雨のち晴れ。音もなく静かに降る雨に春の兆しを感じる。
午後は陽射しに恵まれずいぶんと暖かくなった。
お客さんが去年のだけれどと塩漬けの筍を届けてくれる。
三日ほど塩抜きをしたらしいがまだ少し塩味が残っている。
あと二日程だろうかと帰宅するなり水に浸してみた。
私は筍が大好物なのでなんとしても食べたくてならない。
筍は砂糖をまぶして冷凍保存するのが一番だった。
煮る時にダシとお醤油さえ入れればすぐに食べられる。
これは母から教えてもらったことで娘にも伝授しておきたいこと。
まだ山菜の季節にはならないけれど
子供の頃には母と一緒によく山菜採りに行ったものだった。
「いたどり」「わらび」「ぜんまい」「ふき」
いたどりはそのままでも食べられるのでおやつ代わりにもなった。
茎のあたりが少し赤みを帯びているものが特に美味である。
他県ではあまり食べられていないようだけれど
高知では春を代表する山菜であった。
筍は山菜ではないのかもしれないけれど山の幸である。
まだ土に埋もれているのを掘り出すととても柔らかい。
子供の頃に掘った記憶はなくこれは父の楽しみだったのだろう。
ドラム缶で作った竈に大きな鍋を据え薪をくべてぐつぐつと煮る。
それを近所の人達と分け合って食べたことを憶えている。
筍は3日位食べ続け最後には天ぷらにするのだった。
今は山菜採りなど縁が無くもっぱら地場産市場で買い求めるばかり。
灰汁抜きもしてありすぐに煮られるのでとても重宝している。
けれども子供の頃の山菜採りを懐かしく思い出すのだった。
父がいて母がいて弟もいた。故郷の山は今も確かにあるだろう。
家族がばらばらになることなど思ってもいなかったあの頃。
母は憶えているだろうか。私が山道を駆け出そうとした時
「あぶないよ」と優しく声を掛けたことを。
曇りのち晴れ。午後になりやっと陽射しに恵まれる。
朝からの寒さに耐えていたかいがあると云うもの。
山里の神社の近くに毎年それは綺麗に花咲く梅の木があるのだけれど
そろそろ見頃ではあるまいかと思いつつ足を運べずにいる。
歳のせいだろうか最近は行動力が著しく衰えているようだ。
何をするにも億劫になり「まあいいか」と済ませることも多い。
そのせいか新鮮な出会いもない。心が浮き立つようなことも。
そのくせ欲深いものだからいつも何かを求めているふしがある。
「欲すれば損する」と云うけれどその損にも気づかないのだった。

村岡恵理の「アンのゆりかご」を読了。
NHKの朝ドラ「花子とアン」の原案になった本なのだけれど
原案と云うだけあってドラマとは多少異なる真実が書かれてあった。
たとえば幼馴染の「朝一」は架空の人物であったり
甲府には実家が無く花子は東京育ちであった。
ドラマではおかあの「ほうとう」を食べるシーンがよくあったけれど
それもおかあではなく教え子の家で食べたものだった。
戦時中憲兵だった兄も架空の人物で実際には兄は存在しない。
その他諸々ドラマでは演じられることが無かった花子の姿があった。
言い換えればドラマらしく脚色されていたのだろう。
それも作者の理恵さんの承諾を得てのことだろうと思われる。
原案となった作品を読まなければ真実は分かり得なかったことなのだ。
花子は昭和43年75歳で急逝している。
入浴中の脳血栓であっけなくこの世を去ってしまった。
翻訳中の作品を残したままどんなにか心残りだったことだろう。
世には多くの作品を残していたけれどまだまだ書きたかったと思う。
最期の事など誰にも予測が出来ない。
75歳。あと10年かとどうしても我が身に重ねてしまう。
それは「まあいいか」ではとても済まされないことであった。
霧雨降る一日。気温は低く寒かったけれど
柔らかで優しい雨に春の兆しを感じる。
きっと一雨ごとに春らしくなるのだろう。
朝の道に民家から少し外れた山沿いに小さな畑があり
季節ごとに衣替えをする案山子さんがいるのだけれど
数日前から倒れてしまって畑に横になっている。
今朝も目が合ったものだから起こしてあげたかったのだけれど
畑の周りには金網で柵を施してあり勝手に入るのも憚れる。
山沿いなので猪や鹿などが畑を荒らしていたのだろう。
案山子さんは雨の日も風の日も畑を守っていたのだと思う。
白菜や大根など冬野菜を植えてあり手入れも行き届いている。
けれどももしかしたら畑の主に何かあったのではなかろうか。
健在ならばきっと案山子さんを起こしてあげるに違いない。
以前にちらっと見かけたことがあるけれど高齢の女性だった。
あれこれと考えていると心配でならなくなる。

仕事が忙しく2時間の残業になった。
大急ぎで買物をして5時に帰宅する。
めいちゃんは近所のお友達の家へ遊びに行っていた。
日曜日の事が気になっていたけれど私の思い過ごしだったらしい。
一緒に宿題をしたのだそうで6時に笑顔で帰って来る。
今夜は娘むこが「しらすうなぎ漁」をお休みしたらしく
家族4人が揃っておりなんだかほっと微笑ましくてならない。
やはり父親の存在は大切。つくづくとそう思うのだった。
午後8時。眠くなるまで少し本を読みたい。
平日は思うように読めなくてなんとなく苛々してしまう。
活字中毒の禁断症状だと思われる。
床に就くといつも思う。明日はどんな風が吹くのだろうか。
氷点下の朝。夜明け前の空からしんしんと冬の声が聴こえる。
春は少し遠慮がちに近づいて来ているようだ。
踏み込めば争いになるかもしれないと危惧しているように。
今朝はめいちゃんに余計な事を言ってしまった。
昨日近所のお友達が遊びに来てくれていたのに
「今日は遊びたくない」と言って断ってしまったのだ。
その後まあちゃんが遊びに来てくれて外で遊んでいたので
近所のお友達がそれを見たらどんなに傷つくだろうかと思っていた。
お友達に「きのうはごめんね」ってちゃんと言おうね。
母親の娘が言わない事だからこそと思ったのだけれど
めいちゃんは私の顔を睨みつけて「ふん!」という顔をした。
そうして「そんなきぶんじゃなかったけん」と言い訳をする。
それ以上は何も言えなかったしなんだかとても悲しかった。
優しさとか思い遣りとかは押しつけてはいけないらしい。
そもそも母親が言わない事を祖母が言うべきではなかったのだろう。
子育てに口を出すな。それはじいちゃんの口癖でもあったけれど
一緒に暮らしているとどうしても老婆心のようなものが出て来る。
めいちゃんも自分が傷ついた時に初めて大切なことに気づくのだろう。
反抗期のあやちゃん。めいちゃんも後を追うように成長している。
抱っこして頬ずりをした日は昨日の事ように思うけれど
歳月は容赦ないほどに流れているのだなとつくづく思ったことだった。
今は娘と孫たちがお風呂に入っているのだけれど
お風呂上がりのすっぽんぽんの姿もしばらく見たことがない。
春は名のみの風の冷たさ。朝のうちはまた小雪が舞っていた。
それもつかの間のことで日中は陽射しに恵まれる。
午前中にやっとお大師堂へ。ご無沙汰を詫びるばかり。
日捲りの暦が2日のままになっており
お参り仲間さん達の足も遠のいていたのだろう。
とにかく「今日」にしなければと千切っていたら
うっかり間違えて明日になってしまったのだった。
それもご愛嬌とくすくすと独り笑いをする。
年末に活けた千両の実がまだこぼれもせずに残っており
捨てるのも惜しくそのままにしておく。
せめてお供えのお菓子を持参すれば良かったと少し悔やまれた。
拙いながらも般若心経。共に川のせせらぎの音が聴こえて来る。
なんだか後ろに誰かが居るような気がして振り向いたけれど
そこには誰も居なかった。川の声が聴こえていたのだろうか。
あまりにも遠のいていたものだから心苦しかったせいかもしれない。
午後はまたひたすら読書。村岡花子の「曲がり角のその先に」を読了。
偶然にも今日は花子の夫の村岡氏の命日であったらしい。
花子は昭和43年に急逝しているのだけれど
娘のみどりさんが「あとがき」を書いてこの本を刊行していた。
そのみどりさんも28年前に62歳の若さで亡くなっていたことを知る。
朝ドラになった「花子とアン」は花子の孫の恵理さんの著書
「アンのゆりかご」が原案となり放映されたのだった。
今日は図書館でそれを借りて来た。明日から読もうと思っている。
子から孫へと語り継がれた村岡花子の生涯。
ほんとうに貴重な本と出会えたものだと感慨深く思う。
「死ねばすべて終わり」なのでは決してないのだ。
そう思うと私にも微かに希望が湧いてくる。
「おばあちゃんがこんなものを書いていたよ」と
いつか孫が読んでくれる日が来るのかもしれない。
夜明けとともに雪が降り始める。
最初は風に舞う小雪だったけれど本降りの時間帯もあった。
積もることもなくはらはらと儚い雪にふと春の兆しを感じる。
あれはいつのことだったか3月に大雪が降ったことがあった。
季節はあなどれない。冬は何度も振り向きながら去って行く。
娘が「おでん」を食べたいというので
朝のうちに具材を買い込みすぐに煮込んでおいた。
家中に匂いが漂う。外は雪でまさに「おでん日和」である。
少し早めに昼食を済ませ意を決してカーブスへ行く。
肩凝りが酷くなりもう限界だと思えば自粛も出来ず
病院へ行くような気持ちで出掛けたのだった。
ちょうど12時だったせいかメンバーはわずかでほっとする。
行くからには密を避けねばならず最良の時間帯だったようだ。
何よりもわずか30分の筋トレで肩凝りはすっかり解消され
身体のダル重さも無くなり生き返ったような気分になった。
あまり神経質になってもいけないような気がする。
慎重に越したことはないけれど週に一度の「病院」だと思おう。
午後はひたすら読書。また貪るように読んでいた。
朝のうちに「智恵子飛ぶ」を読み終えていたので
村岡花子の「腹心の友たちへ」を読み始める。
エッセイ集なので興味深い内容が多くすぐに夢中になってしまった。
特に6歳の我が子を亡くされた辛さは「悲痛」としか言いようがない。
突然の別れだった。どれほどの悲しみに打ちひしがれた事だろう。
NHKの朝ドラ「花子とアン」を見ていたので思い浮かべつつ
ドラマが現実に忠実に表現されていたことを改めて知った。
ドラマでは腹心の友の「白蓮」が短歌を詠んでいたけれど
花子も数々の短歌を詠んでいたことを初めて知った。
図書館で何気なく手に取った本に「縁」のようなものを感じる。
きっと出会うべきして出会った貴重な本だったのだろう。
短歌を詠み詩を書くようになってもう半世紀が経った。
あとどれくらい書けるのか未来はありそうでとても儚いものだ。
私はいったい何処に向かおうとしているのかわからない。
吉村昭が「硝子瓶に詰め込んで海に流すようなものだ」と言ったらしい。
何処かの砂浜に流れ着き誰かの手に渡るのだろうか。
私の手元にはその硝子瓶さえもない。
立春。春の兆しが感じられる頃。
晴天となりあふれんばかりの陽射しに恵まれる。
気温は低目だったけれどずいぶんと暖かく感じた。
名ばかりの春と思えど一輪をこころに添えれば蕾ふくらむ
夜明け前にそんな歌を詠む。
我ながらなんとなく気に入ったので高知新聞に投稿してみた。
二週間後に掲載されなかったらまたボツなのだけれど
認められない事にもう慣れてしまった。
津村節子の「流星雨」を読み終えてから「智恵子飛ぶ」を読んでいる。
高村智恵子の女学生時代からのことが書いてあり興味深い。
もう後半まで読み進めたけれど芸術家としての智恵子の苦悩。
「私には才能がない」と嘆き苦しむ場面では胸が詰まる思いだった。
認められたい欲は誰にでもあるものだろうけれど
人一倍プライドの高い彼女はどんどん追い詰められて行く。
肋膜炎を患った後に自殺未遂をはかり一命をとりとめたものの
やがて精神を病むようになってしまうのだった。
脆く壊れてしまいそうな硝子細工のような智恵子に
夫の光太郎は誠心誠意尽くし支えようと努力するのであった。
私のようなものが口にするようなことではないけれど
智恵子の苦悩が身に沁みるように解るのである。
どんなにあがいても「認められない」ことは矢のように胸に刺さる。
どれほどの励ましも慰めも所詮は「孤独」に繋がるのだろうと思う。
独りきりで背負わなければいけない大きな荷のようなものだ。
きれいさっぱりと捨ててしまえるようなプライドなら
しがみついて縋りつくような愚かな真似はしないだろう。
けれども落とせば粉々に壊れてしまうことを知っている。
私も硝子細工のように生きているらしい。
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