| 2021年06月30日(水) |
コロナワクチンで終わる6月 |
曇りのち雨。幸い小雨のままで今もぽつんぽつんと雨音。
そうして6月最後の日もゆっくりと暮れようとしている。
職場の荒れ果てた庭の片隅に百日紅(さるすべり)の花を見つけた。
母が育てていた木で鉢植えのまま放置されもう三年目の夏だろうか。
よく草むしりをしていた母の丸い背中がふと懐かしく目に浮かぶ。
地に直に植えてあげたら大きな木になるだろうけれど
花が咲くまでその存在をすっかり忘れている私がいた。
まるで「私はここにいますよ」と語りかけているようだった。

コロナワクチン一回目の接種日。朝からそわそわと落ち着かない。
じいちゃんは「やっと打てるようになったな」と喜んでいたけれど
私は「ついにその日が来たか」と身構えるような気持ちだった。
一回目の接種では副反応が出ることは殆ど無いと聞いていたけれど
もし体調が悪くなったらと思うと不安と緊張で胸が苦しくなる。
それでも自分で決めたこと。じたばたするなと言い聞かすばかり。
市民病院での集団接種だったけれどとてもスムーズに事が運ぶ。
大勢のスタッフさん達の苦労の賜物だと頭が下がる思いだった。
注射はまったく気にならないくらい痛みも感じなかった。
ワクチンが体内に入ったのだと言う実感もなく不思議な感覚がする。
二回目の接種で抗体が出来るらしいのだけれど
抗体が出来ても感染しないわけではないらしい。
ただ重症化のリスクはずいぶんと薄れるのだそうだ。
次回は3週間後。もう臆病風に吹かれている場合ではないのだと思う。
2時半の予約だったのが短時間で済み3時過ぎには帰宅する。
水曜日は下校時間が早いので孫たちは美容院へ行っていたよう。
帰って来た孫たちを見て思わず「わおう!」と歓声をあげていた。
あやちゃんの髪がとても短くなっていてよく似合うこと。
めいちゃんは10センチくらい切って前髪がとても短くなっていた。
我が孫ながらなんと可愛らしいこと。ふたりとも目に入れてしまいたい。
鯛のお刺身。ゴーヤチャンプル。キーマカレーで夕食。
飲酒は少量なら問題ないそうで今は寝酒の焼酎をちびりちびり。
| 2021年06月29日(火) |
馬の骨ではありません |
快晴の朝。空はこれほどまでに青かったのかと思う。
朝陽が射し始めると土手の緑がきらきらと輝いていた。
7時15分。「いってらっしゃい」と孫たちを送り出す。
「ただいまあ」ときっと元気に帰って来てくれることだろう。
そう思うだけで目頭が熱くなる朝のことだった。
昨日の悲惨な事故のことが頭から離れず
ご両親やご家族の悔しさや心痛がまるで自分の事のように思えた。
それは決して二度とあってはならないことなのだ。
SNSでは相変わらずの「素敵な一日」が飛び交う。
もううんざりだと今朝は思わずにいられなかった。
タイムラインにただ一人だけ事故の事に触れている人が居てくれる。
リツイートしても反応は殆ど無かった。そんなものなのかと虚しい。
どうして寄り添う気持ちになれないのか。遣り切れない思いがつのる。
それなのに毎朝のお弁当の写真に「いいね」をしている私がいる。
それが昔Rが言ってくれた「普通の日常」なのだろう。
どれほど心を痛めていてもみんな普通の日常を求めているのだ。
余談になってしまうけれどRはよく
「どこの馬の骨か分からない奴のことを気にするな」と言っていた。
私はRの本名も住んでいる町も生年月日も知っていたけれど
今は住所不定、年齢不詳、性別さえも分からない人がいっぱい居る。
それがSNSだと言ってしまえばそれまでの話だけれど
みんなそれぞれの場所で生きている確かに実存する人達なのだ。
「素敵な一日」を過ごしたければそうすれば良い。
コロナも恐れず毎日外食に出掛けるのも良いだろう。
言葉はとても悪いけれど私には関わりのないことです。
あなた方は決して馬の骨ではありません。
かなり毒舌になりましたことをお詫び致します。
| 2021年06月28日(月) |
ひとはどうして夢をみるのだろう |
雨のち曇り。明日はやっとおひさまに会えそうだ。
職場の庭のやまももがすっかり実を落とし
その傍らには合歓木(ねむの木)の花が散り雨に濡れていた。
雨に流されることもなくそれは地面にしがみついていて
まるで蝶の亡骸のように見えて憐れであった。
ひらひらと風に乗り何処へともなく飛んで行きたかったろうに。
実は落ちる。花は散る。それも自然の掟のようなこと。

昨夜ここに「白昼夢」と書いてしまったけれど
その言葉の意味をはき違えていたことに気づく。
薄学な者は時にそのような間違いを起こすものである。
なんとなく気になっていたのでググってみたら
「日中、目覚めている状態で、現実で起きているかのような
空想や想像を夢のように映像として見る非現実的な体験
または、そのような非現実的な幻想にふけっている状態を表す言葉。
願望を空想する例が多い」と書いてあった。
だから白昼夢ではなかったのだ。ただの悪夢であったらしい。
それにしてもどうしてあんな夢を見たのか理解に苦しむ。
子供の頃からよく悪夢にうなされることがあったけれど
今でも忘れられずにいるとても怖ろしい夢を見たことがあった。
真夜中に大きな足音が聴こえ玄関から黒装束のお坊さんが入って来る。
そうして寝ている私の枕元に座ってお経を唱え始めるのだ。
顔に米粒をぱらぱらと撒かれ私は金縛りになっていた。
柱時計は午前二時。隣に寝ている弟の横顔もちゃんと見える。
「助けて」と父や母を呼ぼうとしても声が出ないのだった。
子供心にこれは夢ではないと思ったことをよく憶えている。
お坊さんはそれから毎晩やって来て恐怖は一週間も続いた。
最後の夜にお坊さんの頭がぽとんと千切れたのだった。
その頭をボールのようにして蹴って遊んでいる私がいた。
そんな不気味な遊びが私を救ってくれたのかもしれない。
それ以来そのお坊さんに会ったことがない。
子供の頃から神経質な性格であり臆病者でもあった。
霊感の強いのは母に似ていてよく不思議な事にも遭遇する。
それももって生まれた宿命のようなことなのだろう。
もういいだろう。夢の話はもうお終いにしようではないか。
今夜もきっとぐっすりと眠れることだろう。
雨のち曇り。しばらく梅雨空が続きそうだ。
薄青い紫陽花の色を受け継ぐように
アガパンサスの花があちらこちらに見られるようになった。
庭先に植えられていることが多くブロック塀などあると
その花影だけが顔をのぞかせているのがなんとも愛らしい。
どんな花もそうだけれど心を和ませ癒してくれるありがたさ。

あやちゃんのお友達が遊びに来ると言うので
自分達は家に居ないほうが良いだろうと話して
雨の降りしきるなかまたぶらりとドライブに出掛けることに。
出掛けに娘に声をかけたらお友達は来られなくなったらしい。
でももう決めたからと予定通りに出発することにした。
例のごとくで車に乗ってから行き先を決める。
今日はすぐにじいちゃんが決めてくれて足摺岬に行くことになった。
なるべく遠回りをすることにして旧道を選ぶ。
足摺半島を海沿いに走り窪津という地区を通って行く。
海は凪いでいたけれど一面の灰色の海原が続く。
真っ青な海が好きだけれど灰色の海もなかなか良いものだ。
雨粒も海に溶けるように水と水がまるで寄り添っているよう。
じいちゃんも同じことを思ったらしく「雨の海も良いな」と言った。
足摺岬は観光客の姿もなく閑散としていた。
ホテルのカーテンもすべて閉まっておりとても憐れに思う。
お遍路さんの姿も見えず金剛福寺も寂しいことだろう。
お参りに行きたかったけれどあまりの雨に諦めてしまった。
岬の灯台も見る事も出来ずただ通り過ぎただけのドライブだった。
昼食は土佐清水市内でほか弁を買い求めあしずり港の岸壁で食べる。
窓も開けられず締め切った車内でもそれなりに美味しい。
雨だからと諦めずに来て良かったなと思った。
帰り道は新道を走ったのであっという間に家に帰り着く。
まだ一時前だった。そのままごろりと寝転びお昼寝をする。
その時に信じられないような大変な夢を見てしまったのだった。
私がこの年で逢引をしていてその相手がなんとお向かいのご主人。
車の後部座席に隠れるように身を潜め何処かに向かっていた。
ただならぬことになってしまったとどれほど焦ったことだろう。
夢だと分かっていたので必死で目を覚まそうとしたのだけれど
なかなか目を覚ませずもがき苦しみやっとの思いで夢から覚める。
「白昼夢」という言葉があるけれどこれがそうだったのだろうか。
まるで罪を犯したような罪悪感に苛まれるばかり。
ああ嫌だ嫌だ。じいちゃんには口が裂けても言えない。
夕飯の支度が出来てもあやちゃんが二階から下りて来なかった。
「おばあちゃんはもう食べたけん下へ行ったや」と声をかけたら
「そんなこと関係ないろ。勝手に決めんとって」と怒る。
むつかしい年頃になったものだ。もう笑い飛ばすしかない。
曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始めた。
梅雨ならではの蒸し暑さがなくずいぶんと過ごしやすい。
台風が太平洋を北上しており海が荒れているかなと思っていたけれど
素潜り漁に行っていた娘婿がナガレコとアワビを獲って来てくれる。
ナガレコはトコブシとも言いアワビよりも小さいけれど
砂糖醤油で薄甘く煮るととても美味しい貝だった。
アワビも一緒に煮て薄くスライスして食べる。
義弟も磯に行っていたそうでシイとニナをたくさん届けてくれた。
シイは全国どこの海にもある貝のようだけれど
高知市や県東部ではあまり食べないようだ。
ムール貝に似ていて身がふっくらとしていてとても美味しい。
そんな海の幸に囲まれての夕食。なんとありがたいことである。
孫たちはお友達のご両親に市営プールに連れて行ってもらっていた。
仕事で遅くなり帰宅した娘が「今日の話を聞かせて」と。
そうしたらあやちゃんがおばあちゃんがご飯を食べてからと言う。
どうしてなのかな。おばあちゃんだって楽しかった話を聞きたい。
また気分が塞ぎ少し落ち込んでしまった。
じいちゃんはしつこく食卓にしがみついていたけれど
私はさっさと「ごちそうさま」を言って二階にあがったことだった。
気まぐれな子供の言動にいちいち反応していたら身が持たない。
いや身と言うより心が持たないなとつくづくと思う。
傷つきやすい少女でもあるまいしいい年をした高齢者なのだ。
けれどもあやちゃんが友達を仲間外れにしたり
言葉の暴力で傷つけたりすることは決してあってはいけないと思う。
私は悲しい顔をする。そうしながらあやちゃんにそれを教えている。
曇り日。時おりぱらぱらとにわか雨が降る。
そんな梅雨らしさ。空もすっきりとしたいことだろうに。
明るく朗らかに。人もそうでありたいけれど
なかなか思うようにはいかないもの。それが生きるということ。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」まるで水戸黄門の主題歌である。
職場の敷地内に小さな鉄工所がありその経営者のKちゃんが
野良猫に餌をやり続けていると聞きその様子を見に行く。
どうやら鉄工所の奥まったところに住み着いているようだ。
子猫が生まれており親猫が昆虫を捕まえて来ては育てていたよう。
あまりにも可哀想に思って最初はお弁当を少し残していたけれど
最近では食パンを買って来て毎日与えているのだと言う。
そうなればもはや野良猫ではなく飼い猫と同じだけれど
せめて子猫が大きくなるまでは面倒を見てあげたいのだそうだ。
その気持ちが良くわかるだけに私もこっくりと頷いていた。
20年程前だったろうか、私も子猫を保護したことがある。
廃車置き場の車の中で「みーみー」と鳴いていたのを見つけたのだった。
「事務所で飼いたい」と母に言ったら酷く叱られたことを憶えている。
飼うなら家で飼いなさい。飼えないなら情けをかけてはいけないと。
それは心を鬼にしなさいと言っていたのだろうと思う。
仕方なく見つけた場所に連れて行きそっと置き去りにして来た。
鳴き声は数日間続きある日からぷっつりと聴こえなくなった。
きっと親猫が帰って来たのだろうと母が言う。そう信じなくては
心がはち切れそうに痛んで苦しくてならなかったのだ。
今日はそんな昔のことを思いだしながらなんだかほっとしていた。
確かに情けをかけてはいけないのかもしれないけれど
Kちゃんのように見守ってあげることはかまわない。
そのうち職場の庭を走り回るようにもなるだろう。
そんな姿が目に浮かびほっこりと嬉しかった昼下がりのこと。
曇り日。山里ではほんの少しにわか雨が降った。
義父がたわわに実ったやまももの実をたくさん千切る。
その千切り方がなんともユニークで見るのが面白かった。
フォークリフトのアーム部分に板を載せその上に乗り
アームを一番高いところまで上げれば木に届くのだ。
「ほうれほうれ」とやまももはあっという間に袋いっぱいになる。
木の下で待っているのは若い女性のお客さん。
義父はちょっとかっこつけて良いところを見せようとしていたよう。
「わあ、こんなにいっぱいありがとう」義父のなんと誇らしげな顔。
そのお客さんからは美味しそうなマドレーヌを頂いていた。
「おばちゃんも食べてね」と言ってくれたのだけれど
ダイエット中なので心を鬼にしてぐっと我慢をしていた。
一時間程にらめっこをしただろうか。ついに我慢の限界となる。
一個なら良いだろうと許す。胃に沁み込むように美味しかった。
今日は特別に許してあげたけれど明日からはまた我慢の日々だ。
午後、義理の叔母が久しぶりにやって来て
私の顔から足元までずずっと眺めてから「また太ったね」と笑う。
それくらいのことで私は傷つきやしないけれど少し悔しい。
それにしても叔母の痩せたこと。まるで骨皮筋子さんだった。
叔母と言っても私より8歳ほど年上だろうか。
以前はぽっちゃりとしていて可愛い人だったのになと思う。
太り過ぎてもいけない。痩せ過ぎてもいけないのだろう。
ちょうど良い体形のなれるよう努力してみたいのだ。
明日職場に行ったらまだマドレーヌが残っているかもしれない。
甘党の義父が全部食べてくれていたらいいな。
|