雨が降ったりやんだり。時おり強く降る。
太平洋高気圧が少しずつ勢力を増して来ているとのこと
長雨ももう少しの辛抱だと思う。耐えなければいけない。
朝の山道で栗の実が転がっているのを見た。
まだ緑のイガで小さくてとても可愛らしいのだ。
なんだかマリモみたいだなと思った。
それなのに車で轢いてしまってごめんなさい。
ちいさな秋を見つけた朝のことだった。
娘40歳の誕生日。今夜はささやかにお祝いをする。
娘の歳を忘れたじいちゃんが「さんじゅうくかよ」と言って
私が「しじゅうで」と教えたら「ほんまかよ」と驚いていた。
それから20歳の頃の話になって「あれから20年かよ」と
よく朝帰りをしていて玄関で寝ていたことなどを話す。
夜遊びではなく夜の蝶のバイトをしていたのだった。
父親には内緒だったけれどすぐにバレてしまっていた。
そのバイトのおかげで今のお婿さんとも出会えて結果は良し。
結婚は少し晩婚だったけれど宝物のようなふたりの孫を授けてくれた。
「めでたし、めでたしよね」と今夜はおおいに笑い合った。
ただ結婚式を挙げていないので娘の花嫁姿は幻となる。
当然の事だけれど両親への感謝の言葉などもなく
「じゃあ行くね」と言ってあっけなく家を出て行ったのだった。
そんな娘が今はひとつ屋根の下にいる。
同居を始めてもうすぐ7年になろうとしているけれど
事あるごとに「いつまでも居ないからね」はもう口癖になったよう。
私もじいちゃんも覚悟はしている。
孫たちもどんどん成長しているのだ。同居にも限界があるだろう。
「じゃあ行くね」またそう言って出て行くのかもしれない。
おひさまのような娘がいなくなってしまったら
毎日雨が降り続くのかな。ふとそんなことを思う夜のこと。
時おり土砂降りの雨が降る。それは怖ろしいほどに。
もう幾日降り続いているのか分からなくなった。
ふと蝉のことをおもう。鳴き声ひとつ聴こえないけれど
鳴きたくとも鳴けずまま亡骸になってしまったのではないか。
地上での7日間。雨に打たれながら木にしがみついていたのか。
それでも生きていたのだと思い残すこともなかったのだろうか。
なんと憐れなことだろう。雨はまるで蝉たちの鎮魂歌のようだ。

けい君の血液検査の結果がわかった。
仕事を終えてから総合病院の小児科へと向かう。
医師も驚くほどの結果で私もいささか衝撃を受ける。
どうやら生まれつきのアレルギー体質らしかった。
猫、犬、ダニ、杉花粉、蕎麦、小麦、卵、牛乳等。
とにかく避けられるものは極力避けるようにと指示を受ける。
食物は意外だった。幼い頃からずっと食べていて
特に今まで異変もなかったから寝耳に水のようなこと。
これからの食生活をどうすれば良いのかと途方に暮れる。
息子に知らせたらパニック状態になっていた。無理もないこと。
特に猫は家族の一員でけい君が生まれる前から飼っている。
どこまで神経質になれば良いのか今はよく分からない。
ただ息子たちの苦労がまた大きくなったことは事実だった。
母がお世話になっている施設のある病院でもあり
相談室に顔を出してケアマネさんに声をかけたら
母がちょうどリハビリ室に居るとのことで
遠くから顔を見るだけならと特別に面会を許してもらえた。
なんとも思いがけないことで目頭が熱くなる。
10メートル程離れていただろうか。母の声は聞きとれない。
私も大きな声を出せずにただただ母の元気そうな姿を目に焼き付ける。
何度も何度も母の夢を見ていた。決して幻ではない母の姿だった。
今度はいつ会えるのだろうか。それさえも分からないのだ。
奇しくも今日の感染者は過去最多の40人と聞く。
高知県は昨日とうとう「特別警戒」となったばかりだった。
日に日に押し寄せて来るコロナの波にもまれながらも
日々の事を精一杯にとにかく我が身を家族を守らなければいけない。
| 2021年08月16日(月) |
穴があったら入りたい |
曇り時々雨。明日はまた大雨になるらしい。
例年なら厳しい残暑が続いている頃
もう幾日もおひさまを見ていなくてなんだか
しゅんとしてしまうような寂しさを感じる。
夏はいったい何処に行ってしまったのだろうか。
今日は特に予定もなく午前中は読書に没頭する。
同人誌でお世話になっている大家正志さんの小説。
高知を代表する詩人でありながら小説を書いていたことを知らずにいた。
文面はもちろんのことだけれど感情表現が素晴らしい作品だった。
読み始めたら止めらなくなり一気に読了する。
読後感は言うまでもなく少しミステリアスなところもあり
主人公に感情移入しながら書かれてはいない結末がとても気になる。
直木賞候補になってもおかしくない大傑作だと思った。
それを「非売品」として発行したことにも訳があるのだろう。
営利目的としないことで自由を謳歌しているようにも思えた。
それは決して自己満足なのではないのだと思う。
出来ることならば多くの人に読んで欲しい作品であって
高知の片田舎でひっそりと埋もれるにはあまりにも惜しいと思った。
私も昔小説らしきものを書いたことがあったけれど
とても足元にも及ばない。今日になってやっとその愚かさに気づいた。
自分の心にだけ執着したものはもはや小説とは呼べないのではないか。
ただの雑文。いや自叙伝に少し毛の生えたような「シロモノ」
全くもって恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。
自分の愚かさに気づくと不思議と気楽になるものらしい。
肩の力を抜いて好きなように書きたいことを書いていればいい。
こうして書く場所を与えられていて幸せなことだと思う。
あと半年もすれば「ゆらゆら日記」も20年目になる。
※もし大家正志(ダイケマサシ)さんの小説を読んでみたいと思った方は
「ふたば工房」電話088−840−3791まで。
| 2021年08月15日(日) |
明日はもう送り火なのか |
雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。
ほっとしながらもなんだか心苦しくもあった。
水害や土砂災害に遭われた方々を思うと胸が痛むばかり。
自分達はほんとうに恵まれているのだと思う。
午前中に黒潮町の「あかつき館」まで車を走らす。
友人の所属する写真クラブの写真展があった。
降りしきる雨の中で少し道に迷ってしまったり
不慣れな道を自分で運転するのは初めてのことだった。
「あかつき館」は松林を抜けた処にありとても分かり難い。
昨年はじいちゃんに連れて来てもらったので
助手席でのほほんとしているうちに着いたのだった。
友人の写真は「さすが」と声が出るほど一際目立っていた。
長野県で撮った写真が多くあり相変わらずの行動力に感嘆する。
それにしてもこのコロナ禍にと少し複雑な気持ちにもなる。
躊躇う事をしないのだろうと思う。それで良いのだろうかとも思った。
「人それぞれ」私とは住む世界がまったく違うことを思い知る。
夕方になり息子から電話がありお盆パーティーのドタキャン。
娘が危惧していた通りになった。それは今までもよくあったこと。
今回はけい君が行きたがらないとのこと。仕方ないことだと思う。
お嫁さん(母親)がお留守番だったのが心細かったのだろう。
片時も母親から離れたくない気持ちが痛いほどに分かった。
それほどまでに今回の入院が幼い心を悲しませていたのだと思う。
とにかくしばらくはそっとしてあげていたほうが良さそう。
家族6人では食べきれない程のごちそう。
苦しい家計もなんのそので「ええいお盆だ」と大奮発をしていた。
お盆休み前に職場から夏季手当を頂いていたのでそれが役に立つ。
同僚にも同じく。それは私の算段でどうにでもなることだった。
孫たちは土手で花火をしている。
そのはしゃぎ声を聴きながらこれを記していた。
明日はもう送り火なのか。なんだかふっと切なさが込み上げて来る。
小雨が降ったりやんだり。幸い豪雨にはならずに済む。
九州北部や広島には大雨特別警報が出ていてなんとも心配なこと。
とても他人事には思えずどんなにか不安な一日を過ごしたことだろう。
一刻も早く雨がやんでくれることを願わずにはいられない。
夜明け前、アラームで目覚めるまで不思議な夢を見ていた。
その人が亡くなってから一度も夢に見たことはなかったけれど
ずっとその死を受けとめられずにいる私に
「もう死んだんだよ」と伝えに来てくれたのかもしれない。
故郷の家にきっと魂が帰って来たのだろう。
まさか笑顔で再会できるとは思ってもいなかった。
午前中にけい君を総合病院の皮膚科へ連れて行く。
息子もお嫁さんも私に任せてくれたけれど
なんだかよけいな事をしているような後ろめたさがあった。
けれどもこれ以上悪化させるわけにもいかず
これも息子たちの手助けなのだと思うことにした。
まだ立っているのがやっとのお嫁さんに
どうして自分で連れて行きなさいと言えるだろうか。
帰宅して地区の初盆のお宅へお供えを届ける。
今年は10軒もあり過去最多ではないだろうか。
同じ地区とは言えどのお宅なのか家がよく分からなかった。
悪天候のせいか軒下に灯篭を釣るしていない家が多かったのだ。
じいちゃんの助けがなかったらとても届けられなかっただろう。
地区がすべて終り最後に従兄弟の家を訪ねる。
独り残された従姉妹が愛犬と一緒に出迎えてくれた。
「かず兄帰ってきちょるかね」とお線香をあげさせてもらった。
コロナ禍でさえなければお盆の宴会もあっただろうけれど
それを詫びる従姉妹に「気にせんでもええよ」と言って帰って来る。
気忙しい一日だったけれど任務完了の気持ち。
お盆ならではのことをやり遂げほっと肩の荷がおりたようだった。
明日の夜にはお盆パーティーをすることになり
居酒屋さんにオードブルを注文した。
息子がビールを買って来てくれるそうだ。
どんなにか賑やかな夜になることだろう。楽しみなこと。
午前中はかなりの雨。西日本豪雨の時を思い出す。
前線は明日も停滞しそうで不安がつのるけれど
やまない雨はないだろうと受け止める気持ちでいる。
息子のお嫁さん退院。お昼には自宅へ帰っていたようだ。
入院して9日目の事。どんなにか我が子に会いたかった事だろう。
けい君は笑顔だったろうか。もしかしたら泣いてしまったかも。
私は仕事だったのでその場には立ち会えず少し残念でもあった。
電話でお嫁さんの声を聴く。まだとても弱々しい声だった。
思わず「頑張ろうね」と言ってしまってすぐに後悔した。
「もう大丈夫よ」と言ってあげたほうが良かったのだと思う。
息子はもちろんの事まわりの誰もが手放しでは喜べない。
またこれから先の見えない自宅療養が始まるのだった。
息子の苦労を気遣いながらお嫁さんの辛さも分かるだけに
少しでも助けてあげたい気持ちでいっぱいになった。
この世には「運命」だと一言では済まされない事が多々ある。
大きな渦にのみ込まれながらも人は精一杯に生きようとする。
諦めてしまったらそこでお終いなのだ。もう進む道はない。
嘆きたければいくらでも嘆けばいい。
ただかけがえのない命だけは大切に守ってあげなくてはいけない。
どんな境遇であっても人は生き抜く力があるのだと信じてやまない。
| 2021年08月12日(木) |
どしゃ降りの雨の日に |
もう秋雨前線なのだろうか。お昼前から激しい雷雨となる。
どしゃ降りの雨と雷に身が縮まるような思いだった。
今朝家を出る時にはまだ降っておらずうっかり傘を忘れてしまう。
職場でビニール傘を借りて急場を凌いだ。
そんな土砂降りの雨の中、大阪から帰省されている方だろうか
田舎道で運転操作を誤り道端の岩に車をぶつけ走行不能となる。
エンジンはかかるけれどハンドルが切れない状態だった。
ヘルプ要請があり義父と同僚が運搬車で現場に向かう。
ロワアームの破損。中古部品で間に合うのだけれど
もうすでにお盆休みに入っており部品の注文が出来なかった。
義父が他の解体業者を当たりなんとかそれが見つかる。
配達は不可能で業者まで義父が取りに行ってくれたのだった。
お天気が良くて稲刈りの真っ最中だったらとても対応できなかった。
そうして雨の日のハプニングを無事に乗り越える事が出来る。
はらはらしたけれど遣り甲斐のある仕事だと思うのだ。
困っている人をなんとしても助ける。そんな意気込みがある。
帰宅したらけい君が来ていた。息子は準夜勤だとのこと。
今夜は遅くなるそうでけい君は我が家で泊まることになった。
この一週間あまり一日も休みの日がない。
介護の現場は想像以上に厳しく息子も疲れが溜まっていることだろう。
明日はお嫁さんの入院している病院で医師との面談がある予定。
もしかしたら退院許可がおりるかもしれないけれど
手放しでは喜べない複雑な事情を抱えているのだった。
あやちゃんとめいちゃんはダンス教室に行っており
独り寂しくゲームに没頭している今夜のけい君であった。
もう少しで帰って来るから我慢しようねと伝えたら
「うん!」と素直に頷く。その笑顔に救われるような思いだった。
すべてのことが順調にとはいかない。
それは世の常であり試練でもあるのだろう。
乗り越えてこそ強くなると言えば綺麗ごとかもしれないけれど
まだ7歳の子供だってすくっと前を向くことが出来る
そう信じてこれからも見守ってあげたいと思う。
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