ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年07月14日(水) 雷雨の思い出

お昼頃から激しい雷雨となる。三時間程降っただろうか

今は晴れていてもうすぐ夕陽が見られそうだ。

まだ空は青く昼間の雷雨が嘘ように明るい。



高校生だった頃のこと地理の授業で雷の恐怖を習ったことがある。

女性の教師だったけれどその名前がどうしても思い出せない。

けれどもその授業のことは今でもはっきりと憶えているのだった。

家族旅行に出掛けた時に激しい雷雨に見舞われたのだそう。

山間部を車で走っていてあたり中に落雷があったのだそうだ。

その時の恐怖を語る教師の顔はとても真剣な顔をしていた。

そうしてその時一番安全なのは車の中だと教わった。

決して車から外に出てはいけないこと。雷が収まるまで待つこと。

車には絶対に雷は落ちませんと断言したことをよく憶えている。


それまで地理の授業はあまり好きではなかったけれど

それ以来とても好きになった。それなのに教師の名前を思い出せない。

当時は40歳位だったから今は90歳近くになられているだろう。

何処かで元気に長生きをされていることを願ってやまない。

雷が鳴るたびに思い出しているかつての少女がここにいた。



歳を重ねると不思議なことに昔のことはよく憶えている。

特に少女時代の事は一生忘れることはないだろう。

「過去」というのとは少し違ういつまでも新鮮な思い出なのだ。


嬉しかった事より辛かった事をよく憶えているのも不思議なこと。

すべてひっくるめて私の「人生」だったのだろうと思う。


ただ辛かった事を思い出してももう泣くことはなかった。





2021年07月13日(火) 金魚のうんち

すっきりとは晴れず。空はやはりまだ梅雨空だった。

気温が30℃を超えずいぶんと蒸し暑い一日となる。


朝の山道でもお遍路さんの姿をしばらく見ていない。

コロナ禍のせいでもあるだろうけれど夏遍路はとても厳しい。

もし見かけたらきっと声をかけようと思っている。

ささやかな挨拶でもそんなふれあいが嬉しいものなのだ。




弟の62歳の誕生日だったのでお昼に電話してみた。

11月には二人目の孫が生まれるとのこと

今度は女の子が良いねと話したことだった。

初孫の顔も知らない。もう何年会っていないのかも忘れてしまった。

電話だけが頼りの歳月が流れるばかりであった。


数年前までは誕生日に着くようにビールを贈っていたのだけれど

今ではそれが出来なくなってしまって「ごめんね」と詫びれば

「もう気をつかわんでもええよ」と言ってくれてほっとする。

ほんの気持ちもカタチに出来なくなって情けない話だけれど。



弟は幼い頃に池に落ちて死にかけたことがある。

それから川で流され死にかけたこともある。

高校生の時には交通事故に2回も遭い瀕死の重傷を負った。

生死の境を彷徨いながらも生き延びた強い生命力を持っている。

だからきっと長生きをするに違いないと確信しているのだった。


「コロナに気をつけて元気でおりよ」と言ったら

「おう、姉ちゃんもな」とその笑顔が見えるようだった。


そしてコロナが落ち着いたらきっと会おうなと言ってくれる。

その時には姪孫にもきっと会えることだろう。



幼い頃から金魚のうんちのように私から離れなかった弟よ

あの世にまではくっついて来てはいけませんよ。








2021年07月12日(月) 気にしない、気にしない

曇り時々晴れ。今は遠雷が聴こえていて一雨降りそう。

九州南部が梅雨明けしたそうなので四国もすぐに後を追うだろう。

けれども大気がとても不安定で日本中が平穏とは行かず

島根県内では冠水の被害も出ているようだった。



土曜日に休んでしまったおかげでツケがまわって来て

今日は出勤するなり事務仕事が山積みになっていた。

車検整備の終わった車が3台。お国に提出する書類を書く。

本来なら土曜日に仕上げるべきだったのだ。

いつまでも身勝手は許されないだろうと複雑な気持ちになる。

自由気ままと言う訳にはいかない。もっと責任感を持たなければ。

今日の私には「気にしない、気にしない」と言ってあげよう。



帰宅が遅くなりカーヴスは諦める。

仕事を退職出来たらいくらでも行けるのにとつい思ってしまう。

それはいったいいつのことだろう。未だゴールは見えない。

けれども私から仕事を取ったら何が残るのだろうとも思う。

自由が幸せとも限らずする仕事が無くなったら空っぽになりそうだ。

もしかしたら呆けてしまうかもしれないなとも思う。


ふと母のことを思わずにはいられない。

母もどんなにか虚しかったことだろうと。

誰からも必要とされなくなることはとても悲しいことなのだ。

苛立って怒鳴り散らしてばかりいた母の辛さが今になって分かる。


今夜こそ電話をしてみようかと思っているけれど

何を話せば良いのかと思うとまた躊躇っている自分がいた。


声を聴きたかっただけ。そう言えば母は喜んでくれるだろうか。



2021年07月11日(日) 酷道439号線

すっかり梅雨明けを思わすような晴天。

爽やかな暑さという表現は可笑しいかもしれないけれど

湿度が低かったので心地よいほどの「夏」を感じた。



そろそろ海苔網を洗うのかなと思っていたけれど

昨日のうちから準備をしていなかったせいもあり

「今日はやめよう」とあっさりとじいちゃんが言う。


じゃあまた何処かへ行こうかとすぐに意気投合するふたり。

けれども車に乗ってからも行き先がすぐに決まらず

とりあえず西に向かって家を出たのだった。


息子のマンションの前の道を通り駐車場に車がないことを確かめ

今日は日勤かなと勝手に想像しながらそのまま山間部へと。

酷道で有名な国道439号線を通ってみようとやっと決まる。

別名「よさく」漢字だと「与作」なのだろうか。

杓子峠を越えて四万十町大正に抜ける険しい山道であった。

まるで何処かで与作さんが木を伐っているような気がする。

まさに林道で道の両脇には高い木が生い茂っていた。

ガードレールも少なく深い谷が眼前に迫って来る。

なんと言うスリルだろうか。はらはらどきどきが止まらない。

やっと大正に着き民家が見え始めるとほっと安堵していた。


大正の道の駅で田舎寿司を買って車中で食べる。

柚子の香がするとても美味しいお寿司だった。

他には何処にも寄らずひたすら走り続けて帰路に着いた。

途中の梼原町、津野町もつい先日通ったばかりで

なんだか不思議な親近感が湧いてくるお気に入りの町だった。


国道56号線に出て須崎の街で有名な玉子焼きを買って帰る。

娘達が食べたがっていたので良いお土産になった。


家を出たのが10時。帰宅が3時。ちょうど5時間のドライブ。

もう決して若くはないじいちゃんも疲れたことだろう。

それなのに「また行こうな」と言ってくれてありがたいことだった。


国道439号線は徳島まで繋がっているらしい。

日帰りはとても無理だけれどいつか行けたら良いなと思った。


その「いつか」のおかげで長生きが出来るような気がする。



2021年07月10日(土) まさかの青空

曇りのち晴れ。それがとても思いがけなかった。

九州南部では災害級の大雨が降っていた日。

まさか青空が見えるなどと誰が思ったことだろう。




職場はとても忙しかったけれど身勝手にもお休みを頂く。

同僚一人に負担をかけてしまってとても心苦しかった。

電話を転送にしていたので緊急修理の依頼を受ける。

おそるおそる同僚に電話したらとても機嫌が悪かった。

義父は稲の消毒だとか、助けて欲しい時に限って彼はいない。



午前中に買い物。そしてカーヴス。

午後からレンタルして来たDVDを観る。

先日原作本を読み終わったばかりでどうしても観たかった。

東野圭吾の「人魚の眠る家」感動で胸がいっぱいになる。

脳死を人の死とするのか。それは現在の医学の大きなテーマだと思う。

「死」とみなさなければ臓器移植は叶わないのだった。




今夜は小学校の夏祭りがあり孫たちが喜んで出掛ける。

めいちゃんは浴衣を着たのだけれど着せるのは私の役目。

帯がうまく結べず四苦八苦してしまった。

ああでもないこうでもないと何度も結び直す。

娘が子供の頃にはいつも姑さんが着せてくれたのだった。

しっかりと習っておけば良かったと今更ながら悔やまれる。


そろそろ打ち上げ花火が始まる頃。

今年は地域を盛り上げようと例年よりも沢山の花火らしい。

どどんと音が聴こえ始めたら土手の道に上がってみようと思う。


あと5分だ。なんだかそわそわと落ち着かなくなった。



2021年07月09日(金) 救世主のようなひと

曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。

大気がとても不安定のようだ。空も落ち着かないことだろう。



職場の庭に白い芙蓉の花が咲き始めたのだけれど

夏草に覆われていて近づくことが出来ない。

母が知ったらどんなにか嘆くことだろう。

義父に頼んで草刈りをしてもらいたいけれど言い出せず

遠くから眺めているとなんだかとても切なくなるのだった。



今日はずしんと落ち込んでいた心が救われるようなことがあった。

仕事中ではあったけれど事務所に独りきりで思わず涙が溢れる。

昨夜ここに記したことをそのまま詩にしたのだけれど

SNSでのこと誰にも分ってはもらえないだろうと思っていた。

それなのに救世主のごとく声をかけてくれた人がいてくれたのだ。


その人は以前に私の詩を英訳してくれていた人だった。

命と向き合いながらの不安と心細さ。そうしてそれを希望へと導く

それが私の書き方であったし「生き様」でもあったのだと思う。

それが誰にも認めてもらえないことはとても辛い事だった。


溢れる涙をぬぐいながら決心をする。なんとしても私は

貫いて行こうと思う。書き続けて行こうと強く思えたのだった。

この世に生きていた証を残して逝かなければいけない。


明日のことなど分からないから尚更。精一杯でいたいと思うのだ。


暗く寂しい詩にもかならず希望があることを知ってほしい。


そうでなければ生きている甲斐などないに等しい。





2021年07月08日(木) 私は元気なのです

早朝には青空が見えていたけれど次第に曇る。

風もなくなんとも蒸し暑い一日だった。


島根、鳥取に続き今日は広島。水害が後を絶たない。

後から後から心が痛むことが続いている。

自然の猛威のなんと容赦ない事だろうか。

祈ることで救われるのならいくらでも祈ろうと思うけれど。




7月8日。忘れもしないじいちゃんのアクシデント。

もう2年目の夏となったけれど記憶から消え去ることはない。

まだ5歳前だっためいちゃんでさえも憶えていて

「おじいちゃんがおふろでころんだね」と言って

今朝はそれが笑い話になっていたのだった。

この2年もの間、後遺症もなく元気でいてくれて何よりに思う。

悪夢のような事だったのかもしれないけれどもう思い出になったのだ。




仕事から帰宅したらポストに手紙が届いていた。

参加している同人誌の返礼集のようなもので

全国の読者からの感想文をまとめたものである。

私は短歌と詩を載せてもらっているのだけれど

今回はとても鋭い指摘がありひどく落ち込んでしまった。


私の短歌は暗くとても寂しい気持ちになるのだそうだ。

そう言ってくれた方は最後に「元気を出して」と書いてくれていた。

それを素直に受け止められない愚かな私がいる。

自分の気持ちをうまく表現できていない証拠ではないかと思った。

それは非才にも等しく書くことを否定されたような気持ちにもなる。


私は元気なのだ。それを伝えるためにはどう書けば良いのだろう。

明るく元気に朗らかに。それでは切なさは何も伝わらない。

残りの命と向き合うことはそれほどに切ないものなのだ。


どん底まで落ちたら後は這い上がるだけだろう。

私は永遠に認められなくても良い。

最後の最期まで書き続けられる人でありたいだけなのだ。







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