日中は今日も暖か。やわらかな陽射しをいっぱいに浴びる。
今朝は左足の痛みが少し和らいでいてとてもほっとした。
颯爽とはいかないけれど歩けるのはほんとうにありがたいことだ。
父方の伯母の命日。父の兄嫁にあたる人だけれど
私と弟にとっては母親代わりでもあり大好きな伯母であった。
父が死んだ時も伯母の顔を見るなり堪えていた涙があふれたのだった。
伯母に抱きつき声をあげて泣いたことが忘れられない。
中学の修学旅行の時、伯母は前夜から泊まり込みで来てくれて
早朝に出発する私の為にお弁当を作って送り出してくれた。
今思えば伯母にも子供達がいたのに当然のように甘えてしまったのだ。
父の葬儀の後、伯母の次男である従兄弟から聞いて初めて知った。
伯母は決して好き好んで私達の世話をしてくれていたのではなかった。
祖母である姑の命令で「行かされていたのだ」と従兄弟は言う。
「なにしろ自慢の息子だからな」と彼は皮肉を込めてそう言った。
その時のショックはとても大きかったけれど
従兄弟達から一時的にせよ母親を奪っていたことに変わりない。
けれども当時の私はそこまで思い遣るほどおとなではなかったのだ。
従兄弟のいう「自慢の息子」とはもちろん父のことで
祖母は5人の子を産み育てたけれど父が一番の出世頭だったからだ。
そしておそらく他の子供よりも可愛くてならなかったのだろう。
その子供が窮地に晒されたならなんとしても助けてあげたい。
その気持ちゆえに嫁である伯母に強いることを選んだのだろう。
そんな真実を知らされても伯母の優しさを疑うことは出来なかった。
伯母はほんとうに親身になって私達に接してくれたからだ。
今でも感謝しきれない程の恩を感じている。
11年前の夜、すでに独り暮らしだった伯母は入浴中に亡くなった。
翌朝訪ねて来た近所に住む叔母がお風呂で息絶えている伯母を見つけた。
その数日前に今思えば虫の知らせだったのか
伯母と電話で長いこと語り合ったことが忘れられない。
その時私は感謝の気持ちをしっかりと伝えることが出来たのだった。
再会の約束は叶わなかったけれど
伯母の優しい微笑みは今も私のこころでしっかりと生き続けている。
今朝は氷点下にこそならなかったけれど厳しい冷え込み。
日中は陽射しに恵まれほっとするような暖かさだった。
朝の国道では歩き遍路さんが3人。防寒着は着ておらず
軽装の白装束で少しも寒そうには見えなかった。
歩くと身体が温まるのだろう。颯爽とした足取りであった。
歩くこともままならない私にはそれはもう憧れにしかならない。
けい君今朝も微熱があり学校を休んだとのこと。
お嫁さんは予定通りに退院するらしく息子が迎えに行くと言っていた。
午後、それとなく電話してみようかと思いつつ躊躇う。
じいちゃんからもあまり干渉するなと言われていた。
お嫁さんも気を遣うだろうしそれがストレスにもなり兼ねない。
とにかくしばらくは遠くから見守るしかないのだろう。
ちょうど良い距離というものはけっこう難しいものだ。
そしてなんだかとても寂しい。
定時で仕事を終えられたので図書館へ直行する。
司書の女性がとても親切に目当ての本をすぐに探し出してくれた。
市役所の二階の階段を勢いよく駆け上がったのがいけなかったのか
夕方から左足の痛みが酷くなり踏ん張ることが出来ない。
片足では立っていられずお風呂の浴槽も跨げないのだった。
そろそろやばいのかなと思う。整形外科に行くべきなのかもしれない。
けれどもいつ行こう。何をするのにも時間の余裕が全くない。
ふう、このところマイナス続きで自分でもうんざりしている。
まあそれも人間だから仕方ない。マイナスにマイナスを足すしかない。
夕飯は鰹のタタキ。孫たちには甘海老のお刺身。
他には高野豆腐と椎茸を煮たり牛ハラミのタレ漬けを焼いたり。
あやちゃんが甘海老をそれは喜んで食べること。
それはとても微笑ましい光景であった。
「また買って来るね」と言ったら「うん!」と笑顔を見せてくれる。
私にだってプラスはある。今夜も平和な夜だ。
たっぷりの陽射しに恵まれたけれど日中の気温は低目。
明日の朝は氷点下まで気温が下がるそうだ。
もう冬からは逃れそうにもない。
受けとめながら観念するしかないようだ。
けい君5時半に起床。そうしたらあやちゃんも起きて来て
4人でにぎやかに朝食を食べる。楽しそうなふたり。
それから登校時間までタブレット三昧をしていたようだ。
いざ登校時間になってランドセルを背負う直前に熱を測る。
それはコロナ禍になってから義務付けられている事だった。
そうしたらけい君まさかの微熱。本人も驚いたのだろう
息子に似て神経質な所があり急に気分が悪いと言い出したのだった。
ついさっきまで元気溌剌だったのが一気に弱り果ててしまった。
仕方なく学校を休むことにしたのだけれど風邪の症状はなく
もしかしたら母親の入院で精神的に不安定になっていたのかもしれない。
その上に環境の変化が伴い無理もない事だろうと思われた。
前回の入院の時も学校で泣いてしまったことを思い出した。
幼い心で必死で耐えている。微熱もその証拠ではないだろうか。
仕事を終えた息子が先ほど迎えに来て笑顔で帰って行った。
朗報と言うべきなのかまだ不安でならないのだけれど
お嫁さんは予定を早めて明日退院することになったのだそう。
息子は大丈夫だろうと言う。その言葉を信じるしかない。
前回の時もそうだったけれど手放しで喜べない複雑な気持ちだった。
どうかどうか無事に日常生活が送れますようにと祈るばかり。
悪い事を考え始めたらきりがなくふと自死が頭をかすめた。
夜勤の多い息子が留守の夜にけい君を道連れにするのではないか。
そんな事は決してあってはならない事なのだけれど
絶対に在り得ないとは限らない。それが大きな不安となる。
なんだか深い闇の中に引きずり込まれているような気になる。
どんな境遇であっても生き抜いて欲しい。
未来にはきっと救われる道が通じているのだと信じて欲しい。
終らない冬はない。きっときっと春が来るのだから。
日中の暖かさも今日までのようだ。
明日はぐんと気温が低くなるとのこと。
いよいよ本格的な冬が訪れるのだろう。
あんずの命日。もう8年の歳月が流れてしまった。
毎日川辺の道を歩きお大師堂に行ったことも懐かしく
今日は供養も兼ねてお参りに行っていた。
あんずはどうしたわけかお大師堂が苦手で
外の木に繋いで私がお参りをしているあいだ
ひいひいと泣くような声をあげて叫ぶのが常だった。
出会ったお遍路さんに人間の生まれ変わりだと言われたこともある。
前世に何か罪を犯してお大師さんが怖いのだろうと言うのだ。
その時にはさすがに悲しかった記憶も今では懐かしい。
決して怖かったのではない。ただ心細くて泣いていたのだと思う。
友達とランチの約束をしていたけれどキャンセルさせてもらう。
気忙しさもありとてもそんな気分になれなかった。
お昼前には息子がけい君と一緒に来て昼食を食べる。
息子は夜10時まで仕事のこと。相変わらず不規則な勤務だった。
夕飯前にじいちゃんとお風呂に入り3人で夕飯を食べる。
昨夜のハンバーグが残っておりぺろりと平らげてくれた。
息子にお嫁さんから連絡があり来週末には退院出来そう。
前回と同様で短期間の入院で済みそうだった。
けれども完治は在り得ない。ただ少し精神的に落ち着くだけだろう。
それでも少しでも日常の事が出来るようになればと願ってやまない。
私はカウンセリングの資格を取りたい。心理学も学びたくてならない。
そうしてお嫁さんを救うことが出来たらどんなに良いだろうか。
隣室であやちゃんと遊んでいたけい君が「おしっこちびった」と。
楽しくて笑い過ぎたらしく愉快なことであった。
我が家は今夜も平和そのものである。
連日の冬日和。風もなくぽかぽかと暖かい。
玄関先に葉牡丹とパンジーそれから南天を植える。
南天の葉は真っ赤に色づいておりとてもきれい。
「難を転ずる」と言って縁起ものなのだそう。
葉牡丹とパンジーは寒さに強くたくましい花。
新年を迎える準備を少しずつせめて玄関先だけでもと思う。
夏からずっと咲き続けている日日草はそのままに。
引いてしまうのはあまりにも可哀想だった。
けい君の上履きがあまりにも汚れていて洗おうとしたけれど
おそらく春から一度も洗っていなかったのではないだろうか。
頑固な汚れでその上サイズも小さくなっているようだったので
息子に相談するまでもなく新しいのを買うことにした。
お嫁さんも洗わないのではなく洗えなかったのだろうと思う。
最低限の家事をするだけで精一杯だったのだろうと察する。
夜勤明けの息子が朝迎えに来てくれたけれど
少しでも眠らせてあげたくて午後まで預かることにした。
3時頃また迎えに来てくれたけれど「帰りたくない」と駄々をこねる。
「お父さん独りぼっちでさびしいよ」やっと帰る気になってくれた。
母親の事は一切口にしない。健気に耐えているのだろうと思う。
明日午後からまた預かることになり月曜日は我が家から登校する。
上履きも新しくなり体操服も洗濯をし準備は万端である。
ランドセルも水筒もジャンバーも我が家に置いてあるのだった。
お嫁さんの様子は全く分からないけれど心配はないだろう。
入院すれば薬の管理もしてくれるのでそれがいちばんの安心だった。
とにかく精神的に落ち着くこと。彼女もそれを求めているに違いない。
夕飯はまた里芋を煮た。後は鮭の塩焼きと照り焼きハンバーグ。
ローストビーフと菜の花の胡麻和え。我が家にしては豪華なり。
じいちゃんと二人で食べ始めていたら娘むこが加わり
やがて娘も孫たちも加わり久しぶりの家族団らんとなった。
最高気温が18℃を超えずいぶんと暖かな一日だった。
油断をしているといつ寒気が襲って来るやらわからない。
師走なのだ冬なのだと言い聞かすように過ごさねばならない。
今夜はけい君を預かっている。
母親であるお嫁さんがまた入院してしまったのだ。
息子は夜勤とのこと。夕方けい君を迎えに行く。
やはり昨日の様子は尋常ではなかったのだ。
気丈に振る舞っていたけれど限界だったのだろう。
自ら入院したいと言って病院へ行ったそうだ。
それを聞くと昨日の今日で私が追い詰めてしまったのかもしれない。
なんとなくそんな気がして心を痛めている。
息子もけい君も「また入院」とけっこうあっけらかんとしている。
私も見習わなくてはいけない。またひと山乗り越えるような気持ちで。
いちばん辛いのはお嫁さんなのだ。それを忘れてはいけないと思う。
夕飯は「すき焼き」にした。とても嬉しかったのは
あやちゃんとめいちゃんがけい君と一緒に食べてくれたこと。
私は最初から諦めていてじいちゃんと三人で食べようと思っていた。
ぐつぐつとすき焼きが煮えたら「おなかすいた」と二人の声。
それがどれほど思いがけなかったことだろう。
けい君も笑顔で三人の孫たちが競い合うように食べてくれたのだ。
夕食後、けい君とお風呂に入った。初めての事なのでドキドキ。
だっておちんちんが付いているのだもの。
けい君はいつもシャワーで湯船に浸かるのは初めてだと言った。
肩まで浸かってとても気持ち良さそうにしていた。
息子が用意してくれた荷物にパジャマが無かった。
けい君に訊くと冬でも半袖Tシャツで寝ているのだそう。
今夜は暖かいけれどさすがにそれはと思ってしまう。
あやちゃんのパジャマのズボンを借りトレーナーを着せた。
今は娘たちの部屋に居てタブレット三昧をしているようだ。
娘むこも嫌がらずにいてくれてほんとうに感謝しかない。
おかげでこうして今夜も日記を書くことが出来た。
そろそろお布団の準備をしなければいけない。
前回は夏だったので雑魚寝状態だったけれど朝方は冷えるだろう。
けい君に風邪を引かせないよう暖かくして眠ろうと思う。
平穏無事な一日ではなかったのかもしれないけれど
今はとても平和な夜になった。
朝の冷え込みもつかの間。日中は今日も暖かくなる。
「小春日和」という言葉はもうふさわしくないようだ。
ある方のブログでそれを知る。冬の暖かな日のことを
「冬日和」と言うのだそうだ。今日まで知らなかった。
季節ならではの言葉をもっと学びたいなと思う。
午後4時には仕事を終えて帰宅していたのだけれど
息子から電話があり急きょけい君を迎えに行っていた。
5時限目から腹痛があり保健室で寝ていたとのこと。
学校から息子に連絡があったけれど息子は仕事中だった。
はらはらしながら迎えに行くと「もうなおった」と言う。
発熱もなさそうでもう大丈夫かなとマンションへ送り届ける。
しかし母親であるお嫁さんの体調が思わしくなく
心配のうえにまた心配が重なるばかり。
息子は準夜勤で午後9時過ぎまで帰れそうになかった。
二人きりにしておいて良いものかなんとも気がかりでならない。
そんな私の気持ちを察したのかお嫁さんが「大丈夫です」と言う。
その言葉を信じるしかなく後ろ髪を引かれるように帰路に就く。
夕飯はどうするのだろう。お風呂にも入れるだろうか。
けい君が不憫でならないけれど仕方ないことなのだろう。
改めて息子の苦労の大きさを感じた出来事であった。
我が家は平和そのもの。今夜はダンス教室に出掛けている。
8時半頃には帰って来てそれから夕食を食べるとのこと。
木曜日の夜は孫たちの顔もろくに見えないけれど
それも慣れてしまって寂しさを感じることもなくなった。
元気なのがいちばん。つくづくとそう思う。
けい君もきっと大丈夫。どうかぐっすりと眠れますように。
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