雨のち晴れ。もう少し気温が低ければ雪になっていただろう。
低気圧は北上し東京に雪を降らしたようだ。
お昼休みを利用し寒中見舞いの葉書を作成する。
ひとりひとりに添え書きをして冬の便りにしたいと思う。
年末の気忙しさの中で書く年賀状よりずっと
こころを込められるのではないだろうか。
午後も仕事が忙しく一時間の残業となった。
しばらくは定時で終れそうにない。
本を読む時間もないのが残念だけれど
仕事はとても遣り甲斐があり苦には思っていない。
ひと山越えるような気持ちで乗り切って行こうと思う。
買物をして帰宅したらめいちゃんが近所のお友達と遊んでいた。
近所でも同じ小学校には通っておらずいつの間に仲良くなったのか
ひとつ年上の二年生だけれどとても気が合うらしい。
少しためらいがあり自分からは「あそぼう」と家に行けないのを
お友達の方から「あそぼう」と呼びに来てくれたそうだ。
二人とも活発で土手を走りまわっていてなんとも微笑ましい。
遊び疲れたのか夕方から眠くなり泣きながらダンス教室に行った。
ダンスが嫌なわけではない。とにかく眠くて辛かったのだろう。
可哀想でならないのをはらはらしながら見送ったことだった。
もうそろそろ帰って来る頃。元気いっぱいの笑顔を待っている。
曇り日。陽射しのありがたさをつくづくと感じる。
寒の入りらしい寒い一日となった。
季節は真冬となり「立春」の声を聴くまで耐えねばならない。
それも雪国に比べれば恵まれている冬であろう。
やっと仕事始め。ついつい気負う気持ちがあり
ゆっくりと歩み出そうと自分に言い聞かせていた。
開店を待ちかねていたように来客があり幸先が良い。
職場は活気で溢れており自然と笑みがこぼれてくる。
娘が夕方5時から出勤。今夜は棚卸があるとのこと。
帰りは何時になるか分からないと言いご苦労なことである。
娘むこの帰りを待っていたけれど7時になっても帰らず
孫たちと4人の夕食は久しぶりのことであった。
めいちゃんと一緒にお風呂。これも久しぶりのことであった。
以前は浴室で玩具で遊んでいたけれどそれもせずにいて
いつの間にか成長したことを感じずにはいられなかった。
身体も自分で洗う。足の指の間までそれは丁寧だった。
お尻にはまだ生み痣が青く残っているのを見て
幼児の面影がふと懐かしく感じられた。
父親も母親も居ないことをしっかりと受けとめているのだろう。
あやちゃんはいつも終い風呂だけれど
今夜は何も言わなくても自発的に入浴を済ませていて感心する。
ふと同居でなければこんな時はどうするのだろうと思った。
私達祖父母は「家族ではない」と言われつつも
いざと言う時には頼りにされているのではないだろうか。
それが嬉しくもありせつなくもある。
そこには感謝されたい欲があるからだろうと思う。
それこそが愚かな欲なのではないだろうか。
当たり前のこと。当然のことをしただけのこと。
それには感謝などいらない。
家族とはそういうものなのかもしれない。
風もなく穏やかな晴天が続いている。
お正月三ヶ日もあっという間に過ぎ去り
本来ならば今日が仕事始めであったけれど
社長である義父の計らいで明日からの仕事になった。
ゆっくりのんびりと過ごすものも良いものだけれど
ふと忙しい日常も恋しくなってきてしまった。
とりあえず明日を待とうと逸る気持ちを宥めている。
昼食後一時間程お昼寝をするようになってしまって
今日はとても不思議な夢を見た。
亡き父と電話で話している夢で声がとてもリアルであった。
若き日に母を頼ってしまってから父と会うことはなかった。
夫はあくまでを義父を父としていて認めていて
実の父とは縁を結ぼうとはしなかったのだ。
だから父は死ぬまで孫にも会えず一生を終えたことになる。
父との唯一の繋がりは電話で事あるごとによくかけて来てくれた。
私の誕生日や孫の誕生日は決して忘れることはなく
娘などは「高知のおじいちゃん」と言って親近感さえ覚えてくれていた。
夢の中の父はしきりに孫である息子の事を気遣ってくれる。
お嫁さんの病気の事も話した。「それはえいかよ」と心配するので
「顔色も良くなってね。大丈夫と思うよ」と言ったら
「それは良かった」と言って一瞬声が遠のいていく。
「お父ちゃん!お父ちゃん!」と叫んだところで目が覚めてしまった。
父は間違いなく天国から電話をかけてきてくれたのだと思う。
その距離は計り知れない。どれほどに遠いところだろうか。
それなのに父の声ははっきりと聴こえ私を励ましてくれた。
見守っていてくれることを忘れてはいけない。
懐かしい父の声に明日の希望が湧いてくる。
お父ちゃんありがとう。今日はとても嬉しかったです。
明けてみっか。今日も穏やかな晴天に恵まれる。
降り注ぐ陽射しのなんとありがたいことだろう。
朝のうちに川仕事へ。生育が悪く残しておいた海苔網を
諦める訳にもいかず望みを託して漁場に張った。
収穫まで漕ぎつけるのかどうか分からないけれど
微かに緑に染まった網を撤収する気にはならなかった。
「いちかばちかだな」悲観はせずに微笑みながらの作業だった。
海苔の胞子は確かに生きている。見捨てるような事は決してしない。
ふとじいちゃんと昔話を始めてそれも懐かしくもあり。
38年程昔のことだろうか。当時は天然青海苔の豊漁が続いており
12月は最盛期で猫の手も借りたいほどの忙しさだった。
元旦に姑さんが青海苔漁に行くと言って大喧嘩になったことがある。
じいちゃん(夫)が「元旦くらいは休めや」と怒鳴る。
姑さんは「正月どころではない」と言って凄い剣幕だった。
勝気で負けず嫌いの姑のことで頷ける話だけれど
嫁の私が口出し出来ることではなく耐えるように沈黙を貫いていた。
結局最後には姑さんが諦めて元旦だけは休むことになった。
「強欲だったよな」今さら亡き姑の悪口ではないけれど
一日休めば他の人に青海苔を採られてしまうのが悔しかったのだろう。
それを強欲と言った夫に思わず「一票」と叫びたくなった。
姑さんの性格には最後の最期まで馴染むことは出来なかった。
寝たきり状態になってもそれは変わらず
介護の手助けをしていてもそれが義務であるのが苦しかった。
それでも誠心誠意尽くせたのか今もって答えは出てこない。
夫を産んだ母である。それだけが真実だったのかもしれない。
歳月は流れもう天然青海苔もほぼ絶滅となった。
青さ海苔の養殖も手さぐり状態である。
それでも望みを捨てずにいるのが姑さんの供養になるような気もする。
諦めることはたやすい。
諦めないことこそが試練なのだろう。
明けてふつか。今朝は氷点下の冷え込みとなったけれど
日中は風もなくぽかぽかと暖かくなった。
朝のうちに息子の車をマンションへ届ける。
てっきり二日酔いかなと思っていたらけっこう元気。
「昨日は死ぬかと思った」とそれも笑い話になっていた。
お嫁さんも起きていて顔色も良くほっと安堵する。
けい君の心配もなく笑顔を交わし帰って来た。
息子は今日も休めるのだそうで何よりだった。
明日からまた激務が始まるのだろう。
少しでもストレスのない日々が続くことを祈るばかり。
お昼前に母に電話。新年の挨拶などすれば
「なんのこと?」と呆けたふりをして笑わせてくれる。
私から電話あるのをずっと待っていてくれたのかもしれない。
寂しさの欠片も見せないことが返って憐れにも思えた。
初詣はお大師堂にと決めていたけれど結局行かず
新年早々からもう怠け癖が出始めているらしい。
じいちゃんが「何処かの寺に行くか」と言ってくれたけれど
お寺の石段を思うと足の痛みが気になり躊躇してしまう。
来週には3連休があるので気が向けば行ってみようかとも思う。
ドライブもしばらく遠ざかっている。
すっかり出不精になってしまったようだ。
午後、録画してあった「志村けんの誕生話」を観る。
懐かしさと共に笑いが込み上げて来て涙が出るほど面白かった。
そうしてコロナで命を失ったことが信じられない。
残念でならないけれどそれは紛れもない真実であった。
ここしばらく下火になっていたコロナ感染者が少しずつ増えている。
この先どうなるのだろうとひしひしと不安が募って来る。
それから夕方まで読書。西陽のあたる部屋はとても暖かだった。
夕焼け空が見え始めると一気に肌寒くなる。
本を閉じ夕食の支度に取りかかる。続きはまた明日と栞を挟む。
今日はここまで。明日は何処まで行けるのだろう。
穏やかな晴天。とても清々しい気持ちで迎えた元旦の朝。
一歩あゆみ出したのだなと思う。頂きまで登れば
遠いはずの空もきっと近くなるだろう。
お昼には息子とけい君が来てくれて新年会を始める。
息子は元旦に休めるのはめったにないことであり
おまけにコロナ禍で新年会も遠ざかっていた。
よほど嬉しかったのか飲む気満々で上機嫌であった。
我が家で一時間程飲み次は義妹宅に押し掛け二次会。
従兄弟達に会うのも久しぶりで盛り上がっていたようだ。
3時を過ぎても帰らず様子を見に行ったら
かなり飲んだらしく目も虚ろになっていた。
義妹が「せっかく楽しんでいるのだから」と言ってくれる。
仕事の苦労に重ね家庭の苦労もありストレスも溜まっていたのだろう。
羽目を外したい気持ちもじゅうぶんに理解できた。
「好きなだけ飲ませてやれや」とじいちゃんも言う。
4時前にやっと帰って来てそのまま鼾をかきながら眠っていた。
それから1時間程して激しく嘔吐し大変なことになる。
慌てて洗面器を持って行ったけれど間に合わなかった。
「おかあ済まんな」と謝りながら顔は真っ青になっていた。
落ち着くまでしばらく様子を見てマンションまで送り届ける。
泊まっても良かったのだけれどけい君が帰りたがっていた。
父親の尋常ではない姿が不安になったのかけい君は途中で泣き出す。
助手席のけい君の手を握りしめながらなんとかマンションに着いた。
マンションには灯りもなく真っ暗だった。
お嫁さんはここ数日また体調が悪く臥せっているとのこと。
息子の家ではお正月どころではなかったのだろう。
逃げ出すような思いで我が家に来てくれたのだと思う。
息子とけい君が不憫でならないけれどお嫁さんを責める気はない。
「乗り越えて行かなくちゃね」と息子に声を掛けていた。
新しい年が始まったのだ。何があっても立ち向かって行こう。
陽射しには恵まれたけれど風の強い一日。
明日はもう大晦日で今日は小晦日と言うらしい。
駆け抜けたような一年がもうすぐ終わろうとしている。
振り返れば充実した一年だったのだろう。
平穏無事でいられたことが何よりに思う。
幸せは「仕合せ」何事もなるようになり
不安や心細さも過ぎてしまえば些細なことだった。
朝のうちにお大師堂へ。花枝に千両の実を添える。
トイレ掃除は出来なかった。ちょうど干潮時で
川の水が引いており水を汲みに行けなかったのだ。
足の痛みが無ければ岩を伝って行けたけれど
とても自信が無く諦めてしまった。
出来ない事があっても良しと自分を宥めそしてゆるす。
家事もそこそこ。今年ほど手を抜いたこともなかった。
玄関ドアの拭き掃除もしないまま注連縄を飾る。
床の間には昨年の鏡餅がそのままあり埃を被っていた。
これにはさすがに苦笑い。罰当たりなことをしたものだ。
一年の疲れがどっと出る頃。もう無理はしないと決める。
何もしなくても新年は来るだろうと思うことにした。
午後は本を読み少しお昼寝もする。
4時前からおでんを煮込む。家中におでんの匂いが漂っていた。
息をするたびに命の在処を感じていたと思う。
与えられた一日を全うしながら明日を信じていたのだった。
いのちある限りと思う気持ちは変わらない。
愚かなこともある。不甲斐なさを感じることもある。
それでも血の通う指先で明日の扉を開け続けていようと思う。
拙い日々の日記を読んで下さりありがとうございました。
これが今年最後の日記になりそうです。
皆さまどうか穏やかに新年をお迎えください。
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