ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年01月25日(火) 白湯

目覚めた時には霧雨が降っていた。

今日もすっきりとしない空模様となり夕方になり夕陽が見える。




コーヒーが好きで多い時には一日に5杯は飲んでいる。

朝のうちに3杯。職場で2杯と言ったところだろうか。

さすがに飲み過ぎだと自覚しており合間に白湯を飲むことが多い。

コーヒーを飲み終わった後や昼食時にも白湯を飲む。

飲み慣れるとお茶よりも美味しく感じるのは不思議なことである。

白湯が特に身体に良いとは思えないけれど冬場は身体が温まる。

熱々の白湯が胃に沁み込むように流れ込む感覚が好きなのだ。

「入っているな」と思う。どうやら心にも胃があるらしい。


昨日のこと某SNSで親愛なる詩人のめいさん(白井明大さん)が

「白湯で一服しているところ」と呟いていてなんだかとても嬉しかった。

詩人仲間としては永遠に認められることはないけれど

白湯仲間なのだなと思った。一緒なんだなと思った。

偶然にもその時私も白湯を飲んでいたから尚更のことである。


私はそれくらい単純に出来ている。いわゆる単細胞なのだ。

だからいつまでたっても「詩人」にはなれない。

そんな私の愚かさを一番知っているのがめいさんだとさえ思う。


認められたい欲はもうすっかり薄れた。

それでももしかしたらと思う希望は捨てきれずにいる。


無色透明の白湯のように生きられたらどんなに良いだろうか。



※書き終わってから白湯について調べてみたら

水が沸騰してから50℃程まで冷ましたものが白湯なのだそうです。

だから私が飲んでいたのはただの「お湯」だったようです。

またその白湯は身体にも効用があるとのことです。

すでに書いてしまったので記事の訂正はしませんが

無知無学な私をお許し下さいませ。









2022年01月24日(月) 損して得取れ

曇り日。夕方には西の空だけ晴れて夕陽が見られた。

明日は朝からきっと青空になるだろう。


また新しい一週間が始まる。すくっと前を向きながらも

毎日がスローライフならどんなに良いだろうかと思った。

出勤までの時間はとても慌ただしく気忙しくてならない。



職場は朝から来客が多く活気に満ちていた。

そうなると私も仕事の虫が動き出し自然と笑顔になるのだった。


昨年秋に新車を購入してくれたお客さんのバックドアに大きなへこみ。

お客さんは高齢者で誤って何処かにぶつけてしまったらしい。

修理をすればお金がかかるだろうとすでに諦めている様子だった。

それを社長である義父がわずか30分程で修復したのには驚く。

へこみは殆ど目立たなくなり完璧な職人技であった。

「お金はいいよ」と義父。私もそう言うだろうと思っていた。

義父は日頃からサービス仕事が多く手間を惜しまない人であった。


その後、懇意にしている建設会社の社長さんが珍しい機械を持って来る。

工事現場で使う機械らしくエンジンがかからなくなったらしい。

格闘すること二時間程だったろうか、大きなエンジン音が工場に響く。

それはさすがに少しくらい請求しても良いのではと思ったのだけれど

「また飲みに行こうや」と義父は笑いながら告げるのだった。


商売には「損して得取れ」という諺がある。

労力を惜しまず多少の損をしてもそれは必ず倍になって返って来るらしい。

常連のお客さんなら尚更のことで奉仕は当然の事なのだろう。


母が現役だった頃はそれが理解できず義父との確執も大きかったようだ。

私は大いに理解できる。いくらでも損をしようとさえ思える。

何よりもお客さんの笑顔が「得」に思えてならないのだった。


商売は面白い。つくづくそう思った一日だった。











2022年01月23日(日) 慈雨

静かに優しい雨の一日。まるで春先の雨のようであった。

ずっと空気が乾燥していた日が続いていたので

「慈雨」と言うべきなのかもしれない。

四万十川にかかる沈下橋も橋桁が剥き出しになっていたようで

川の水量が著しく減少している証であった。

菜種梅雨にはまだまだ早いけれど程よい雨が必要なのだろう。



伯母の49日の法要が菩提寺でありじいちゃんが出掛ける。

コロナ禍の事で最小限の人数で執り行うとのこと。

お葬式にも参列できなかった私は伯母の遺影にさえ会うことが叶わず。

帰宅したじいちゃんに聞けば孫やひ孫達の姿もなかったそうだ。


49日になると魂は三途の川を渡るのだと言う。

川船で釣りに行くのが好きだった伯父が迎えに来ていただろうか。

そうして天国で穏やかに暮らせるのならもう言う事は何もない。


私は輪廻転生を信じていて魂は必ず生まれ変わると思っている。

ソウルメイト。ツインソウル。今はもう死語に等しいかもしれない。

けれども切っても切れない縁は必ずあるのだと信じてやまない。

「赤い糸で結ばれていた」という表現もあるように

ひとは出会うべきものとして出会うものなのではないだろうか。


そんなことを考えていると「死」は決して怖ろしいことではなく

魂は浄化され再び生を受ける望みも無いとは言い切れないだろう。

けれども死ぬのはやはり怖くてならない。そんな矛盾を抱えつつ

せめて与えられた命を全うしようと躍起にならざるを得ない。


脚光を浴びるわけでもなくひたすら地味な道をこつこつと進む。

「死んだら何も残りはしない」とある亡き作家の言葉にあるけれど

その作家は今でも脚光を浴びていることを知っているのだろうか。


私もずいぶんと老いぼれて来たけれど

枯野の尾花にも降り注ぐ雨があった。





2022年01月22日(土) 不安よりも希望を

晴れのち曇り。明日は雨になるらしい。

一雨ごとに春に向かうような優しい雨であることを願っている。


昨夜は深夜に豊後水道を震源地とする地震があった。

熟睡していたのをケイタイの地震アラートで飛び起きる。

その後すぐに揺れが襲って来たけれどかなりの横揺れで怖ろしかった。

二階では娘婿が叫び声をあげていて娘が子供達を庇っていたようだ。

四万十市では震度5弱。大分や宮崎では震度5強だったとのこと。

南海トラフとの関連性も考えられ大きな不安となってしまった。


幸い被害はなく夜が明ければ何事も無かったように平和であった。

余震が7回程あったらしいが身に感じない程の弱いものだった。



ちょうど今読んでいる本が津村節子の「三陸の海」であり

東日本大震災で津波に襲われた岩手県の田野畑村の事を書いてある。

偶然ではあるけれどもしも大地震が襲って来たらと考えずにはいられない。

津波は避けられないだろう。家も失ってしまうかもしれない。

命だけはなんとしても守らなければいけないとひたすらに強く思う。

それは今夜かもしれないし明日かもしれないことだった。

そんな大きな不安に立ち向かっていかなければいけないのだろう。


田野畑村は奇跡的な復興を成し遂げ今は観光地として栄えているらしい。

その様子を田野畑村役場のホームページで見たのは昨日のこと。

どれほど大きな打撃と悲痛を味わった事だろうと思う。


ひとはみな弱いけれど希望さえあれば強くなれるのではないだろうか。


明日は我が身と思いつつ今日の平穏無事をかみしめていた。



2022年01月21日(金) 母の椿

氷点下の朝が続いている。

山里は平野部よりも気温が低く8時半にマイナス3℃だった。

事務所のエアコンを28℃に設定してもお昼にやっと20℃。

同僚は暖房器具など無い工場でどんなにか寒かったことだろう。


そんな寒さのなか庭の椿の花が一輪だけ咲いていた。

傍らには蕾がたくさんありまるで希望のようにふくらんでいる。

椿の花は咲き終わるとぽとんと落ちてしまうので

縁起が悪いようにも言われるけれど私は好きだなと思う。

34年前に私が勤め始めた頃からあった椿の木なので

きっと若かりし頃の母が植えていたのだろうと思われる。

母も椿が好きだったのだろう。私達はやはり似ているのかもしれない。


17歳で父と結婚した母はずっと官舎住まいだった。

平屋だったけれど猫の額ほどの庭しかなかったと記憶している。

物干し台を置くだけで精一杯で植物を植えていた記憶はない。

当時は樹木を植えるなどとんでもない事だったのだろう。

ましていつ転勤になるか分からない。家はあくまでも借家であった。


そんな母が義父と再婚して広い庭を手に入れたのだ。

やまももの木。ねむの木。芙蓉の木。紫式部の木。梅の木。

そうして椿の木とどれほど嬉しかったことだろうと思われる。

私は20歳になって初めてそんな母の事を知ったのだった。


数年前の入退院を繰り返していた頃には樹木を我が子のように気遣い

誰も手入れをする者が居ない事を嘆いていたこともあった。


私は敢えて何もしなかった。忙しくてそれどころではないのは言い訳。

ただ花が咲けば母を想う。母の花なのだなと愛しく思って来た。


椿の木も周りは枯草に覆われているけれど

「今年も咲いたよ」と知らせてくれる母の声のようでもあった。









2022年01月20日(木) 春は遠からず

二十四節気の「大寒」一年で最も寒い頃となる。

けれども三寒四温のたのしみもあり

「ふきのとう」の咲く頃でもあるらしい。

日も次第に長くなり陽射しにも恵まれることだろう。

春は遠からずである。希望を持って歩んで行かなければいけない。



仕事が大忙しだった一日。お昼休みも無く走り回っていた。

速達郵便を出しに郵便局に行ったら局長さんが応対してくれて

優しい労いの言葉をかけてくれて嬉しかった。

「僕もまだお昼ご飯食べていないよ」と二人で笑い合った。

山里の郵便局は人情味に溢れていて行く度にこころが和む。


それにしても今日は疲れたなと帰宅したら

娘が休みだったらしく洗濯物をたたんでくれていた。

そんなささやかなことが私の幸せなのだろう。

肩の力がすうっと抜ける。ふにゃふにゃのクラゲみたいになる。



今夜は孫たちのダンス教室の日なのだけれど

めいちゃんは気がすすまないのかお休みをした。

晩ご飯もまだ食べたくないと言って独りで部屋に閉じこもっている。

あやちゃんのような反抗期ではないと思うのだけれど

気になってしょうがなく何度も様子を見に行くばかり。

後30分もすれば娘たちが帰って来るだろう。

どうかしっかりと晩ご飯を食べてくれますように。


なるべく干渉をしないように心掛けているけれど

老婆心というものだろうか。お節介が度を過ぎる時もある。


それだけ愛しい存在なのだろう。無視などどうして出来ようか。

近すぎてもいけない。遠すぎてもいけない。

ちょうど良い距離というものは難しいものだなとつくづく思う。



2022年01月19日(水) 夢で会いましょう

今朝は今季一番の冷え込みだったようだ。

明日は「大寒」その山を越えればとひたすら思っている。

一歩一歩確実に春に向かっているのだろう。

土佐清水市ではもう白梅の花が咲き始めているらしい。



今日は母を腎臓専門の病院へ連れて行く予定だったけれど

ここ数日のコロナ拡大を受けて延期することになった。

施設側も外出を避けたいとのこと尤もなことだと思う。

心臓の上に今度は腎臓。母が憐れでならない。

最悪の場合は人工透析をしなければいけないそうで

もしそうなれば施設も転居しなければいけなくなる。

それだけは避けたいと思っていたのだけれど

ケアマネさんからは「命を優先するべき」と言われている。

とりあえず延期になったとは言え深刻な事態には変わりない。


あっけらかんとしている母は何も知らなかった様子で

先日電話で話したら寝耳に水のごとくで「嘘でしょ」と言う。

施設からも主治医からも腎臓の「じ」の字も聞いたことがないと。

それは私も意外であった。真っ先に母に伝えるべきではないかと思う。

認知症ならともかくとして母はまだ聞き分けることが出来るのだ。

いきなり人工透析と告げるほうがよほど酷なことに思える。



母との面会はしばらく叶わなくなったけれど

私の夢にはよく現れて一緒に仕事をしている。

遠い昔の母に遡ることはなくほんの数年前の母の姿であった。

私達は夢の中でも言い争い喧嘩ばかりしている。

母が私の仕事の邪魔をして困らせてくれるのだった。

いつぞやはあまりに腹が立ち母を突き倒したこともある。


さすがに目覚めが悪くひどく後悔するのが常であった。

憎しみなどこれっぽっちも無いはずなのにどうしてだろう。

何かトラウマのようなものがあるのなら拭い去りたいものだ。


もしも今夜会えたなら優しい言葉をかけてあげよう。

仕事なんかもうしなくてもいい。

微笑み合いながら昔話でもしましょう。ねえお母さん。


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