10月になっても連日の真夏日が続いている。
いま午後7時。室温はまだ30℃もある。
窓を開け広げ扇風機のお世話になりながらこれを記し始めた。
朝の山道で久しぶりにお遍路さんを見かける。
60歳位だろうかそれにしても若々しく
短パンから出た足は日に焼けてとても逞しく見えた。
荷物が少なかったので野宿ではなさそう。
おそらく夜明け前に宿を出たのだろう。
タイミングもあるけれど声を掛け易いお遍路さんと
そうではないお遍路さんがいて今朝のお遍路さんは後者だった。
横顔に会釈をして追い越して行く。
せめて気づいてくれたらと思うけれどそれさえも叶わず。
よほどご縁がなかったのだなとなんだか少し寂しかった。
10月とはいえ炎天下のお遍路は辛かったことだろう。
今頃は宿でゆっくりと寛いでいてくれたら良いなと思う。
夕方、めいちゃんが久しぶりのかん虫。
ちょうど娘と夕食の支度をしている時だったので
娘が相手にしなかったらついに大泣き大暴れとなった。
どうやら宿題が出来なくてかんしゃくを起こしたよう。
静かになったので様子を見にいったらあやちゃんが教えていた。
さすがお姉ちゃんだなと感心する。めいちゃんも素直だった。
じいちゃんと二人で先に夕食を食べる。
これはもう我が家の日課になった。
特に寂しさも感じずもう慣れてしまったのだろう。
娘たちも家族四人で食べるのがとても楽しそうだった。
私はさっさとお風呂に入り焼酎タイム。
この日記を書くのにほぼ一時間かかるのだけれど
焼酎の水割り3杯がちょうど良いようだ。
そうしてすぐに眠くなる。9時まで起きていることはめったにない。
| 2021年10月03日(日) |
バッテンもあれば花丸もある |
今朝はぐんと気温が下がり肌寒いほどだった。
日中は今日も真夏日。朝との気温差には驚くばかり。
あちらこちらに薄の若い穂。陽射しを浴びてきらきらと輝く。
その傍らにはセイタカアワダチソウが三角の黄色い帽子。
ふたりはまるでコンビであるかのように秋の景色を彩っている。
川仕事に行く前にお大師堂へ。
今朝は一番乗りだったようで日捲りの暦を今日にする。
花枝(シキビ)が少し葉を落とし始めていて気になった。
新しく活け替える時間がなく来週こそはと決めて帰って来る。
自分に出来ることをと思っていても疎かになることもあるものだ。
8時前には川仕事へ。一時間程ですべての杭を打ち終える。
私は胴長を履いていたけれどじいちゃんは磯足袋のまま。
潮はほぼ引いていたけれど今朝は水が冷たかったろうと思う。
気遣えば「気持ちいいぞ」と笑い飛ばしていた。
「ご苦労さま、やっと終わったね」心地よい達成感だった。
午後はまた読書に夢中になる。一気に読み進み残りわずかになる。
明日のお昼休みには読了するだろう。
そうしたらまた宮尾登美子のエッセイ本を読もうと思う。
なんだか「つなぎ」のようで宮尾先生に申し訳ないけれど。
東野作品にはまだ未読の本がありなんとしても全作品を読みたい。
夕飯は和風ハンバーグ。あやちゃんが二個も食べてくれて嬉しかった。
よほど美味しかったのかご飯もおかわりをしてくれる。
にこにこと笑顔で食べてくれるとなんだか救われたような気持ち。
毎日のメニューに頭を悩ませているけれど今夜は花丸のようだった。
バッテンの日もいっぱいあって落ち込むこともあるけれど
私はわたしなりの出来ることを頑張っているのだと思う。
明日のことはまたあした考えればよいことだ。
夜風がずいぶんと涼しくなった。今夜もぐっすりと眠れそう。
雲ひとつない快晴。気温は今日も高く真夏日となる。
夏はいったい何を忘れてしまったのだろう。
それが分かればそっと置くこともできるだろうに。
秋は少し戸惑っているようだ。声をかけることも出来ない。
早朝より川仕事。今日は無理をせず少しだけ。
明日にはすべての杭を打ち終わることだろう。
漁場の準備が整えば種網を張る作業が待っている。
それにしても水温が高すぎるのがとても気になる。
過酷な環境で海苔が育つのか不安がればきりがなかった。
9時には帰宅しており少し休んでからカーブスへ。
今日は月初めの測定があり体重2キロ減、ウエスト2センチ減。
毎月少しずつだけれど筋トレの効果が出ているようだ。
この調子で頑張ろうと思う。なんとしてもあと5キロは痩せたい。
週に三回が理想だけれどなかなか思うようにはいかないものだ。
午後は少しお昼寝をしてからの読書。
昨日届いた本を三分の一ほど読む。
やはりミステリーは面白い。読み出したら止まらなくなる。
まあちゃんが遊びに来ていて猫を飼い始めたとのこと。
どうやら例の子猫を保護してくれたようだった。
あやちゃんはもちろんのこと私もほっと肩の荷を下ろす。
もうお腹を空かせて鳴くこともないだろう。
心を鬼にしていたけれど救われてほんとうに良かったと思う。
自分達にはそれが出来なかったことが申し訳なくもあった。
特にあやちゃんは心を痛めていてどんなにか辛かったことか。
まあちゃんの報告を聞きながら心から微笑んでいるようだった。
捨てる神あれば拾う神ありだろうか。
もちろん私達は捨てる神だったのだろう。
| 2021年10月01日(金) |
いかにして恥をさらすか |
今日から10月だというのに30℃を超える真夏日となる。
夏の名残りというよりもやはり異常気象なのだろう。
なんだか大きな地震でも起きるのではないかとふと不安になった。
それでも日が暮れると心地よい涼風が吹きほっと秋の気配を感じる。
仕事が忙しく2時間弱の残業となる。
それが少しも苦にはならず程よく疲れて帰って来た。
ネットで注文していた中古本が届いていて嬉しい。
これで週末は途方に暮れなくて済みそうだ。
9月は結局11冊の本を読了したことになる。
すべて東野圭吾のミステリーばかりであった。
山里の図書室にはもう未読の東野作品が無くなってしまって
新刊は予約制だと言われいつ読めるのかまだ未定だった。
順番が来たら連絡してくれるのだそう。もう待ちきれない思い。
それにしても小さな山里にどれほどの東野ファンがいるのだろう。
今日はお昼休みに読む本が無く宮尾登美子のエッセイ本を借りて来た。
自叙伝風のエッセイでなかなか興味深い内容であった。
最初の結婚から離婚。そうして再婚とまるで誰かさんのよう。
読んでいたら無性に書きたくなってムズムズとして来る。
ある意味恥さらしでもあるけれどその恥を曝け出すのだ。
それが文学になる。宮尾文学はとても奥が深い。
私などはとても足元にも及ばず計画性もまるでないものだから
ある日突然に衝動的に書いてしまうかもしれない。
今までもそうして来たしこれからもきっとそうなのに違いない。
昨日の事は忘れても昔の事はよく憶えているそんな歳になった。
走馬灯のように目に浮かぶというけれど
その走馬灯なるものを私は見たことがない。
とにかく生きているうちに恥を晒しておこうと思っている。
長月も晦日というより9月も最終日と言ったほうが良いのだろう。
誰にでも分かり易い言葉を使うことを心がけたいものだ。
たとえば子供には「9月も今日でおしまい」と言うべきなのだ。
いや子供だけとは限らないおとなにもそう言ったほうが良い。
商売をしていると月末の支払いに追われるのだけれど
月末だからと支払いに来てくれるお客さんもいる。
「お金は天下の回り物」と言うがまさにその通りだと思う。
そんなお客さんと話していて「今月は固定資産税もあるね」と。
それを聞いて「あっと驚く為五郎」状態の私であった。
昔々そんなテレビ番組があったのだ。まだ私が子供の頃のこと。
会社の支払いはすでに終えてほっと肩の荷を下ろしていたけれど
我が家の固定資産税の事をすっかり忘れていた。
口座振替にしていても残高がすでに無いことには気づいていた。
けれども入金するお金が無い。それでこその貧乏人である。
そうしてそこで開き直るのが貧乏人の根性だと言えよう。
無いものは無いのだ。どうして納めることが出来ようか。
そのうち督促状が来るだろう。その頃には年金が入っていると思う。
なんとかなるなる。別に罪を犯しているわけではない。
ゆらりゆらりの日々である。その日暮らしも板についた。
なんとか食べていけるだけで幸せなのだと思っている。
どんなに嘆いてもお金持ちにはなれませんからね。
雨あがりの朝。雲間から少しだけ青空が見えていたけれど
大気がよほど不安定だったらしく日中は通り雨が降る。
にわか雨と同じなのかもしれないけれど
雨がざあっと駆け抜けるように通り過ぎたのだった。
女心と秋の空とはよく言ったものである。
ころころと気が変わることを言うのだろうか。
昨夜の日記を少し手直しして高知新聞の文芸部に送った。
「心を鬼にする」と題して原稿用紙一枚半ほどに収める。
採用されるか分からないけれどいちかばちかの気持ち。
活字になればきっと佳き思い出になることだろう。
私は決して意欲的ではなくどちらかと言えば無気力。
ただ書くことに関してはちっぽけなプライドを持っている。
それを生かすか殺すかは自分次第なのだろう。
所詮、文学少女の成りの果てなのだ。そう自覚もしている。
だから大きく羽ばたくことはない。まるで飛べない鶏のように
こつこつと地面を叩きながら餌を啄んでいる日々である。
そんな姿を誰が見たいだろうと自虐的になる時もある。
少なからず自尊心はあるけれど劣等感のほうが大きいのだ。
ある意味自慢すればそこでお終いだとも思う。
いったい何様のつもりなのだと喝を入れたくもなる。
詩や短歌を書き始めてかれこれ50年になろうとしている。
それがいったい何だと言うのだろう。
鶏には確かに羽根があるけれど空を飛べるはずはない。
こつこつと地面を叩き続けるそれが私の生き方なのだ。
| 2021年09月28日(火) |
心を鬼にするのはとても辛い |
雨が降ったりやんだり。時おり激しい雨音がする。
一雨ごとに秋が深まるだろうと思っていたけれど
まだ暑い日もあるとのこと。もうすぐ10月なのにとおどろく。
おそらく急に肌寒い日が訪れるのだろう。
体調を崩さないように気をつけなければいけない。
朝夕はずいぶんと涼しくエアコンをつけなくなったせいか
窓を開け放して夕食を食べ始めようとすると
窓の側から「にゃおうにゃおう」と猫の鳴き声が聴こえるようになった。
その声を聴いただけでお腹を空かせているのがわかる。
懇願するような声なのだ。必死になって訴えているような声。
あやちゃんが真っ先に駆けつけて行って
何か食べさせてあげたいと言うのだけれど
野良猫に餌をあげてはいけないのだと諭すように言って聞かす。
「どうしていけないの?死んじゃうよ」今にも泣きそうな顔。
「あのね、そうしたら自分で餌を見つけられなくなるよ」
「可哀想だけど仕方ないよ。家では飼えないのだから」
「じゃあ人間だったら助けるの?同じ生き物なのに差別じゃないか!」
そう言うととうとう泣き出してしまった。
Tシャツの裾をまくりあげて溢れる涙を拭おうとする。
それにはさすがに参ってしまって私も一緒に涙を流してしまった。
痩せ細った子猫は諦めたのか路地の向こうに消えて行く。
きっと生きていけるから大丈夫よとあやちゃんの肩を抱いた。
私もかつて同じ理由で何度涙を流したことだろう。
心を鬼にすることは身を引き裂かれるように辛いことなのだ。
あやちゃんのいう通り同じ生き物なのにどうして?と思う。
おとなの理屈が子供に伝わるとは限らない。
おとなだって辛い。こどもはそれ以上に辛いのに違いない。
明日も子猫は鳴くだろう。「にゃおうにゃおう」と鳴くだろう。
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