ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年06月09日(水) ドレミファソラシド

連日の真夏日。風のおかげでさほど暑さを感じずに済む。

むかし「風に吹かれて」という歌があった。

確かボブディランではなかったか。ギターの音色が懐かしい。


初めてギターを弾いたのは10歳位の頃だったと記憶している。

父がよく弾いていて見よう見真似でつま弾いていたような。

その頃毎日のように家に遊びに来ていたおにいちゃんがいて

ドレミファソラシドを教えてくれたのだった。

そのおにいちゃんが今の義父である。随分と昔むかしのお話。






今日は同僚が通院日だったので開店休業となる。

そんな日に限って来客が多く頭を下げて丁重にお断りをした。

義父は何処に行ったやら。居て欲しい時に居ない事が多い。

幸いお客様はまた明日来てくれるとのことありがたいことである。

田舎ならではのこと。街中ならそう言う訳にはいかないだろう。


お昼に義父が帰って来たので「ああだったこうだった」と話せば

「そうか、そうか」と言いながら笑い飛ばすばかりである。

まったく誰の会社なのだろう。あきれて物も言えない。


そんなこんなで今日も定時終り。さっさと家路を急ぐ。

そうだカーヴスへ行こうとすっかり決めてのことだった。


目的というか打ち込める何かがあるだけで人は元気になれる気がする。

身体を動かすことに限らずひとつでも楽しみを作ることだろう。

それには必ず達成感が伴うのだと思う。「やったあ」と叫びたいほど。


そう思うとつまらない人生なんてないのに違いない。



2021年06月08日(火) 母の机

梅雨の晴れ間のことを「五月晴れ」と云うらしいけれど

なんだか6月になってしまうと間違っているようで言い難いものだ。

それでも今日は五月晴れ。堂々と胸を張ってそう言おう。


青空にすくっと背筋を伸ばしているのは立葵(たちあおい)

人の背丈よりも高い花が多くついつい見あげてしまうのだ。

写真は少し撮りづらい。横写真ではうまく収まらない。

一度撮ってみようと思いつつ未だ叶えてはいなかった。

人がみな紫陽花を愛でる季節にそれはひっそりと健気に咲く。

もし一花咲かせられるものならそんなふうに生きてみたいものだ。






真夏日となりとても蒸し暑い一日だった。

事務所でせっせと決算処理の仕事に精を出す。

今は経理ソフトがありとても便利になったけれど

昔は元帳も試算表もすべて手書きで大変な作業だった。

もう33年も経ったのか。一から教えてくれたのは母だった。


私は医療事務の資格を取得してハローワークに通っていた。

宿毛市内の病院で求人があり遠いけれどどうしようかと迷っていた時

母が宿毛まで行くのなら山里へ来てと半ば強引に私の就職を決める。

実家の仕事を手伝うなんてと姑さんにさんざん言われたけれど

家計の苦しさもあり切羽詰まっての決断だったと思う。


「実家」と言われるのがとても嫌だった。

それは今でも変わっていない。私には実家などないと思っている。

それなら何だろう。母の嫁ぎ先だと言えば良いのだろうか。


母の片腕になり一緒に仕事をして30年余りの歳月。

仕事ばかりの母に楽をさせてあげたいと願っていたのがやっと叶った。


母の机は今もそのままにしている。

母の名を記したボールペンがころりと転がっているのを

引き出しに仕舞うこともせずにそっと置いてある。



2021年06月07日(月) やるじゃんか

おおむね晴れ。風が殆ど吹かずかなりの蒸し暑さだった。

とうとう我慢できず職場のエアコンを稼働する。

事務所に一人で居ることが多くなんだか心苦しくもあった。

同僚の「暑い、暑い」の声が聴こえると罪悪感さえも感じる。


母と一緒に仕事をしていた頃には温度設定でよく口論をした。

高めの設定が気に入らない母は鳥肌が立つほど温度を下げる。

私が「寒い」と言ったら着込めばいいと怒鳴り散らす。

今となってはそれも懐かしい思い出なのかもしれないけれど

とても嫌だったことはそうそう思い出には変えられないものだ。




定時で仕事を終えることが出来たのでカーヴスに行くことにする。

とても土曜日まで待てず身体を動かしたくてたまらなかった。

買物を済ませ一度帰宅してから市街地へと車を走らす。

カーヴスの良いところは予約制ではないところ。

いつでも好きな時間に行けてもちろん毎日でもかまわないのだ。


今日は亡き親友のお姉ちゃんにばったり会って嬉しかった。

とても痩せているけれど筋力が落ちているので通っているのだそう。

以前に仕事が辛いと嘆いていたけれどやっと退職出来たらしい。

自由な時間がいっぱい増えてとても生き生きとした笑顔だった。

また会いたいなと思う。お姉ちゃんも「また会おうね」と言ってくれた。


30分の体操で私も元気溌剌となる。

肩の凝りも背中の痛みも嘘のように楽になっていた。

るんるん気分で家路につく。まるで身体に羽根が生えたよう。


じいちゃんが「やれるだけやってみろ」と応援してくれている。

これからも仕事と両立出来るように時間を作ってみようと思う。



娘と肩を並べて夕飯の支度。お刺身用の鯛を買って来ていたので

娘に「やってみい」とお刺身の練習をさせてみた。

包丁さばきがイマイチだったけれどお皿に並べたらけっこうきれい。

「やるじゃんか」と褒めちぎる。それが自信につながるだろう。


めいちゃんは玉子焼きを作るのにはまっていて今夜も作ると頑張る。

白だしを入れて味の素とお砂糖も入れて鼻歌をうたいながら。

少しぐちゃぐちゃになったのを娘がサランラップで整える。

「じぶんでつくるのおいしい」と嬉しそうに食べていた。


娘はもうすぐ40歳になるけれどまだまだ教え足らない気がする。

見よう見真似でも良いけれど母の味を受け継いで欲しいものだ。

孫たちにも「おばあちゃんといっしょ」って言ってもらえるように。


まだまだくたばるわけにはいかないけれど

ふっと死が頭をよぎる年頃になってしまった。



2021年06月06日(日) ふたり元気なうちに

曇り日。時おり薄っすらと陽射しがある。


紫陽花がとても鮮やか。一雨ごとにそれが増す。

雨に打たれるたびに力強くなるのだろう。

試練なのではなく喜びに変える不思議な生命力を感じる。


私はどうなのだろう。打たれるほどの雨に遭ったのだろうか。

少し濡れただけで弱音を吐いている愚かな花なのかもしれない。

いや花ではない。草でもない。ただ根だけはある名無しの植物。







朝のうちにお大師堂へ。今朝は誰にも会わずひとり静か。

川のせせらぎの音を聴きながら拙い般若心経を唱える。

きりりと身が引き締まる。そうしてとても清々しくなる。

誰のためでもない自分のためなのではないかとふと思った。


花枝(しきび)がそろそろ葉を落とし始めていて

来週には活け替えてあげなければいけない。

お供えのお菓子も残りわずかになっていた。

自分にも役目があることはほんとうにありがたいこと。



10時頃からじいちゃんとぶらりと出掛ける。

今日は西に行ってみようと決めて宿毛新港へ行くことになった。

海上自衛隊の輸送船が入港していると聞き見てみたいねと言って。

港へ着いてびっくりした。それはそれは沢山の車と人々。

「みんな考えることは一緒だな」とふたりして苦笑いする。


輸送船は思っていたよりも巨大で壮観な姿をしていた。

ヘリコプターも載っていて大きな音を立てている。

船首でラッパを吹き鳴らす隊員の白い制服も凛々しかった。

写真は逆光で仕方なく諦めてしまったけれど

孫たちに特にけい君に見せてあげたい光景であった。



宿毛には美味しいラーメン屋さんもあるのだけれど

コロナ禍のことで外食は控えようと云うことになり

港の近くのコンビニで昼食を買い求め海辺に車を停め食べる。

コロナが落ち着いたらラーメン食べようねと約束した。

いつのことだろう。まだ先は見えないけれどきっと叶うだろう。



帰り道は助手席で眠ってばかりいた。

「ごめん眠い」と言えば「寝たらいいさ」と言ってくれる優しさ。

とろりんとろりんしているうちにもう我が家の車庫に着く。


ふたり元気なうちにが今日も叶った。

だんだんと遠出は出来なくなったけれど近場でもいい。

また思い出作りしましょうね。親愛なるじいちゃんへ。




2021年06月05日(土) やれば出来る

思いがけなく朝陽がきらきらと射していた朝。

それもつかの間のことで日中は梅雨らしい曇り空となる。


娘が「おばあちゃん見て」と言ってスマホ片手に部屋へ入って来る。

そうしていきなり仏壇の父の遺影にスマホをかざしたのだった。

なんとびっくり。父が瞬きをしながらにこっと微笑んでいるではないか。

まるで夢を見ているようだった。父が生きている。父が笑っている。

感動で胸がいっぱいになり思わず涙ぐんでしまった朝のこと。


そんなアプリがあるらしい。まるで奇跡のようなアプリだった。







午後、先週入会したばかりのカーヴスへと足を運ぶ。

私に出来るだろうかと自信がなく不安と緊張でいっぱいだったけれど

事前にインストラクターの女性が電話をかけてきてくれて

随分と気楽になり「よっし」と勇気を出して出掛けたのだった。


入会してからなんとなく気になりネットで口コミを検索したところ

あまり評判が良くなくてそのことも多少気になっていたのだけれど

それは人それぞれなのだと今日はつくづく思った。

わずか30分の体操は私の身体に良く合っているように感じた。

血行も良くなり身体が随分と軽くなったような気がする。

そうして何よりも気分がすっきりとなんと心地よいことだろう。

これなら続けられると確信する。ぼちぼち頑張ってみようと思った。


いつもならごろごろと寝てばかりいるのだけれど

今日は不思議と動きたくてならずめいちゃんと本屋さんへ行ったり

夕飯のカレーも早めに作り寝る暇もなく夕方になっていた。


決して溌剌としていたわけではない。ただ元気だったのだと思う。

怠ければ怠けるほど体力は落ち元気は失われていくのではないか。


やる気はあっても出来ない事がいっぱいあるけれど

諦めずにやる気を出すことから始めてみようではないか。


やれば出来ることもきっとあるのだから。



2021年06月04日(金) 六花亭のバターサンド

雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。

夕風がとても心地よく窓辺で風に吹かれながらこれを記し始めた。



今朝はアラームで目覚めたものの二度寝をしてしまって

いつものように短歌や詩が書けなかった。

いったい何を自分に課しているのだろうと思う時もある。

こだわってばかりいて少しも「実」になっていないのかもしれない。

ほととぎすが叫ぶように鳴くのをただただ受けとめていた夜明け前のこと。



朝食後の午前6時。あやちゃんが「おばあちゃんたいへん」と。

今度はめいちゃんが発熱だった。38℃5分もあり大騒ぎとなる。

頭痛を訴えておりあやちゃんの初期症状とよく似ている。

今になって何かのウィルスではなかったのかと思ったことだった。


娘がどうしても仕事を休めず私が病院へ連れて行くことに。

その前に急ぎの仕事があり職場に向かいすぐにとんぼ返りだった。

病院へ行く頃にはもう平熱になっていてキツネにつままれたよう。

それでも念のためにと元気なめいちゃんを病院へ連れて行く。

夏風邪のような寝冷えのようなものだろうと言うこと。

コロナの心配もなく子供の熱は日常茶飯事のことでもあった。



午後、あやちゃんとめいちゃんが喧嘩をしてめいちゃんが大泣き。

ついついあやちゃんを叱ってしまって怒らせてしまった。

例のごとくで「おばあちゃんはだいきらい」と言って

涙を流しながら私の胸を叩いたり足を蹴ったりして抗戦してくる。


そうしてそのまま玄関を飛び出し行方不明になってしまったのだ。

さすがに心配になり外に出てしばらく探したけれど見つからない。

困り果てていたら娘の車が見えて路地を駆けて来るあやちゃんがいた。

いったい何処に隠れていたのやら。まるでかくれんぼうみたい。


「つんつんつん」とまるで音が聴こえるように不貞腐れているのを

おばあちゃんだってと私も完全無視をすることに決めたのだった。



娘が北海道フェアで六花亭のバターサンドを買って来ていて

大好物なのを「太るから」と我慢していた時だった。

あやちゃんがにこにこの笑顔で「おばあちゃん食べたや」と言って

そっと手のひらにのせてくれたのだった。


そうしてふたりは仲直り。めでたしめでたしの巻。



2021年06月03日(木) 私は晴れよう

午後から雨が本降りになる。これでこそ梅雨なのだろう。

災害に繋がらないよう程々の雨であってほしいものだ。


雨音と雨だれの音がしっくりとこころに馴染む。

ざあざあと押し寄せて来てからぽたんぽたんと落ちるのを

まるで道端の草のような気持ちになり受けとめるばかり。

もうすっかり濡れたようだ。私の滴が見えるだろうか。






あやちゃんなんとか学校へ行ったものの

また微熱が出てお昼に早退して帰って来たようだ。

ちょうど娘が休みで家に居たので良かった。

私が帰宅した時にはタブレット三昧をしていて

話しかけただけでむすっと怒ったような顔をする。

とにかく干渉してはいけないようでなんだか寂しい。

おばあちゃんなんか居ないほうが良いのかな。



お昼休みに少しずつ読んでいた本を読了。

今年に入ってから向田邦子にはまっていてもう四冊目だろうか。

「あ、うん」は急逝された年の初夏の作品で遺作らしかった。

その年の8月22日に亡くなっている。なんともあっけなく

飛行機の空中爆発とは惨すぎる最期であった。

おそらく即死だったことだろう。その一瞬何を思っていたのだろう。

もうペンを執ることも出来ない。どれほど悔しかったことか。


亡き父と同じ昭和4年生まれの向田さんに父を重ねる。

同じ時代を生きた人として尊敬せずにはいられなかった。

そしてとても残念でならない。もっともっと書いて欲しかった。



ふと私はどんな死に方をするのだろうと考える。

人は生き方を選ぶことは出来るけれど死に方だけは選べない。

自死を選ぶ人もいるけれど神にも仏にも背いた大きな罪だと思う。

そんな人は必ず地獄に行くのだそうだ。死んでも決して救われはしない。


私は出来ることならば惜しまれて死にたい。

残念でならないとたくさんの涙に埋もれたいと思う。


けれども今は生き方を選ぶことに必死だった。

とにかく明日も生きなければいけない。

いただいた命だもの日々をいただくことにしようではないか。


明日も雨なら私は晴れよう。




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