最高気温が20℃を越すとほっとするような暖かさ。
小春日和と表現するにはまだ少し早いのだけれど
「秋桜」の歌のようについそう言ってしまいたくなる。
今朝は職場に着くまでの道のりで5人のお遍路さん。
ここ数日で一気に増えたような気がする。
コロナの感染者数が少し落ち着いてきたせいかもしれない。
予定を組んでいても躊躇っていた人がきっと沢山いたのだろう。
ちりんちりんと金剛杖の鈴の音。道端にはつわぶきの花が咲く。
仕事が忙しく一時間半ほど残業となる。
夕食のメニューを考えながら急いで帰路についた。
やはりどうしてもあやちゃんの好きな物をと思ってしまう。
つんつんと機嫌が悪いのはなんとも悲しくてならない。
アスパラベーコンにした。おとな達には鰹のお刺身と豚バラ大根。
みんなが笑顔で食べてくれますようにそればかりを願う。
お風呂の時間になればあやちゃんのパジャマが気になる。
昨年私が買ったパジャマはもう小さくなっているのだけれど
金欠なものだから今年はまだ買ってあげられないでいる。
娘が見かねて買うだろうと思っていても未だ買っていないのだ。
どうやら私は「パジャマ係」らしい。なんとかしなければいけない。
金銭的な余裕のない事がなんだか情けなくて悔しくなる。
かと言って嘆いても何も変わらない。何事もケセラセラだのだ。
そうしていつだって明日はあしたの風が吹く。
もしかしたらパジャマを買って帰って来るかもしれない。
いま午後7時。室温が25℃もありずいぶんと暖かい。
日中のぽかぽか日和がその名残を残してくれたのだろう。
暑からず寒からずちょうど良い快適な夜になった。
昼間仕事で外に出たので星ヶ丘公園にちらっと寄り道。
リンドウが見頃だと聞いていたので楽しみにしていたけれど
生い茂った枯草に埋もれるように咲いていて少し残念に思う。
一眼レフの上等なカメラならマクロ撮影が出来るだろうけれど
ガラケーの携帯では枯草ばかり映ってしまいそうだった。
ここ数ヵ月まともな写真を一枚も撮っていない。
まあ素人の趣味なので特にこだわることもないのだろうけれど。
少し残業になり帰宅。じいちゃんが苦笑いをしながら言うには
今朝出掛けに準備していた喪服のスーツが合わなかったらしい。
同級生のお母さんが亡くなったので今日はお葬式があったのだ。
私の準備していたスーツはどうやら娘婿の物だったらしい。
困ったじいちゃんは慌ててクローゼットを探して
自分のスーツを見つけなんとかお葬式に間に合ったとのこと。
ドジで間抜けな妻の話である。笑い話になって良かったのか。
夕飯にあやちゃんの好きな南瓜を煮た。
北海道産の栗南瓜でほくほくと甘くとても美味しかったのだけれど
ひと口食べるなり「いつものかぼちゃとちがう」と文句を言う。
「どうして?北海道のよ」と言うとむすっとした顔をして
「北海道なら何でもおいしいと思っているの」と反撃してくる。
「嫌なら食べなくても良いよ」と娘が言うと
ご飯だけかき込んでつんつんしながら二階に上がって行った。
じゃが芋も人参も玉ねぎも全部北海道産なのだけれど
今さらそんなことを教えても何の説得にもならないだろうと思う。
遠く北海道から旅をして来た南瓜に何の罪があるのでしょう。
ぽつぽつだった雨がやがて本降りとなる。
気温も上がらず冷たい雨となった。
農作物には恵みの雨となったことだろう。
大根や白菜やほうれん草やと冬野菜に思いを馳せる。
職場に「ちーちーぱっぱ」のちーちゃんが遊びに来る。
話好きでよほど話し相手が欲しかったのだろう。
とにかく聞き上手に徹してあげるのが一番だった。
一時間程話してお昼になったので「ちーちゃんまたね」と言ったら
「うん、また話そうね」と機嫌よく笑顔で帰って行った。
少しも迷惑だとは思わない。私はなんとなくだけどちーちゃんが好き。
買物をして帰宅したらじいちゃんが「あやが昼飯を食わんかった」と。
今日は参観日の代休で学校がお休みだったのだ。
娘がカップヌードルを用意してくれていたので
お昼は大丈夫ねと安心して出掛けたのだけれど
そのヌードルが日清のではなかったので気に入らなかったよう。
どんなにかお腹が空いているだろうと心配になり
部屋をノックしてそっと声をかけたら「別に・・」と応える。
半分はやせ我慢。半分は不貞腐れているのかなと思った。
とにかく早めに晩ごはんにしましょう。
おとな達は鰹のひっつけ寿司。孫達はシーチキンの手巻き寿司。
どうかな?とあやちゃんの様子を見ていたら
よほどお腹が空いていたらしくすごい食欲であった。
ああ良かったとほっと胸を撫で下ろす。もちろん嬉しくてならない。
難しい年頃になったけれど笑顔はまだあどけない。
時々ふっと赤ちゃんだった時の面影が浮かぶ。
食後、父親と早くもクリスマスプレゼントの話をしていて
「なんか事情があるの?」などと問うていた。
めいちゃんはまだサンタさんを信じているけれど
あやちゃんはどうやらおとなの事情を感じているらしい。
風もなく穏やかな晴天。お天気は下り坂のようで
明日は雨になりそうだった。
一雨ごとに秋が深まっていくことだろう。
最低限の家事と買い物だけ済ませ一日中読書に耽る。
夢中になり過ぎて疎かにしていたこともあった。
毎朝の日課である父の仏壇にお線香もあげずにいて
日曜日恒例のお大師堂参りも行かず仕舞いとなってしまった。
さすがにこれではいけないだろうと反省をしながらも
まあたまには良いではないかと自分に甘くもなる。
父もお大師さんも「困ったものだな」と苦笑いをしていたことだろう。
これも熱するととことん熱くなる私の長所なのかもしれない。
お昼前に小学校へ資源ごみを持って行っていた。
アルミ缶や古新聞などいつでも持ち込めるのでとても助かっている。
校庭ではめいちゃんとあやちゃんが一輪車の練習をしていた。
めいちゃんは運動神経が良くもうすいすいと乗れるのだけれど
おっとりさんのあやちゃんはまだ上手く乗れず苦労している。
それでも妹に負けまいと一生懸命頑張っているのだった。
ちょうど私が行った時にあやちゃんが少しだけ乗れるようになった。
思わず手を叩き応援したのは言うまでもない。
何事も努力次第なのだ。「やれば出来る」「やってやれないことはない」
こつこつと頑張るタイプのあやちゃんに大切なことを教わる。
私が子供の頃はどちらかと言えばめいちゃんタイプだったので
運動は得意で何でも一番ということが多かった。
それが当たり前の事なのだと子供心に優越感に浸っていたように思う。
中学生になり高校生にもなるともう一番ではいられなくなる。
上には上が居ることを思い知った時代だったと言えよう。
負けず嫌いだった性格も次第に薄れていくようになり
ついには劣等感に苛まれるようになってしまった。
そのまま大人になり65歳を目前にした今などは
もう劣等感のかたまりのようになりなんとも情けない有り様である。
そのくせちっぽけなプライドに縋りついているものだから
ある意味とても見苦しい生き様だと言えよう。
もう遅いのかと自問する。努力をしても無駄なのかとも思う。
それは生き抜いてみなければ分からないことなのだろう。
あやちゃんの姿に自分を重ねながら
ほんの少し未来を信じささやかな勇気をもらった気がした。
二十四節気の「霜降」朝露が霜に変わる頃と言われている。
近畿地方では早くも木枯らし一号が吹いたそうだ。
高知県は穏やかな秋晴れとなり日中はとても暖かくなる。
朝の寒いうちに炬燵を出す。扇風機を片づけ温風ヒーターを出した。
それなりの冬支度。とにかく寒さに負けるわけにはいかない。
10時を過ぎてからカーブスへ。
数日前から足の痛みがありあまり無理は出来ず
一生懸命に出来ないのが少しもどかしい。
それでも身体が温まってくると足の痛みも少し薄れる。
6月の入会時からずっと親身になってくれていたコーチが
今月いっぱいで退職するのだそう。
なんだか寝耳に水のようなことでいささかショックであった。
後から詳しい事情を聞けば元々契約社員だったとのこと。
前々からやりたい仕事があったらしくその準備期間だったらしい。
沢山の人とふれあうことが良き経験になったと話してくれた。
私もそのコーチと出会わなければ始められなかったもしれない。
「大丈夫、きっと出来る」と背中を押してくれたのだった。
縁もあったのだろうし恩もある。思わず涙があふれていた。
そうしたらコーチが「今生の別れじゃないよ」と笑い飛ばしてくれる。
わずか5ヵ月足らずの短い間だったけれど
そのコーチの顔を見ただけでいつもほっとしていた。
「すごいじゃん」と褒めてもらえたらとても嬉しかった。
励ましよりももっと大切な勇気を頂いていたのだと思う。
強いようでいて弱くて脆い。そう思い知ることがよくある。
支えなど何も要らないと思っていたのだとしても
知らず知らずのうちに支えられて生きているのだろう。
目覚めた時には小雨が降っていたけれど
夜が明ける頃にはもうやんでいた。
日中は曇り空。それでも柔らかな陽射しが降り注ぐ。
気がつけば秋桜も盛りを過ぎてしまったようだ。
昔は職場の庭にたくさん咲いていたのだけれど
今はほんのわずかになりよけいに寂しくおもう。
いつだったか母が枯れ始めた秋桜を根こそぎ引き抜いたことがあり
その時は私と口論になり恨めしかった事をふと思い出す。
それでもきっと種が残ってくれると信じていたけれど
今になりやはり駄目だったのだなとまた母を恨むのだった。
嫌だった事ばかりどうして思い出してしまうのだろうか。
今日はあやちゃんが学校を休む。
右足の痛みを訴え歩くのもままならない様子で
とりあえず湿布を貼り安静にさせておくことにしたのだった。
どうやら昨夜のダンス教室で足の筋を痛めたのではないだろうか。
このところ体重の増加が著しく足に負担が掛かったのだと思う。
来週末にはダンスの発表会があるらしい。
それまでにはきっと治るだろう。あやちゃんも楽しみにしている。
仕事帰りに図書館に寄った。市役所の二階にあるのだけれど
今日は駐車場が満車で何処にも車を停められずいささか参る。
10分ほど待って守衛のおじさんが「空いたよ」と知らせてくれた。
やはり土日に来たほうが良さそう。今度からそうしようと思う。
東野圭吾の「幻夜」を返却。「白夜行」と「さまよう刃」を借りる。
そろそろミステリー離れをしたほうが良いのかもしれないけれど
とことん読み尽くしたい思いが強い。好きなようにすればいい。
帰宅して洗濯物をたたみ終わるとすぐに本を開いていた。
あやちゃんがだいぶ歩けるようになっており何より。
今夜は海老フライとシチューだったので喜んで食べてくれた。
娘はやっとコロナワクチン一回目の接種。
副反応が軽ければ良いのだけれど。
お昼前から雨がぽつぽつと降り始める。
気温は16℃ほど、ずいぶんと冷たい雨に感じた。
今夜はとうとう浴室暖房をつける。
おかげでゆったりと温まることができた。
電気代が家計に響くけれど仕方ないなと思う。
我慢して死ぬよりはずっとましなのではないだろうか。
大げさに聞こえるかもしれないけれど
私にとっては入浴イコール死に他ならない。
父方の伯母二人をヒートショックで亡くしているので尚更のこと。
親しかった友は入浴中にくも膜下出血になり亡くなっている。
今日は弟に5年ぶりに会えてとても嬉しかった。
衆院選の選挙カーの運転手として弟が山里に来たのだった。
候補者が街頭演説をしている合間のほんの数分だったけれど
血を分けた弟とはなんと愛しいものであろうか。
弟はしきりに母の事を案じていたけれど
つい先日母に会えたことを話すと安堵した様子。
弟もどんなにか母に会いたいことだろうと思う。
薄情な私と違って弟はとても母思いな息子であった。
52年前のあの日、私と同じく弟も泣かなかったけれど
どんなにか戸惑い辛かったことだろうと察する。
あの時のことを弟も決して忘れてはいないだろう。
けれどもそのことをおくびにも出さず今まで生きて来た。
結婚をし二人の娘に恵まれもうすぐ二人目の孫も生まれる。
今が幸せならば過ぎ去った日の事などもう封印されているのだろう。
弟は私が思っている以上に強いのではないだろうか。
「身体に気をつけて元気でおりよ」運転席の弟に声をかけた。
選挙カーはけたたましい程の声をあげて遠ざかって行った。
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