ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年09月29日(水) 飛べない鶏

雨あがりの朝。雲間から少しだけ青空が見えていたけれど

大気がよほど不安定だったらしく日中は通り雨が降る。

にわか雨と同じなのかもしれないけれど

雨がざあっと駆け抜けるように通り過ぎたのだった。

女心と秋の空とはよく言ったものである。

ころころと気が変わることを言うのだろうか。



昨夜の日記を少し手直しして高知新聞の文芸部に送った。

「心を鬼にする」と題して原稿用紙一枚半ほどに収める。

採用されるか分からないけれどいちかばちかの気持ち。

活字になればきっと佳き思い出になることだろう。


私は決して意欲的ではなくどちらかと言えば無気力。

ただ書くことに関してはちっぽけなプライドを持っている。

それを生かすか殺すかは自分次第なのだろう。

所詮、文学少女の成りの果てなのだ。そう自覚もしている。

だから大きく羽ばたくことはない。まるで飛べない鶏のように

こつこつと地面を叩きながら餌を啄んでいる日々である。


そんな姿を誰が見たいだろうと自虐的になる時もある。

少なからず自尊心はあるけれど劣等感のほうが大きいのだ。

ある意味自慢すればそこでお終いだとも思う。

いったい何様のつもりなのだと喝を入れたくもなる。



詩や短歌を書き始めてかれこれ50年になろうとしている。

それがいったい何だと言うのだろう。


鶏には確かに羽根があるけれど空を飛べるはずはない。

こつこつと地面を叩き続けるそれが私の生き方なのだ。



2021年09月28日(火) 心を鬼にするのはとても辛い

雨が降ったりやんだり。時おり激しい雨音がする。

一雨ごとに秋が深まるだろうと思っていたけれど

まだ暑い日もあるとのこと。もうすぐ10月なのにとおどろく。

おそらく急に肌寒い日が訪れるのだろう。

体調を崩さないように気をつけなければいけない。



朝夕はずいぶんと涼しくエアコンをつけなくなったせいか

窓を開け放して夕食を食べ始めようとすると

窓の側から「にゃおうにゃおう」と猫の鳴き声が聴こえるようになった。

その声を聴いただけでお腹を空かせているのがわかる。

懇願するような声なのだ。必死になって訴えているような声。


あやちゃんが真っ先に駆けつけて行って

何か食べさせてあげたいと言うのだけれど

野良猫に餌をあげてはいけないのだと諭すように言って聞かす。

「どうしていけないの?死んじゃうよ」今にも泣きそうな顔。

「あのね、そうしたら自分で餌を見つけられなくなるよ」

「可哀想だけど仕方ないよ。家では飼えないのだから」

「じゃあ人間だったら助けるの?同じ生き物なのに差別じゃないか!」

そう言うととうとう泣き出してしまった。

Tシャツの裾をまくりあげて溢れる涙を拭おうとする。

それにはさすがに参ってしまって私も一緒に涙を流してしまった。


痩せ細った子猫は諦めたのか路地の向こうに消えて行く。

きっと生きていけるから大丈夫よとあやちゃんの肩を抱いた。


私もかつて同じ理由で何度涙を流したことだろう。

心を鬼にすることは身を引き裂かれるように辛いことなのだ。


あやちゃんのいう通り同じ生き物なのにどうして?と思う。

おとなの理屈が子供に伝わるとは限らない。

おとなだって辛い。こどもはそれ以上に辛いのに違いない。


明日も子猫は鳴くだろう。「にゃおうにゃおう」と鳴くだろう。



2021年09月27日(月) もっともっと生きなさい

曇り日。山里では朝からずっと小雨が降っていた。

一気に夏が退く。もう振り向くこともないだろう。


白い彼岸花は茶色くなって枯れていく。

紅い彼岸花よりもなんだか憐れに思えてならない。

いっそ散れるものならどんなにか救われるだろうに。



幼馴染でもある友の命日。もう4年の歳月が流れた。

友の分も生きようと心に誓っていたけれど

友のように死んでしまうのではないかと心細くなる。

何の心構えもなく覚悟さえも出来ずそれは突然の死であった。

ひとは余命を知らされたほうが命を全うできるのではないか。

ふとそんなことを思った。自分では決められないことだとしても。

もし決められたら最期まで精一杯生きられる気がする。


当たり前のように明日が来るとは限らない。

どれほどの希望もどれほどの未来もそれは「約束」ではなかった。

ぎりぎりの崖っぷちに立っていることを忘れてはならない。


もう友とは語り合うことも出来ないけれど

せめて魂に会うことが叶えばと願わずにいられない。


友はきっと私を叱るだろう。「大馬鹿者ね」と叱るだろう。

弱音を吐いている暇があったらもっと生きなさいと言うだろう。


やはり私は友の分も生きなければいけないのだ。

あと10年か、いや20年かもしれない。

もしかしたら100歳までも生きられるかもしれない。


彼岸花は憐れに枯れてもまた来年きっと咲くことだろう。



2021年09月26日(日) 灰色の海だってきらきらと輝く

雲が多くなり秋晴れとはいかず。気温は29℃ほど。

少し蒸し暑さを感じる一日だった。


朝の涼しいうちにお大師堂へ。

一番乗りかなと思っていたらSさんだろうか

日捲りの暦も今日にしてありお線香も半分ほどになり燃えていた。

一足違いで会えずすれ違ってしまったようだ。


お参りを済ませ帰ろうとしていたらお参り仲間の従姉妹たちに会う。

良心市に里芋を出してあると言うのでその足で買いに行く。

従姉妹の里芋はほくほくと美味しく毎年楽しみにしているのだった。



10時頃からプチドライブ。なんとなく海が見たくてならなかった。

じいちゃんの提案で国道321号線、通称サニーロードに向かう。

足摺岬までは行かず竜串まで行く。海辺に彼岸花が咲いていたけれど

やはりもう枯れ始めていて一週間早ければと残念でならない。

海も空の色をそのままに映し灰色のままだった。

それでも薄陽が射していたのできらきらと輝きそれなりに綺麗。

曇り日の海も良いものだなと思う。しんみりと心に沁みる。


竜串から大月町を経由し宿毛市へ。

途中の道の駅で昼食を調達しようかと思っていたけれど

じいちゃんが久しぶりにラーメンが食べたいと言い出し

宿毛市郊外のレストラン「一風」まで行く。

私の幼馴染のNちゃんが働いている店だった。

コロナ禍の打撃をもろに受けていてずいぶんと空いている。

Nちゃんにご無沙汰を詫びたら「今は仕方ないよね」と。

経営難をなんとしても乗り越えなければならない時だった。

Nちゃんはちゃんとお給料を貰えているかしらとふと気遣う。


そのまま帰路に就くにはまだ早く少しだけ寄り道をした。

昨年出来たばかりの「横瀬川ダム」を見学に行く。

道路も整備されており新しいトンネルも出来ていて驚く。

なんと壮大なダムだった。紅葉の季節にまた訪れてみたいものだ。



わずか3時間ほどのプチドライブだったけれど

気分転換にもなり楽しいひと時を過ごすことが出来た。



今日は感染者ゼロのニュース。なんと48日ぶりとのこと。

それが希望に繋がればと祈るような気持ちでいる。








2021年09月25日(土) 彼岸花が枯れる頃

朝は少し肌寒いほど。日中も真夏日ではなかったようだ。

これから日に日に秋が深まっていくのだろう。



まるで炎のように咲いていた彼岸花が枯れ始めた。

深紅の花が茶色ではなく白くなっていく。

花の終わりはどうしてこうもせつないものなのだろう。




午前中はカーブスへ。あまりにも沢山の人に戸惑う。

今週は祭日の休店が二日もあったので土曜日に集中したのだろう。

感染対策はしっかりしていてもやはり不安になってしまった。

最後のストレッチを諦め逃げるように帰って来る。

店側は新規メンバーを増やそうと躍起になっているようだけれど

コロナ禍であることを念頭に入れてほしいと願わずにいられない。



ブックオフ等で買い求めた中古本が溜まったので

ツタヤで買い取って貰ったら思いがけずに472円もいただく。

29円で買った本も含まれていたのでまるで夢のようだった。

これは癖になるなとほくそ笑む。どんどん買ってさっさと売ろう。



午後、職場から電話があれば駆けつけようと思っていたけれど

幸いと言ってよいのか音沙汰がなかった。

今週はとても忙しかったけれどなんとかなっているようだった。


昼下がりからおでんを煮込みつつ台所で読書に耽る。

昨日から読み始めていた本を読了。また読む本が無くなった。

明日一日我慢すれば月曜日には山里の図書室に行けるだろう。

それでもそわそわと落ち着かない。困ったものだなと思うばかり。



おでんはよく浸みて美味しかったけれど孫たちは食べない。

娘が焼きおにぎりを作って、めいちゃんが玉子焼きを作る。

それぞれが好きな物を食べればよいとあまり拘りはしなかった。


あやちゃんが娘と珍しく口喧嘩をしていて「お母さんだいきらい」と

「おばあちゃんは?」と訊くと「ちょっと好き」なのだそう。


嫌いは好きの始まりで、好きは嫌いの始まりなのかな?


そんな余計なことは言わず微笑みながら夜が更けていく。






2021年09月24日(金) 頑張りますか?頑張りませんか?

快晴の真夏日。日が暮れてからやっと涼しくなる。

夜風に吹かれながらこれを記し始めたところ。



職場の庭の片隅に「紫式部」だろうか「小紫」かもしれない

母が好きだった紫色の木の実がたわわになった。

手のひらに載せてみるとまるで宝石のように輝いている。

ふと母を想う。想うだけなのだ。ただそれだけのこと。

声を聴きたいと思うまでもう少し時が必要なのかもしれない。






運動会が終わってから4連休だった孫達が登校する朝。

あやちゃんはさすがお姉ちゃんだけあってさっさと準備をするけれど

めいちゃんはぎりぎりまで朝食を食べずにいた。

私は口出しを一切せず内心はハラハラしながら見守るばかり。

あと5分。「がんばれまだ間に合う」娘の声が大きく響く。

その声に励まされるように重いランドセルを背負っためいちゃんだった。


「がんばれ」と言われても頑張れない時もあるものだ。

子供に限らず大人だってそんな時が少なからずある。

精一杯頑張った挙句の「がんばれ」は辛い時もあるのだった。

これ以上何を頑張れば良いのか分からなくなってしまう。

「もう頑張らなくてもいいよ」そう言われたらきっと楽になるだろう。


「精一杯」と「一生懸命」は似ているようで違うのだと思う。

うまく言葉に出来ないけれどなんとなく違うのだった。


頑張るのは簡単なのかもしれないけれど

頑張らないのはとても難しいことだと思う。


肩の力を抜いてありのままでいる。

もう十分ではないかと自分を認めてあげるようなこと。


私は時々自分が頑張っているのか頑張っていないのか

分からなくなる時がある。



2021年09月23日(木) 高野豆腐は母の味

秋分の日。彼岸の中日でもある。

すっかり秋めいてくるだろうと思っていたけれど

真夏日となり思いがけない残暑となった。



早めに昼食を終え川仕事へ。

なんとか後一日あれば漁場の準備が整うだけれど

干潮の時間が日に日に遅くなっており

どうやら今日が限界だったようだ。

残りは次の大潮まで残すことにして帰って来た。

程よい疲れ。肉体労働は決して辛くはなかった。



午後は読書。夕方5時前に読了する。

今月に入って8冊目。まだ後2冊は読めそうだ。

何かにとり憑かれたように読んでいる。

確かに夢中になっているけれど少し異常ではないかとも思う。

やはり活字中毒になっているのだろうか。



夕飯に高野豆腐を煮た。人参と椎茸も一緒に。

家族には不評だけれど私はとても好きなのだった。

けれども高野豆腐には苦い思い出もある。

新婚時代、まだ姑たちと同居していた頃のこと

夕飯の支度を任せれていて高野豆腐を煮たことがあった。

そうしたら姑にすごい剣幕で叱られたのだった。

「これは死んだ人にお供えするものだ」と言うのだ。

確かに法事の時などには仏前に供えていたけれど

そうでなくても普通に「おかず」なのだと私は思っていた。

子供の頃から好きで母もよく作ってくれていたから。


さすがに縁起が悪いと捨てられはしなかったけれど

私は一人で泣きながら食べた。やはり懐かしい母の味だったのだ。


今夜はじいちゃんと娘が少しだけ食べてくれて嬉しかった。

知らず知らずのうちに我が家の母の味になっていたのだと思う。


昔の辛かった出来事をふっと思い出しながらも

今はこうして救われているのだった。





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