ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年05月19日(水) 梅雨空と葛藤と

相変わらずの梅雨空。午後は薄日が射しとても蒸し暑くなる。


紫陽花が少しずつ色づき始めた。花と思っていたのは額なのだそう。

花は中心部のみで額に包まれるように咲くのだそうだ。

それを知るとなんと神秘的な花なのだろうか。

額は花を守り支える。まるでたくましい母のような紫陽花。




午後、仕事を定時で終わらせてもらって母の病院へ。

経過が順調ですっかり元気になったので今日は施設へお引越し。

同じ病院内で3階から2階に移るだけの事であり

母は特に気にしていないようで案ずることは何もなかった。


ただ面会は叶わず。今日も市内でコロナの感染者が出ていた。

会いたいのかと自問すればそうでもなくもうすっかり諦めている。


母の夢をよく見る。昨夜も夢の中で会ったばかりだった。

それは一緒に仕事をしていた頃の母で懐かしいほどに。

どうした訳かいつも私の仕事の邪魔をして困らせてくれるのだ。

滞在意識というのだろうか母の復帰を恐れている私がいるらしい。

それはもう在り得ない事だけれどいつも同じような夢を見る。


母である前に上司だったのだ。それが大きなストレスになっていた。

昨日のけい君ではないけれど「お母さんに会いたい」

生き別れていた少女時代の辛さがずっと尾を引いていたようだ。



病院で記入する書類がたくさんあって続柄を「長女」と書く。

そう書くようにとケアマネさんから言われ仕方なくそう書く。

なんだかそれが嫌だった。言葉には出来ないような抵抗があった。


母が産んでくれた娘には違いない。けれども私はとっくの昔に

「長女」ではなくなっていたのだと思う。

私のことをそう呼べるのは亡き父以外に誰もいないのだと。

もし母が私をそう呼ぶのなら亡き父になんと詫びれば良いのだろう。



「母をさがして三千里」だったか。

私は今も母をさがしているのかもしれない。







2021年05月18日(火) ホームシック

昼間は雨が降ったけれど久しぶりに夕陽を見る。

きらきらと眩しい。まるでおひさまの笑顔のようだった。

彼女には雨雲を押しのける勇気のようなチカラがある。

そうして精一杯に輝きながら地上のすべてを癒してくれるのだ。




今朝は泣き虫のけい君。学校へ向かう車中で我慢の緒が切れたよう。

「お母さんにあいたい。まだお家へ帰ったらだめ?」と

涙ながらに訴えたそうでじいちゃんもすっかり困り果てたそうだ。


昨夜も楽しそうにはしゃいでいてしばらくは大丈夫と思っていた。

けい君が一生懸命がまんをしていることに気づいてあげられなかったのだ。

限界は誰にだってある。ましてまだ7歳の幼い子供のこと。

たとえそれが試練だとしてもあまりにも可哀想でならない。


幸い今朝の息子からの電話でお嫁さんが少し落ち着いたとのこと。

まだ早過ぎるかもしれないけれどけい君を家に帰すことにしたのだった。


下校時間に迎えに行くとしょんぼりと肩を落として通学路を歩いていた。

訊けば学校でも涙が止まらなくてとても辛かったのだそう。

先生やお友達に「お母さんがびょうき」って言ったよと。

おそらく今日は授業どころではなかったことだろう。

「お家へ帰れるよ」と連絡もしてあげられなかった。


マンションへ帰り着くなり母親に抱きついてわんわんと泣いた。

その光景を私は一生忘れられないと思う。


「けい君おかあさんを守ってあげてね」そう告げて帰路に着く。



2021年05月17日(月) 家族団らん

梅雨らしい雨の一日。今も微かに雨音が聴こえているけれど

西の空が驚くほどの茜色に染まっているのだった。

昼間なら「狐の嫁入り」夕暮れ時には何と言えば良いのだろうか。

雨雲の上には確かにおひさまがいてくれたあかしなのだろう。




息子のお嫁さんの体調が快復せず

今夜からまたけい君をしばらく預かることになった。

じいちゃんが学校へ迎えに行きそのまま我が家で過ごしている。

母親のことを心配しながらも笑顔でいてくれて何よりだった。


あやちゃんがお姉ちゃん。めいちゃんは妹。

一人っ子のけい君にとってそれがどんなに嬉しいことだろうか。


今夜は茶の間でパーティーをするのだそうで

娘たちが買い出しに行ってくれてもう始まっているようだ。

私だけ部屋に閉じこもっている訳にもいかないだろう。

いつものように書きたいけれどなんだかそわそわと落ち着かない。


孫たちが作文に書きたくなるような夜にしてあげたいものだ。


「せーの」と気分を入れ替えている。

さあ私も仲間に入れてもらいましょうか。




2021年05月16日(日) 変えられないこと

曇り日。雨こそ降らなかったけれどいかにも梅雨らしい空。

灰色の空を見あげているとなんだか雲の中に居るような気分になる。

ふわりふわり。好きなように漂い好きなように流れて行けばいい。



昨夜は寝入りばなに息子から電話があり

急きょけい君を預かることになった。

お嫁さんの体調がとても悪いとのこと

息子は夜勤で職場に向かわなければならず

けい君も不安がりとても心細い思いをしていたようだ。


久しぶりのお泊り。ほっとしたのかすぐにすやすやと眠る。

愛しさはもちろんのことだけれどなんとも不憫でならなかった。

だからと言って「変えられないこと」その重さをひしひしと感じる。


朝8時前には夜勤明けの息子が迎えに来てすぐに連れて帰る。

息子と話す時間もなかった。彼はいつも嵐のように去って行く。

どんなにか苦労をしていることだろうと気遣うばかりの母だった。




9時を少し過ぎてから今日も川仕事へ。

漁場の竹杭を抜く作業。川船を操りながら一本ずつ抜いて行く。

船に積み込む前に杭を綺麗に洗わなくてはいけなくて

まるで大きなゴボウの皮を剥いているような作業だった。

藤壺もたくさん付いているのを鉄のヘラでこそぎ落とす。

じいちゃんが引き抜き私が洗う二人だからこそ出来る作業でもあった。

それも潮が引き始めると限界となり2百本がやっとのこと。

残り4百本ほどだろうか。来週末にはなんとか終えられるかもしれない。


船着き場で洗った杭を軽トラックに積み込みながら

「ほんのこの前だったよね」と一年の早さにおどろいていた。

夏が終わればまた杭を打たなければいけない。

けれどもそれは決して苦ではないのだと思うのだった。



程よい疲れのまま夕方5時前まで爆睡。

乾燥機にそのままだった洗濯物を娘がたたんでくれていた。

夕飯はあやちゃんのリクエストでポテトサラダと麻婆豆腐。

娘むこが素潜り漁でナガレコ(貝)をたくさん獲って来てくれていた。


みんなでわいわいと楽しい夕食。いかにも日曜日らしい。


食後息子に電話するも呼び出し音がずっと鳴り続くばかり。

お嫁さんの体調はどうだろうか。夕飯はちゃんと食べただろうか。

けい君あしたは元気に学校へ行けますように。



2021年05月15日(土) 真っ直ぐな雨

四国地方の梅雨入り。過去最速で平年より21日も早いのだそう。

ながい梅雨になるのかもしれない。覚悟はしておこうと思う。

けれどもきっと青空の日もあることだろう。

冬あってこその春に似ていて雨あってこそ青空が嬉しいものだ。




午前中はぽつぽつの雨。週末を待ちかねていたように川仕事に励む。

驚いたのはじいちゃんが一人で随分と頑張ってくれていたこと。

漁場に着いてびっくりした。撤収する海苔網はわずかになっていたのだ。

一人では大変な作業なのに本当によく頑張ったものだと感心する。

まるで親が子供を褒めるように言ったら「えっへん」と得意顔だった。



娘の帰宅が遅くなる日だったけれど「夕飯は要らない」と今朝のこと。

これ幸いとコンビニでパスタとカツカレーを買って来て二人で食べる。

食器洗いもしなくて良いのでなんとも楽ちんな夕暮れ時だった。


娘たちはてっきりスシローだと思い込んでいたのだけれど

マクドナルドであれこれ買って来て部屋でパーティーをしているよう。

今夜はめいちゃんもご機嫌で楽しそうな声が聴こえている。

たまにはこんな夕飯のスタイルも良いものだなと思うのだった。



もうすぐ午後7時。外はまだ薄明るくて真っ直ぐな雨が見える。

川向の山は雨にけむりぼんやりとしながら日が暮れようとしている。

明日も雨らしい。それでこそ梅雨だろうと受け止めるばかり。


焼酎の水割り二杯目が終りグラスを傾けると氷がこつんとぶつかる音。

夜はまだこれから。もう一杯飲むことにしましょう。













2021年05月14日(金) あしたの扉が待っている

曇り日。時おり薄日が射し蒸し暑さを感じる。

梅雨入りの発表こそないけれどまるで梅雨時のようだった。



午後少し早めに仕事を終わらせてもらって病院へ。

2ヵ月前から血圧の薬を増やしてもらっているけれど改善せず

医師に相談しても笑い飛ばされているようで納得がいかない。

それはきっと心配ない事で大丈夫だと云う事なのだろうか。

神経質な性格も程々にと言いたかったのかもしれない。

追い出されるように診察室を出る。なんだかとても悔しかった。



次は母の病院へ行く。4月分の支払いはわずかだったけれど

清算するとほっとするものだ。毎月の私の任務のようなこと。

お世話になっているケアマネさんに会う事が出来て

近いうちに入院病棟からまた施設に戻れると聞きほっとする。

同じ病院内でのことで母も気楽に移れることだろう。



夕飯時。めいちゃんがまた酷いかん虫を起こして大暴れ。

毎日泣き声を聞かない日がないくらい情緒不安定のようだった。

ふと私に似たのかもしれないと思う。それならばなんと申し訳ない。

娘が喧嘩腰になって叱ったり宥めたりを繰り返していても

娘むこはまったく知らぬ顔で晩酌を続けていたものだから

ついにじいちゃんの雷が落ちる。なんと怖ろしい顔だこと。


金曜日でめいちゃんの疲れもピークだったのだろう。

自棄を言って暴れたくなる気持ちもなんとなく分かる気がした。


今はお風呂上がりですっかり機嫌も良くなり笑い声が聴こえている。

私もほろ酔ってそろそろ眠くなった。

ぐっすりと眠ってまたあしたの扉をそっと開こう。






2021年05月13日(木) コロナ禍の楽しみ

雨音は聴こえず霧のような雨が降っていた。

もう「春雨」とは言えまい。「小糠雨」と言うのはどうだろうか。

あまりにも無学なので季節の言葉を適切に使えずにいる。


「葉桜」もそうだった。桜が散ったばかりの頃を言うのではなく

まさに今頃。新緑の季節の桜の木のことを言うのだそうだ。

知らなかった事を知った時はなんとも新鮮な気持ちになるものだ。

それを諺にすれば何だっけ?そこまで出掛かっているのに思い出せない。

「耳にたこ」ではないし「目からうろこ」でもなさそう。


ながいこと生きて来たけれど私はまだまだのようだった。





今夜は夕食を終えるなり孫たちがダンス教室へ行く。

めいちゃんも一緒に参加できるようになってほんとうに良かった。

けれども先日高知市内でスポーツ教室からコロナのクラスターが

小学生の感染者も出ており心配でならなかった。


「大丈夫やろうかね」娘に言うと不安がっていたら何も出来ないと。

「おばあちゃんは心配し過ぎ」と反対に叱られてしまったばかり。


娘の言う通りだと思う。孫たちの楽しみを取り上げる訳にはいかない。

よく聞けば感染対策もしっかりとしているそうで安心なのだそう。


コロナ禍も二度目の夏が始まったばかり。

自粛疲れも大いにあり何をするにもコロナの事ばかり付いてまわる。

それでも仕方ない事とうまく付き合って行くべきなのだろう。


夏はプール。秋は運動会。孫たちの楽しみがいっぱい待っている。


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