ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年09月22日(水) 祖母の形見

中秋の名月を夜が明けてから見る。白い月だった。

たなびく雲は薄っすらと茜色。なんとも幻想的な景色。

名月が満月となるのは8年ぶりなのだそう。

なんだか不思議な気持ちになった。




母方の祖母の命日。二日ほど前に夢に見る。

まだ60代くらいの祖母で誰かに似ているなと思ったら私だった。

一緒にお風呂に入っている夢でとても楽しかったのだけれど

子供のはずの私は今の私でまるで祖母が二人いるようであった。


祖母は還暦の歳に脳を患い右半身が不随になってしまった。

右手がかなわず私の大好きだった「おはぎ」も作れなくなる。

けれども子供の時に食べたおはぎの味は今でも忘れられない。


父と母が離婚してからも縁は切れることもなく

父はよく私と弟を祖父母の家に連れて行ってくれた。

母を憎んでいただろうに父はおくびにも出さなかったのだ。

それが父の精一杯の優しさだったのだと思う。


私が最初の結婚をする時には祖父母が婚礼家具を揃えてくれた。

その時に買ってもらった三面鏡を今も大切にしている。

きっと祖母が選んでくれたのだろうと信じている。

今となってはその鏡が祖母の形見のように思えてならない。


16年前の秋。祖母は肺炎を患い危篤状態となった。

確か亡くなる二日前だったと記憶している。

まだ微かに意識があり手を握ると歌を歌い始めたのだった。

「お手々つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって」

祖母は最後まで歌い続けた。それが祖母の声を聴いた最後となる。



歳月が流れ私も孫を持つ身になると

孫がどれほど愛しい存在であるか思い知るようになった。

別れたくはないけれど死は確実に迫って来ているのだと思う。

なんとしても長生きをしたいけれど永遠の命などないのだ。


私も祖母のように歌いたい。孫たちの心に歌を残したい。





2021年09月21日(火) おばあちゃんの献立

曇り日。ほんの少しにわか雨が降る。

霧のような雨は秋のしるしなのだろうか。

もしかしたら薄陽が射すかもしれないと思い

洗濯物をたくさん干して仕事に行っていたのだけれど

近所に住む義妹が軒下に移動させてくれていたようだ。

おかげで乾いていてほんとうにありがたいこと。



孫たちの学校は運動会の代休もあり昨日から4連休だった。

じいちゃんも川仕事に出掛けるので二人きりの留守番となる。

玄関の鍵をかけるから「早く行って」と追い出されたそう。

昼食は娘が用意して出掛けていたので二人で食べたそうだ。


大丈夫かなと心配していたけれど取り越し苦労だったよう。

子供はおとなが思うよりもずっと逞しいのだなと思う。



仕事が少し残業になり帰路に就く。いつものスーパーで買物。

夕食のメニューを考えただけで頭の中が真っ白になった。

お刺身は高くて買えない。孫達の好きな物も思い浮かばない。

予算を気にしなければ何だって買えるのだろうけれど

お財布も寂しく思い切ってカゴに入れられなかったのだ。

安い食材をさがしていたら結局マンネリ化のメニューになる。

「まあいいか」と思った。誰も文句は言わないだろうと。


それでもお刺身がないと娘婿が気を損ねるのではと思ったり

あやちゃんがまたつんつんして不貞腐れるのではないかと思ったり

そうしたら娘が助け舟を出してくれて「これで上等よ」と言ってくれる。



おばあちゃんは決してやる気がないのではない。

ただちょっと疲れているのかもしれないないなと最近よく思う。

家族の為にとどんなに思っても家族ではないのかもしれなくて

なんだか目に見えない境界線のようなものに脅かされている。

もしかしたら娘達も同じことを感じているのかもしれない。


食卓の上にたくさん残ったおかずを見ながら

ひと口たりとも無駄にするものかと思うのだった。

それは精一杯のおばあちゃんの献立にほかならない。



2021年09月20日(月) 敬老の日の笑顔

彼岸の入り。曇りのち晴れの予報だったけれど

朝のうちは思いがけない雨となった。

「なあにすぐに止むだろう」と川仕事の準備をして

船着き場まで行ったら本降りの雨になってしまった。

人間様は合羽を着れば済むけれど杭打ち機はそうはいかず

雨に濡れるとすぐに故障してしまう恐れがあるのだった。

仕方なく諦めて踵を返す。そうしてお仲間の従兄と話していたら

「今日は敬老の日じゃないか、休めばいいさ」と笑い飛ばされる。

75歳になると地区からお赤飯が届くのだそうだ。

私達夫婦にはまだ縁のない事だったけれど休む理由にはなった。


それから30分もしないうちに雨が止む。

もう少し様子を見ていれば良かったと悔やまれたけれど

休むと決めたからにはもう行動する気力を無くしていた。

じいちゃんが明日からまた一人でぼちぼち頑張るのだそう。

また無理をさせてしまうけれど仕方ない事だと思う。



午後、めいちゃんのお友達が遊びに来てくれて

私達にとお菓子をお土産に持って来てくれる。

黄な粉をまぶした美味しいお菓子だった。

お友達のお母さんが気を遣ってくれたのだろう。なんとありがたいこと。


娘が今夜は夕飯が要らないと言うので買物にも行かなかった。

そうしたら牛肉のタタキとビールを買って来てくれた。

じいちゃんは大喜びで「敬老の日だなあ」とご馳走になる。


娘達は庭でBBQを始める。それは賑やかで楽しそうだった。

真っ先に食べ終わったあやちゃんが笑顔で話しかけてくれる。

実は昨夜から顔も見ておらずなんだか胸が熱くなった。


夜明け前のことあやちゃんの寝ている子供部屋のドアに

貼り紙をしてあるのを見つけていささかショックだったのだ。

そこには明らかに私に対する警告文のような事が書かれていた。

とにかくこれからは勝手にドアを開けてはいけないようだ。


だから「おはよう」も言えなかった。もしお昼に会えたら

「こんにちは」と言おうと思っていたけれどそれも叶わなかったのだ。

距離を置きたいのならそうしようと自分なりに覚悟するしかない。


じいちゃんに言わせれば「もうそんな年頃なのさ」と笑うばかり。

私はとにかく慣れるしかないと思う。それだけ成長したということ。


少なからず寂しさを感じるけれど

時々思い出したかのように笑顔を見せてくれるあやちゃんが愛しい。





2021年09月19日(日) コロナ禍のサプライズ

快晴の空。30℃を超える真夏日となる。

彼岸の入りを目前にして夏が別れを告げに来たかのよう。



孫たちの運動会。喜び勇んで出掛ける。

暑いなか二人ともほんとうによく頑張ったと思う。

最後の紅白リレーでは声を張り上げて応援していた。

家では泣いてばかりいるめいちゃんのなんと逞しいこと。

走るのがあまり得意でないあやちゃんも一生懸命だった。

二人の成長に感動するばかり。胸に熱いものが込み上げて来る。

コロナ禍のサプライズに他ならなかった。もう感謝しかない。



「がんばったね。えらかったね」そう声をかけたかったけれど

あやちゃんは照れくさかったのかつんつんとして機嫌が悪い。

せめて夕飯は好きなものをと思って「ハンバーグにしようかね?」と

訊いたら「食べたくない、いちいちきかんといてや」と怒る始末。


さすがに悲しくなってしまって何も作る気がしなくなった。

もうどうでもいいやと思って適当なものにする。


夕方になり娘が買物に行っていてステーキ肉を買って来ていた。

決して当てつけではないことは分かっている。

娘も我が子を労いたい気持ちでそうしたのだと思う。

私には反抗するあやちゃんも母親にはとても素直だった。


めいちゃんはよほど疲れたのかタオルケットに包まって

夕飯も食べずにごろごろと寝転がっているばかり。

どうやら私の出る幕ではなさそう。とにかくそっとしておこう。


じいちゃんとも話したけれどそろそろ同居の限界かもしれない。

祖父母と暮らすことが孫たちのストレスになっている気がする。

やはり家族ではないのかと思うととても寂しいことだけれど。


それでも私は一縷の望みを捨てずにいようと思う。

もしかしたら絆のようなもの。

心がふれあうこともきっとあるのだろうと信じている。



2021年09月18日(土) 夢に餅のようなこと

台風一過。とはいえ殆ど荒れることもなく朝を迎える。

幸い難を逃れられたようで何よりだった。

名残の風が爽やかに吹き抜け過ごしやすい一日となる。



川仕事の予定だったけれど川が増水しており断念していたのだけれど

様子を見に行っていたじいちゃんが「大丈夫そうだぞ」と帰って来る。

大潮なので思いがけないほどに水が引いていたらしい。

少しでも頑張ってみようかと急いで準備をして出掛けたのだった。


漁場に竹杭を打つ作業。「打ちっこ」と名づけられた機械で

川の中を右往左往しながらせっせと杭を打って行く。

驚いたのはじいちゃんが一人で7割ほど済ませてくれていたこと。

若者ならともかく70歳が近くなり本当によく頑張ったと思う。

「やればできるやん」とほめたら得意げな顔をして微笑んでいた。

おかげで来週中には作業を終えられる目処が立った。


10時には帰宅出来たのですぐに着替えてカーブスへ行く。

肉体労働の後の筋トレはさすがにきつかったけれど

これでもかこれでもかと老体にムチを打つように頑張った。

私もやればできるのだ。諦めてしまったらそこでお終い。


その足で母の入居料を支払いに病院へ行ったら

思いがけずに母の写真をアルバム風にしたものをいただく。

今年も「敬老会」が出来ないので家族へのプレゼントなのだそう。

そこにはとてもお茶目な顔をした母の笑顔があふれていた。

ケアマネさんが「可愛いでしょ」と言うので私も思わずそう声が出る。

孤独だとか寂しさだとかそんな様子は微甚も感じられなかった。

声を聴きたいとも思わない。会いたくもないなどとそれは嘘なのだ。

まるで自分の本心を見抜かれたような気持ちになる。

薄情なはずの娘なのにどうしてこれほど胸が熱くなったのだろう。



午後4時。今日は平常授業だった孫たちが帰って来る。

そこであやちゃんから朗報。明日の運動会を見に行っても良いと。

すっかり諦めていたのでまさに夢に餅のようなことだった。

ここ数日感染者の数が落ち着いているので学校側も緩和したのだろう。

寛大な計らいにはただただ感謝するしかない。


明日の運動会を楽しみに今夜もぐっすりと眠ろうと思う。

それにしても今日は充実した佳き日だった。

ありがとうございました。





2021年09月17日(金) こんな日記は書きたくなかった

台風の影響が出始め時おり地面を叩きつけるような雨。

幸い今はやんでいるけれど明日未明にかけてまた降りそうだ。

上流地域の豪雨のため四万十川はかなり増水している。

念のために川船を避難させた。用心に越したことはないだろう。

今後台風は四国を縦断し関西から東海、関東まで影響がありそう。

大きな被害がなければ良いのだけれどなんとも心配でならない。




仕事を少し早めに終らせてもらって定期の通院。

診察はあえて避け薬の処方箋だけ貰って帰る。

医師との面談無しでどうして処方箋を出して貰えないのだろう。

医師とは顔を合わせたくない。少しの会話もしたくなかった。

打ち解けるまでにはもう少し時が必要に思う。

自分がこれほどまでに執念深いとは思ってもいなかった。



母の施設のある病院に入居料の支払いに行く予定だったけれど

時間が足らなくなり断念。幸い明日でも構わないそうだ。

先月は思いがけなく母に会えた。あれからもうひと月が経ったのか。

その間一度も電話もせずにいて薄情な娘を貫いている。

困ったことに声を聴きたいとも思わないのだった。

避ける理由など何一つないというのに心が動こうとしないのだ。



娘からのメールで孫たちを迎えに行く。

今朝約束をしていたそうで4時には学校へ行かなければならない。

「お母さんは?」不満そうな孫たちに娘の残業を伝えた。


夕食の支度も一人で頑張ったけれど

あやちゃんもめいちゃんも食べてくれない。

いつものことだと分かっていてもやはり落ち込んでしまう。

どんなに頑張っても分かってもらえないと悲しかった。


帰宅した娘が「放っておけば」と言う。

気に入らなければ食べなくて良いのだそうだ。

そうなのかな。それで良いのかなとまた複雑な気持ちになった。


おそらく私はどんなに頑張っても報われないのだと思う。


ああ、嫌だ嫌だ。こんな日記は書きたくなかった。



2021年09月16日(木) 義父とメダカ

早朝には青空が見えていたけれどすぐに曇る。

夕方から本降りの雨になった。

今夜は虫の声も聴こえずひたすら雨音が響いている。

台風の影響が出始めているのかもしれない。



孫達の小学校では運動会の総練習があったらしい。

よほど疲れたのかめいちゃんは宿題が終わるなり寝入る。

今夜はダンス教室もお休みにしたようだ。



昼間職場でタイヤ交換に来てくれたお客さんが

義父が飼っているメダカを少し分けてくれないかと言う。

義父はあまり快い返事をしないまま渋々と分けてあげていた。

まるで我が子のように可愛がっているメダカだけに

たとえ一匹でも手放したくはなかったのだろう。

その気持ちが分かるだけになんとも複雑な気持ちになった。

けれどもお客さんの頼みを断るわけにもいかなかったのだ。

お客さんはとても喜んでいたけれど義父は悲しそうな顔をしていた。



義父と母のあいだには子供がいない。

母はまだ20代の頃に卵巣を摘出していたのだった。

確か私が8歳くらいの時だったと記憶している。

何か婦人科の病気で入院していた時があって

父が「もう弟も妹も要らないな」と私に釘を刺したことがある。

いったい何のことだろうと子供心に不思議に思ったことだった。


母がもう子供を産めない身体になったことを知らなかった。

知ったのは高校生の時ではなかっただろうか。

父が「あいつらにはもう子供はできん」と教えてくれたのだ。

その言葉には母に対する憎しみも含まれていたのだろうと思う。

「忘れてしまえ」それが父の口癖でもあった。


第二の人生を歩み始めた母と義父は

どんなにか子供が欲しかったことだろう。

特に義父はその思いが一層強かったのではないかと察する。

運命だと一言で済ませるにはあまりにも辛い現実だったかもしれない。



毎朝のようにメダカに声をかけ穏やかに微笑んでいる義父。

餌にも拘り卵をたくさん産むという餌を与えている。


今日は仕方なく3匹のメダカを手放してしまった。




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