ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年12月27日(月) トンネルを抜けると雪国だった

今朝は今季いちばんの冷え込みとなり薄っすらと雪が積もる。

道路には積もっておらずすぐに溶けるだろうと思っていたけれど

義父から電話があり山里は大雪になっていると聞きおどろく。

無理をして出勤して来ないようにと言われ自宅待機することになった。


これ幸いと本を読み始めたものの落ち着かず

窓の外を眺めるばかり。空は青く朝陽が眩しいほどだった。


お昼になり今日中に郵送しなければいけない書類があるのを思い出し

居ても立ってもいられなくなり急きょ職場に向かった。

あたりの雪はもう完全に溶けており順調に車を走らす。


伊豆田トンネルを抜け土佐清水市内に入ると

まさにトンネルを抜けると雪国であった。

道路の雪こそ溶けていたけれどあたり一面の銀世界で

昨夜から今朝にかけてかなりの雪が降り積もったことが分かる。


恐る恐る国道から山道に入った。道路には雪が残っていたけれど

幸い凍結はしておらずなんとか通り抜けることが出来た。

職場はすっぽりと雪の中。車にはうず高く雪が積もっていた。


3時間程仕事をして帰路に就く。同僚が冬タイヤに交換してくれる。

通行止めになっていた高速道路も走ることが出来て何よりだった。

ただ宿毛市平田ICから和田ICまでは未だ通行止めとのこと。

極寒の中を誘導する警備員の姿には頭が下がる思いであった。

トイレにも行けず紙おむつをしているのだと聞いたことがある。

皆自分に与えられた仕事を受けとめ全うしているのであろう。

たとえ半日でも自宅待機を許された私などは愚の骨頂である。


今朝の山道で見かけた冬遍路さんを山里の道でも見かけた。

男女のお遍路さんでご夫婦なのではないかと思われた。

道端にふたり佇みしきりにスマホを操作していた。

おそらく今日の目的地、延光寺までの道のりを調べていたのだろう。

「もう少しですよ」と声を掛けられなかったことが悔やまれる。


寒波は明日以降一時的に弱まりそうだけれど

また年末には大寒波が襲って来るのだそう。

真冬からはもう逃げられない。ならば立ち向かって行くしかない。



2021年12月26日(日) 太刀魚

小雪が舞う厳しい寒さとなる。

近隣の宿毛市や土佐清水市ではぼたん雪が降ったようだ。

今夜はもう降らなければ良いのだけれど

明日もまだ強い冬型の気圧配置が続くとのこと。

無事に出勤できるのかそればかり心配している。



あまりの寒さのためお大師堂にも行かず。

家の事は二の次にしても新年を迎える準備をしなければならない。

毎年自分に課している役目だけは果たしたいと思っている。

幸い29日で仕事納めが出来そうなので

大晦日までにはなんとか出来そうだった。



今日は「小京都四万十ジュニア駅伝」があったのだけれど

めいちゃんは残念ながら補欠とのこと。

選手に選ばれた時にはビックニュースと大喜びしていて

その後補欠だと聞かされてめいちゃんも少しショックだったようだ。

けれども放課後の練習には参加して一生懸命に頑張っていた。

トップランナーは2年生と決まっていてもし何かあれば

めいちゃんが代わりに走るのだから補欠も重要な存在である。

本人もそれを自覚しており極寒の中しっかりと待機していたよう。

補欠だと頭から諦めずにほんとうにえらかったと思う。

来年にはなんとしても走らせてあげたい気持ちが込み上げて来た。



夕飯に太刀魚を焼く。昨夜しらすウナギ漁に行っていた娘むこが

偶然に釣り上げたそうでけっこう大きな太刀魚だった。

普段スーパーで売っているものは高価で手が出ず

食べるのはほんとうに久しぶりの事でそれは美味であった。

孫たちは生まれて初めて食べる太刀魚だったようだ。



窓を開けて夜空を見上げれば星が瞬いている。

強い風もおさまっており静かな夜になった。

寒さは相変わらず厳しいけれどほっこりとこれを記す。





2021年12月25日(土) 家族として

陽射しはたっぷりとあったけれど風の強い一日。

明日の朝は氷点下となり日中もかなり冷え込むらしい。

雪にならない事をひたすら祈っている。


今朝は茶の間の障子が破れていたのを補修する。

「いくらなんでもみっともないぞ」とじいちゃんから言われていた。

すべて貼りかえる根気はなくほんの一部分だけだった。

家中に気になるところは沢山あるけれど

大掃除をする根気も無かった。このまま最低限の小掃除になりそう。

普段からこまめにしていれば年末に慌てることもないのだけれど。

無理をしないことに決めている。出来ない事があっても良い。



クリスマス。孫たちにはサンタさんからお手紙とプレゼントが届いていた。

手紙を読んだあやちゃんが「どうしてひらがなばかりなの?」と。

娘が「サンタさんは外国人だから漢字が書けないのよ」と言っていた。

あやちゃんはもうサンタさんの存在を信じていないようだけれど

一瞬半信半疑になったようで複雑な表情をして見せていた。

手紙が届くということはきっとそういうことなのだろう。

親としてはいつまでも信じていてほしいものだと思う。

親に向かって「ねえ買って」では夢も何もありはしないものだ。



今年も「しらすウナギ漁」が解禁となり

日暮れを前に娘婿が出掛けて行く。

もちろん夕飯も食べず娘と孫たちは寂しそうにしていた。

しばらくは母子家庭のような日々が続くのだろう。

仕方ない事なのだろうけれど少し不憫に思えてならない。

娘は私に似ずあっけらかんとした性格なのだけれど

子供達が言うことを聞かないとさすがに苛立ちを覚えるようだ。

さっきも「さっさとお風呂!」と少し声を荒げていた。


いつまでも同居は在り得ないからと釘を刺されているけれど

私達夫婦も居ないよりはましなのではないだろうか。

恩を着せる訳ではないけれど出来る限りの手助けをしているつもりである。


家族ではないと言われてもやはり家族なのに違いない。

それを前面に押し出さない事で今の暮しが成り立っているように思う。


愛しさは少し寂しさにも似ている。







2021年12月24日(金) 鶏肉事情

夕方からぽつぽつと雨が降り始める。

幸い気温が高めで春先の雨のように暖かくなった。


最強寒波は日曜日から月曜日にかけて襲って来るとのこと。

先ほど市の無線放送で水道管の凍結に注意するよう呼びかけがあった。

どうやら逃れられそうにもない寒波に身構えるばかりである。



クリスマスイブ。仕事帰りに「ちきん館」で「丸っぽ鶏」を買って来た。

ローストチキンで鶏を丸ごと焼いたもので少しグロテスクだけれど

香ばしくてとても美味しく「ちきん館」の看板商品でもある。


娘がいそいそとパーティーの準備を始めていたけれど

結局今夜もじいちゃんと二人で先に食べてしまった。

娘達は家族水入らずで未だに食卓を囲んでいるようだ。


私は子供の頃から鶏肉が大好物で

新婚当初はそれが食べられずひたすら我慢をしていた。

嫁いだ家は鶏肉に限らず肉類を食べる習慣がなかったのだ。

郷に入れば郷に従え。肉を使った料理などもっての外で

姑さんから夕食の支度を頼まれるのもまるで試練のようなこと。


ある日のこと妊婦健診で街の産婦人科へ行った時

とうとう我慢できなくなり鶏の足の唐揚げを買って帰る。

もちろん自分一人でこっそりと食べるためであった。

久しぶりに食べる鶏肉のなんと美味しかったことだろうか。


しかし身は食べ尽くしても骨が残ってしまうのは当然のこと。

私はその骨をどうやって隠すべきか真剣に考えていた。


当時はまだ市のごみ収集など行われておらず

家庭ごみは各自が焼却して処分するのが習いであった。

紙類と一緒に燃やしても骨は残るだろうと思われる。

「この骨は何の骨だ」と姑さんにきっと見つかるだろう。


散々考えたあげく私は畑の隅に穴を掘って埋めることを思いつく。

それも姑さんの目を盗みつつの至難の業であった。

それからしばらくは見つかりやしないかと不安でならず

畑仕事をする姑さんの姿をはらはらしながら見ていたのだった。


食べたい物が食べられるようになったのは息子が生まれてからだった。

お舅さんが離れの部屋に小さな台所を作ってくれたのだ。

もう母屋の食事を任されることもなくなり

やっと「家庭」らしきものが出来る。

鶏肉も牛肉も豚肉も思う存分に食べた。







2021年12月23日(木) 臆病風

今日も真冬とは思えない程の暖かさとなる。

北国の大雪を思うとなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

この暖かさも明日までのようで週末から年末にかけて

最強寒波が襲って来るとのこと。とても不安でならない。


お客さんから中古の冬タイヤを探して欲しいと頼まれ

ヤフオクで入札したら出品者は北海道の業者であった。

きっと高知も雪が降るのかと思ったことだろう。

今日早速に発送通知が来た。来週早々には付け替え出来るだろう。

北海道から旅をして来るタイヤ。なんだか感慨深いものがある。


私は過去に雪道のスリップ事故を2回も経験しており

雪が降っただけで心臓が縮む程に恐怖心を覚える。

雪が降れば仕事を休むことにしていたけれど

昨年は思い切って冬タイヤを購入した。

それを付け替えしないまま春を迎えてしまったのだ。

今年こそはと思っているけれど年末までに出来るだろうか。

同僚の手を借りねばならずまだ言い出せずにいる。

あくまでもお客さんを優先しなければいけない。



子供の頃は雪が積もれば大喜びををしたものだ。

山間部に住んでいたので雪の日が多かったと記憶している。

今でも忘れられないのは「かまくら」

近所の上級生の男の子達が立派なかまくらを作ったことがあった。

けれども女の子は入ってはいけないと言われとても悔しかった。

歓声をあげている男の子達の楽しそうな姿を指をくわえて見るばかり。

かまくらを見たのはそれが最初で最後となり

それ以後それほどの大雪は降らなかったのかもしれない。


雪合戦、雪だるま。無邪気だった子供の頃がとても懐かしい。

今では臆病風に吹かれているのが嘘のようである。



2021年12月22日(水) 柚子の木と蜜柑の木

今日は冬至。最高気温が18℃まで上がりぽかぽか日和となる。

明日から少しずつ日が伸びて来る。春はまだ遠いけれど

季節は確実に春に向かっているのだろう。

終らない冬はない。もうしばらく冬と付き合っていこう。


柚子農家さんがお風呂にとまた柚子を届けてくれた。

柚子酢の上にお風呂まで気遣ってくれてありがたいこと。

今夜はほんのりと柚子の香るお風呂でゆっくりと温まった。


我が家にも柚子の木を植えてみたくなり先日から探しているけれど

ホームセンターでは見当たらず時季外れなのかもしれない。

昔は一条大祭などで植木市があったけれど今はどうなのろう。

もし見つけられたら一本だけでも買い求め植えてみたいものだ。

でも植えてから実をつけるまで数年待たなければいけないよう。

そのためには長生きをしなければならずそれも張り合いになる。

楽しみにしながら生き永らえるのまた良いのかもしれない。



母の生まれ育った実家は蜜柑農家であった。

30年位前までは祖父もまだ元気で蜜柑を栽培していたと記憶している。

家の離れに「蜜柑の部屋」があり収穫した蜜柑を寝かせてあった。

もちろん蜜柑畑もあったのだけれど今はもうその跡形も無い。

祖父が根こそぎ木を掘り起こしたとは考えられず

おそらく自然に枯れたかして消滅してしまったのだろう。

祖父は丹精込めて蜜柑を栽培していたのだと思う。

種類は違ってもそれは柚子農家さんと同じなのではないだろうか。


蜜柑の木は無くなってしまってもその味は今も忘れられない。

小粒で甘くてとても美味しかった。


それにしても木が枯れることが信じられない。

根さえあればいつまでも生き続けているように思えてならない。




2021年12月21日(火) 桜餅

曇り日。陽射しがなく日中も肌寒く感じる。

冬枯れた景色のなか銀杏の裸木が物悲しく見えた。

羽根を休める鳥もいない。ただ風だけが吹く抜けていく。



支払いに来てくれたお客さんが手土産にと和菓子を持って来てくれた。

蓋をあけて思わず歓声をあげる。なんと可愛らしい和菓子だこと。

兎の姿をしたものや虎の姿をした物もあり笑みがこぼれる。

老舗の和菓子ならではの職人技なのだろう。

一目見ただけでそれが心を込めて作られたことが感じられた。

ダイエット中で甘い物は控えているけれど一個だけならと許し

豆大福を頂いた。中は白餡でとても優しい甘さが美味であった。



高校時代に友達とよく行っていた和菓子屋さんを思い出す。

安芸市の「和食屋」というお店できっと今もあると思う。

私も弟もその店の桜餅が大好きだった。

弟が二十歳くらいの時だったろうか。私はすでに嫁いでいたけれど

久しぶりに弟に会うのに手土産にとその桜餅を持参したことがある。

けれども弟は意に反してあまり喜んではくれなかったのだ。

「大好きだったのに」と私が言えば「いつの話だよ」と苦笑いする。


今思えば二十歳の男の子に桜餅は不似合いだったのだろう。

おとなになれば好みも変わるそれが当然のことに思われる。

「こんなにどっさり買うてきて」と弟は呆れ顔をしていた。

それでもなんとか一個だけは食べてくれて

「後は姉ちゃんが持って帰りなよ」とまた私の手元に戻って来た。

ちょっとどころかけっこう寂しかった。そうして苦い思い出となる。


けれどもこうして40年以上の歳月が流れてしまえば

苦い思い出も愉快な思い出となってくれるものなのだ。


私はあれ以来桜餅を殆ど口にしたことがない。

弟もおそらく同じだろうと思う。

安芸市に足を運ぶこともなくなり「和食屋」の桜餅がとても懐かしい。


春になり桜の季節になればまたきっと思い出すことだろう。


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