二十四節気の「夏至」一年で最も日が長い日。
夏に至るとその字の通りいよいよ本格的な夏でもあった。
いま午後7時20分。外はまだ明るくて
土手の道を自転車で遊ぶめいちゃんの姿が見えている。
まるでリードを外してもらった子犬のようだった。
そんな姿を微笑ましく眺めながらこれを記し始めたところ。
梅雨の中休みが続いていて今日も爽やかな晴天。
オイル交換に来てくれたお客さんの畑にはスイカが実をつけたそう。
待ち時間の間にあれこれと語り合うのも私の仕事であった。
今年もスイカを届けてくれるそうだ。なんとありがたいことだろう。
午後は隣町まで集金。手土産に柚子ジュースとオクラを持参する。
どちらも山里の地場産店で買い求めたものだった。
最初は柚子ジュースだけのつもりだったけれど
新鮮な朝採れオクラが目に入りつい手に取っていた。
ケチケチしていてはいけない。商売は「太っ腹」でなければ。
などと偉そうなことを思いつつ心は笑顔でいっぱいになる。
「こんにちは。毎度ですう」と小切手をありがたく頂く。
事務員さんが「今日は何?」と言って袋の中を覗くのも愉快だった。
末永くお付き合いして頂きたい大切なお客様である。
いま午後8時10分。いつの間にか外は真っ暗になっている。
孫たちもやっとお風呂の時間になったようだ。
私はもう一杯焼酎を飲んで眠ることにしよう。
おやすみなさい。またあした。
爽やかな晴天。梅雨の晴れ間はとても嬉しいものだ。
外に洗濯物を干すのも久しぶりのこと。
ひとつひとつ愛しむように丁寧に干す。
ずらりと干し終えたのを微笑みながら見るのがとても好きだ。
それからお大師堂へ。すっかり日曜日の恒例となった。
従兄弟から「やまもも」と「すもも」を沢山頂いていたので
お大師さんにお裾分け。旬の物をお供え出来てとてもほっとする。
蝋燭に火を灯し拙い般若心経も清々しくお堂にこだまする。
さらりさらりと流れる大河。川辺には姫女苑の花がとても可愛い。
娘が仕事だったら諦めようと思っていたけれど
おそるおそる訊ねたら「今日は休みよ」と言ってくれる。
ああ良かった。早速じいちゃんとドライブに行くことになった。
いつも行き当たりばったりで車に乗ってから西か東かを決める。
父の日なので新しいシャツを買ってあげたくて西に向かった。
青山に寄り2割引きのセールでおまけに商品券もあって
わずか600円でゲットする。そうとは知らず大喜びのじいちゃん。
それからやっと行き先を決めて愛媛との県境にある篠山(ささやま)へ。
宿毛市の楠山(間寛平の生まれ故郷)から登山道へと入る。
篠山へ行く道は他にもあったのだけれどあえて酷道を選んだ。
舗装こそしてあるけれどガードレールもない細い峠道のこと
落石があったり木の枝が転がっていたり谷の水が道に流れていたりと
またまたこれは「ポツンと一軒家」の道だねと笑い合いながら。
対向車がなく幸い。登山客と思われる人と三人会っただけだった。
山肌に少し広い場所がありそこでお昼のお弁当を食べる。
お弁当はもちろんのことだけれど山の空気のなんと美味しいこと。
うんぐりかんぐりやっと峠を登りつめ篠山の駐車場まで着いた。
頂上までは徒歩でなければ行けず諦めてしまったけれど
弘法大師さんにもゆかりのある神社があるのだそうだ。
春には躑躅やシャクナゲがとても綺麗に咲いていたのだそう。
いつか行ってみたい。夢のように思いつつ下山したことだった。
帰り道は南予の国道を選ぶ。県をまたぐ移動にはとても複雑な気持ち。
車から降りなければ良いだろうと宥めつつの帰路であった。
それでも高知ナンバーで愛媛の道を走るのはとても心苦しいものだ。
コロナ禍でさえなければと歯がゆくも思う。
行きたい所に自由に行ける日はいったいいつのことだろう。
それでも「また行こうな」と私たちのささやかなドライブだった。
雨のち晴れ。いつの間に晴れたのだろうと思いがけなかった。
ずいぶんと気温が高くなり真夏日の所もあったらしい。
夕方の空にはうろこ雲。それが次第に茜色に染まって行く。
窓辺に居ると空がとても近く感じる。手が届きそうなほどに。
けれどもほんとうはとても遠いのだ。だから憧れるのかもしれない。

叔母の命日だったので買物の帰り道に従姉妹の家に寄ったけれど
従姉妹は留守で息子さんが居て仏壇に手を合わすことが出来た。
もう8年もの歳月が流れたのか。遺影の叔母はただ微笑むばかり。
生きていればと思うこともあるけれどもうすっかり過去の人だった。
いつだったか私にと毛糸の帽子を編んでくれたことがあり
その帽子は今も大切にしていて寒い冬を楽しみに待っている。
一度帰宅してからカーヴスへ行き心地よく汗を流す。
今月から始めてもう7回目。我ながらよく頑張っていると思う。
成果は確実に表れていて少しお腹が引き締まって来たようだ。
肩凝りも背中の痛みも解消されずいぶんと楽になった。
癖になるというか行きたくてたまらなくなるのも不思議。
もともと身体を動かすのが好きなので性に合っているのだろう。
午後、めいちゃんのお友達が二人遊びに来てくれて賑やか。
パワフルに遊び過ぎたせいか夕飯前にばたんきゅうと眠ってしまう。
今もまだ眠っていてそろそろ目を覚ます頃だろうか。
おばあちゃんはもう眠くなってしまったのにと愉快に思う。
今日もいい日でした。ありがとうございます。
確かにアラームが鳴ったはずなのに寝過ごしてしまった朝。
もうすっかり夜が明けていて大急ぎで朝食の準備をする。
いつも夜明け前に書いている短歌も詩も書けなかった。
たまにはいいかと思う。どうせろくなものなど書けやしない。
ひとやすみ。一呼吸でもしかしたら新鮮になれるかもしれないのだ。
それは明日になってみないとわからないこと。少しでも希望を持とう。

6月18日。少女時代の出来事を今でも忘れられずにいる。
私は中学生になって間もなく父の転勤で海辺の町へ移り住んだ。
同じ高知県でも西部と東部とでは方言がずいぶんと違っていて
そのせいもありまだクラスメイトに馴染めずにいた頃
隣のクラスからまるで使者であるかのように男の子がやって来た。
みんなからNちゃんと呼ばれているらしい男の子からの伝言で
お昼休みに校舎の裏庭に来るようにとほぼ命令のように告げられる。
いったい何だろう。転校生の私が気に入らないのかもしれないと
はらはらどきどき緊張と不安でいっぱいだったことを憶えている。
Nちゃんと呼ばれていた男の子のことはよく知らなかった。
クラスも違うしもちろん話したこともない。
ただ一年生の中ではリーダー格らしく常に子分たちを連れていた。
廊下ですれ違った時にちらっとその顔を見たことがあった。
Nちゃんはおくびれた様子も見せずとても堂々とした態度で
「俺はおまえのことが好きながやけどおまえは俺が好きか?」と
好きも嫌いもなかった。「わからない」と応えすぐにその場から逃げた。
どうやら私は「好き」と応えなければいけなかったらしい。
Nちゃんはふられたことになってしまって学校中の噂になってしまった。
恋をするにもきっかけが必要。一目惚れもあるけれどそうではなかった。
はっきり言ってうっとうしいと思うくらいNちゃんはしつこかった。
ふられたというのに諦めない。休み時間になるたびに私の顔を見に来る。
英語の授業に付いていけない私に「俺がおしえてやろうか」とも言う。
よけいなお世話。私がむっとした顔をするとなぜか嬉しそうな顔をする。
けれどもいつしか私とNちゃんはとても仲良しの友達になっていた。
それは中学を卒業して高校生になってもNちゃんが大学生になっても。
それぞれに恋をし傷つくことがあってもいつも繋がっていたように思う。
よほど縁の深い人なのだろう。腐れ縁だなとNちゃんは笑うけれど
その腐れ縁がとても愛しいかけがえのない存在なのだった。
友達は少なからずいるけれどいちばんの親友はNちゃんだった。
私がこころを許せる友は他にいない。まるで自分の分身であるかのように
Nちゃんはいつもいつまでも私の最愛の友であった。
久しぶりの青空。予報ではすぐに曇ると聞いていたのだけれど
思いがけずに一日中晴れていたのだった。
少し蒸し暑さはあったけれど梅雨の晴れ間はほんとうにありがたい。
目覚める直前まで不思議な夢を見ていて少し戸惑う。
私にとってはとても縁の深いひとであったが
すでに5年前に亡くなっておりこの世のひとではなかった。
そのひとと手をつないで歩いていた。見たこともない景色のなか。
しきりに会話をしていたのだけれどよく覚えていない
ただつないだ手のぬくもりだけはとてもリアルに覚えている。
こんなに温かな手をしていたのかと思った。とても優しい手。
私たちは何処に向かっているのだろう。ふと不安になりながら
自分が大変な罪を犯しているような気がしてならなかった。
男女間の友情なんてあり得ないと断言することは出来ない。
そうしてそれは一歩間違えれば愛情にも変わり得る。
2月の小雪がちらつくような寒い日のことだった。
突然の訃報にどれほどこころを取り乱したことだろう。
私はお葬式に行かなかった。涙など決して流したくはないと。
だから未だにその死を受けとめることが出来ずにいる。
ただ会わないでいるだけなのだとずっと思い続けているのだった。
もし会えるのだとしても私は会わない。もうそう決めている。
私が女だった頃をどうか忘れてください。
たとえ夢だとしても二度と私に触れないでいてください。
雨のち曇り。大雨と言うほどでもなかったけれどけっこう降った。
気温もあまり上がらず半袖では肌寒いほど。
「梅雨寒」と言うらしい。今の季節ならではの季節の言葉だ。
昨日コロナワクチンの接種をした同僚が腕の痛みを訴える。
力が思うように入らないらしく仕事も辛そうだった。
山里は県下一の接種率でもう50代の順番が来ているとのこと。
人口が少ないせいもあるだろうけれどとてもスムーズだと感心する。
予約制ではなく村から個別に日時を指定して集団接種をしているようだ。
70代の義父にも連絡が来ていたけれど「どうしても嫌だ」と。
まるで子供のように駄々をこねて結局受けようとはしなかった。
二回目の接種で発熱する人が多いと聞き私も昨日解熱剤をもらってきた。
まだ一回目の接種も終わっていないけれど備えておかないと
とても不安でならず医師に無理を言って処方してもらったのだ。
熱が出るのはそれだけ抗体が出来た証拠でもあるらしい。
そう聞いてもやはり不安で臆病風に吹かれている。
私にはまだ先のことをくよくよと考えてしまう悪い癖があった。
癖と言うより性分なのだろう。とてもあっけらかんとはしていられない。
なるようにしかならないのにそうなったらどうしようとはらはら
いつも悪いことばかり考えてしまうのだった。
この性分は父譲りでどうやら息子にも遺伝しているよう。
だから私と息子が話し出したら喜劇も悲劇になってしまうのだった。
その点じいちゃんは楽天家。娘もその血を受け継いでいるよう。
家族にそんな二人がいてくれて今までどれほど救われたことだろう。
私はお得意の自己暗示術で自分に言い聞かすことが多い。
暗示に掛かりやすい性格を逆に利用する術である。
「なるようになるよ」「だいじょうぶなんとかなるよ」
もはやそれが口癖のようになってしまったこの頃であった。
相変わらずの梅雨空。時おりにわか雨がぱらつく。
空になんの罪があるのだろうと思う。
空だってじっと我慢をしているのではないだろうか。
定期の通院日でいろいろあった。
詳しく書けない事もないのだけれど
今はもうすっかり気分が落ち着いているのでよそう。
ただ今日ほど自分の精神力の弱さを思い知らされたことはない。
医師に頼らず薬に依存せずなんとしても強くなりたいと思うのだ。
そのための機会を与えてもらったのだと思って乗り越えようと思う。
病院から薬局へとずいぶんと時間が経ってしまって
母の施設がある病院までは行けなかった。
年金支給日だったので入居料の支払いに行く予定だったけれど
特に今日と決められているわけではないので後日にすることに。
病院へ行っても母に面会することは叶わず
特に会いたいとも思わない薄情な娘でもあった。
そのくせよく母の夢を見るのはどうしたことだろう。
この矛盾の中に本当の私が隠れているのかもしれない。
知っているのなら教えてほしい。私は母が恋しいのですか?
帰宅が遅くなりそうだったので大急ぎで買い物。
お刺身用の鰹と揚げるだけの鶏の唐揚げを買って帰る。
そうしたら思いがけずに娘が居て今日は仕事が休みだったのそう。
洗濯物をたたんでくれていてなんとありがたいことか。
夕食の支度をしている台所でめいちゃんではなくまあちゃんが
騒ぎまわるのがなんとなく嫌だった。いくら親戚でもけじめを
そう思っているのはどうやら私だけのようだった。
子供に嫌な顔をしてはいけないと何度も自分に言い聞かすばかり。
私の感情はとてもやっかい。ポーカーフェイスが下手なのだ。
喜怒哀楽の激しいのも今に始まったことではないけれど
歳を重ねることに「怒」はずいぶんと薄れたような気がする。
ただ「哀」がいちばんの曲者なのだろう。
私にだって泣きたいほどに辛い時があるのだ。
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