最高気温が10℃を超え陽射しが暖かく感じられる。
朝の寒さにも慣れて来たようだ。少しも苦にはならなくなった。
夜明けを待ちかねて大量の洗濯物を干す。
冷たくなった手のひらもファンヒーターにかざせばすぐに温もる。
貸し倒れ寸前になっているお客さんがいて
数年前から郵便物が届かなくなっている。
幸い勤務先が分かっているので請求書を届けに行っていたら
今年の春に退職したとのこと、もう諦めるしかないのか。
そうしたら思いがけずに新しい勤務先を教えてくれたのだった。
それが隣町の得意先の建設会社だったのでびっくりとおどろく。
ちょうど今日が集金日で午後から出向くことになっていたのだ。
追い掛け回すようで少し気が引けたけれど背に腹は代えられず
事務員さんに事情を話し請求書を預けることが出来た。
そうしたら一時間も経たないうちに社長さんから電話があった。
なんとしても責任を持って支払わせるからと言ってくれる。
「お金にルーズな者は仕事もルーズだから」と
とても厳しい口調で「許せない」とまで言うのだった。
私はとても複雑な気持ちになる。まるで自分が鬼の取立屋であるかのよう。
貸し倒れにすることは容易く今年限りで諦めることも出来たのだ。
請求書はあくまでも年末の形式的なものに過ぎなかった。
最後の取引から10年を超えておりすでにお客さんではないかもしれない。
けれども縁があったことは確かで当時は好青年にさえ思えた。
ギャンブル狂と噂に聞いていたので暮しにも困っているのだろう。
無い物は払えない。それが当然の事だと思われる。
仕事を終えてから社長にこっぴどく叱られたのではあるまいか。
「くそ、どこまでも追い掛けて来やがって」と悪態もつきかねない。
そんなことを考えていると何が善くて何が悪いのか分からなくなる。
もし年末までに振り込みがあればとてもありがたいことだけれど
振り込みが無かったらもう潮時なのではないだろうか。
縁を切ってあげるのも人の道ではないかと思ったりしている。
幸い雪にはならなかったけれど午前中は時雨れていた。
もう少し気温が下がっていたら小雪の舞う一日になったことだろう。
朝のうちに川仕事へ。海苔の種網を漁場に張る作業。
今年は種付けが順調に行かずほんのわずかであった。
それでも無いよりはまし。少しでもと思う気持ちが大きい。
昨年の三分の一ほど。収穫もぐんと少なくなりそうだ。
例年なら1月下旬には収穫が始まるのだけれど
今年は大幅に遅れそうで前途は決して明るくはない。
40年もこの家業を続けていればどんな年もあり
豊作の年もあれば不作の年もある。
ここ数年は不作の年が続いておりとても期待は出来ない。
一番大きな原因は水質の悪化ではないかと思われる。
水温の高さもありそればかりは自然に任せるしかなかった。
昔とはもう違うのだと現実の厳しさをつくづくと感じる。
長くてあと10年だろうか。いや5年で絶滅するかもしれない。
それでも最後まで諦めずに続けられたらと願ってやまない。
この40年を思い起こせば感慨深く懐かしく思い出される事が多い。
息子が3歳の時には高知放送のテレビ番組の取材を受けた。
「三歳児の世界」という番組で作業場で一人遊ぶ息子の姿を
テレビカメラに収めてくれてとても良き思い出となった。
両親ともに働いている傍らで息子は健気な3歳児として映る。
春先の事で土手で土筆を見つけて微笑んでいる顔が印象的だった。
もちろん録画をして当時は何度も再生して見たけれど
古くなったVHSのテープは今はもう再生出来なくなってしまった。
けれどもあの時の息子の笑顔は今も目に鮮やかに蘇って来る。
まだ乳飲み子だった娘も今年は40歳になった。
忙しさのせいにして抱っこもしてあげられなかった日々がある。
夜泣きはしたけれど昼間はすやすやとよく眠ってくれる子だった。
オムツはいつもぐっしょり。今思えば不憫な子だったのかもしれない。
その娘が小学生になって学校の社会見学で先生とクラスのお友達が
作業場の見学に来ることになった時、娘は泣いて嫌がっており
とうとうその朝熱を出して学校を休んだことがあった。
娘にとっては決して自慢出来ることではなかったのだろう。
熱が出るほど精神的に追い詰められてしまったのだと思う。
けれども私達夫婦は「誇り」を捨てることが出来なかった。
最低限の暮しを守るために精一杯の努力を惜しまなかったのだ。
40年の歳月が流れ犠牲にしてきたことも多い。
けれども家業がなければ叶わなかったことも確かにある。
「潮時」という言葉があるけれど満潮だろうか干潮だろうか。
窮地に追い込まれた時に「潮時」というのは「諦め」に等しい。
今日は大潮で空にはそれは綺麗な満月が輝いている。
予報通りに厳しい冷え込み。山間部では初雪が降ったようだ。
川向の山が薄っすらと雪化粧をしているのを見た朝。
日中も気温が上がらずそれでも精一杯の陽射しだった。
孫たちは参観日で通常通りの授業。
寒さに負けず元気に登校するものと思っていたけれど
あやちゃんが憂鬱そうな顔をして「行きたくない」と言う。
理由ははっきりと言ってくれて
昨日仲良しのお友達と喧嘩をしたのだそう。
どうやら日頃から体型の事を言われたりして傷ついていたらしい。
仲良しだからこそそれがストレスになっていたのだと思う。
娘は無理強いをしない。私達もそれに倣った。
ゆっくりと時間をかけて見守ってあげなければいけない。
学校を休むことに後ろめたさを感じていたのだろうか
今朝は洗濯物を庭まで運んでくれてその上に干すのを手伝ってくれる。
冷たさにかじかんだ手のひら。思わず手を取って温めていた。
人一倍優しい子なのだ。だからこそ傷つきやすいのだと思う。
朝のうちにすぐ担任の先生から娘に電話があり心配していた様子。
授業参観が終わってから娘は洗いざらい話したのだそうだ。
些細な事からいじめに繋がることもある。
先生も心して見守ってくれると言ってくれたそう。
私も中学時代にいじめられたことがあり他人事ではなかった。
今のように陰湿ないじめではなかったけれど
母親もおらず誰にも相談できなかったことを憶えている。
父親には何も言えなかったから自分で解決するしかなかった。
私は直談判をした。どうしていじめるのかと立ち向かって行ったのだ。
今思えばそれ程の強さが自分にあったことが信じられない。
結果的にその「つよさ」が自分を救ってくれたのだろうと思う。
傷つくことを怖れてはいけない。痛みを糧に乗り越えて行くことだ。
夕飯は「寄せ鍋」あやちゃんは好物のくずきりをちゅるちゅると食べる。
今季最強の寒波だとか。強い北風が吹き荒れている。
それは初雪の前触れのようでもあった。
職場の年賀状の宛名を書き終え郵便局へ持って行く。
印刷ばかりでは味気なく思い宛名だけは手書きにしている。
そのままポストに入れてしまえば良いのだけれど
ポストの中でばらばらになってしまいそうで不安なのだ。
局長さんに受け取ってもらえてとてもほっとした。
私は今年も年賀状を出さないことに決めている。
気忙しさの中で書きしたためてもいけない気もするし
新年が明けてからゆっくりと寒中見舞いを出そうと思っている。
その気持ちが伝わる人にはちゃんと伝わるだろうし
伝わらない人にはそれでいい。縁が途絶えても仕方ないと思う。
とにかく気分的にとても楽なのだ。あたふたと義理を通すこともない。
今年もあと2週間となり背中を押されているようなこの頃。
じいちゃん曰く。何もしなくても新しい年は来るのだそう。
だから大掃除もしない。最低限の家事だけをしていようと思う。
昨日母に宣言したように仕事だけはきっちりと終えたい。
29日には仕事納めが出来るように精一杯頑張っている。
年越しの仕事だけはあってはならない。それがけじめだろう。
来週いっぱいが勝負だ。なんとしても乗り越えてみせよう。
背中を押されるのはあまり好きではない。
出来れば自分の意思で前へ進みたいものだ。
きっと心地よい達成感が待っているだろうと思う。
午前中は晴れていたけれど午後からぽつぽつと雨が降り始める。
幸い冷たい雨ではなく少しくらい濡れても平気だった。
お昼で仕事を終わらせてもらって病院へ向かう。
いつもはお薬だけだけれど今日は診察があった。
待ち時間が辛いので早めに行き順番を取っておく。
前回の診察はいつのことだったか。
医師からきついことを言われ不覚にも泣いてしまったのだ。
よほど相性が悪いのだろう。信頼感は一気に薄れる。
嫌悪感もつのり顔さえも見たくないと思っていた。
けれども今日は診察を避けられず仕方ないと観念する。
とにかく自分からは何も話さないこと。
訊かれたことだけに応えるように努めてみた。
医師も素直な患者だと思ったのだろう。優しい笑顔を見せてくれる。
これからまだ長く付き合っていかなければいけない。
ようは私の心がけ次第なのだと改めて思った。
短時間で薬を貰えたので次は母の施設のある病院へ向かう。
先月分の支払いを済ませケアマネさんに会いに行くと
主治医の先生から大切な手紙を預かっているとのこと。
それは現在の母の病状に関することで
心臓は落ち着いているけれど腎機能が著しく低下しているらしい。
最悪の場合は透析をしなければいけないのだそうだ。
病院には透析の設備が無いため転院し施設も替らなければいけないと言う。
母の命を守るためにそれは必要なことだと分かっていても
慣れ親しんでいる施設を替るのはとても酷な事に思えてならない。
近日中に家族の意思を知らせてほしいと言われた。
私の一存では決められず明日にでも義父に相談しようと思う。
母との面会も叶ったけれど終始仕事の話ばかり。
資金繰りは大丈夫か。無事に年を越えられそうか。
事実上は引退している母であってもやはり心配でならないのだろう。
会社の通帳を見せたら「あらまあ」とびっくりしていた。
私が「ボーナスも貰うからね」と笑いながら言ったら
「お父さんにもあげてね」と義父の事を気遣っていた。
今年最後の面会になるだろう。どうか元気に新年を迎えて欲しい。
買物を済ませ帰路を急いでいたらけい君の小学校から着信。
今朝は久しぶりに登校していたけれど午後からまた微熱とのこと。
養護の先生からの電話で保健室で預かっていると言う。
今日は息子からお迎えを頼まれていたのですぐにじいちゃんが向かった。
マンションへ送り届けたらお嫁さんは寝ていたらしい。
おそらく昼間のうちに睡眠薬を飲んでいたのだろう。
今さらどうしようも出来ない事だけれど遣り切れない思いが募る。
けい君が不憫でならないけれど手も足も出せなかった。
けい君、晩ご飯はちゃんと食べられたろうか。
息子は夜勤なのだろうか。何も分からないまま夜が更けていく。
日中は今日も暖か。やわらかな陽射しをいっぱいに浴びる。
今朝は左足の痛みが少し和らいでいてとてもほっとした。
颯爽とはいかないけれど歩けるのはほんとうにありがたいことだ。
父方の伯母の命日。父の兄嫁にあたる人だけれど
私と弟にとっては母親代わりでもあり大好きな伯母であった。
父が死んだ時も伯母の顔を見るなり堪えていた涙があふれたのだった。
伯母に抱きつき声をあげて泣いたことが忘れられない。
中学の修学旅行の時、伯母は前夜から泊まり込みで来てくれて
早朝に出発する私の為にお弁当を作って送り出してくれた。
今思えば伯母にも子供達がいたのに当然のように甘えてしまったのだ。
父の葬儀の後、伯母の次男である従兄弟から聞いて初めて知った。
伯母は決して好き好んで私達の世話をしてくれていたのではなかった。
祖母である姑の命令で「行かされていたのだ」と従兄弟は言う。
「なにしろ自慢の息子だからな」と彼は皮肉を込めてそう言った。
その時のショックはとても大きかったけれど
従兄弟達から一時的にせよ母親を奪っていたことに変わりない。
けれども当時の私はそこまで思い遣るほどおとなではなかったのだ。
従兄弟のいう「自慢の息子」とはもちろん父のことで
祖母は5人の子を産み育てたけれど父が一番の出世頭だったからだ。
そしておそらく他の子供よりも可愛くてならなかったのだろう。
その子供が窮地に晒されたならなんとしても助けてあげたい。
その気持ちゆえに嫁である伯母に強いることを選んだのだろう。
そんな真実を知らされても伯母の優しさを疑うことは出来なかった。
伯母はほんとうに親身になって私達に接してくれたからだ。
今でも感謝しきれない程の恩を感じている。
11年前の夜、すでに独り暮らしだった伯母は入浴中に亡くなった。
翌朝訪ねて来た近所に住む叔母がお風呂で息絶えている伯母を見つけた。
その数日前に今思えば虫の知らせだったのか
伯母と電話で長いこと語り合ったことが忘れられない。
その時私は感謝の気持ちをしっかりと伝えることが出来たのだった。
再会の約束は叶わなかったけれど
伯母の優しい微笑みは今も私のこころでしっかりと生き続けている。
今朝は氷点下にこそならなかったけれど厳しい冷え込み。
日中は陽射しに恵まれほっとするような暖かさだった。
朝の国道では歩き遍路さんが3人。防寒着は着ておらず
軽装の白装束で少しも寒そうには見えなかった。
歩くと身体が温まるのだろう。颯爽とした足取りであった。
歩くこともままならない私にはそれはもう憧れにしかならない。
けい君今朝も微熱があり学校を休んだとのこと。
お嫁さんは予定通りに退院するらしく息子が迎えに行くと言っていた。
午後、それとなく電話してみようかと思いつつ躊躇う。
じいちゃんからもあまり干渉するなと言われていた。
お嫁さんも気を遣うだろうしそれがストレスにもなり兼ねない。
とにかくしばらくは遠くから見守るしかないのだろう。
ちょうど良い距離というものはけっこう難しいものだ。
そしてなんだかとても寂しい。
定時で仕事を終えられたので図書館へ直行する。
司書の女性がとても親切に目当ての本をすぐに探し出してくれた。
市役所の二階の階段を勢いよく駆け上がったのがいけなかったのか
夕方から左足の痛みが酷くなり踏ん張ることが出来ない。
片足では立っていられずお風呂の浴槽も跨げないのだった。
そろそろやばいのかなと思う。整形外科に行くべきなのかもしれない。
けれどもいつ行こう。何をするのにも時間の余裕が全くない。
ふう、このところマイナス続きで自分でもうんざりしている。
まあそれも人間だから仕方ない。マイナスにマイナスを足すしかない。
夕飯は鰹のタタキ。孫たちには甘海老のお刺身。
他には高野豆腐と椎茸を煮たり牛ハラミのタレ漬けを焼いたり。
あやちゃんが甘海老をそれは喜んで食べること。
それはとても微笑ましい光景であった。
「また買って来るね」と言ったら「うん!」と笑顔を見せてくれる。
私にだってプラスはある。今夜も平和な夜だ。
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