から髪は女の命と言われているけれど今はどうなのだろう。

白髪だらけの髪をかき上げてもただただ虚しいだけだった。


けれどもそれが年相応の事と誇りを持てないこともない。

老眼鏡をヘアーバンド代わりにしながら今日も仕事に励んだ。








2022年02月20日(日) 日本海の夕陽

曇りのち晴れ。時雨れたり小雪が舞ったり強風が吹き荒れる。

夕方には風がおさまり穏やかな夕焼け空が見えた。


朝のうちにお大師堂へ。やっと花枝(しきび)を活け替える。

千両はまだ紅い実をつけていたけれどさすがに正月飾りで

思い切って捨ててしまった。ずいぶんと長いこと持ってくれたものだ。

川のせせらぎの音を耳に心地よく拙い般若心経を唱える。

最後は「我らと衆生とみな共に仏道を生ぜんことを」で終る。

花枝を新しくしたせいかとても清々しい気持ちで家路に就いた。



午後はひたすら読書。津村節子の「絹扇」を読了する。

明治、大正と福井の機織業に身を捧げた一人の女性が主人公であった。

7歳の頃から家業の機織業を手伝っており小学校へも通えなかった。

福井では機織りが出来るようになって一人前の女と認められる。

男児は家業の役には立たず女児は一家の貴重な働き手であったらしい。

現在の福井に機織業がどれくらい残っているのか知る由もないけれど

福井は私にとって特別な地でありいつか必ず訪れてみたい町である。


と言うのも福井市には20年来の友人が住んでおり

電話で声を聴くことはあっても一度も会ったことがないのだった。

それも次第に間遠になり昨年からとうとう音信不通になってしまった。

メールをすれば返事が来るだろうけれど敢えてそれをせずにいる。

縁の断捨離ではないけれど私がそれだけ年を取ったからだろう。

繋がっていたい気持ちはあるけれど「もういいかな」と思ったりもする。

おそらく友人も同じ気持ちなのではないだろうか。

潔く別れることも必要に思う。縁を切るのも人生の節目であろう。


あとどれくらいの人生なのか分からないけれど

日本海に沈む夕陽を夢のように心に描き続けている。


雪深い福井にもきっと春が訪れることであろう。



2022年02月19日(土) 私の仕事

二十四節気の「雨水」雪が雨に変わる頃とされ春の兆しを感じる。

雨の一日になったけれどさほど冷たい雨ではなかった。

冬と春がせめぎ合っており闘うほどではないにしても

暴れようとする冬を春が宥めているようなこの頃である。



土曜日は毎週休ませてもらっているのだけれど

急ぎの仕事があり午後から職場に行っていた。

午前中に買い物を済ませ図書館へも行き

早めに昼食を済ませカーブスへ行く。

やはりお昼時は空いておりほっと安心するのだった。


仕事は二時間程であったが車検の完了した車があり

陸運局に提出する大切な書類を書かなければいけなかった。

「保安確認適合証」と言い確かに車検を受けた証拠になり得る。

三枚複写になっており二枚目を陸運局に提出し

三枚目にはその日から二週間後の日付を朱色で記し顧客が保存する。

その二週間の間の車検証の替りになるものであった。

自賠責保険がその二週間に満たない場合は「検査申請最終日」が必要。

たとえば令和6年3月3日で自賠責保険が切れてしまう場合は

2日足らない事になるので最終日を3月3日としなければならない。


小難しい事を書いてしまったがそう言う決まりになっており

顧客の殆どがそのことを知らないのが実情である。

車検を受けたからもう安心ではないのだった。

その安心を決して裏切らないことが車検場の大きな役割だと思う。


母が現役だった頃は母の仕事だったけれど

今は私の仕事になっており書類を書く時はやはり緊張する。

常に慎重であらねばならずうっかり間違えることは許されない。

責任と誇りを持って全うしなければいけないと肝に銘ずる。


ふといったいいつまでだろうと思う時もあるけれど

自分に与えられた仕事だと思うと有り難くもある。


今日もお客さんが「頼んだよ」と車検受けの車を預けてくれた。



2022年02月18日(金) 神さま仏さま

氷点下の朝。夜明け前にはおぼろに満月が仰ぎ見られ

冷たさも忘れてほっこりと心を和ませていた。

「スノームーン」と言うらしい。誰が名づけたのだろうか。

英語よりも日本語の方がしっくりと馴染む気がする「雪の月」



出勤前に息子から慌てた様子で電話があり

お嫁さんが発熱でぐったりしているとのこと。

コロナかもしれないと言うので緊張が走る。

病院に連絡したらすぐにPCR検査をしてくれるらしく

今からすぐに連れて行くからと電話を切った。


けい君は念のために学校を休ませ独りで留守番をさせるとのこと。

それも心配ではあったが手も足も出せない状態である。

息子はコロナと決めつけているようでもあったけれど

私は絶対にそうではないと信じる気持ちが大きかった。

殆ど寝たきり状態のお嫁さんが外出することも稀なことで

家族以外と接触することもないのが救いに思えたのだ。

家庭内感染も考えられるけれど息子もけい君も元気だったのだ。


10時頃息子から連絡があり検査の結果は陰性とのこと。

風邪薬と解熱剤を処方してもらい数日の様子見となる。

息子の声は弾んでおりどんなにかほっとしたことだろうか。

私もすぐにじいちゃんに連絡し「よかった、よかった」と言い合う。


もし陽性だったらパニック状態になるところだった。

息子もけい君も感染を免れなかったことだろう。

けい君の登校の手助けをしているじいちゃんも濃厚接触者となる。

そうなれば我が家への飛び火も在り得ることだったのだ。


三寒四温の季節の変わり目。迂闊に風邪も引けないご時世である。

体調を崩さないよう身を引き締めて用心しなければいけない。


今日の高知県の感染者222名。そのうち我が市は6名であった。

終らないコロナはないと信じてはいるけれど不安はつのるばかりである。

もはや神や仏に縋るしかないのかもしれない。







2022年02月17日(木) いたずら電話

今日も真冬の寒さとなり山里では薄っすらと雪が積もる。

午後には雲ひとつない青空となり陽射しのなんとありがたいこと。

職場の庭の紅梅の花が嬉しそうに微笑んでいた。



お昼休みに母から着信あり。出たらすぐに切れたので折り返しかける。

側に先日の介護士さんと思われる男性の声がしていて

母はしきりに「嫌ちや」と叫んでいるのだった。

そうして私には「これはいたずら電話やき」と告げるのである。

どうやら介護士さんから電話をかけるようにと言われたらしく

先日私が涙を見せたりしたものだから気を効かせてくれたのだろう。

仕事も忙しいだろうに有り難い心遣いであった。


けれども母は特に話したいこともない様子でそれは私も同じ。

ただ声を聴くだけでそれはつかの間のことであった。

「いたずら電話か」思わず笑みがこぼれずにいられない。

それは母のお茶目ぶりを垣間見たような気がした出来事であった。



母と私の声はとても似ているらしくよく間違えられる。

不思議なもので自分の声と言うものは自分にはよくわからない。

以前に娘が何かの動画を再生していた時に自分の声を聴いたのだけれど

まさしくそれは母の声とそっくりで自分で驚いたことがある。

声帯が酷似しているのだろう。やはり血を分けた母娘なのだった。

電話だと同じ声で語り合うことになりそれも愉快に思える。


母からまた「いたずら電話」がかかってくれば良いなと思った。

「じゃあまたね」とあっけなく電話は切れてしまったけれど

母の声はいつ聴いても懐かしくそれは私自身の声でもあった。





2022年02月16日(水) 貧乏万歳

昨日とは打って変わって北風が吹く寒い一日。

陽射しはあったけれど時おり小雪が舞っていた。

三寒四温とはよく言ったものだと思う。

また暖かい日が巡って来ては春めいてくるのだろう。



帰宅したらポストにガスの検針票が入っていた。

料金を見てまた驚愕が走る。なんと3万円を超えていた。

先日の電気料金と同じで我が家の最多記録である。

灯油代、水道料金と併せると光熱費はほぼ10万円に達する。

「かかってこいや」と意気込んでいたけれどすっかり負けた気分になった。


もうこうなれば仕方なく耐え忍ぶしかないのだろう。

やはり娘にはどうしても言えず後は私のやりくりにかかっている。



高校生の時だったか空き巣に入られたことがある。

父から預かっていたひと月分の食費をごっそりと盗まれてしまったのだ。

勉強机の引き出しに封筒に入れしまっておいたのだけれど

犯人は私が主婦業をしていることを知っていたのだろうか。

警察のお世話にはなったものの当然のように犯人は捕まらなかった。


父も頼りなくおそらく蓄えもなかったのだろう。

なんとかわずかの生活費の中から食費を工面することになった。

私が決めたのは一週間を千円でやりくりすることであった。

それが少しも苦にならずむしろ面白くもあったのだ。

食べ盛りの弟も我慢をしてくれてそれが張り合いにもなった。

肉や魚はもっての他で野菜ばかり食べていた記憶がある。

夏の事だったのか頂き物の茄子を三日続けて食べたりした。

やっと父の給料日が来た日には達成感で満たされていたのだった。

どんな苦境に立たされても「やれば出来る」と言うことだろう。


今は娘夫婦や孫達の手前もあり食費の節約はなかなかに難しい。

まして家計のピンチを悟らすことも出来ず苦しい立場である。

それでも少しでも安い食材で美味しい物を作ろうと努力している。

半額の物は必ず買いそれを元にメニューを考えたりするのだった。


お金はあるに越したことはないけれど貧乏もまんざらではない。

毎日働くかいもあるし何よりもお金の有難味を感じることが出来る。

「貧乏万歳」で乗り越えて行こうと思っている。




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