もう幾日真夏日が続いたのだろう。
連日10月とは思えない暑さが続いている。
けれども草花はちゃんと季節を知っていて
秋桜などはまるで秋を演じるように咲き誇っている。
仕事を終えて帰宅すると「純ちゃんの応援歌」を見るのが日課になった。
ずいぶんと昔34年程前のNHKの朝ドラ再放送である。
ヒロインの山口智子のなんと初々しいこと。
鶴瓶さんなどまだ青年の面影を残しながら脇役を演じている。
ヒロイン純子の母親が小学校の用務員をしているのを見て
ふと昔の母のことを思い出した。実は母も用務員だったのだ。
記憶は定かではないが確か私が一年生から三年生の間だったと思う。
もしかしたら保育園の頃から勤めていたのかもしれないけれど
幼い頃の記憶はあいまいでよく憶えていないのだった。
学校へ行けば母が居る。子供心に気恥ずかしかったような気がする。
母は自転車で通勤しており私が登校するともう仕事をしていて
掃除をしたり先生方にお茶を淹れたりしていたのだろうか。
母が仕事をしているのをはっきりと見たのは炊事室での姿だった。
当時はまだ給食はなかったけれどお昼には必ずミルクが出て
それは牛乳ではなく脱脂粉乳という粉ミルクのようなものだった。
白い三角巾を被った母が大きな鉄鍋でミルクを煮ているのを見た。
脱脂粉乳はちょっと癖のある味で決して美味しくはなかったけれど
残せば先生に叱られ何よりも母に申し訳なく思ったことだった。
昼食時、アルマイトのお弁当箱の蓋が開かず困る事が度々あり
お弁当箱を抱えて職員室へ行くこともよくあった。
「おかあさん」と呼んだのろうか。それもよく憶えていない。
担任の先生も居ただろうに蓋を開けてくれるのはいつも母だった。
授業が終わってからもすぐには帰らず校庭で遊ぶことが多かった。
毎日は無理だったけれど母と一緒に帰りたかったのだと思う。
母は自転車を押しながらゆっくりの歩調で私につきあってくれた。
楽しみだったのは夕食の買物をする時だった。
いつも寄る魚屋さんには揚げ物も売っていて私はコロッケが大好きだった。
食べたいと言えば叱りもせずに母はいつも買ってくれたのだ。
そのコロッケを食べながら帰る。私にとっては至福の帰り道だった。
四年生になる前の春休みに父の転勤が決まり引っ越すことになる。
母も当然のように用務員を辞めなくてはいけなくなった。
三年生の時の集合写真には母の姿がちいさく映っている。
新しい土地での暮らしに家族の誰もが胸をふくらませていたことだろう。
いずれ訪れるであろう悲劇など考えることもなかったと思う。
今思えば母にとっては人生の大きな転機だったのだろう。
母はまだ27歳の若さであった。
日が暮れるのがずいぶんと早くなった。
一番星を仰ぎながらこれを記し始める。
ふうと大きなため息。その理由が自分でもよくわからない。
いったい何を書こうとしているのだろう。
きっとつまらないことなのに違いない。
宮尾登美子は「もう一つの出会い」というエッセイ本のなかに
「書くことの浄化作用」なる文章を書いている。
たとえば苦しいこと辛いことがあっても書けばそれが浄化されるのだそう。
幸いと言って良いのか私は平穏な日々を過ごしており
浄化させなければいけないことなど何一つなかった。
あるのは平凡で変わり映えのしない日常のことばかり。
ある意味それが一番の幸せであることは言うまでもない。
過去を辿ればきりがない。もうそれは終わったことなのだ。
いつまでも引き摺っているようでいて吹っ切れているのだろう。
ただ母に対する愛情は?と問われると未だに素直になれずにいる。
それだけ大きな傷を負ったのだろう。その傷口がまだ残っている。
かさぶたを剥がせば血が出る。それが怖くてたまらないのだ。
宮尾登美子のエッセイ本は高知県立図書館の廃棄本だったようだ。
巡り巡って山里の図書室で息をし続けている。
その本を手に取り確かに救われた私がいた。
10月になっても連日の真夏日が続いている。
いま午後7時。室温はまだ30℃もある。
窓を開け広げ扇風機のお世話になりながらこれを記し始めた。
朝の山道で久しぶりにお遍路さんを見かける。
60歳位だろうかそれにしても若々しく
短パンから出た足は日に焼けてとても逞しく見えた。
荷物が少なかったので野宿ではなさそう。
おそらく夜明け前に宿を出たのだろう。
タイミングもあるけれど声を掛け易いお遍路さんと
そうではないお遍路さんがいて今朝のお遍路さんは後者だった。
横顔に会釈をして追い越して行く。
せめて気づいてくれたらと思うけれどそれさえも叶わず。
よほどご縁がなかったのだなとなんだか少し寂しかった。
10月とはいえ炎天下のお遍路は辛かったことだろう。
今頃は宿でゆっくりと寛いでいてくれたら良いなと思う。
夕方、めいちゃんが久しぶりのかん虫。
ちょうど娘と夕食の支度をしている時だったので
娘が相手にしなかったらついに大泣き大暴れとなった。
どうやら宿題が出来なくてかんしゃくを起こしたよう。
静かになったので様子を見にいったらあやちゃんが教えていた。
さすがお姉ちゃんだなと感心する。めいちゃんも素直だった。
じいちゃんと二人で先に夕食を食べる。
これはもう我が家の日課になった。
特に寂しさも感じずもう慣れてしまったのだろう。
娘たちも家族四人で食べるのがとても楽しそうだった。
私はさっさとお風呂に入り焼酎タイム。
この日記を書くのにほぼ一時間かかるのだけれど
焼酎の水割り3杯がちょうど良いようだ。
そうしてすぐに眠くなる。9時まで起きていることはめったにない。
| 2021年10月03日(日) |
バッテンもあれば花丸もある |
今朝はぐんと気温が下がり肌寒いほどだった。
日中は今日も真夏日。朝との気温差には驚くばかり。
あちらこちらに薄の若い穂。陽射しを浴びてきらきらと輝く。
その傍らにはセイタカアワダチソウが三角の黄色い帽子。
ふたりはまるでコンビであるかのように秋の景色を彩っている。
川仕事に行く前にお大師堂へ。
今朝は一番乗りだったようで日捲りの暦を今日にする。
花枝(シキビ)が少し葉を落とし始めていて気になった。
新しく活け替える時間がなく来週こそはと決めて帰って来る。
自分に出来ることをと思っていても疎かになることもあるものだ。
8時前には川仕事へ。一時間程ですべての杭を打ち終える。
私は胴長を履いていたけれどじいちゃんは磯足袋のまま。
潮はほぼ引いていたけれど今朝は水が冷たかったろうと思う。
気遣えば「気持ちいいぞ」と笑い飛ばしていた。
「ご苦労さま、やっと終わったね」心地よい達成感だった。
午後はまた読書に夢中になる。一気に読み進み残りわずかになる。
明日のお昼休みには読了するだろう。
そうしたらまた宮尾登美子のエッセイ本を読もうと思う。
なんだか「つなぎ」のようで宮尾先生に申し訳ないけれど。
東野作品にはまだ未読の本がありなんとしても全作品を読みたい。
夕飯は和風ハンバーグ。あやちゃんが二個も食べてくれて嬉しかった。
よほど美味しかったのかご飯もおかわりをしてくれる。
にこにこと笑顔で食べてくれるとなんだか救われたような気持ち。
毎日のメニューに頭を悩ませているけれど今夜は花丸のようだった。
バッテンの日もいっぱいあって落ち込むこともあるけれど
私はわたしなりの出来ることを頑張っているのだと思う。
明日のことはまたあした考えればよいことだ。
夜風がずいぶんと涼しくなった。今夜もぐっすりと眠れそう。
雲ひとつない快晴。気温は今日も高く真夏日となる。
夏はいったい何を忘れてしまったのだろう。
それが分かればそっと置くこともできるだろうに。
秋は少し戸惑っているようだ。声をかけることも出来ない。
早朝より川仕事。今日は無理をせず少しだけ。
明日にはすべての杭を打ち終わることだろう。
漁場の準備が整えば種網を張る作業が待っている。
それにしても水温が高すぎるのがとても気になる。
過酷な環境で海苔が育つのか不安がればきりがなかった。
9時には帰宅しており少し休んでからカーブスへ。
今日は月初めの測定があり体重2キロ減、ウエスト2センチ減。
毎月少しずつだけれど筋トレの効果が出ているようだ。
この調子で頑張ろうと思う。なんとしてもあと5キロは痩せたい。
週に三回が理想だけれどなかなか思うようにはいかないものだ。
午後は少しお昼寝をしてからの読書。
昨日届いた本を三分の一ほど読む。
やはりミステリーは面白い。読み出したら止まらなくなる。
まあちゃんが遊びに来ていて猫を飼い始めたとのこと。
どうやら例の子猫を保護してくれたようだった。
あやちゃんはもちろんのこと私もほっと肩の荷を下ろす。
もうお腹を空かせて鳴くこともないだろう。
心を鬼にしていたけれど救われてほんとうに良かったと思う。
自分達にはそれが出来なかったことが申し訳なくもあった。
特にあやちゃんは心を痛めていてどんなにか辛かったことか。
まあちゃんの報告を聞きながら心から微笑んでいるようだった。
捨てる神あれば拾う神ありだろうか。
もちろん私達は捨てる神だったのだろう。
| 2021年10月01日(金) |
いかにして恥をさらすか |
今日から10月だというのに30℃を超える真夏日となる。
夏の名残りというよりもやはり異常気象なのだろう。
なんだか大きな地震でも起きるのではないかとふと不安になった。
それでも日が暮れると心地よい涼風が吹きほっと秋の気配を感じる。
仕事が忙しく2時間弱の残業となる。
それが少しも苦にはならず程よく疲れて帰って来た。
ネットで注文していた中古本が届いていて嬉しい。
これで週末は途方に暮れなくて済みそうだ。
9月は結局11冊の本を読了したことになる。
すべて東野圭吾のミステリーばかりであった。
山里の図書室にはもう未読の東野作品が無くなってしまって
新刊は予約制だと言われいつ読めるのかまだ未定だった。
順番が来たら連絡してくれるのだそう。もう待ちきれない思い。
それにしても小さな山里にどれほどの東野ファンがいるのだろう。
今日はお昼休みに読む本が無く宮尾登美子のエッセイ本を借りて来た。
自叙伝風のエッセイでなかなか興味深い内容であった。
最初の結婚から離婚。そうして再婚とまるで誰かさんのよう。
読んでいたら無性に書きたくなってムズムズとして来る。
ある意味恥さらしでもあるけれどその恥を曝け出すのだ。
それが文学になる。宮尾文学はとても奥が深い。
私などはとても足元にも及ばず計画性もまるでないものだから
ある日突然に衝動的に書いてしまうかもしれない。
今までもそうして来たしこれからもきっとそうなのに違いない。
昨日の事は忘れても昔の事はよく憶えているそんな歳になった。
走馬灯のように目に浮かぶというけれど
その走馬灯なるものを私は見たことがない。
とにかく生きているうちに恥を晒しておこうと思っている。
長月も晦日というより9月も最終日と言ったほうが良いのだろう。
誰にでも分かり易い言葉を使うことを心がけたいものだ。
たとえば子供には「9月も今日でおしまい」と言うべきなのだ。
いや子供だけとは限らないおとなにもそう言ったほうが良い。
商売をしていると月末の支払いに追われるのだけれど
月末だからと支払いに来てくれるお客さんもいる。
「お金は天下の回り物」と言うがまさにその通りだと思う。
そんなお客さんと話していて「今月は固定資産税もあるね」と。
それを聞いて「あっと驚く為五郎」状態の私であった。
昔々そんなテレビ番組があったのだ。まだ私が子供の頃のこと。
会社の支払いはすでに終えてほっと肩の荷を下ろしていたけれど
我が家の固定資産税の事をすっかり忘れていた。
口座振替にしていても残高がすでに無いことには気づいていた。
けれども入金するお金が無い。それでこその貧乏人である。
そうしてそこで開き直るのが貧乏人の根性だと言えよう。
無いものは無いのだ。どうして納めることが出来ようか。
そのうち督促状が来るだろう。その頃には年金が入っていると思う。
なんとかなるなる。別に罪を犯しているわけではない。
ゆらりゆらりの日々である。その日暮らしも板についた。
なんとか食べていけるだけで幸せなのだと思っている。
どんなに嘆いてもお金持ちにはなれませんからね。
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