| 2021年09月27日(月) |
もっともっと生きなさい |
曇り日。山里では朝からずっと小雨が降っていた。
一気に夏が退く。もう振り向くこともないだろう。
白い彼岸花は茶色くなって枯れていく。
紅い彼岸花よりもなんだか憐れに思えてならない。
いっそ散れるものならどんなにか救われるだろうに。
幼馴染でもある友の命日。もう4年の歳月が流れた。
友の分も生きようと心に誓っていたけれど
友のように死んでしまうのではないかと心細くなる。
何の心構えもなく覚悟さえも出来ずそれは突然の死であった。
ひとは余命を知らされたほうが命を全うできるのではないか。
ふとそんなことを思った。自分では決められないことだとしても。
もし決められたら最期まで精一杯生きられる気がする。
当たり前のように明日が来るとは限らない。
どれほどの希望もどれほどの未来もそれは「約束」ではなかった。
ぎりぎりの崖っぷちに立っていることを忘れてはならない。
もう友とは語り合うことも出来ないけれど
せめて魂に会うことが叶えばと願わずにいられない。
友はきっと私を叱るだろう。「大馬鹿者ね」と叱るだろう。
弱音を吐いている暇があったらもっと生きなさいと言うだろう。
やはり私は友の分も生きなければいけないのだ。
あと10年か、いや20年かもしれない。
もしかしたら100歳までも生きられるかもしれない。
彼岸花は憐れに枯れてもまた来年きっと咲くことだろう。
| 2021年09月26日(日) |
灰色の海だってきらきらと輝く |
雲が多くなり秋晴れとはいかず。気温は29℃ほど。
少し蒸し暑さを感じる一日だった。
朝の涼しいうちにお大師堂へ。
一番乗りかなと思っていたらSさんだろうか
日捲りの暦も今日にしてありお線香も半分ほどになり燃えていた。
一足違いで会えずすれ違ってしまったようだ。
お参りを済ませ帰ろうとしていたらお参り仲間の従姉妹たちに会う。
良心市に里芋を出してあると言うのでその足で買いに行く。
従姉妹の里芋はほくほくと美味しく毎年楽しみにしているのだった。
10時頃からプチドライブ。なんとなく海が見たくてならなかった。
じいちゃんの提案で国道321号線、通称サニーロードに向かう。
足摺岬までは行かず竜串まで行く。海辺に彼岸花が咲いていたけれど
やはりもう枯れ始めていて一週間早ければと残念でならない。
海も空の色をそのままに映し灰色のままだった。
それでも薄陽が射していたのできらきらと輝きそれなりに綺麗。
曇り日の海も良いものだなと思う。しんみりと心に沁みる。
竜串から大月町を経由し宿毛市へ。
途中の道の駅で昼食を調達しようかと思っていたけれど
じいちゃんが久しぶりにラーメンが食べたいと言い出し
宿毛市郊外のレストラン「一風」まで行く。
私の幼馴染のNちゃんが働いている店だった。
コロナ禍の打撃をもろに受けていてずいぶんと空いている。
Nちゃんにご無沙汰を詫びたら「今は仕方ないよね」と。
経営難をなんとしても乗り越えなければならない時だった。
Nちゃんはちゃんとお給料を貰えているかしらとふと気遣う。
そのまま帰路に就くにはまだ早く少しだけ寄り道をした。
昨年出来たばかりの「横瀬川ダム」を見学に行く。
道路も整備されており新しいトンネルも出来ていて驚く。
なんと壮大なダムだった。紅葉の季節にまた訪れてみたいものだ。
わずか3時間ほどのプチドライブだったけれど
気分転換にもなり楽しいひと時を過ごすことが出来た。
今日は感染者ゼロのニュース。なんと48日ぶりとのこと。
それが希望に繋がればと祈るような気持ちでいる。
朝は少し肌寒いほど。日中も真夏日ではなかったようだ。
これから日に日に秋が深まっていくのだろう。
まるで炎のように咲いていた彼岸花が枯れ始めた。
深紅の花が茶色ではなく白くなっていく。
花の終わりはどうしてこうもせつないものなのだろう。
午前中はカーブスへ。あまりにも沢山の人に戸惑う。
今週は祭日の休店が二日もあったので土曜日に集中したのだろう。
感染対策はしっかりしていてもやはり不安になってしまった。
最後のストレッチを諦め逃げるように帰って来る。
店側は新規メンバーを増やそうと躍起になっているようだけれど
コロナ禍であることを念頭に入れてほしいと願わずにいられない。
ブックオフ等で買い求めた中古本が溜まったので
ツタヤで買い取って貰ったら思いがけずに472円もいただく。
29円で買った本も含まれていたのでまるで夢のようだった。
これは癖になるなとほくそ笑む。どんどん買ってさっさと売ろう。
午後、職場から電話があれば駆けつけようと思っていたけれど
幸いと言ってよいのか音沙汰がなかった。
今週はとても忙しかったけれどなんとかなっているようだった。
昼下がりからおでんを煮込みつつ台所で読書に耽る。
昨日から読み始めていた本を読了。また読む本が無くなった。
明日一日我慢すれば月曜日には山里の図書室に行けるだろう。
それでもそわそわと落ち着かない。困ったものだなと思うばかり。
おでんはよく浸みて美味しかったけれど孫たちは食べない。
娘が焼きおにぎりを作って、めいちゃんが玉子焼きを作る。
それぞれが好きな物を食べればよいとあまり拘りはしなかった。
あやちゃんが娘と珍しく口喧嘩をしていて「お母さんだいきらい」と
「おばあちゃんは?」と訊くと「ちょっと好き」なのだそう。
嫌いは好きの始まりで、好きは嫌いの始まりなのかな?
そんな余計なことは言わず微笑みながら夜が更けていく。
| 2021年09月24日(金) |
頑張りますか?頑張りませんか? |
快晴の真夏日。日が暮れてからやっと涼しくなる。
夜風に吹かれながらこれを記し始めたところ。
職場の庭の片隅に「紫式部」だろうか「小紫」かもしれない
母が好きだった紫色の木の実がたわわになった。
手のひらに載せてみるとまるで宝石のように輝いている。
ふと母を想う。想うだけなのだ。ただそれだけのこと。
声を聴きたいと思うまでもう少し時が必要なのかもしれない。

運動会が終わってから4連休だった孫達が登校する朝。
あやちゃんはさすがお姉ちゃんだけあってさっさと準備をするけれど
めいちゃんはぎりぎりまで朝食を食べずにいた。
私は口出しを一切せず内心はハラハラしながら見守るばかり。
あと5分。「がんばれまだ間に合う」娘の声が大きく響く。
その声に励まされるように重いランドセルを背負っためいちゃんだった。
「がんばれ」と言われても頑張れない時もあるものだ。
子供に限らず大人だってそんな時が少なからずある。
精一杯頑張った挙句の「がんばれ」は辛い時もあるのだった。
これ以上何を頑張れば良いのか分からなくなってしまう。
「もう頑張らなくてもいいよ」そう言われたらきっと楽になるだろう。
「精一杯」と「一生懸命」は似ているようで違うのだと思う。
うまく言葉に出来ないけれどなんとなく違うのだった。
頑張るのは簡単なのかもしれないけれど
頑張らないのはとても難しいことだと思う。
肩の力を抜いてありのままでいる。
もう十分ではないかと自分を認めてあげるようなこと。
私は時々自分が頑張っているのか頑張っていないのか
分からなくなる時がある。
秋分の日。彼岸の中日でもある。
すっかり秋めいてくるだろうと思っていたけれど
真夏日となり思いがけない残暑となった。
早めに昼食を終え川仕事へ。
なんとか後一日あれば漁場の準備が整うだけれど
干潮の時間が日に日に遅くなっており
どうやら今日が限界だったようだ。
残りは次の大潮まで残すことにして帰って来た。
程よい疲れ。肉体労働は決して辛くはなかった。
午後は読書。夕方5時前に読了する。
今月に入って8冊目。まだ後2冊は読めそうだ。
何かにとり憑かれたように読んでいる。
確かに夢中になっているけれど少し異常ではないかとも思う。
やはり活字中毒になっているのだろうか。
夕飯に高野豆腐を煮た。人参と椎茸も一緒に。
家族には不評だけれど私はとても好きなのだった。
けれども高野豆腐には苦い思い出もある。
新婚時代、まだ姑たちと同居していた頃のこと
夕飯の支度を任せれていて高野豆腐を煮たことがあった。
そうしたら姑にすごい剣幕で叱られたのだった。
「これは死んだ人にお供えするものだ」と言うのだ。
確かに法事の時などには仏前に供えていたけれど
そうでなくても普通に「おかず」なのだと私は思っていた。
子供の頃から好きで母もよく作ってくれていたから。
さすがに縁起が悪いと捨てられはしなかったけれど
私は一人で泣きながら食べた。やはり懐かしい母の味だったのだ。
今夜はじいちゃんと娘が少しだけ食べてくれて嬉しかった。
知らず知らずのうちに我が家の母の味になっていたのだと思う。
昔の辛かった出来事をふっと思い出しながらも
今はこうして救われているのだった。
中秋の名月を夜が明けてから見る。白い月だった。
たなびく雲は薄っすらと茜色。なんとも幻想的な景色。
名月が満月となるのは8年ぶりなのだそう。
なんだか不思議な気持ちになった。
母方の祖母の命日。二日ほど前に夢に見る。
まだ60代くらいの祖母で誰かに似ているなと思ったら私だった。
一緒にお風呂に入っている夢でとても楽しかったのだけれど
子供のはずの私は今の私でまるで祖母が二人いるようであった。
祖母は還暦の歳に脳を患い右半身が不随になってしまった。
右手がかなわず私の大好きだった「おはぎ」も作れなくなる。
けれども子供の時に食べたおはぎの味は今でも忘れられない。
父と母が離婚してからも縁は切れることもなく
父はよく私と弟を祖父母の家に連れて行ってくれた。
母を憎んでいただろうに父はおくびにも出さなかったのだ。
それが父の精一杯の優しさだったのだと思う。
私が最初の結婚をする時には祖父母が婚礼家具を揃えてくれた。
その時に買ってもらった三面鏡を今も大切にしている。
きっと祖母が選んでくれたのだろうと信じている。
今となってはその鏡が祖母の形見のように思えてならない。
16年前の秋。祖母は肺炎を患い危篤状態となった。
確か亡くなる二日前だったと記憶している。
まだ微かに意識があり手を握ると歌を歌い始めたのだった。
「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」
祖母は最後まで歌い続けた。それが祖母の声を聴いた最後となる。
歳月が流れ私も孫を持つ身になると
孫がどれほど愛しい存在であるか思い知るようになった。
別れたくはないけれど死は確実に迫って来ているのだと思う。
なんとしても長生きをしたいけれど永遠の命などないのだ。
私も祖母のように歌いたい。孫たちの心に歌を残したい。
曇り日。ほんの少しにわか雨が降る。
霧のような雨は秋のしるしなのだろうか。
もしかしたら薄陽が射すかもしれないと思い
洗濯物をたくさん干して仕事に行っていたのだけれど
近所に住む義妹が軒下に移動させてくれていたようだ。
おかげで乾いていてほんとうにありがたいこと。
孫たちの学校は運動会の代休もあり昨日から4連休だった。
じいちゃんも川仕事に出掛けるので二人きりの留守番となる。
玄関の鍵をかけるから「早く行って」と追い出されたそう。
昼食は娘が用意して出掛けていたので二人で食べたそうだ。
大丈夫かなと心配していたけれど取り越し苦労だったよう。
子供はおとなが思うよりもずっと逞しいのだなと思う。
仕事が少し残業になり帰路に就く。いつものスーパーで買物。
夕食のメニューを考えただけで頭の中が真っ白になった。
お刺身は高くて買えない。孫達の好きな物も思い浮かばない。
予算を気にしなければ何だって買えるのだろうけれど
お財布も寂しく思い切ってカゴに入れられなかったのだ。
安い食材をさがしていたら結局マンネリ化のメニューになる。
「まあいいか」と思った。誰も文句は言わないだろうと。
それでもお刺身がないと娘婿が気を損ねるのではと思ったり
あやちゃんがまたつんつんして不貞腐れるのではないかと思ったり
そうしたら娘が助け舟を出してくれて「これで上等よ」と言ってくれる。
おばあちゃんは決してやる気がないのではない。
ただちょっと疲れているのかもしれないないなと最近よく思う。
家族の為にとどんなに思っても家族ではないのかもしれなくて
なんだか目に見えない境界線のようなものに脅かされている。
もしかしたら娘達も同じことを感じているのかもしれない。
食卓の上にたくさん残ったおかずを見ながら
ひと口たりとも無駄にするものかと思うのだった。
それは精一杯のおばあちゃんの献立にほかならない。
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