おおむね晴れ。風もなく穏やかな一日。
国道沿いに遅咲きの秋桜がたくさん咲いている。
交通量が多く車を停めることが出来ないけれど
寒い朝のことほっこりとこころが和む。
冬の秋桜も良いものだなと思う。
「みんなと同じ」ではなくても良いのだ。
自分のペースで咲くことが尊い。
夕方訃報が舞い込む。
お舅さんの兄嫁にあたる伯母が亡くなった知らせだった。
私達が結婚した当時、すぐ前向いの家に住んでいたので
息子や娘は「前ばあちゃん」と呼びとても可愛がってもらった。
伯父が亡くなってからはしばらく独り暮らしだったけれど
老人施設に入居したのはいつ頃だったのかよく思い出せない。
今はもうかなりの高齢で百歳が近いのではないだろうか。
天寿を全うしたとはいえ訃報を聞くとなんとも寂しいものだ。
おしゃべり好きでとても朗らかな伯母だった。
亡骸は施設からそのまま葬儀斎場に運ばれたそうで
長年住み慣れた家に帰れないのも憐れなものである。
最近はそんなケースも多い。仕方のないことなのだろう。
親戚一同で話し合って明日の朝お悔やみに行くことにした。
もう何年も会っていない伯母の死顔を見るのが少しこわい。
いつのまにかもうすっかり人の死に慣れていることを感じる。
それだけ「死」が身近になってしまったのだろう。
天寿を全う出来れば思い残すこともないけれど
明日は我が身でいつ自分も最期を迎えるのかわからない。
何の心構えもせぬうちに突然の死だけは勘弁して欲しいと思う。
今日の日記の最後に夜明け前に書いた詩を記しておこう。
やわらかな土の中にて眠りつつ冬の陽射しに息をする種
冬あってこその春と
やがて空を仰ぐ日がくる
誰も気づきはしないだろう
だってもう何度も踏まれた
それでも種は息をしている
陽だまりの土の中は暖かい
むくむくとした命を感じる
痛みなどあるはずはない
生きて生きて
きっと芽を出そう
ぐんと冷え込んだ朝。車のフロントガラスが真っ白に凍っていた。
日中は小春日和というより「冬うらら」の方が相応しいのだろう。
「春うらら」という言葉は知っていたけれど
つい最近SNSで「冬うらら」という言葉を知ったばかり。
家事もそこそこに読書に明け暮れた一日だった。
読書の合間に家事をするという按配でお風呂の掃除もした。
珍しく掃除機もかける。四角い部屋を丸くちゃちゃっと。
それなりに綺麗になったのではないかと思うのだけれど。
もしいつか仕事を辞められる時が来たらとふと考える。
もう少し家事も真面目に出来るかもしれないし
庭いじりもしたいし家庭菜園もしてみたい。
カーブスも週に3回は行きたいし
何よりも本だってもっとたくさん読めることだろう。
週末の休みはほんとうにあっという間に終わってしまうのだ。
贅沢を言えばきりがないけれどもっともっと時間が欲しい。
夕食はカレー。甘口と辛口と二つのお鍋で作る。
娘むこが落ち鮎を釣って来てくれたので塩焼きにした。
鮎は美味しいけれど汚れないグリルがあれば良いのにと思う。
使うたびにグリルを洗うのはほんとうに面倒だ。
カレーは好評だった。いつもレトルトカレーばかりだから
たまには手作りを。それも平日にはとても作れそうにない。
家族みんなの美味しい顔が見られて作ったかいがあったと嬉しい。
7時40分になった。これから一時間は本が読める。
最近9時まで起きていることはめったにない。
| 2021年12月04日(土) |
母は確かに私を産んだ |
陽射しには恵まれていたけれど風が強く寒い一日だった。
子供は風の子。孫たちは自転車で遊びに行く。
ひゅるひゅると風の音。転びはしないかと気がかりな午後だった。
昨夜は母の夢を見る。綺麗にお化粧をした母。
喫茶店のような処で二人でコーヒーを飲んでいた。
「お金はないよ」と母が言うので「大丈夫、私が払うから」と。
母は先に店を出て行った。すぐに後を追って行ったのだけれど
母はタクシーで帰ると言う。道路には冷たい風が吹いていて
母の背中が小刻みに震えている。ようく見ると母は裸足だった。
夢だとわかっていてもなぜか切なさが込み上げて来る。
「ここで待っていて」私は車椅子を押していた。
母を載せたけれどそこはもう道路ではなく険しい崖の坂道だった。
坂を越えられない。何度も押すけれど車椅子はびくとも動かないのだ。
そこで目が覚めた。そうして涙ぐんでいる自分に気づく。
先日美容院へ連れて行った時に母が話していたことを思い出した。
「一条さん」のお祭りに私を背負って行ったことがあるのだと言う。
一条大祭は11月だからおそらく私はまだ一歳になっていない。
銘仙の着物で作った「ねんねこ」を着て下駄を履いていたそうだ。
もちろん私が憶えているはずもない事を母は懐かしそうに話してくれた。
母は確かに私を産んだのだ。18歳の若さで母になったのだ。
その事実を私は遠ざけようとしていたのかもしれない。
憎んでみたり恨んでみたりそれがどれほど愚かなことかと気づかすに。
母の罪は一生消えないとつい昨日までそう思っていたような気がする。
13歳の少女は65歳になった。
どれほどの険しい坂道もきっと乗り越えられるのではないだろうか。
| 2021年12月03日(金) |
「出来なくても良い」魔法 |
朝の寒さもつかの間のこと。今日も日中は小春日和となる。
職場の庭で猫がカマキリと遊んでいる姿を見た。
最初は日向ぼっこをしているのかなと思ったけれど
寝転んでしきりに右手を動かしているのだった。
ようく見ると地面にカマキリがいて猫を威嚇していたようだ。
どうやら猫はカマキリの真似をしていたらしい。
カマキリは必死のようだったけれど猫はとても楽しそうだった。
微笑ましい光景に思わず笑みがこぼれた昼下がりのこと。
今朝はあやちゃんがまた学校へ行きたがらず。
ぎりぎりまで娘が説得していたけれど泣き出してしまい
結局また学校を休むことになってしまった。
そう言えばこの前も金曜日だったと思い
「何か嫌な授業があるの?」と訊けば「体育」だと応える。
涙をぽろぽろ流しながらマット運動と跳び箱が出来ないのだそう。
皆は出来るのに自分だけ出来ない。それが辛くてならないのだろう。
「おばあちゃんと一緒やね」と言うと素直に聞いてくれた。
私もマット運動と跳び箱がとても苦手な子供だったのだ。
特に跳び箱は低い三段でも一度も跳び越えたことがない。
あれは尾てい骨を嫌と言うほど打ちつけ痛くてたまらないのだ。
そんな話をしているうちにあやちゃんは笑顔になっていた。
ようは出来ない事があっても良いと言うこと。
誰にだって苦手なことはある。出来ないまま大人になることも。
「おばあちゃんなんか65歳になるがやけんね」と。
今日は学校を休んでしまったけれど次からは大丈夫だと思う。
なんとなくそんな気がするのだ。「出来なくても良い」魔法。
私が使えた魔法だからきっとあやちゃんも使えると思う。
そうして乗り越えて行けると信じてあげたいのだった。
仕事を終えて帰宅したらあやちゃんはお昼寝をしていた。
金曜日ってなんかしんどいよね。おばあちゃんもしんどいよ。
日中の気温は12℃程。風がなかったので随分と暖かく感じる。
陽射しはほんとうにありがたくほっこりと心が和む。
今朝はお向かいの奥さんが落ち鮎をたくさん届けてくれた。
一昨日解禁になったのだけれど娘むこはまだ行けておらず
我が家にとっては初物であり歓声をあげながらありがたく頂く。
私が嫁いだのは43年前の11月の事だったので
初めて落ち鮎漁を見に行ったことをよく憶えている。
お姑さんが櫓で川船を操りながらお舅さんが網を投げるのだ。
その頃は今と違って大漁で網にはたくさんの鮎が掛かっていた。
河原で火をおこし獲れたての鮎を焼いて食べたのだけれど
それは顎が落ちるほどに美味であった。
お舅さんが亡くなってからは夫が漁に出たけれど
川漁師の息子とは言え慣れるまでは大変だったようだ。
それに元々夫はあまり漁が好きではない性質のようで
母親に言われるままに仕方なく漁に出ていたふしもある。
それでも大漁の日があると自慢げに誇らしい顔をしていた。
10年位は続けていたように思う。
再就職をしてからは一気に漁から遠ざかって行った。
落ち鮎は他人様から頂いたりたまに魚屋で買うこともあった。
ずいぶんと歳月が流れ今は娘むこが投げ釣りをしている。
舅さんが健在ならどんなにか喜ぶことだろうと思うほど
漁が大好きで海へも行けば川へも行く。
婿養子ではないけれど川漁師の家系によほど縁があったのだろう。
今夜はあやちゃんもめいちゃんも鮎デビューした。
去年までは食べたがらなかった鮎を「おいしい」と言って食べる。
やっぱり娘の子だなと微笑ましく思った。
娘は鮎が大好物で今夜も5匹ほど平らげていた。
鮎の香に産卵という試練ありひとはこぞっていのちをいただく。
北風が強く吹き荒れ寒い一日。いかにも師走らしい。
日中の気温も低く時おり時雨れていた。
やがて時雨が雪に変わる日も近いだろう。
今朝は洗濯物を干すのに痛い左足を引きずりながら歩いていたら
あやちゃんがそっと寄って来て洗濯物を玄関まで運んでくれる。
いつもつんつんしているけれど優しいところもあるのだなと嬉しかった。
薄着のあやちゃんを気遣えば着る服が無いのだと言う。
先日から気になってはいたのだけれど
去年まで着ていた冬物はどれもサイズが小さくなっているようだ。
娘も知っているはずなのにどうして買ってあげないのだろう。
言えば嫌味になりそうで黙って様子を見るしかなかった。
職場で月末の事務処理をしていたら思いがけず
日給と時給の差額がけっこうたくさんあった。
思わずにんまりとしたのは言うまでもない。
即座にあやちゃんの服を買ってあげようと決める。
定時で仕事を終わらせてもらって「しまむら」へ直行。
裏毛付のトレーナーを二枚買う。二枚で1500円の安さ。
「ダサイ」と言われるかもしれないけれど寒さは凌げるだろう。
明日は真冬並みの寒さになるとのこときっと役に立つと思う。
娘には内緒にしてあやちゃんにだけそっと耳打ちをした。
「やったあ」と喜んでくれたのでほっと嬉しい。
「家族ではない」と言われながらもやっぱり家族。
けっして無理はしていないけれど出来ることをしてあげたい。
鰹は今日も高く買えず冷凍物らしい蛸のお刺身を買った。
後はあんかけ豆腐とマカロニサラダ。ブロッコリーの胡麻和えで夕食。
じいちゃんと二人でさっさと先に食べる。
娘達はゆっくりと家族団らんを楽しんでいた。
午後から雨が本降りになる。時おり激しい雨音。
微かに残っていた秋の名残りを押し流していくのだろう。
そうして霜月が終わる。明日からは師走だと思うと
なんだか一気に背中を押されているような緊迫感を感じる。
何処かに向かうべきなのだろうけれど少し戸惑ってしまうのだった。
月末の仕事をスムーズに終え定時で帰路に就く。
車のワイパーを全速にしても前が見えない程の雨だった。
いつものスーパーに寄ったら足元がびしょ濡れになる。
鰹は高くて買えない。相変わらずお財布は寂しい。
昨夜は自分なりに書きたかったことを書いたけれど
今夜はどうだろう。またつまらない日記になるのだろうか。
過去を綴るのはなんだか心地よく感じるのだけれど
所詮は昔話。恥さらしにもなり得るのだろう。
あとどれ位の人生なのか定かではないけれど
思い残すことがないように書き残せれば本望に思う。
「生き様」などと言う大それたことではない。
誰にだって歩んできた道がある。その道を記しておくことだ。
雷鳴がとどろく夜になった。初冬の雷も風情がある。
雷雲に覆われた空はすべてを受けとめていることだろう。
孫たちがそろそろお風呂に入る頃だ。
昨夜から私が買った冬物のパジャマを着てくれているのが嬉しい。
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