気温もさほど高くならず過ごしやすい一日。
五月晴れというには霞がかった空。黄砂だったのだろうか。
いま7時16分。随分と日が長くなり外はまだ薄明るい。
土手から夕散歩に出掛けた孫たちのはしゃぎ声が聴こえている。
以前は私もよく一緒に散歩に行っていたけれど
足の痛みが出始めてからすっかり出不精になってしまった。
夕風に吹かれながら歩けばきっと心地よいことだろうに。
なんだか情けない。そうしてどんどん運動不足になっていく。
仕事を少し早めに終らせてもらって病院へ。
相変わらず血圧が高いのと少し気になることもあり相談に行く。
薬を服用していても血圧が下がらないのにはやはり原因があるらしい。
そのための簡単な検査を今夜することになった。
「スリープ検査」と言って寝ている間の呼吸を調べるのだそう。
呼吸が度々止まっているようなら「睡眠時無呼吸症候群」らしい。
毎晩ぐっすりと眠っているつもりなので自覚症状は全くないけれど
朝の通勤時に酷い睡魔に襲われることはしょっちゅうのことだった。
今朝も眠くなりやっとの思いで職場に着いたことを医師に話す。
だからと言ってどうということもないだろうと深く考えず
心配性の私にしてはずいぶんとあっけらかんとしている夜だった。
あやちゃんが「おばあちゃんはまだ35年生きるよ」と言ってくれる。
「そっかじゃあ百歳やんか」と笑い合ったことだった。
20年したら結婚して赤ちゃんを産むのだそう。
どうやら私はひ孫を抱けるらしい。素晴らしい未来ではないか。
「あやは好きな人いるの?」って訊いたら「まだいない」と答える。
初恋はまだこれからのよう。どんなひとに恋をするのかしら。
今から気になってしょうがないおばあちゃんなのです。
また梅雨空が戻って来る。受けとめてあげなくては空が可哀想。
絡みつくような梅雨前線を振り払いたいのは空自身ではないだろうか。
昨日よりも12℃ほども気温が下がり肌寒い一日だった。
寒暖の差に慣れようとしても身体はとても正直なもの。
くしゃみひとつにも気を遣うご時世でもある。
市のコロナワクチンの予約受付が再開されたけれど
今日は75歳以上の高齢者が対象で私達夫婦は金曜日になりそう。
インターネットなら年齢制限がないと言うので試してみたけれど
じいちゃんの掛かりつけの病院はネットでの受付が不可だった。
金曜日まで待っていたら予約枠がいっぱいになってしまいそう。
私の掛かりつけの病院はもうすでに予約枠が埋まったとのこと。
いったいどうすれば良いのだろう。すっかり途方に暮れてしまう。
とにかく金曜日まで待ってみよう。ワクチンは充分にあるらしい。
お昼休みを利用して同人誌の原稿を送信する。
どれほど落ちぶれてもまだ少しのプライドはあるのだった。
どんなに不細工でも我が子がいちばん可愛いのと似ている。
そんな我が子を一人でも多くの人に見てもらいたいのだ。
欲ばかりの私に世間の目は冷たい。負けるもんかといつも思う。
悔しい思いもいっぱいしてきたけれど誇りだけは捨てずにいたい。
梅雨の晴れ間こそが「五月晴れ」
気温が高くなり真夏日になったけれど蒸し暑さは感じず。
きらきらと輝く空を仰ぎつつ初夏をたのしんでいた。
朝のうちに久しぶりにお大師堂へ。
爽やかな川風のなんと心地よいこと。
ちょうどお遍路さんに会ったのだけれど
泊まっていたのではなくトイレ休憩だったよう。
トイレが汚れていたのではと少し気になってしまった。
60歳代かなと思われる男性で口数の少ない人だった。
あれこれと話しかけるのも憚られ最小限の会話に留める。
今日は土佐清水の民宿まで行き明日が金剛福寺とのこと。
明日以降のお天気が気になるけれど「雨遍路」覚悟の事だろう。
花枝(しきび)がすっかり葉を落としていたので
このままではいけないと急いでしきびを切りに行く。
我が家には姑さんが植えていた木が3本ほどあるのだった。
ちょうど新芽の頃。艶やかな枝を切りまたお堂へと向かう。
コンビニにも寄りお線香とお供えの和菓子を買い求めた。
これで一安心。自分に出来ることはやり遂げたのだと思う。
午前中に買い物。ラベンダーやガザニア等の花苗を買って帰る。
玄関先の花達はもう半年近くほったらかしのままだった。
おまけにブロック塀のあたりにはこれでもかと生い茂る雑草。
ご近所さんはみんな綺麗にしているのに我が家はまるで空き家のよう。
ずいぶんと怠けたものだなと我ながら可笑しくもあった。
そうして一気に「やる気スイッチ」が入ったのだった。
ラベンダーの香がほのかに匂う。空はどこまでも青い。
| 2021年05月22日(土) |
じいちゃんありがとう |
曇りのち晴れ。午後になりやっと青空が見える。
蒸し暑さもなく爽やかな五月晴れとなった。
枇杷の実があちらこちらで実りとても美味しそう。
黄色でもなくオレンジ色でもなくその中間の色をしている。
「枇杷色」という言葉はないようだけれど私はそう呼びたい。
木からそのまま千切って食べたくてならないのを
ぐっと我慢しながらごくんと唾を呑みこんでいるばかり。
早朝より川仕事。6時半にはもう川の中にいた。
例の竹杭を抜く作業。ひたすらせっせと杭を洗い船に積み込む。
驚いたのはじいちゃんが毎日一人でこつこつと頑張ってくれていたこと。
なんと二百本もの杭をすでに撤収してくれていたのだった。
「今日で終わるけんな」とそれは得意顔で告げてくれた。
「おまえも日曜日は休みたいろう」となんと優しいことだろうか。
おかげで2時間ほどですべての杭を撤収することが出来た。
今年は海苔の収穫量が過去最低と言って良い程少なくて
なんだかくたびれもうけのような気もするのだけれど
やれるだけのことはやったのだと思う。じゅうぶんだと思いたい。
9月になればまた漁場の準備。それはあっという間のことだった。
もう40年にもなる。ずいぶんと歳月が流れたものだと感慨深い。
先のことは何も分からないけれどまた春が巡って来るだろう。
元気に長生きをしてまたふたりで精一杯がんばろう。
| 2021年05月21日(金) |
めいちゃんをお願いします |
小雨が降ったりやんだり。今は西の空が燃えているように紅い。
明日は久しぶりの青空になりそう。待ちに待った「五月晴れ」だ。
二十四節気の「小満」万物のいのちが満ち満ちる頃。
雨に打たれても健気に咲く花にもたしかないのちが宿っている。
雑草と呼ばれ人に踏みつぶされる草にだっていのちがあるのだ。
人間として生まれたからにはもっと自分のいのちに誇りを持とう。
どんな境遇であってもいのちを粗末にすることだけは許されない。

今朝はめいちゃんが登校時間になっても朝食が済んでおらず
ぐずってやけを言って娘を困らせてばかりいた。
娘が叱ると「だっこして、だっこして」と泣きじゃくるありさま。
昨夜のダンス教室の事もあり金曜日は疲れがピークになっているよう。
あれこれと口をはさむことも出来ずそっと見守っていたら
もう誰もかまってくれないと諦めたのか一人で朝食を食べていた。
食べ終わるとちゃんと食器を流しに運んでなんと感心なこと。
それから誰にも頼らずに一人で登校の準備をしたようだった。
「おばあちゃん、めいをがっこうへつれていって」
その時にはもうランドセルを背負いマスクもちゃんとしていた。
始業時間10分前。大急ぎで車に飛び乗り学校へ向かう。
校門まででは間に合わないと正面玄関まで送って行くと
校長先生が待っていてくれてめいちゃんが最後の児童だったよう。
思わず保育園の時のように「お願いします」と頭を下げていた。
一年生になってまさかめいちゃんを送って行く日があるとは。
夢にも思っていなくてなんだか懐かしいような嬉しいような。
もしかしたら最初で最後になるのかもしれないなと思った。
甘えたくても甘えられない朝。時間に追われてばかりいる毎日。
お友達と遊んでばかりもいられない。授業中は緊張しているだろう。
それが「学校」なのだと少しずつ分かるようになるだろうと思う。
「がんばろうね」って言いたいけれどなんだか今は言えない。
めいちゃんは一生懸命がまんをしているのだと思うのだ。
そうして子供は成長していく。それが試練でなくてなんだろう。
365日のわずか50日ほどの今日のこと。
雨の一日。午前中は土砂降りの雨だった。
今夜から明日の朝にかけてまた大雨になるらしい。
「雨遍路」生憎のお天気に関わらず10人程のお遍路さんを見かけた。
それぞれに雨合羽を羽織ってはいるけれどさすがに
長靴を履いては歩けないのだろう。靴はびしょ濡れのようだった。
一人一人に無言の会釈をするばかりで追い越して行く心苦しさ。
せめて声をかけられたらと思うのだけれど何も出来ない。
野宿ではないことを祈る。どうか無事に札所へ宿へ着きますように。
午後、隣町の宿毛市まで集金に行っていた。
手土産に「土佐ジロー」の卵を持参する。
確か先月もそうだったような気がしたのだけれど
山里のお店では手に入る物が限られている。
木耳や手作り蒟蒻などあったけれど生物なので躊躇したのだった。
女社長さんと事務員さんとに。二人ともとても喜んでくれてほっとする。
一番のお得意様なのでこれからも大切にしなければと肝に銘ずる。
元々は母の縁でお付合いが始まったのだった。
母はずっと手土産を欠かさない人だったのでそれを私も受け継ぐ。
「商売」の「し」の字も分からなかった私に教えてくれたのは母だった。
今夜はこれから母に電話をかけてみようかと思っている。
特に話したいこともないけれど声を聴くだけでも良いのだろう。
雨はやんでいる。孫たちも出掛けていてなんとも静かな夜だ。
相変わらずの梅雨空。午後は薄日が射しとても蒸し暑くなる。
紫陽花が少しずつ色づき始めた。花と思っていたのは額なのだそう。
花は中心部のみで額に包まれるように咲くのだそうだ。
それを知るとなんと神秘的な花なのだろうか。
額は花を守り支える。まるでたくましい母のような紫陽花。
午後、仕事を定時で終わらせてもらって母の病院へ。
経過が順調ですっかり元気になったので今日は施設へお引越し。
同じ病院内で3階から2階に移るだけの事であり
母は特に気にしていないようで案ずることは何もなかった。
ただ面会は叶わず。今日も市内でコロナの感染者が出ていた。
会いたいのかと自問すればそうでもなくもうすっかり諦めている。
母の夢をよく見る。昨夜も夢の中で会ったばかりだった。
それは一緒に仕事をしていた頃の母で懐かしいほどに。
どうした訳かいつも私の仕事の邪魔をして困らせてくれるのだ。
滞在意識というのだろうか母の復帰を恐れている私がいるらしい。
それはもう在り得ない事だけれどいつも同じような夢を見る。
母である前に上司だったのだ。それが大きなストレスになっていた。
昨日のけい君ではないけれど「お母さんに会いたい」
生き別れていた少女時代の辛さがずっと尾を引いていたようだ。
病院で記入する書類がたくさんあって続柄を「長女」と書く。
そう書くようにとケアマネさんから言われ仕方なくそう書く。
なんだかそれが嫌だった。言葉には出来ないような抵抗があった。
母が産んでくれた娘には違いない。けれども私はとっくの昔に
「長女」ではなくなっていたのだと思う。
私のことをそう呼べるのは亡き父以外に誰もいないのだと。
もし母が私をそう呼ぶのなら亡き父になんと詫びれば良いのだろう。
「母をさがして三千里」だったか。
私は今も母をさがしているのかもしれない。
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