ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2022年01月13日(木) これも試練

時おり小雪に姿を変えながら時雨降る一日。

日中の気温も5℃ほど。まさに真冬の寒さであった。

強い冬型の気圧配置になっており雪国の過酷さを気遣う。

雪には慣れているだろうけれど毎日の除雪作業は大変な苦労だと思う。



今日も一時間程の残業を終え帰宅したら年金機構から封書が届いていた。

12月で65歳になったので2月からの支給額が決まったらしい。

わくわくしながら封を切ったけれどその少なさに愕然とする。

年間80万に満たず一瞬目を疑ったのは言うまでもない。

おまけにじいちゃんの支給額は減額になるのだそうだ。

妻が満額支給になると夫は減額とは納得がいかないけれど

お国の方針でそう決まっているらしい。


一気に老後の不安が襲って来る。これでは暮しが成り立つはずがない。

やはり私は死ぬまで働き続けねばいけないのだろうか。


「なんとかなるさ」と楽天家のじいちゃんは笑い飛ばしている。

せめて家業の海苔養殖が順調ならば蓄えも出来るだろうけれど

昨年に引き続き今年も不作の兆しが強く圧し掛かっている。

前途はとても暗い。だからと言って嘆いても何も変わらないのだ。


とにかく私が働いているうちはなんとかなるだろう。

先のことはその時になってから考えるべきなのだろうと思う。


年末に買った宝くじは亡き父の仏壇に添えたままにしている。

結果を知るのが恐いのでしばらくそのままにしておこうと思う。

父も決して助けてはくれないと思うのだ。

「きっと乗り越えられる」大きな試練を与えてくれているのだろう。





2022年01月12日(水) やれば出来る

冬晴れとなったものの気温は上がらず冷たい北風の一日。

そんな寒さのなか母が育てていた紅梅の蕾がふくらむ。

枯草に覆われているけれどそこだけ春のように明るい。

梅一輪にこころを和ませる日もきっと近いことだろう。



12月に県に提出していた書類に沢山の付箋が付き返却されてきた。

それはもちろん不備だらけということで愕然とするばかり。

手直しをして来週中に再提出しなければならない。

頭を抱えて溜息をついていたら義父が「ひとつひとつやってみな」と

その言葉を励みにとにかくやってみようとすぐに取りかかっていた。

「やれば出来る」らしい。一時間程残業になったけれど

一通りの手直しを終えほぼ完璧になったような気がする。

とりあえず明日郵送してまた不備があれば直せば良いのだと思う。

こうなったらもう「いちかばちか」だ。なんだってかかってこい。


事務仕事を始めて今年で34年目。最初は経理だけだったけれど

今ではすべての事務仕事をこなせるようになった。

事実上の母の引退を機に一気に仕事量が増えている。

義父や同僚にも頼りにされていることを忘れてはいけない。

おまけに金庫番。昨年末のボーナスもそうだけれど

会社の資金繰りもすべて任されているのだった。

すでに経営側の立場になっていると言っても他言ではないだろう。


65歳となり老体にムチ打ちつつのこと。

55歳の時、あと5年と思っていた。それがあっという間で

60歳になった時もあと5年だと思っていたのが昨日のことのよう。

またあと5年と思っているけれど70歳の私が想像できない。

もし現役ならばそれは奇跡ではないかと思う。


もしかしたら私も母と同じような終着を迎えるのかもしれない。











2022年01月11日(火) するべきこと

時雨れのような小雨降る朝。幸い寒さは和らいでいた。

午後には少し青空が見えていたけれど強い北風が吹き始める。

また雪の前触れではないかとはらはらと気がかりでならない。


今朝はどうしたことか仕事に行くのが気が重い。

いったいいつになったら老後のスローライフを送れるのだろうと

考えても仕方のないことをつい考えてしまったのだった。


おそらく憧れのようなものなのだろう。

仕事が嫌な訳ではなく時間の余裕が欲しいだけだったのかもしれない。

一日中本を読んでいられたらどんなに良いだろうかと思った。



孫たちも今日から新学期。元気に登校する姿を見送る。

ずっと冬休みだったら良いのにと二人も思っていたことだろう。

学校へ行くのが義務ならそれ以上に仕事も義務なのだと思う。

まして働かなければたちまち暮しに困る我が家であった。


職場に向かいながら通い慣れた山道がとても新鮮に感じる。

それが不思議でならない。もしかしたら待っていてくれたのか。

私は行くべき道を行きするべきことをしようとしている。

邪念はそれを妨げる愚かな「欲」に違いない。


ゴールが見えないのはまだ道が続いていること。

走り抜けたからと言ってそこにゴールがあるとは限らない。

歳を重ねればそれだけ心細くもなるけれど

ゆっくりと歩きながら前へ進んで行こうと思う。



2022年01月10日(月) 山あり谷あり

冬うらら。風もなくまるで春先のような暖かさとなる。

窓を全開にして陽だまりで本を読むひと時は至福なり。

目を休めるために時おり川向の山々を眺めていた。

のどかな景色にこころが洗われるようであった。



午前中にやっとお大師堂へ。すっかり遅くなってしまった初詣。

無事に新年を迎えられたことに感謝しつつ

今年の平穏無事を祈る。般若心経を唱えればとても清々しくなった。

さらさらと流れる大河。水は清く無心になり海へ辿り着くだろう。



今日は43回目の挙式記念日。じいちゃんは忘れていたようだけれど

すぐに思い出してくれて照れくさそうに笑っていた。

私はすでに妊婦だったため11月には家族として迎え入れられ

入籍は12月の私の誕生日にしたのだった。

私は再婚だったけれどじいちゃん(夫)はもちろん初めてのこと。

挙式はそれは盛大で沢山の人達の祝福を受けた。

私側の親族は義父の計らいで一度も会ったことのない人ばかり。

それでも母はとても満足そうな顔をしていたことを憶えている。

もう実父の娘ではなくなったのだなと観念せずにはいられなかった。

義父と母が揃えてくれた嫁入り道具も有り難く受けとめていた。


夫側の親族がみな義父の事を「おとうさん」と呼ぶ。

私はまだどうしても「おとうさん」とは呼べなかったのだけれど。



新婚生活も実感が湧かないまま日々が流れていくばかり。

夫はいつも帰宅が遅く舅や姑と夕食を摂ることが多かった。

日に日に大きくなるお腹に「この子が生まれたら」と希望を託す。


初孫として生まれた息子も今年で43歳になる。

山あり谷ありの人生だったけれどここまで乗り越えて来たのであろう。


「金婚式まであと7年だな」とじいちゃんが言ってくれた。

それはきっとお互い長生きをしようなと言うことに等しい。


縁あってこそ巡り合えたひと。私はよき伴侶に恵まれたのだと思う。



2022年01月09日(日) なんとしてもこれだけは

曇りの予報だったけれど思いがけずに青空になった。

昨日のこともあり洗濯物を乾燥機に入れており

陽射しが降り注ぐのを見ながら残念でならない。

じいちゃんが「干せたのにな」と言ってくれる。

その口ぶりがなんだか所帯じみていて可笑しかった。

毎朝大量の洗濯物と格闘している私への思い遣りでもあったのだろう。

歳を重ねるごとにふとしたことで優しさを感じるようになった。



午前中に地区の役員会があり出席する。

毎年当番制になっており今年はその役がまわってきていた。

本来ならばじいちゃんが出席するべきなのだけれど

「俺はもうそういう場所には行きたくない」と言う。

消防団を辞めてから表立って活動することに消極的になっているようだ。

行って見れば女性の姿もあり特に違和感は感じなかった。


役員会は年に6回程あるらしく次回から平日の夜にするらしい。

誰も反対しないので私一人で反対したけれどあえなく却下された。

仕事を持つ身としては平日の夜はとても厳しいものがある。

帰宅してじいちゃんに相談したら次回から行ってくれるとのこと。

晩酌もしたいだろうに「我慢するけん」と言ってくれた。

回覧板や市の広報を配ったりする雑事は私がすることになった。

一年間の辛抱と思っても「役」に就くことは少なからず重荷になるものだ。



午後は図書館へと走る。もう読む本が無くなっていた。

今日も表ではなく裏の書庫から読みたかった本を探してもらう。

裏の書庫にはいったいどれほどの古い本が眠っているのだろう。

一度この目で確かめてみたい衝動に駆られた。

古い本ほど歴史を感じる。すでに今は亡き作家の本はとても愛しい。

遺作などは特に。読みながら涙が溢れて来る時もある。

命ある限りと書き残したであろう。明日を信じつつも不安はつのる。

なんとしてもこれだけはと。それは命を振り絞ってのこと。

それだけ心が込められており読者の心を捉えて離そうとしない。



私は詩人であることも歌人であることももう諦めてしまった。

おそらく最後の最期まで誰にも認められないだろうと思っている。

この日記もただの雑文でありなんの価値もないのかもしれない。


けれども「書きたい」その気持ちだけは大切に育んでいきたい。



2022年01月08日(土) アロエの花

氷点下の朝。日中も雲が広がり肌寒い一日となる。

大量の洗濯物が乾ききらず乾燥機のお世話になった。


お隣のアロエの花が咲いていて鮮やかなオレンジ色。

アロエと言えば熱帯の植物のようなイメージがあるけれど

毎年寒の入りをした頃に咲くのが習いなのだろうか。


お隣のご主人は昨年暮れから施設に入居したようだ。

老々介護で奥さんも大変な苦労だったことだろう。

お隣だと言うのに奥さんの姿もしばらく見えず少し気になっている。


ご主人は偶々なのか息子の勤めている施設に入居していて

息子の顔を覚えているようだけれど「ケンジ君」と呼ぶらしい。

それはじいちゃん(夫)の名で愉快なことでもあった。

息子は否定もせずすっかりケンジ君になりきっているらしい。

介護の現場では「否定」は厳禁なのだそうだ。

それは認知症のあるなしに限らずのことらしい。


ストレスの多い職場に居ながら息子の笑顔が見えるようである。

そう思うとお隣のご主人に感謝しなければいけない。


息子はなぜ介護職を選んだのか今でもよくわからないと言う。

工業高校を卒業したのだからてっきり技術職に就くと思っていた。

就職難の時代でもなく就職率は百パーセントだった頃のこと。

いきなり介護の勉強をしたいと言い出したのは寝耳に水のことであった。


それから介護福祉の専門学校に通い始めた。

我が家は相変わらずの貧困生活で教育ローンと県の奨学金だけが頼り。

息子は学校が終わると深夜までコンビニでアルバイトをしていた。

今思えば本当によく乗り越えた2年間だっと思う。


無事に卒業し就職してからもう22年の歳月が流れた。

今では介護のプロなのかもしれないけれどやはり心配は尽きない。

幾つになっても我が子は子供のままなのだろう。


幸い今の職場は今までで一番楽なのだそう。

過酷な現場を乗り越えて来たらこそそう言えるのだろうと思う。


明日も「ケンジ君」と呼ばれつつ走り回ることだろう。


ふとお隣のご主人にアロエの花を見せてあげたくなった。








2022年01月07日(金) 情けは猫の為ならず

冬晴れ。風の冷たさもよきかな。

陽射しはたっぷりとあり救われるような思いだった。

車中は特に暖かくお昼休みに本を読む。

まるで陽だまりの猫のような気分になる。



猫といえば昨年から工場の片隅に居ついている猫。

もうすっかり野良猫ではなくなりまるで社員のようだった。

仕事を監督するようにしながら修理車に近寄って来たり

「にゃおう」と号令をかける時もある。


私は義父からきつく言われており餌を与えることをしないけれど

鉄骨工場のKちゃんが毎日餌をやり続けているようだ。

もうそうなれば飼っているのと同じだと思う。

情けは猫の為ならず。Kちゃんもきっとそう思ってのことだろう。



夕方のニュースでペットの衝動飼いが取り上げられていた。

コロナ禍で家に籠ることが多くなり癒しを求める人が増えたらしい。

けれどもそれが長続きしないことが問題になっていると言う。

ペットショップで猫や犬を買い求めてもすぐに嫌になるのだそう。

犬ならば吠えると言う理由で。猫ならばトイレの躾だろうか。

とにかく「思っていたのと違う」そう言って手放す人が多いらしい。

すでに名前も付けられていただろうになんと憐れなものである。

手放された猫や犬はまた値段を付けられて売り出されるのだろうか。

それならばまだ救いの道はあるのかもしれないけれど

無造作に捨てられてしまう猫や犬もいるのではないだろうか。


猫や犬を家族として迎える以上は責任と覚悟が必要に思う。

他人様に迷惑をかえないように努めなければいけないし

必ず訪れる「死」も覚悟しなければいけない。


我が家はあんずが死んでしまってからもう犬は飼わないと決めた。

孫たちが猫を飼いたがっているけれどそれも却下。

先日もあやちゃんが「おじいちゃんが死んだら飼ってもいい?」と。

「ええぞ、ええぞ」と猫嫌いのじいちゃんは苦笑いしていた。





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