| 2021年09月08日(水) |
どんな時もあってよし |
雨の予報だったのに思いがけずに陽射しがあった。
強い雨雲は高知県東部を襲ったらしく
一時は大雨洪水警報が出ていたようだ。
いち早く紅葉していた桜の葉が少しずつ散り始める。
「さくらもみじ」と言うらしい。とても風情のある言葉だ。
花は儚く潔く散ってしまうけれど葉はどうだろう。
夏の名残を感じながら少し躊躇っているようにも見えた。
やがて裸木になることだろう。晩秋の風景が目に浮かぶようだ。

仕事を終えていつものスーパーで買い物。
ステーキ肉が三割引きだったので思わず「やったあ」と声が出る。
3パック買ってうきうきしながら家路に着いた。
それが何ということでしょう。
娘が焼こうとしたら何か変な匂いがすると言う。
ふたりでくんくんと匂いを嗅ぎまくるも自信がなく
じいちゃんに嗅いでもらったら「こりゃ駄目だ」と言う。
加工日を確認したらもう3日も経っていた。
いくらなんでもそれは酷すぎる。
よく確認せずに飛びついて買った私も悪いけれど
それは廃棄処分にも値する粗悪なお肉だったらしい。
がっくりを通り越して大ショックだったけれど
スーパーに掛け合って返品するのも気が引ける。
潔く諦めるしかなく思い切って捨てることになった。
さあ困った。晩ご飯はどうしましょう。
とりあえず近くのローソンに走り「からあげくん」を買って来る。
後はレトルトのカレー。娘がサニーレタスでサラダを作ってくれた。
「なんだか笑えるね」とそれなりに愉快になり夕食を終える。
少しでも節約をしながら美味しい物をといつも考えている。
今日はそれが裏目に出てしまったようだ。
まあどんな時もあってよしだろう。明日の事はまた明日にすればいい。
二十四節気の「白露」大気が冷えて来て露が見え始める頃。
もう季節は秋なのだと言ってよいのだろう。
これから日に日に秋の色が濃くなっていく。
曇り空で時おり小雨が霧のように降っていた。
しゅんと寂しさを感じる。なんだか熱が冷めてしまったような空。
とり残されてしまったのだとしても受けとめなければいけない。
「去る者は追わず」それが私の主義でもあった。
それにしてもまだ65回目の秋なのか。
ずいぶんと長く生きて来たように思うけれどあまり実感がない。
100回は無理だとしてもせめてあと20回は秋を感じたい。

孫たちの小学校から運動会のお知らせが届き
あと2週間足らずだけれど危惧していた通り観客制限があった。
家族は2名まで。それでは祖父母は観られないという事になる。
コロナ禍の事で運動会が出来るだけでも幸いと思いたい。
けれどもやはり少なからずショックでもあった。
今年だけとは限らない。コロナの終息は未だ先が見えないのだ。
いったいどうなってしまうのだろうと不安は募るばかりだけれど
希望だけは持ち続けていたいと思っている。
夕食時。いつものように娘たちが一足遅れて食べ始めたのだけれど
めいちゃんだけ二階から下りて来なかった。
「みんなと一緒に食べなさい」と言っても聞く耳を持たない。
あげくには「二階で食べる」と言って我儘を通そうとする。
娘夫婦が叱らないのにどうして私が叱れるだろうか。
最低限のしつけさえ出来ないのがなんとももどかしかった。
「それではいけないでしょ」がどうでも良いことになっていく。
今はそんな時代なのだろうか。年寄りには返す言葉もない。
ようは自分の思い通りにはいかないという事なのだろう。
めいちゃんは夕飯を食べただろうか。それさえも訊けないでいる。
曇りのちつかの間の晴れ。日中の気温は30℃ほど。
夕方になると一気に風が涼しく感じられた。
もう栗の季節なのか。今朝はふっと亡き祖父を思い出す。
母の生まれ故郷の栗山はどうなってしまったのだろう。
毎年たくさんの栗を送ってくれた祖父はもういない。
明日が命日だった。もう22年の歳月が流れてしまったようだ。
また新しい一週間が始まる。そんな月曜日が好きでならない。
わくわくとするわけでもないけれどすくっと前を向ける気がする。
特に変わり映えのしない日常の事を愛しくも思えるのだった。
今朝は山里の道でお遍路さんのMさんと再会する。
40日ぶりだろうか。Mさんはその間ずっと歩き続けていたのだ。
遠くからでもその後ろ姿ですぐに分かる。車を停めて声をかけた。
「乗って行くかね?」「うん、乗せてもらおうかな」と笑顔だった。
職場の近くの分岐路までほんの5分ほどだっけれど会話が弾む。
今日は重い話は一切せず世間話ばかりしていた。
辛い事があればきっと話してくれるに違いないと信じている。
百巡目をとっくに過ぎてMさんも気楽になったのだろう。
なんだかお遍路を心から楽しんでいるように感じた。
Mさんは決して嘆くことをしないのだ。
嘆いても何も変わらない事をすでに知り尽くしているのだろう。
毎日SNSを見ているけれど嘆いている人のなんと多いこと。
愚痴も多い。それは一歩間違えば悪口にも聞こえる。
何処の何方なのかもわからない。鍵付きのアカウントばかり。
酷い人は一日中愚痴を吐きまくっている。
それで心が晴れるのだろうか。すっきりとするのだろうか。
私ははっきり言って「馬鹿じゃないか」と思うのだった。
「今日は心療内科に行きます。頑張って来ます」とかアホか!
自分の心ぐらい自分で直せよと言いたい。
いつまでも薬に頼っていてばかりでは強くなどなれはしない。
それではいつまでたっても自分の心と向き合えないと思う。
以上、かつて鬱病だった私の意見です。
Mさんは宿には泊まれない。
今夜もテントを張って何処かで野宿をしている。
お風呂にも入れません。
夜が明けたらまた歩き始めます。永遠に歩くしか道がないのです。
| 2021年09月05日(日) |
天空の蜂を読んで観る |
曇り日。午後少しだけ薄陽が射す。
たくさんの洗濯物が乾いてくれて良かった。
晴天の日よりふっくらと干しあがる。
そんな些細なことが嬉しいものなのだ。
家事もそこそこに読みかけの文庫本を開いてしまって
とうとうお大師堂にも行かず終いになってしまった。
気になっているのに行かない。なんと疎かな事だろう。
なんだか後ろめたい気持ちになりながらも自分を許す。
昼食後もすぐに読み始めて2時間ほどで読み終わる。
映画化になっているのでDVDが観たくてたまらない。
「一緒に観てくれる?」とじいちゃんに尋ねたら
「おお、借りて来いや」と言ってくれたので思わず「やったあ!」と
喜び勇んで車に飛び乗っていた。ツタヤは近くて5分で着く。
ありました。「天空の蜂」抱きしめるようにしてレジに向かう。
ドキドキしながら見始めたのだけれどいきなり原作と違っていた。
おそらく作者の東野圭吾が了承したのだろうと察する。
そうでなければ映画化は叶わなかった作品なのかもしれない。
テーマと言うか原作の主旨だけはしっかりと守っている。
少しの違和感もまた新鮮に感じるのは不思議なことだった。
それにしても読んだばかりの本を映像で見られるなんて感動しかない。
おまけに大好きな綾野剛。向井理も出演していて思いがけなかった。
原作は原作としての。映画は映画としての「作品」なのだと思う。
読者に観客に真っ直ぐに届く素晴らしい作品なのではないだろうか。
ふう・・少し熱くなってしまったかも。
今ね。これを書いていたら娘が部屋に入って来て
7年前の動画をスマホで見せてくれた。
あやちゃん2歳。めいちゃんは生後100日位の頃。
「可愛いねえ」を連発しながら目頭が熱くなった。
| 2021年09月04日(土) |
ゆるりゆるりと日が暮れる |
まだ夏と思うほどの晴天。猛暑日の一歩手前だったようだ。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。
我が家の猫の額ほどの庭には夏スミレの花が咲いている。
苗を植えたのではなく昨年のこぼれ種が萌えたのらしい。
それはあちらこちらに。玄関先のコンクリートの隙間からも。
プランターに咲いている花には水やりが必要だけれど
コンクリートの隙間に咲く花にはそれが不要のようだった。
水やりをしなくても萎れることはなくとても逞しい。
まるで自分の身の上を知っているかのようだった。
過酷な境遇なのだと知りしっかりと根を張っているのだろう。
すごいなと思う。強いなと思う。ただそっと見守るだけだ。

じいちゃんは漁協の出役に。海苔の漁場を地区別に分ける作業。
公平さを保つために毎年漁場区域を変えているのだった。
「地区割り」を終えると今度は「個人割り」
そうして今年も杭を打ちそれぞれの漁場の準備が始まる。
毎年の事だけれど安気に構えてはいられない。また忙しくなりそう。
孫たちを二人きりで家に残して少し気がかりでもあったけれど
買物に行ったりカーブスへ行ったりして午前中を過ごす。
大急ぎで帰って来たらじいちゃんが先に帰宅していてほっとした。
4人で昼食。とは言え孫達は二階でまた別々に食べる。
あやちゃんは昨日の体育の時間に転んで足と手に傷を負っていて
その傷跡が痛むらしい。まるでロボットのような動き。
傷跡がピザみたいになっていると言い苦笑いをしていた。
夏休みの間の運動不足も原因だろう。
運動会までには治ってきっと頑張ってくれることだろう。
午後2時間程お昼寝。それから夕方までまた文庫本を開く。
室温は33℃もあったけれど不思議と暑さを感じなかった。
ゆるりとしたまま夕暮れ時。今日も娘の帰宅が遅かった。
少しも焦ることはない。今夜も簡単なもので済ます。
完璧である必要はないのだ。そもそも完璧とは何だろうと思う。
それなりに出来た事があればそれで十分ではないだろうか。
| 2021年09月03日(金) |
だいじょうぶよの一言で |
日中は雨の予報だったけれど雨は降らず
曇り空のまま日が暮れようとしている。
湿度が高く風もないせいかずいぶんと蒸し暑い。
土手の道にレッカー車が停められているのは
娘婿が職場の車で帰宅して来たからだった。
それがとてもかっこよい。すごいなと誇らしげに思う。
きっと孫たちも同じ気持ちなのではないだろうか。
今朝はめいちゃんが学校へ行きたがらず大変だった。
早起きをして登校の準備もしていたのに
出足になって自棄を言い始め集団登校に間に合わなかった。
後からじいちゃんが車で送ってあげようとしたけれど
それも嫌だと泣きじゃくるばかりでもう手がつけられない有様。
「がっこうはきらい」「べんきょうもきらい」と叫び続ける。
遅刻になってしまったけれどなんとか娘が送り届けたとのこと。
後から電話でそれを聞きとてもほっとしたのだった。
けれども行きたがらない理由がちゃんとあったことを知る。
それは一番の楽しみではないかと思い込んでいた給食だった。
量が多過ぎて食べきれずいつも最後の端になってしまうのだそう。
残したら先生に叱られるのもストレスになっていたのだろう。
普段から小食のめいちゃんには大きな試練だったようだ。
それを聞くと可哀想でならない。今までよく耐えたものだと思う。
小食も個性のうち。出来ることならば認めてあげてほしい。
みんなと一緒ではないことが辛くなる時もあるのだと思う。
幼い心は一生懸命に頑張ろうとしているのだけれど
出来ない事があってもいい。子供だって人間だもの。
「だいじょうぶよ」の一言で救われる時もあるのだと思うのだ。
2学期は運動会もある。かけっこは得意なめいちゃんだった。
7歳の誕生日もあと少し。めいちゃんの前途はとても明るい。
もうすぐ午後7時。西の空に微かに紅を残し日が暮れようとしている。
曇り空の一日だったけれど午後にはつかの間の青空が見える。
それから一気に気温があがり30℃を超えていたようだ。
まだ夏なのかもう秋なのかまさに季節の変わり目なのだろう。
彼岸花がぽつぽつと咲き始めて今年はずいぶんと早い気がする。
ゆるりと仕事。特に急いだ仕事もなかった。
事務所に一人でいるとつい文庫本を開いてしまう。
さぼっているように見えるけれど留守番だと言えば恰好がつく。
電話が鳴れば出る。来客があれば応対する。
定時でタイムカードを押し帰路についた。
いつものように夕飯のメニューを考えながらのこと。
ラジオからは相川七瀬の「恋心」が流れていた。
今日は娘の帰宅が遅くなる日だったので
今朝あやちゃんに相談したら「かんたんな物でええよ」と。
その一言がやたらと嬉しかった。手を抜いても良いと言うことだ。
お刺身は必須で盛り合わせを半額でゲット。
後はスペアリブを焼くだけ。丸美屋の麻婆豆腐。
長野産のブロッコーリーを茹で胡瓜のスタミナ漬け。
わずか30分で夕食の支度が整う。
今夜はダンス教室があるので娘が帰宅するなり夕食。
めいちゃんは眠そうだったけれど頑張って出掛けて行く。
どんな風にダンスを踊っているのだろう。
動画で良いから一度見てみたいものだ。
とりとめのない日記になってしまったけれど
これを書き終えてこそ私の一日が終わるのだった。
いつも読んで下さっている方々には感謝しかない。
おまけに投票ボタンまで押して下さっている方がいることを
つい最近になって知ったのでした。身に余ることです。
何の変哲もないつまらない日記に本当にありがとうございます。
窓の外はすっかり夜になった。
秋の虫たちが大合唱をしている。今夜もぐっすりと眠れそうだ。
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