時おり陽射しもあったけれど雨が降ったりやんだり。
台風になりかかっている熱低のせいなのかもしれない。
雨が降れば猛暑が和らぐけれどやはり夏空が好きだなと思う。
「好き」と「嫌い」反対語になるのだろうか。
私はなるべく「嫌い」という言葉を使わないようにしている。
代わりに「苦手」と言うのだけれど微妙に意味が違う気がする。
日本語は難しい。「嫌い」は誰かを傷つけてしまいそうでこわい。

明日は臨時休業と決めていたけれど急な仕事が出来て休めなくなった。
新車の納車がありお客さんが支払いに来てくれるそうだ。
私が居ないと困ると義父が言うので休む訳にはいかないだろう。
乳がん検診が終わり次第に職場に向かうことにした。
明日カーブスに行くつもりにしていたけれど駄目かもしれない。
そう思ってなんとか今日と少し無理をして出掛ける。
月始めの測定があった。体重は2キロ減っていたけれど
どうしたわけかウエストとヒップは全く変わっていない。
けれども体脂肪は少し落ちていてそれが成果だろうと言われる。
仕事をしながら通うのは大変だけれど頑張ろうねと言ってもらった。
最低でも週一を目指してやれるだけ頑張ってみようと心に誓う。
「偉いね」と褒められると嬉しいものだ。
もう子供ではないけれどいい年をした大人だってそれが励みになる。
「あなたは駄目ね」と言われたらひどく落ち込むことだろう。
カーブスへ通い始めてから2ヵ月が経ったけれど
気分がとても明るくなり前向きになったような気がする。
「やれば出来る」と思えるようにもなった。
命の蝋燭のことなども忘れていられる。
不安も心細さも元気でいさえすればと希望が湧いてくる。
こうなったら人生まっしぐら。とことん生き抜いてやろうではないか。
晴れたり曇ったり。おかげで猛暑も少し和らいでいた。
それでも「今日も暑いですね」がこのところのご挨拶。
立秋まであと4日。厳しい残暑がしばらく続くことだろう。
山肌には鉄砲百合がたくさん咲いていたけれど
ここ数日のうちにすっかり枯れてしまったようだ。
暑さに強いのは百日紅。目を見張るほど鮮やかに咲いている。
その名の通り百日咲くのかなと思う。枯れるのだろうか散るのか
その花の最後を見た記憶がない。それほどに長く咲くのだろう。

仕事は少し忙しかったけれどそれなりにぼちぼち。
今週は木曜日に同僚の技術研修が一日がかりであり
私も午前中に乳がん検診があるので臨時休業をすることになった。
来週の月曜日は「山の日」で祭日。週末からはお盆休みになる。
義父は取り立てて何も言わないけれど
母が居たら目くじらを立てて怒ることだろう。
「そんなに休んだら仕事にならない」などと言ったに違いない。
汗水流して働くのは従業員なのだけれど思い遣ることを全くしない。
母は根っからそんな人だった。なんだか悪口のようでごめんなさい。
そうして自分は一日も休もうとしない。そんな気丈な人だった。
そんな母も今では同僚の体調を心配していて気遣ってくれる。
私の事ももちろん。家族のことまで気遣ってくれるのだった。
現役時代とは確かに違う優しい母がそこにいた。
施設での単調な日々。寂しさも確かにあるだろうけれど
もしかしたら本当の自分を取り戻したのかもしれないと思う。
私の記憶の中の母が遠くなる。
もうぶつかり合う事もいがみ合う事もないだろう。
何よりも私は救われたように楽になった。
曇り日。大気が不安定らしく山里ではにわか雨が降る。
稲穂が黄金色に実りそろそろ稲刈りが始まるらしい。
農家の人達は晴天が続くことをどんなにか願っていることか。
義父も少し苛立っている様子。触らぬ神に祟りなしではないけれど
なるべく刺激しないようにそっとしておいてあげなければいけない。
そうしてどうか順調に稲刈りが出来ることを祈るばかり。

めいちゃんは学童の「たけのこ学級」へ。
あやちゃんは行きたがらずじいちゃんとお留守番だった。
お友達に会いたくはないのかしらと訊けば「別に・・」と応える。
宿題も少しはしているようだけれどほぼ一日中タブレット三昧。
二階から下りて来るのはトイレの時だけらしい。
昼食はトレイに載せてじいちゃんが二階へ運んだそうだ。
夏休みになってからなんとなく穏やかになったような気がする。
今日も私が帰宅して声をかけたら「おかえりい」と笑顔だった。
そうして今夜は珍しくみんなと一緒に夕飯を食べてくれる。
もう子供ではない少女の心境は計り兼ねるけれど
学校生活で少なからずストレスを感じていたのかもしれない。
それが何なのか分からないけれど笑顔でいてくれるのがとても嬉しい。
めいちゃんは正反対に活発で少しもじっとしていない。
今も夕散歩に出掛けていて自転車で走り回っている。
先日のこと宿題の日記に学童の事を「ごくどう」と書いていたそう。
「きょうはごくどうにいきました」とあり娘が大笑いしていた。
ちなみに夏休みの宿題は終業式の日に殆ど済ませているらしい。
夏休みは遊ぶ気満々のようでなんとも頼もしいことだった。
そろそろ日が暮れる頃。今は午後7時半。
めいちゃんが汗だくになって帰って来ることだろう。
窓の外では夕蝉ではなく夕蛙が鳴いている。
| 2021年08月01日(日) |
天国からのメッセージ |
晴れのち曇り。少しだけ猛暑が和らぐ。
8月葉月となり早いもので立秋も近くなった。
早朝のまだ朝風の涼しいうちにお大師堂へ。
昨夜の夢に姑さんとお舅さん。伯母も出て来て気になっていた。
特に姑さんと伯母はとても仲が良く共にお大師さんを信仰していて
晩年の伯母は一日中お大師堂に籠っていることが多かった。
寝たきりになっていた姑もお大師堂に行きたがっていたけれど
その願いを叶えてあげられないまま亡くなってしまったのだった。
ふたりの意思を継ぐような大それたことではないけれど
せめて私がと思った気持ちは忘れていない。
けれども以前は毎日だったお参りも今では週に一度が精一杯になる。
それではいけないよと二人の声が聴こえたような気がした。
私はお盆月になるとよく亡くなった人たちの夢を見るのだけれど
何か霊的なことなのかもしれないなと毎年のように思う。
天国からのメッセージのようなもの。それはとても大切なこと。
また疎かにしていることの戒めのようなことなのかもしれない。
般若心経を唱えるとなんだか救われたような気持ちになった。
姑も伯母もきっと赦してくれることだろう。
さらさらと流れる大河をしばし眺めてから家路についた。
浜木綿の花がもう枯れ始めていてなんだか少し切なかった朝のこと。
| 2021年07月31日(土) |
大変な世の中だけれど |
今日も厳しい暑さとなる。37℃近くあったのではないだろうか。
土曜日で夕方のローカルニュースがなく詳しい事がわからない。
テレビはオリンピック一色でコロナの報道も最小限になっている。
東京で4千人超え、大阪でも千人を超えたらしい。
高知県も四国ではトップの感染者なのだけれど
詳しい情報がわからないまま日が暮れようとしている。
先ほど市の無線放送が流れ市内で感染者が出たことを知ったばかりだ。
今更中止は在り得ないオリンピック。元気と勇気を頂いているけれど
なんだかとても複雑な気持ちになってしまうのは私だけではないだろう。
大きな不安の渦の中に巻き込まれてしまっていて抜け出せない現実。
日本はどうなってしまうのだろう。希望さえも薄れていくようだ。
午前中にカーブスへ行っていたのだけれど
ひっきりなしにマシンの消毒を行ってくれている。
運動中も各所に消毒液を置いてあり何度も手指の消毒をしている。
マスクをしての運動はとても息苦しいけれど我慢しなくてはならない。
感染対策をしっかりしていても何があるのかわからないのだ。
カーブスを終えてから母の施設のある病院へ行っていた。
先日から母の携帯電話が一切繋がらなくなっており
ケアマネさんに相談したら電源が入らなくなっているとのこと。
故障かもしれないのでドコモに持って行って見てもらう事にした。
幸い故障ではなくドコモの店員さんがすぐに電源を入れてくれる。
すぐに病院へ届けてもしやと面会を打診してみたのだけれど
やはり駄目だった。コロナが落ち着くまでは諦めざるを得ない。
すぐ近くに母が居るのに会えないのはほんとうにもどかしい。
今は大変な世の中だけれど少しでも希望を持たなければいけない。
終らないコロナはないだろうと信じられるようになりたい。
我が家はとても平和な一日だった。
それが何よりの幸せであり救いにも思える。
平穏無事な一日をありがとうございました。
最高気温が36℃を超え厳しい暑さとなる。
暑さで有名な江川崎よりも気温が高かったようでおどろく。
そんな猛暑の中、昨日から土手の除草作業が行われていて
ヘルメットを被った作業員の人達が汗だくになって働いていた。
なんと過酷な作業なのだろう。頭が下がる思いだった。
じいちゃんは除草作業の経験はないのだけれど
建設作業員をしていた頃を思い出したようだった。
今更ながらよく耐えたものだと感慨深く話してくれる。
50代の働き盛り。まだ体力もあった頃の話だった。
「すごい頑張ったよね」と労えば誇らしげな顔をして微笑む。
私も若い頃にガソリンスタンドで働いていた事があり
屋外での仕事を経験したことが少しはあった。
今のようにセルフではなかったので走り回った記憶がある。
夏はやはり辛かったのかもしれないけれど不思議と憶えていない。
まだ20歳を過ぎたばかりで若さのせいもあったのだろう。
そのガソリンスタンドで彼(じいちゃん)と出会った。
彼は配達係でタンクローリーで外に出ることが多かったけれど
たまに店に居る時もあってその時はとても嬉しかったことを憶えている。
彼が給油をし私がお客さんの車の窓拭きをする。
「ありがとうございました」と一緒に頭を下げたことだった。
春夏秋冬。どの季節にも思い出があるような気がする。
真夏の厳しささえも若い二人には些細なことだったのかもしれない。
もう40年以上も昔のことだ。
彼は70歳が近くなり私も65歳になろうとしている。
決して「過去」とは呼びたくはない確かな夏があったのだろう。
| 2021年07月29日(木) |
窓に西陽のあたる部屋 |
室温が34℃もある。いま少しめまいがした。
エアコンをつけてクールダウンしているけれど
快適になるまでしばらくかかりそうだ。
「窓に西陽のあたる部屋で」むかしテレサテンが歌っていたけれど
私の部屋がまさにそうでおそらく家中でいちばん暑い部屋だと思う。
この家を建てた頃には息子の部屋だった。
4畳半の子供部屋。息子にとってはお城だったかもしれない。
南隣の4畳半が娘の部屋だった。今は孫達の子供部屋になっている。
娘達が寝起きしている6畳の部屋は義妹の部屋だった。
そうして今は茶の間になっている6畳が姑さんの部屋。
仏壇を置いていた場所に今はランドセルが置いてある。
同居を決めたのは他でもない私だった。
古い家を壊して建て直すのに姑さんと義妹を追い出すような形になり
それではあまりにも申し訳ないと思ったのが発端だった。
けれども同居は長続きせず結局姑さんと義妹は出ていくことになる。
路地を挟んで数メートルの所に私達が暮らしていた離れがあった。
鉄筋2階建てだったけれど下は半分が物置で
お風呂もなくとても不便な家だったけれど
義妹がリフォームをするから大丈夫と言ってくれたのだった。
お引越しの日には仏壇も運んだ。
お寺の住職さんにも来てもらってお経をあげてもらう。
そうして新築の家はとうとう私達家族だけで住むことになったのだった。
2階の6畳間は当然のように息子の部屋になった。
そうして息子の部屋だった4畳半が私の部屋になったのだ。
もう何年経ったのか記憶は定かではない。
けれども私にとっては無くてはならない部屋でもあった。
父が亡くなってから小さな仏壇を置く。
夫(じいちゃん)はそれを許してくれたのだった。
とんでもないと怒るところをなんとありがたいことだろうか。
午前4時には灯りがともる。そうして私の一日が始まる。
|