ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年12月29日(水) ボーナス

曇り日。お昼頃からぽつぽつと雨が降り始める。

気温もあまり上がらず肌寒い一日だった。

大晦日から元旦にかけてまた大寒波が襲って来るとのこと。

もう雪はたくさんだけれどまた降るのかもしれない。



予定通りに仕事納め。午前中に工場の清掃をしてお昼で終わる。

資金繰りが順調だったのでボーナスを支給することにした。

それも私の一存で決められるので我ながら大したものだと思う。


ボーナスと言ってもほんの寸志ほどの額だけれど

義父は生まれて初めて貰ったととても喜んでいた。


中学を卒業してからとある整備工場に見習いで就職し

整備士の資格を取ったけれどお給料はとても安かったらしい。

60年以上も昔の事でボーナスなどとは縁遠かったのだろう。

その後独立して自分の工場を持ったけれど

食べて行くだけで精一杯だったらしい。

会社を設立した頃には従業員のお給料に苦労し続けて

社長とは言え役員報酬さえも手に出来なかったのだった。

どんなに働いても報われない。云わば日陰の道を歩んで来たのだと思う。


そんな義父にたとえ寸志でもボーナスをあげられて本当に良かった。

「こんなにもらって良いのか」と心配していたけれど

「大丈夫よ」と笑顔で応える。「また来年も頑張ろうね」と言って。


私は心地よい達成感と充実感に満たされていた。

難破船のような会社だけれど何処かの島に流れ着いたような気がする。


ひと休みしたらまた波に押されて海を漂うことだろう。

義父と同僚と3人で一生懸命にオールを漕ぎ続けようと思う。



2021年12月28日(火) 融けない雪だるま

最高気温が10℃を超えずいぶんと暖かく感じた。

山里では昨日の雪が融け始め屋根からぽたぽたと雨だれのように落ちる。

県道沿いのとあるお店の前には大きな雪だるまがふたつ。

それは一気には融けず雪の名残を残しつつ可愛らしい姿であった。



工場の仕事がやっと片づく。予定通り明日は仕事納めが出来そう。

事務所は特に急ぎの仕事もなく窓拭きをしたり注連縄を飾ったり。


定時でタイムカードを押せたので図書館に寄っていた。

今日が御用納めなので明日から休館になる。

年末年始に読む本が無くなるのでとりあえず4冊借りた。

今年ほど読書に夢中になったことはかつて無かったように思う。

本屋さんに行くこともなくなり図書館に助けられた一年だった。

無料で本が読めることがとても有り難くてならない。



娘が元旦には昆布巻きが食べたいとのこと。

おせち料理など縁がない私だけれど毎年昆布巻きだけは作っている。

娘の大好物で食べないと新年が来ないとさえ言う。

昆布、かんぴょう、牛蒡はすでに買ってあるのだけれど

鯖はまだ良いかなと後回しにしていた。

今日こそはとスーパーの鮮魚売り場を覗いて愕然とする。

昨日まであった大きな清水鯖が一匹も見当たらないのだった。

仕方なく痩せ細ったような小さな鯖を2匹買い求めた。

おまけに今日から三枚おろし等の調理はお断りしますとのこと。

昨日のうちに買っておけば良かったと悔やまれてならない。


けれども美味しい昆布巻きを作る自信はあるようだ。

毎年作るたびに最後かもしれないと思う。

娘に伝授しておかなければと思うのだけれど

娘はまだまだ先の事といつも笑い飛ばすのだった。


背中を押されるように年の瀬が迫って来る。

心細さなどほんの些細な事なのだろう。



2021年12月27日(月) トンネルを抜けると雪国だった

今朝は今季いちばんの冷え込みとなり薄っすらと雪が積もる。

道路には積もっておらずすぐに溶けるだろうと思っていたけれど

義父から電話があり山里は大雪になっていると聞きおどろく。

無理をして出勤して来ないようにと言われ自宅待機することになった。


これ幸いと本を読み始めたものの落ち着かず

窓の外を眺めるばかり。空は青く朝陽が眩しいほどだった。


お昼になり今日中に郵送しなければいけない書類があるのを思い出し

居ても立ってもいられなくなり急きょ職場に向かった。

あたりの雪はもう完全に溶けており順調に車を走らす。


伊豆田トンネルを抜け土佐清水市内に入ると

まさにトンネルを抜けると雪国であった。

道路の雪こそ溶けていたけれどあたり一面の銀世界で

昨夜から今朝にかけてかなりの雪が降り積もったことが分かる。


恐る恐る国道から山道に入った。道路には雪が残っていたけれど

幸い凍結はしておらずなんとか通り抜けることが出来た。

職場はすっぽりと雪の中。車にはうず高く雪が積もっていた。


3時間程仕事をして帰路に就く。同僚が冬タイヤに交換してくれる。

通行止めになっていた高速道路も走ることが出来て何よりだった。

ただ宿毛市平田ICから和田ICまでは未だ通行止めとのこと。

極寒の中を誘導する警備員の姿には頭が下がる思いであった。

トイレにも行けず紙おむつをしているのだと聞いたことがある。

皆自分に与えられた仕事を受けとめ全うしているのであろう。

たとえ半日でも自宅待機を許された私などは愚の骨頂である。


今朝の山道で見かけた冬遍路さんを山里の道でも見かけた。

男女のお遍路さんでご夫婦なのではないかと思われた。

道端にふたり佇みしきりにスマホを操作していた。

おそらく今日の目的地、延光寺までの道のりを調べていたのだろう。

「もう少しですよ」と声を掛けられなかったことが悔やまれる。


寒波は明日以降一時的に弱まりそうだけれど

また年末には大寒波が襲って来るのだそう。

真冬からはもう逃げられない。ならば立ち向かって行くしかない。



2021年12月26日(日) 太刀魚

小雪が舞う厳しい寒さとなる。

近隣の宿毛市や土佐清水市ではぼたん雪が降ったようだ。

今夜はもう降らなければ良いのだけれど

明日もまだ強い冬型の気圧配置が続くとのこと。

無事に出勤できるのかそればかり心配している。



あまりの寒さのためお大師堂にも行かず。

家の事は二の次にしても新年を迎える準備をしなければならない。

毎年自分に課している役目だけは果たしたいと思っている。

幸い29日で仕事納めが出来そうなので

大晦日までにはなんとか出来そうだった。



今日は「小京都四万十ジュニア駅伝」があったのだけれど

めいちゃんは残念ながら補欠とのこと。

選手に選ばれた時にはビックニュースと大喜びしていて

その後補欠だと聞かされてめいちゃんも少しショックだったようだ。

けれども放課後の練習には参加して一生懸命に頑張っていた。

トップランナーは2年生と決まっていてもし何かあれば

めいちゃんが代わりに走るのだから補欠も重要な存在である。

本人もそれを自覚しており極寒の中しっかりと待機していたよう。

補欠だと頭から諦めずにほんとうにえらかったと思う。

来年にはなんとしても走らせてあげたい気持ちが込み上げて来た。



夕飯に太刀魚を焼く。昨夜しらすウナギ漁に行っていた娘むこが

偶然に釣り上げたそうでけっこう大きな太刀魚だった。

普段スーパーで売っているものは高価で手が出ず

食べるのはほんとうに久しぶりの事でそれは美味であった。

孫たちは生まれて初めて食べる太刀魚だったようだ。



窓を開けて夜空を見上げれば星が瞬いている。

強い風もおさまっており静かな夜になった。

寒さは相変わらず厳しいけれどほっこりとこれを記す。





2021年12月25日(土) 家族として

陽射しはたっぷりとあったけれど風の強い一日。

明日の朝は氷点下となり日中もかなり冷え込むらしい。

雪にならない事をひたすら祈っている。


今朝は茶の間の障子が破れていたのを補修する。

「いくらなんでもみっともないぞ」とじいちゃんから言われていた。

すべて貼りかえる根気はなくほんの一部分だけだった。

家中に気になるところは沢山あるけれど

大掃除をする根気も無かった。このまま最低限の小掃除になりそう。

普段からこまめにしていれば年末に慌てることもないのだけれど。

無理をしないことに決めている。出来ない事があっても良い。



クリスマス。孫たちにはサンタさんからお手紙とプレゼントが届いていた。

手紙を読んだあやちゃんが「どうしてひらがなばかりなの?」と。

娘が「サンタさんは外国人だから漢字が書けないのよ」と言っていた。

あやちゃんはもうサンタさんの存在を信じていないようだけれど

一瞬半信半疑になったようで複雑な表情をして見せていた。

手紙が届くということはきっとそういうことなのだろう。

親としてはいつまでも信じていてほしいものだと思う。

親に向かって「ねえ買って」では夢も何もありはしないものだ。



今年も「しらすウナギ漁」が解禁となり

日暮れを前に娘婿が出掛けて行く。

もちろん夕飯も食べず娘と孫たちは寂しそうにしていた。

しばらくは母子家庭のような日々が続くのだろう。

仕方ない事なのだろうけれど少し不憫に思えてならない。

娘は私に似ずあっけらかんとした性格なのだけれど

子供達が言うことを聞かないとさすがに苛立ちを覚えるようだ。

さっきも「さっさとお風呂!」と少し声を荒げていた。


いつまでも同居は在り得ないからと釘を刺されているけれど

私達夫婦も居ないよりはましなのではないだろうか。

恩を着せる訳ではないけれど出来る限りの手助けをしているつもりである。


家族ではないと言われてもやはり家族なのに違いない。

それを前面に押し出さない事で今の暮しが成り立っているように思う。


愛しさは少し寂しさにも似ている。







2021年12月24日(金) 鶏肉事情

夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

幸い気温が高めで春先の雨のように暖かくなった。


最強寒波は日曜日から月曜日にかけて襲って来るとのこと。

先ほど市の無線放送で水道管の凍結に注意するよう呼びかけがあった。

どうやら逃れられそうにもない寒波に身構えるばかりである。



クリスマスイブ。仕事帰りに「ちきん館」で「丸っぽ鶏」を買って来た。

ローストチキンで鶏を丸ごと焼いたもので少しグロテスクだけれど

香ばしくてとても美味しく「ちきん館」の看板商品でもある。


娘がいそいそとパーティーの準備を始めていたけれど

結局今夜もじいちゃんと二人で先に食べてしまった。

娘達は家族水入らずで未だに食卓を囲んでいるようだ。


私は子供の頃から鶏肉が大好物で

新婚当初はそれが食べられずひたすら我慢をしていた。

嫁いだ家は鶏肉に限らず肉類を食べる習慣がなかったのだ。

郷に入れば郷に従え。肉を使った料理などもっての外で

姑さんから夕食の支度を頼まれるのもまるで試練のようなこと。


ある日のこと妊婦健診で街の産婦人科へ行った時

とうとう我慢できなくなり鶏の足の唐揚げを買って帰る。

もちろん自分一人でこっそりと食べるためであった。

久しぶりに食べる鶏肉のなんと美味しかったことだろうか。


しかし身は食べ尽くしても骨が残ってしまうのは当然のこと。

私はその骨をどうやって隠すべきか真剣に考えていた。


当時はまだ市のごみ収集など行われておらず

家庭ごみは各自が焼却して処分するのが習いであった。

紙類と一緒に燃やしても骨は残るだろうと思われる。

「この骨は何の骨だ」と姑さんにきっと見つかるだろう。


散々考えたあげく私は畑の隅に穴を掘って埋めることを思いつく。

それも姑さんの目を盗みつつの至難の業であった。

それからしばらくは見つかりやしないかと不安でならず

畑仕事をする姑さんの姿をはらはらしながら見ていたのだった。


食べたい物が食べられるようになったのは息子が生まれてからだった。

お舅さんが離れの部屋に小さな台所を作ってくれたのだ。

もう母屋の食事を任されることもなくなり

やっと「家庭」らしきものが出来る。

鶏肉も牛肉も豚肉も思う存分に食べた。







2021年12月23日(木) 臆病風

今日も真冬とは思えない程の暖かさとなる。

北国の大雪を思うとなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

この暖かさも明日までのようで週末から年末にかけて

最強寒波が襲って来るとのこと。とても不安でならない。


お客さんから中古の冬タイヤを探して欲しいと頼まれ

ヤフオクで入札したら出品者は北海道の業者であった。

きっと高知も雪が降るのかと思ったことだろう。

今日早速に発送通知が来た。来週早々には付け替え出来るだろう。

北海道から旅をして来るタイヤ。なんだか感慨深いものがある。


私は過去に雪道のスリップ事故を2回も経験しており

雪が降っただけで心臓が縮む程に恐怖心を覚える。

雪が降れば仕事を休むことにしていたけれど

昨年は思い切って冬タイヤを購入した。

それを付け替えしないまま春を迎えてしまったのだ。

今年こそはと思っているけれど年末までに出来るだろうか。

同僚の手を借りねばならずまだ言い出せずにいる。

あくまでもお客さんを優先しなければいけない。



子供の頃は雪が積もれば大喜びををしたものだ。

山間部に住んでいたので雪の日が多かったと記憶している。

今でも忘れられないのは「かまくら」

近所の上級生の男の子達が立派なかまくらを作ったことがあった。

けれども女の子は入ってはいけないと言われとても悔しかった。

歓声をあげている男の子達の楽しそうな姿を指をくわえて見るばかり。

かまくらを見たのはそれが最初で最後となり

それ以後それほどの大雪は降らなかったのかもしれない。


雪合戦、雪だるま。無邪気だった子供の頃がとても懐かしい。

今では臆病風に吹かれているのが嘘のようである。


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