晴れのち曇り。大気が不安定だったようで
山里ではお昼に土砂降りの雨が降った。
一時間ほどですぐにやんだけれどまさにゲリラ豪雨だったのか。
ほんとうにびっくりするほどの凄い雨だった。
帰り道にすっかりうなだれたムクゲの花を見る。
どんなにか痛かったことだろうと可哀想でならなかった。
友の命日。歳はずいぶんと離れていたけれど確かに友だった。
生きていればもう80歳が近い。亡くなって22年目の夏となる。
今朝は形見の貝殻を手のひらに載せそっと声をかけていた。
「おおい生きているか?」と声が聴こえる。
「はあい生きているよ」と笑顔で答えたことだった。
世間の人はどうして男だから女だからと区別したがるのだろう。
もうお墓参りにも行けなくなった。私が女だからいけないようだ。
大好きだったブラックコーヒーや煙草を供えるのがそんなに
いけないことなのだろうか。もうそれさえも出来なくなった。
彼の息子さんだけはちゃんと分かってくれて「おやじが喜ぶよ」と
言ってくれたのだけれど彼の奥さんはそうではなかったのだ。
男と女はずっとずっと友達ではいられないらしい。
その悔しさなんとも言葉に出来ないような理不尽な情けなさがあった。
ずいぶんと歳月が流れたけれど私の胸の中で生き続けている友。
兄のような存在でもあった。そうして私の分身でもあったような。
「話したいことがあったらいつでも来いや」とよく言ってくれた。
親身になってくれたこと。それほどの恩をどうして忘れられようか。
遺言でもあり遺骨の一部は海に散骨された。
海に行けばいつだって会える。それは永遠の約束のように。
| 2021年06月22日(火) |
そろそろ夏野菜の季節 |
晴れたり曇ったり。それも梅雨らしさなのだろう。
紫陽花の花がもう盛りを過ぎ少しずつ枯れ始めたようだ。
そうしてだんだんと化石のようになってしまうのを
毎年の事だけれどせつないものだなと思うのだった。
仕事でお客さんのお宅を訪ねたら畑の周りにそれは沢山の紫陽花。
完全に枯れてしまう前に剪定してあげるのだそうだ。
そのほうが紫陽花も嬉しい事だろう。さっぱりと気持ちよく
土に還って肥やしとなりまた来年誇らしげに咲けるのだと思う。
畑には胡瓜の黄色い花が咲いておりもう初採りをしたとのこと。
「少しだけど持って帰る?」と言ってくれたけれど申し訳なく
「またたくさん出来たら下さいね」と遠慮させてもらった。
茄子も紫色の花を咲かせていた。収穫はもう少し先らしい。
茄子は秋深くなっても実をつけるのでとても逞しく感じる。
猪が悪さをするからと周りをネットで囲っていた。
山里の野菜作りも大変なこと。猪もお腹を空かせている。
我が家にも姑さんが残してくれた畑があったのだけれど
今は海苔の干場になっていてもう畑の面影はなくなってしまった。
2年程だったか私も野菜作りに励んでいたことがあった。
大根やキャベツやえんどう豆や。収穫の喜びは言うまでもない。
ある時東京のお友達が聖護院大根の種をわざわざ郵送してくれて
それは楽しみにしながら種を撒いたことがあった。
芽が出るのをわくわくと待つ。毎日の水やりも欠かさなかった。
それなのに何という事でしょう。芽は出たけれど緑ではなかった。
夏の終わりにじいちゃんが除草剤を撒いていたのだそう。
夏の間、私が草引きを怠ったせいでじいちゃんに罪はないけれど
せっかく送ってもらった種を台無しにしてしまったのだった。
友になんと詫びれば良いのだろう。本当に申し訳ない事をした。
それを最後に私の畑作りは終わった。畑はまた草だらけになる。
「ちゃんと管理できないならするな」とじいちゃんは言った。
職場でお客さんからお野菜を頂いたり
ご近所さんからも度々お野菜を頂くばかりの日々。
私もきっとまたと思う気持ちが込み上げて来る。
二十四節気の「夏至」一年で最も日が長い日。
夏に至るとその字の通りいよいよ本格的な夏でもあった。
いま午後7時20分。外はまだ明るくて
土手の道を自転車で遊ぶめいちゃんの姿が見えている。
まるでリードを外してもらった子犬のようだった。
そんな姿を微笑ましく眺めながらこれを記し始めたところ。
梅雨の中休みが続いていて今日も爽やかな晴天。
オイル交換に来てくれたお客さんの畑にはスイカが実をつけたそう。
待ち時間の間にあれこれと語り合うのも私の仕事であった。
今年もスイカを届けてくれるそうだ。なんとありがたいことだろう。
午後は隣町まで集金。手土産に柚子ジュースとオクラを持参する。
どちらも山里の地場産店で買い求めたものだった。
最初は柚子ジュースだけのつもりだったけれど
新鮮な朝採れオクラが目に入りつい手に取っていた。
ケチケチしていてはいけない。商売は「太っ腹」でなければ。
などと偉そうなことを思いつつ心は笑顔でいっぱいになる。
「こんにちは。毎度ですう」と小切手をありがたく頂く。
事務員さんが「今日は何?」と言って袋の中を覗くのも愉快だった。
末永くお付き合いして頂きたい大切なお客様である。
いま午後8時10分。いつの間にか外は真っ暗になっている。
孫たちもやっとお風呂の時間になったようだ。
私はもう一杯焼酎を飲んで眠ることにしよう。
おやすみなさい。またあした。
爽やかな晴天。梅雨の晴れ間はとても嬉しいものだ。
外に洗濯物を干すのも久しぶりのこと。
ひとつひとつ愛しむように丁寧に干す。
ずらりと干し終えたのを微笑みながら見るのがとても好きだ。
それからお大師堂へ。すっかり日曜日の恒例となった。
従兄弟から「やまもも」と「すもも」を沢山頂いていたので
お大師さんにお裾分け。旬の物をお供え出来てとてもほっとする。
蝋燭に火を灯し拙い般若心経も清々しくお堂にこだまする。
さらりさらりと流れる大河。川辺には姫女苑の花がとても可愛い。
娘が仕事だったら諦めようと思っていたけれど
おそるおそる訊ねたら「今日は休みよ」と言ってくれる。
ああ良かった。早速じいちゃんとドライブに行くことになった。
いつも行き当たりばったりで車に乗ってから西か東かを決める。
父の日なので新しいシャツを買ってあげたくて西に向かった。
青山に寄り2割引きのセールでおまけに商品券もあって
わずか600円でゲットする。そうとは知らず大喜びのじいちゃん。
それからやっと行き先を決めて愛媛との県境にある篠山(ささやま)へ。
宿毛市の楠山(間寛平の生まれ故郷)から登山道へと入る。
篠山へ行く道は他にもあったのだけれどあえて酷道を選んだ。
舗装こそしてあるけれどガードレールもない細い峠道のこと
落石があったり木の枝が転がっていたり谷の水が道に流れていたりと
またまたこれは「ポツンと一軒家」の道だねと笑い合いながら。
対向車がなく幸い。登山客と思われる人と三人会っただけだった。
山肌に少し広い場所がありそこでお昼のお弁当を食べる。
お弁当はもちろんのことだけれど山の空気のなんと美味しいこと。
うんぐりかんぐりやっと峠を登りつめ篠山の駐車場まで着いた。
頂上までは徒歩でなければ行けず諦めてしまったけれど
弘法大師さんにもゆかりのある神社があるのだそうだ。
春には躑躅やシャクナゲがとても綺麗に咲いていたのだそう。
いつか行ってみたい。夢のように思いつつ下山したことだった。
帰り道は南予の国道を選ぶ。県をまたぐ移動にはとても複雑な気持ち。
車から降りなければ良いだろうと宥めつつの帰路であった。
それでも高知ナンバーで愛媛の道を走るのはとても心苦しいものだ。
コロナ禍でさえなければと歯がゆくも思う。
行きたい所に自由に行ける日はいったいいつのことだろう。
それでも「また行こうな」と私たちのささやかなドライブだった。
雨のち晴れ。いつの間に晴れたのだろうと思いがけなかった。
ずいぶんと気温が高くなり真夏日の所もあったらしい。
夕方の空にはうろこ雲。それが次第に茜色に染まって行く。
窓辺に居ると空がとても近く感じる。手が届きそうなほどに。
けれどもほんとうはとても遠いのだ。だから憧れるのかもしれない。

叔母の命日だったので買物の帰り道に従姉妹の家に寄ったけれど
従姉妹は留守で息子さんが居て仏壇に手を合わすことが出来た。
もう8年もの歳月が流れたのか。遺影の叔母はただ微笑むばかり。
生きていればと思うこともあるけれどもうすっかり過去の人だった。
いつだったか私にと毛糸の帽子を編んでくれたことがあり
その帽子は今も大切にしていて寒い冬を楽しみに待っている。
一度帰宅してからカーヴスへ行き心地よく汗を流す。
今月から始めてもう7回目。我ながらよく頑張っていると思う。
成果は確実に表れていて少しお腹が引き締まって来たようだ。
肩凝りも背中の痛みも解消されずいぶんと楽になった。
癖になるというか行きたくてたまらなくなるのも不思議。
もともと身体を動かすのが好きなので性に合っているのだろう。
午後、めいちゃんのお友達が二人遊びに来てくれて賑やか。
パワフルに遊び過ぎたせいか夕飯前にばたんきゅうと眠ってしまう。
今もまだ眠っていてそろそろ目を覚ます頃だろうか。
おばあちゃんはもう眠くなってしまったのにと愉快に思う。
今日もいい日でした。ありがとうございます。
確かにアラームが鳴ったはずなのに寝過ごしてしまった朝。
もうすっかり夜が明けていて大急ぎで朝食の準備をする。
いつも夜明け前に書いている短歌も詩も書けなかった。
たまにはいいかと思う。どうせろくなものなど書けやしない。
ひとやすみ。一呼吸でもしかしたら新鮮になれるかもしれないのだ。
それは明日になってみないとわからないこと。少しでも希望を持とう。

6月18日。少女時代の出来事を今でも忘れられずにいる。
私は中学生になって間もなく父の転勤で海辺の町へ移り住んだ。
同じ高知県でも西部と東部とでは方言がずいぶんと違っていて
そのせいもありまだクラスメイトに馴染めずにいた頃
隣のクラスからまるで使者であるかのように男の子がやって来た。
みんなからNちゃんと呼ばれているらしい男の子からの伝言で
お昼休みに校舎の裏庭に来るようにとほぼ命令のように告げられる。
いったい何だろう。転校生の私が気に入らないのかもしれないと
はらはらどきどき緊張と不安でいっぱいだったことを憶えている。
Nちゃんと呼ばれていた男の子のことはよく知らなかった。
クラスも違うしもちろん話したこともない。
ただ一年生の中ではリーダー格らしく常に子分たちを連れていた。
廊下ですれ違った時にちらっとその顔を見たことがあった。
Nちゃんはおくびれた様子も見せずとても堂々とした態度で
「俺はおまえのことが好きながやけどおまえは俺が好きか?」と
好きも嫌いもなかった。「わからない」と応えすぐにその場から逃げた。
どうやら私は「好き」と応えなければいけなかったらしい。
Nちゃんはふられたことになってしまって学校中の噂になってしまった。
恋をするにもきっかけが必要。一目惚れもあるけれどそうではなかった。
はっきり言ってうっとうしいと思うくらいNちゃんはしつこかった。
ふられたというのに諦めない。休み時間になるたびに私の顔を見に来る。
英語の授業に付いていけない私に「俺がおしえてやろうか」とも言う。
よけいなお世話。私がむっとした顔をするとなぜか嬉しそうな顔をする。
けれどもいつしか私とNちゃんはとても仲良しの友達になっていた。
それは中学を卒業して高校生になってもNちゃんが大学生になっても。
それぞれに恋をし傷つくことがあってもいつも繋がっていたように思う。
よほど縁の深い人なのだろう。腐れ縁だなとNちゃんは笑うけれど
その腐れ縁がとても愛しいかけがえのない存在なのだった。
友達は少なからずいるけれどいちばんの親友はNちゃんだった。
私がこころを許せる友は他にいない。まるで自分の分身であるかのように
Nちゃんはいつもいつまでも私の最愛の友であった。
久しぶりの青空。予報ではすぐに曇ると聞いていたのだけれど
思いがけずに一日中晴れていたのだった。
少し蒸し暑さはあったけれど梅雨の晴れ間はほんとうにありがたい。
目覚める直前まで不思議な夢を見ていて少し戸惑う。
私にとってはとても縁の深いひとであったが
すでに5年前に亡くなっておりこの世のひとではなかった。
そのひとと手をつないで歩いていた。見たこともない景色のなか。
しきりに会話をしていたのだけれどよく覚えていない
ただつないだ手のぬくもりだけはとてもリアルに覚えている。
こんなに温かな手をしていたのかと思った。とても優しい手。
私たちは何処に向かっているのだろう。ふと不安になりながら
自分が大変な罪を犯しているような気がしてならなかった。
男女間の友情なんてあり得ないと断言することは出来ない。
そうしてそれは一歩間違えれば愛情にも変わり得る。
2月の小雪がちらつくような寒い日のことだった。
突然の訃報にどれほどこころを取り乱したことだろう。
私はお葬式に行かなかった。涙など決して流したくはないと。
だから未だにその死を受けとめることが出来ずにいる。
ただ会わないでいるだけなのだとずっと思い続けているのだった。
もし会えるのだとしても私は会わない。もうそう決めている。
私が女だった頃をどうか忘れてください。
たとえ夢だとしても二度と私に触れないでいてください。
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