連日の猛暑日。おひさまはとても元気なようだ。
絵に描いたような夏空に蝉の声が響き渡る。
早朝、土手の道を歩くお遍路さんの姿。
もうすっかり顔なじみのMさんであった。
重そうな荷物を背負い少し前屈みに歩く姿を何度見た事だろう。
それから二時間後、国道を辛そうに歩いているMさんを見つける。
幸い後続車がなくスピードを落とすことが出来たのだった。
車の窓から声をかけた。「どうする?歩くかね?」と尋ねると
手を横に振って「駄目だ」と合図をしてくれた。
ちょうど伊豆田トンネルに差し掛かる手前で路肩が広くなっており
車を停めることが出来て良かった。後部座席のドアを開けて招き入れる。
Mさんは歩きながら私が通りかかってくれないかと願っていたそう。
私もきっとMさんに会えるだろうと信じていたのだった。
タイミングがちょうど良かった。トンネル内では車が停められない。
これもお大師さんのおけげだと言ってとても喜んでくれた。
真夏の歩き遍路の辛さはとても言葉に出来ないほど過酷なこと。
けれども歩き続けなければいけない。まるで宿命のような旅。
目標だった100巡目を達成しずいぶんと気が楽になったと言う。
かと言って故郷の山梨には帰らないと決めたのだそうだ。
本当は帰りたい。それなのに四国に骨を埋める覚悟をしている。
Mさんにとってお遍路はもはや生きることに等しいのだった。
山梨の娘さんの手助けもあって年金受給も叶うようになったとのこと。
けれども65歳になるまではその受給も保留にするのだと言う。
確か11月が誕生月だったと記憶している。もう少しあと少し。
年金が入るようになれば托鉢をしなくても食べていけるだろう。
かと言ってお遍路はやめない。死ぬまで続けるつもりでいるのだった。
Mさんにとっての人生とはと考えられずにはいられない。
敢えて過酷な道を選ぶ。そんな生き方もあるのだと思い知らされる。
山里の分岐点まで送り届けまたの再会を誓いつつ別れる。
お布施は何も出来なかった。
私の財布にはなけなしの5百円硬貨が一個あるだけだった。
Mさんに詫びれば「おかあさんいいよ」と言って笑顔で手を振ってくれる。
| 2021年07月27日(火) |
ケセラセラなるようになるさ |
夜明け前に月を仰ぐ。少し欠けていたけれど綺麗な月。
なんと久しぶりのことだろうと嬉しくこころまで明るくなった。
ずいぶんとながいこと暗闇ばかりを見つめていたように思う。
私にも希望はあるのだろうかと思うこともあった。
もしあるのだとしても輝いてくれなくては見つけられない。
そんなふうに暗闇のせいにする私はずるい人間かもしれなかった。
日中は快晴の夏空。今日はこの夏いちばんの暑さだったようだ。
これから猛暑日の日が多くなることだろう。
そんな夏のことが私は決して嫌いではなかった。
夏ならば「とことん暑くなってみせろ」そう言ってあげたいほどに。
仕事は今日も来客が多くまずまずの忙しさだった。
活気があるほど遣り甲斐があるというもの。ありがたいことである。
とあるお客さんと話していて「今夜は外食だ」と言っていた。
聞けば奥さんが夕食の支度をしたがらないのだそう。
暑さのせいでもあるだろうけれど一切作らないのも良きかなと思う。
けれどもよほど経済的に恵まれているのだろうと思うと
私などには到底無理な話であった。コロナ禍の外食にも抵抗がある。
明日じいちゃんが通院日なのでATMで一万円引き出したら
残高がもうわずかになっていた。なんだか一気に侘しくなる。
お国がまた給付金を出してくれたら良いなと夢のようなことを思う。
ああ嫌だ嫌だ。どうしてこんなことを書いているのだろう。
どれほど逆立ちをしても天からお金が降って来る訳でもないのに。
今こそ希望だろうか。うんきっとそうなのに違いない。
ケセラセラなるようになるさ。そう思って乗り越えて行こう。
曇りのち晴れ。やっと夏空らしくなる。
青空に入道雲。これでこそ夏だと叫びたくなった。
朝の道に名残の紫陽花。ずいぶんと遅れて咲いたようだ。
まわりにはすっかり枯れて化石のようになった紫陽花ばかり
つい目を背けてしまいたくなるけれどそれがありのままの姿だった。
遅れて咲いた紫陽花はどんな気持ちでいるのだろう。
仲間の亡骸に悲しむ術もなくただ我が身の宿命を受けとめているのか。
独りきりで咲いてしまったのだ。真夏の陽射しがただただ眩しい。

職場は連休明けで来客の多い一日だった。
オイル交換やタイヤ交換に来てくれたお客様と会話が弾む。
私にも気の合うお客様と苦手なお客様がいて
今日は気の合うお客様ばかりで会話するのがとても楽しかった。
若いお客様だとスマホをいじったりしてくれるので
話しかけずにそっとしてあげたほうが良いのだけれど
高齢のお客様や同年代のお客様の場合はそうはいかない。
仕事の手を休めてちゃんと目を見て会話をするようにしている。
それが田舎ならではのささやかなおもてなしかなと思っている。
お客様とふれあうことも大切な仕事なのだった。
定時で仕事を終えられたので今日こそはカーブスに行きたかった。
買い物を済ませて帰宅したら3時過ぎ。急いで準備をして出掛ける。
わずか30分の筋トレだけれど仕事を終えてからはけっこうキツイ。
夕飯の支度までに帰ればよいのだと思っていても時間が気になる。
洗濯物を取り入れなければ。あれこれすることはいっぱいあった。
それでも精一杯の気持ちになって有意義な時間を過ごす。
帰宅したら娘が洗濯物をたたみ終えてくれていて肩の力が抜ける。
やはり娘の協力がなければ平日のカーブス通いは無理なのではと思った。
夕食後あやちゃんがピアノの練習をしていた。
子供部屋は狭くスペースが無いのでピアノは私の部屋に置いてある。
練習曲は季節はずれの「ジングルベル」だった。
声をかけたら「集中したいので黙っていて」と叱られる。
うんうんなかなかいい感じ。上手に弾けているなあと思った。
「季節はずれに咲いた花が重宝されるように
みんなと同じでなくてもよい 自分のペースで咲けばよい」
私の部屋の壁にはそんな言葉の色紙が貼られてあった。
| 2021年07月25日(日) |
不穏な世の中だからこそ |
朝のうちにわか雨が降ったり不安定なお天気。
午後には少し青空が見えたけれど今日も夏空とは言い難い。
おかげで猛暑は免れけっこう過ごしやすい一日だった。
昨日のうちに海苔網がすっかり乾き
今日は早朝から海苔網を重ねる作業をする。
ぽつぽつと雨が降り始めて大急ぎでトンネルに向かった。
少し人里離れたところにあるトンネルで交通量も少なく
その歩道を毎年利用させてもらっている。
雨に濡れる心配もなく何よりとても涼しいのだった。
20メートル近くある網を引っ張って広げ
5枚ずつ重ねて両脇を麻紐で括りつけると出来上がり。
全部で18重ねだけれど今日は10重ねがやっとだった。
汗こそかかなかったけれど足が疲れてけっこうな重労働となる。
万歩計を見ると5000歩も歩いていて我ながら感心するばかり。
ついこの前だったような気がするよねとじいちゃんと話した。
一年が経つのがほんとうに早い。体力は年々落ちていくけれど。
午後はオリンピックの女子ソフトボールを観戦する。
オリンピックの開催には反対だったけれどいざ始まってみると
やはり日本を応援したくなるものだった。
選手たちに何の罪があろのだろうと思う。精一杯に頑張っている姿は
今のこの不穏な世の中に一抹の勇気と元気を与えてくれる気がする。
ソフトボールは以後のオリンピックにはもう含まれないとのこと。
選手たちの気持ちを思うとなんとしても勝たせてあげたかった。
延長戦のさよなら勝ち。やはり感動せずにはいられない。
上野投手は39歳。おそらく最後の表舞台になることだろう。
東京では今日も1700人を超す感染者。
オリンピックどころではない医療従事者に関する報道は一切ない。
雲が多く快晴ではなかった。夏空とは呼べないのかもしれない。
気温も30℃ほど。北海道とあまり変わらないのに驚く。
南風ではなく東風が吹く。そんな涼風がありがたかった。
娘夫婦が仕事だとばかり思い込んでいたら
婿殿がお休みとのこと。それを今朝まで知らずにいた。
孫たちの心配もないので急きょ海苔網を洗うことになった。
私はカーヴスへ行く予定を組んでいたけれど
さすがにそれを優先させるわけにもいかず潔く諦める。
じいちゃんは「行ってこいや」と言ってくれたけれど
一人で出来る作業ではないので言葉に甘える訳にはいかない。
8時過ぎから洗い始めちょうどお昼に洗い終わる。
作業場の隣のローソンで冷やし中華を買って食べた。
麺類は控えたかったけれど肉体労働には勝てず。
それから洗い終えた海苔網を堤防へ干しに行く。
堰堤にコンクリートの場所があり毎年そこを利用している。
コンクリートの熱気と夏の陽射しさえあればすぐに乾くのだ。
午後、やっと買い物。それからDVDも借りて来る。
「マスカレード・ホテル」は予想以上に面白かった。
東野圭吾は映画化に渋っていたそうだけれど
主役が木村拓哉ならと了承しただけのことがある。
原作のイメージとぴったりなのだ。これははまり役だと思った。
次に読む本はもう決めている。今度は「マスカレード・ナイト」だ。
せっかく買い物をしてきたけれど今夜は夕飯は作らず。
娘達が急きょBBQをするのだと言って夕方からばたばた。
一緒にと誘ってくれたけれど家族水入らずが良いだろうと遠慮する。
じいちゃんと二人で冷蔵庫の残り物で簡単に済ませた。
不思議と寂しさは感じず。たまには二人きりも良いものだなと思う。
「いつまでもこの家にはいないから」と言った娘の言葉を思い出すと
その日が突然来ても打ちひしがれることはないと思う。
孫たちの成長に合わせるように老夫婦も成長しているのだろう。
曇り日。夜が明けるなり蝉の声が聴こえる朝。
ちょうど家の裏の柿の木に蝉がとまっていたようだ。
もう何日目の蝉だろう。8日目の蝉ならその声も憐れに思う。
やっと地上に出て空を仰げたというのになんと儚い命なのか。
今朝もまだ少し頭痛があり副反応はなかなかにしぶとい。
じいちゃんの優しい計らいで作業は日曜日に延期することになった。
娘夫婦が仕事だったので孫たちの心配もありそのほうが良かったと思う。
夏休みの孫たち。早起きを頑張りラジオ体操に行っている。
毎日かなと思っていたら最初の一週間と最後の一週間だけだそう。
午前中は宿題をしているのかなと思いきやそうでもなく
あやちゃんはエアコンの効いた部屋でゲーム三昧のようだった。
めいちゃんは活発に動き回ることが多く今日は市営プールへ。
まあちゃんの両親が一緒に連れて行ってくれて助かる。
お昼に「カツ丼を作ってあげようか」とあやちゃんに声をかけたら
「うん、食べたい」と微笑んでくれて嬉しかった。
部屋を覗いただけで怒るのでうかうか声もかけられないのだった。
とにかくそっとしておいて欲しい年頃になったのだろう。
昨夜のチキンカツの残りで大盛りのカツ丼を作る。
それも二階の部屋で食べるのでそっと運んでそのまま置いておく。
しばらくして見に行ったら完食していたのでとても嬉しかった。
食べているところを見たらきっとまた怒ったことだろう。
二階の2部屋にエアコンをつけていたのでもったいなくて
昼食を食べた部屋を「貸して」と頼んだら「勝手にすれば」と言う。
そこで読みかけだった本を最後まで読み終わることが出来た。
東野圭吾の「マスカレード・ホテル」これも映画化されていて
主人公の新田刑事を木村拓哉が演じている。
なんとしても観なくてはいけない。明日またDVDを借りてこよう。
夕飯は気合を入れて和風ハンバーグを作った。
「ご飯出来たよ」と呼んでも二階から下りて来ないあやちゃん。
それももう日課となり一緒に夕飯を食べることはめったにない。
みんなが食べ終わった頃にやっと食卓に着くのだった。
汚れた食器を洗いながらおそるおそる様子を見ていたら
2個目のハンバーグを美味しそうに食べてくれていてほっとする。
頑張って作ったかいがあったのだなととても嬉しかった。
今夜気がついたのだけれど父親とは笑顔で会話している。
あやちゃんの心理は計り兼ねるけれどなんとも不思議でならない。
抱っこしてあやした記憶。ミルクを飲ませオムツを替えた記憶。
それがとても遠く過ぎ去った日のアルバムのように映る。
少女の階段はまだまだこれから続いていくのだろう。
| 2021年07月22日(木) |
なんのためのワクチンなのだろう |
薄曇りの一日。気温は真夏日だったけれどさほど暑さを感じず。
昨夜は早めに床につきぐっすりとよく眠った。
不安でならなかった副反応は幸い発熱を免れ
今朝は腕の痛みと軽い頭痛があるだけだった。
じいちゃんは腕の痛みだけで済みほんとうに良かった。
私は頭痛のせいなのかよくわからないけれど
朝食後からひどく眠く身体がダル重い感じがする。
もしやと再度熱を測ってみたけれど平熱のままだった。
気のせいだろうと思うほどの些細なことだったのかもしれない。
海苔網を洗う作業は仕方なく延期する。
明日私の頭痛が治まっていたら「やってみようか」と。
今日はとてもそんな気分ではなかった。
たいした頭痛ではなかったけれどお昼に鎮痛剤を飲み
3時間程くたくたと寝ていた。もう治ったと喜んでいたら
また夕方からぶり返す。きっと今夜が峠なのだろう。
私達は軽い副反応で済んだけれど3日も寝込んだ人がいるらしい。
それを思うとなんと恵まれている事かと思わずにいられない。
たかがワクチンではなかった。副反応のリスクを考えるのなら
「感染しない」という確実な事実を望まずにいられない。
ワクチンイコール「安心」ではないのが大きな問題点だと思う。
接種後の待機中に亡くなられた方もいるというのに
県はもちろん国さえもその因果関係を明らかに出来ずにいる。
ほんとうにこのままで良いのか。何のためのワクチンなのだろう。
東京で1900人を超す感染者が出た今日。
とうとうオリンピックは開催されるようだ。
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