気温は低目だったけれど陽射しに恵まれた一日。
強風注意報が出ていた割にずいぶんと暖かく感じる。
いつものように4時に目覚めPC画面と向き合っていたのだけれど
雑念と言うものだろうか気分が散漫とするばかりで集中出来ない。
思うがままに書いてはみたものの陰鬱とした言葉の羅列だった。
「こんなものを」と思い躊躇いもせずにすぐに削除する。
どうやら昨夜ここに書いた「馬の骨」に拘っていたらしい。
今朝になり書かなければ良かったとひどく後悔していた。
何を書いても自由とは限らない。思い遣りに欠けていたと思う。
きっと気分を害された方もいることだろうと察している。
本音は矢にもなり胸を刺すことを忘れてはいけない。
だからと言って綺麗ごとばかりでは済まないのだけれど。
20年この日記を書き続けて来て壁にぶち当たったようにも思う。
穏やかな日常のこと。家族のことを書けない訳でもない。
無意識のうちにそんなことから遠ざかろうとしていたのだろうか。
理解に苦しむ。私自身がその理由に気づかずにいるのだった。
波のようなものがあるのなら身を任せたい。
ゆったりとした気持ちで言葉を綴れたらどんなに救われるだろうか。
曇り時々晴れ。陽射しはあったけれど風がとても冷たかった。
阪神淡路大震災から27年目の朝。
神戸在住の若者たちが震災の記憶を風化させまいと
街頭インタビューをしている映像が流れていたけれど
「思い出したくない」と応える事を拒否する人が多かった。
それだけ震災の傷跡が根強く残っているのだろう。
決して忘れられない事だからこそ口に出来ないことなのだと思う。
神戸の街は復興しているように見えるけれど未だ傷跡は癒えていない。
某SNSでは今朝も「素敵な一日を過ごしましょう」と言う。
もちろん阪神忌に対しては一言も触れることはなかった。
そんな人達が溢れていることに私のストレスはまた増加する。
顔も本名も年齢も居住地も分からないことがそれに拍車をかける。
昔Rが言った「どこの馬の骨だか分からない」その言葉を思い出した。
Rはどうしているのだろう。無性に声が聴きたくてたまらない。
音信不通になってからもう10年が近くなった。
歳を重ねるごとにネット空間での出会いに臆病になっている。
信頼できる人はほんの一握りに過ぎない。
浅く広くが理想なのかもしれないけれどそれが上手く出来ない。
だからと言って深く親密になることを避けようとしている。
そこまでは許すけれどここからは許さない。
そんな境界線を引かなければいけないのだと思うこともある。
所詮私も「馬の骨」なのだ。
真夜中にけたたましいサイレンの音。
すぐに市の防災無線放送が流れ「津波」だと言う。
地震でもないのにどうしたことかとテレビを点けたら
トンガで海底火山が噴火しその影響らしかった。
市はしきりに避難を呼びかけていたのだけれど
海岸からは離れた地域なので大丈夫だろうと再び眠りに就く。
けれども海苔の養殖場の事が気がかりでならなかった。
過去に2回。チリ沖地震の津波と東日本大震災の津波で
大きな被害を被ったことが忘れられずにいた。
特に東日本大震災の時はわずか50センチの津波だと言うのに
海苔は壊滅状態となり漁場は惨憺たる有り様であった。
夜が明け次第に様子を見に行くつもりでいたけれど
その前に従兄弟から電話があり川船が危ないと言う知らせ。
大急ぎで船着き場まで駆けつけ船を陸に上げる作業をした。
その時に川の水が凄い勢いで逆流しているのを目の当たりにする。
満潮時のはずなのに潮が引きその後すぐに押し寄せてくるのだった。
東日本大震災の時とは明らかに違う潮の流れに驚く。
恐怖心が募り足が震えるほどだった。とても異常な光景である。
無事に皆の船を陸に引き上げすぐに漁場の様子を見に行く。
水嵩があり網の状態は確認出来なかったけれど
漁場の竹杭はしっかりと立っており海苔が無事である事を確信した。
ちょうど燃えるように紅い朝陽が昇り始めた時だった。
漁場は茜色に染まりまるで希望のように輝いていた。
海苔の生育が著しく遅れているのが幸いしたのだろう。
順調に生育していたら被害は免れなかったと思う。
皮肉な事ではあるけれどとにかく無事で何よりと思うしかない。
海苔のこども達は試練を乗り越えて強くなったのかもしれない。
津波をきっかけとしてぐんと逞しくなってくれる気がする。
だから決して諦めてはいけないのだと心に誓うように思った。
午後には津波注意報も解除され平穏な夕暮れ時となる。
明日は「阪神忌」ふと南海トラフ大地震が不安になったけれど
きっと平穏な朝を迎えられるだろうと信じてやまない。
氷点下の朝。曇りのち晴れて穏やかな冬日和となる。
夜明け前いつものように短歌のようなもの詩のようなものを
某SNSに書き込んだのだけれど
すぐに反応してくれた方から「冬の声とはどんな声でしょう?」と
質問を受けた。それは素朴な質問だったのかもしれないけれど
私は素直に受け止められずそれを「指摘」だと思い込んでしまった。
拙さ未熟さに対する「責め」のように感じたのだった。
そうしてこの歳になってもこの有り様だとつい嘆いしてしまったのだ。
劣等感が強いくせにプライドが高い。その心理状態が測りかねる。
私はいったい何を求めているのだろう。それさえも解らなかった。
確かに冬の声など聴こえないのかもしれない。
けれども感じることは出来る。しんしんと深い情景が浮かぶ。
それは叫び声かもしれないし吐息のような呟きかもしれない。
愚かな事だと分かっていてもそれを伝えたかったのだ。
嘆きもあれば焦りもあり身の置き所に戸惑いながらも
書くことを諦めはしないと強く思った出来事だった。
一生無名でいる覚悟はすでに出来ている。
死ぬまで雑草であるのも私らしい生き方なのではないだろうか。
とことん踏まれてみよう。それでこそ生きたかいがあるというもの。
陽射しはたっぷりと降り注いでいたけれど風はとても冷たい。
まるで冬将軍が矢を放っているかのようだった。
それでも雪国の人達を思うとどれほど恵まれていることだろうか。
仕事中に札幌の友からショートメールが届く。
除雪作業に追われていてとても大変な様子だった。
仕事の手を休めて一言でも労いの言葉を伝えるべきだったのだろう。
敢えてそれをしないまま夜になってしまった。
おそらくこのまま失念したふりをして過ごしてしまうだろうと思う。
申し訳ないけれどなんとなく心に余裕を感じられなかった。
午後から仕事を休ませてもらって定期の通院。
医師とは面談のみ。「今年もよろしくお願いしますね」と言われた。
「こちらこそよろしくお願いします」と自然に笑みがこぼれる。
偏見を持つのはもうよそうと思う。辛かったことはもう忘れよう。
薬局で薬を貰いその足で母の施設のある病院へ走る。
12月分の支払いを済ませ少しだけケアマネさんと話す。
ここ数日の間にコロナの感染者が急増しており
しばらくはまた面会禁止の状態が続きそうだった。
母は特に変わりなく元気に朗らかに過ごしているとのこと。
すっかり施設の人気者になっているらしく母らしいなと思った。
帰宅したら市役所から「介護保険被保険者証」が届いていた。
思わずこれ私の?と思った。65歳とはそういう歳らしい。
同封されていた介護保険料の納付書を見てまた愕然とする。
それは今の家計ではとても支払えないような金額だった。
いったいどこまで追い詰めたら気が済むのだろう。
怒りにも似た感情が押し寄せて来る。その矛先を何処に向ければ良いのか。
「義務だから仕方ないだろう」とじいちゃんは笑い飛ばす。
それは家計のやりくりに一切関わっていない無責任な言葉に思えた。
言葉はとても悪いけれど「くそ」と思わず声が出る。
そうして続いて「負けるもんか」と呟いていた。
まさに貧乏人のど根性を発揮するべき時が到来したのだと思う。
試練の上にまた試練とはありがたいことなのだろう。
見ているがいい。どれほど私が逞しいか思い知らせてあげよう。
時おり小雪に姿を変えながら時雨降る一日。
日中の気温も5℃ほど。まさに真冬の寒さであった。
強い冬型の気圧配置になっており雪国の過酷さを気遣う。
雪には慣れているだろうけれど毎日の除雪作業は大変な苦労だと思う。
今日も一時間程の残業を終え帰宅したら年金機構から封書が届いていた。
12月で65歳になったので2月からの支給額が決まったらしい。
わくわくしながら封を切ったけれどその少なさに愕然とする。
年間80万に満たず一瞬目を疑ったのは言うまでもない。
おまけにじいちゃんの支給額は減額になるのだそうだ。
妻が満額支給になると夫は減額とは納得がいかないけれど
お国の方針でそう決まっているらしい。
一気に老後の不安が襲って来る。これでは暮しが成り立つはずがない。
やはり私は死ぬまで働き続けねばいけないのだろうか。
「なんとかなるさ」と楽天家のじいちゃんは笑い飛ばしている。
せめて家業の海苔養殖が順調ならば蓄えも出来るだろうけれど
昨年に引き続き今年も不作の兆しが強く圧し掛かっている。
前途はとても暗い。だからと言って嘆いても何も変わらないのだ。
とにかく私が働いているうちはなんとかなるだろう。
先のことはその時になってから考えるべきなのだろうと思う。
年末に買った宝くじは亡き父の仏壇に添えたままにしている。
結果を知るのが恐いのでしばらくそのままにしておこうと思う。
父も決して助けてはくれないと思うのだ。
「きっと乗り越えられる」大きな試練を与えてくれているのだろう。
冬晴れとなったものの気温は上がらず冷たい北風の一日。
そんな寒さのなか母が育てていた紅梅の蕾がふくらむ。
枯草に覆われているけれどそこだけ春のように明るい。
梅一輪にこころを和ませる日もきっと近いことだろう。
12月に県に提出していた書類に沢山の付箋が付き返却されてきた。
それはもちろん不備だらけということで愕然とするばかり。
手直しをして来週中に再提出しなければならない。
頭を抱えて溜息をついていたら義父が「ひとつひとつやってみな」と
その言葉を励みにとにかくやってみようとすぐに取りかかっていた。
「やれば出来る」らしい。一時間程残業になったけれど
一通りの手直しを終えほぼ完璧になったような気がする。
とりあえず明日郵送してまた不備があれば直せば良いのだと思う。
こうなったらもう「いちかばちか」だ。なんだってかかってこい。
事務仕事を始めて今年で34年目。最初は経理だけだったけれど
今ではすべての事務仕事をこなせるようになった。
事実上の母の引退を機に一気に仕事量が増えている。
義父や同僚にも頼りにされていることを忘れてはいけない。
おまけに金庫番。昨年末のボーナスもそうだけれど
会社の資金繰りもすべて任されているのだった。
すでに経営側の立場になっていると言っても他言ではないだろう。
65歳となり老体にムチ打ちつつのこと。
55歳の時、あと5年と思っていた。それがあっという間で
60歳になった時もあと5年だと思っていたのが昨日のことのよう。
またあと5年と思っているけれど70歳の私が想像できない。
もし現役ならばそれは奇跡ではないかと思う。
もしかしたら私も母と同じような終着を迎えるのかもしれない。
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