雨音は聴こえず霧のような雨が降っていた。
もう「春雨」とは言えまい。「小糠雨」と言うのはどうだろうか。
あまりにも無学なので季節の言葉を適切に使えずにいる。
「葉桜」もそうだった。桜が散ったばかりの頃を言うのではなく
まさに今頃。新緑の季節の桜の木のことを言うのだそうだ。
知らなかった事を知った時はなんとも新鮮な気持ちになるものだ。
それを諺にすれば何だっけ?そこまで出掛かっているのに思い出せない。
「耳にたこ」ではないし「目からうろこ」でもなさそう。
ながいこと生きて来たけれど私はまだまだのようだった。

今夜は夕食を終えるなり孫たちがダンス教室へ行く。
めいちゃんも一緒に参加できるようになってほんとうに良かった。
けれども先日高知市内でスポーツ教室からコロナのクラスターが
小学生の感染者も出ており心配でならなかった。
「大丈夫やろうかね」娘に言うと不安がっていたら何も出来ないと。
「おばあちゃんは心配し過ぎ」と反対に叱られてしまったばかり。
娘の言う通りだと思う。孫たちの楽しみを取り上げる訳にはいかない。
よく聞けば感染対策もしっかりとしているそうで安心なのだそう。
コロナ禍も二度目の夏が始まったばかり。
自粛疲れも大いにあり何をするにもコロナの事ばかり付いてまわる。
それでも仕方ない事とうまく付き合って行くべきなのだろう。
夏はプール。秋は運動会。孫たちの楽しみがいっぱい待っている。
朝はぽつぽつだった雨がすぐに本降りになる。
強風注意報も出ていて横殴りの雨になってしまった。
職場の庭で猫が雨に濡れているのを見る。
以前からよく見かける猫でおそらく野良猫だと思うのだけれど
最初は車の下に潜り込んでいたのが突然とび出してしまったのだ。
雨に濡れながら走るのでもなくとてもゆっくりと歩いていた。
何処に向かっているのだろう。ちゃんと住処はあるのだろうかと
はらはらしながら見守る事しか出来なかった。
可哀想な猫だったのだろうか。それとも逞しい猫だったのだろうか。

雨のせいか来客も少なく今日も早めに帰宅する。
水曜日は下校時間が早い孫たち。あやちゃんはピアノ教室へ。
めいちゃんは娘と歯医者さんへ行っていた。
乳歯が抜けきらないところにもう永久歯が生え始めているそう。
下前歯の二本を抜いてもらってとてもすっきりした様子で帰って来る。
「みて、みて」とにかっと笑って見せてくれてなんとも可愛らしい。
生まれて初めて生えた歯が抜けたのだ。なんだか感慨深い出来事。
夕飯は甘海老と鯛のお刺身。メインは牛丼で茎わかめと厚揚げの煮物。
食費は切り詰めているけれどこれだけ揃えばじゅうぶんに思う。
甘海老と牛丼はあやちゃんの大好物でもあった。
家族みんなの美味しい顔が見られるのがとても嬉しくてならない。
「幸せ」は「仕合せ」それはほんとうにささやかなことなのだ。
| 2021年05月11日(火) |
しんどいのはみな同じ |
晴れのち曇り。明日からしばらくは雨の日が続くようだ。
九州南部が梅雨入りとのこと。四国もすぐに後を追うことだろう。
もうすぐ紫陽花の季節にもなる。それは楽しみでならない。
昨年の花が枯れたまま化石のように残っているところもあり
無事に咲いてくれるだろうかと少し気がかりでもあった。
今朝は娘に「いらぬ口」を聞いてしまい深く反省する。
「帰宅が遅くなる」と言われてつい「困ったわねえ」と言ってしまった。
そうしたら娘が怒って「仕事を辞めろって言うの」と怒鳴ったのだ。
決してそんなつもりで言ったのではなかったのだけれど
私以上に娘も忙しく疲れが溜まっているのだろうとすぐに気づく。
親しき仲にも何とやらで私の思い遣りが足らなかったのだと思う。
幸い今日は定時で仕事を終えられ早めに帰宅出来て良かった。
孫たちの「ただいま」の声を聞くのがとても嬉しく思う。
それぞれの宿題。めいちゃんは本読みをして聞かせてくれる。
じいちゃんからありがたい助言。「一人で頑張ろうとするな」と
いつも娘を当てにしてばかりいるからしんどいのだと言う。
だから出来ることだけと思ってマイペースで夕食の支度を始める。
娘が帰宅してほっとしたのはどうやらめいちゃんが先だったよう。
母親に甘える暇もなく食卓椅子に座ったまま眠り込んでしまった。
「ごはんよ」と起こすのも可哀想でそっとそのままにしておく。
誰よりもいちばんしんどいのはめいちゃんなのではと思った。
一年生になってひと月が経ったけれどまだ慣れてはいない。
今朝も泣きながら登校の支度をしていたことを思い出していた。
みんなみんなしんどいけれど一生懸命に頑張っている。
家族みんながそれぞれを思い遣りながら乗り越えて行かなければね。
初夏らしい日が続いていて今日も晴天。
風が殆どなかったせいもあり少し蒸し暑さを感じる。
職場のすぐ近くにお気に入りの木があったのだけれど
郵便局に行く途中にその木がばっさりと切られているのに気づく。
何の木かは知らずにいたけれど新緑の季節にどうしてと
腑に落ちずまたショックでもありすっかり肩を落としてしまっていた。
山里のシンボルと言っても良いほどの存在感があった。
よほどの理由があったのだとしてもなんと無残なことだろうか。
よく見ると切り株が残っていた。木はきっと生きていると信じたい。

仕事が忙しく2時間の残業となりくたくたになって帰宅する。
それでもよく働いた感があり時間給の皮算用をする余裕があった。
日給でお給料を毎日頂いておき月末に時間給に置き換えるのだ。
そうすると必ず差額が出て来てそれをごっそりと頂くことにしている。
だから1時間でも多く働けば家計が少しでも楽になるという訳なのだ。
これはごく最近思いついた事で過去の事は水に流しているけれど
我ながら良い考えだと思っている。会社の金庫番は他ならぬ私なのだから。
けれどもまた経営難に陥る可能性もある。その時はその時のこと。
だから今のうちにとほくそ笑んでいるのはここだけの話である。
お金の苦労はした人にしかわからないと思う。
けれども裕福な人達を羨ましいと思ったことは一度もない。
きっとこころが豊かなのだろう。うん、そう思って明日も頑張ろう。
霞がかった空は黄砂だったのだろうか。
それは強い陽射しを和らげてくれたけれどほぼ真夏日の暑さとなる。
そうなればもう半袖の出番。腕の染みも年々気にならなくなった。
早朝より川仕事。大量の洗濯物を干し終えるなりすぐに出掛ける。
時間の余裕がなかったせいか少し苛立っている自分を感じた。
玄関先の燕に「もういいかんげんにして」と怒鳴ってみたり。
二番子だろうか巣作りを始めていてポーチは土だらけになっていた。
川仕事は暑さとの闘い。8時にはもう汗びっしょりになる。
9時前には限界となり「帰ろうか」と意気投合していた。
撤収作業はまだ序の口で先が思いやられるけれど
今月中にはなんとか終えたいと思っている。
平日は私が手伝えないのでじいちゃんに苦労をかけてしまうけれど
仕方ないと諦めているようでそれが救いにもなっていた。
世間では「母の日」らしかったけれど我が家は普通の日曜日。
特別なことは何も考えていなかったし普通がいちばんに思う。
姑さんが生きていた頃は何か贈り物をしなければならなくて
それが少なからず心にも家計にも負担になっていた。
感謝の気持ちを伝えるためにどうして「モノ」が必要なのだろう。
詰め合わせの和菓子を届けたら玄関に立派な胡蝶蘭があった。
そんな昔の辛かったことを今でも忘れられずにいる。
「感謝をすることもなければ感謝されることもないだろう」と
それで良いのではないかと思ったのだ。いつもと変わらない気持ち。
特別でなくても良い。いつもの日常がどれほどありがたいことだろうか。
曇り日。少しだけ青空が見えていたけれどまたすぐに曇ってしまう。
どんな空もあってよし。ひとのこころも晴れたり曇ったり。
だいじょうぶ。雨が降れば傘を差せば良いのだから。
国道沿いや田んぼの畦道に初夏を知らせる黄色い花が咲き始めた。
外来種で繁殖力が強く駆除の対象になっている花なのだそう。
正式名は忘れてしまったけれど私はずっと「うさぎ草」と呼んでいる。
せめてそう呼んであげたいほどに可愛らしい花だった。
じいちゃんが川仕事の段取りをしていたけれど
職場に一日車検の車が入っており今日は職場の仕事を優先する。
私は整備士ではないので何の役にも立たないのだけれど
車検が完了したらお国に提出する大切な書類を書かなければいけない。
同僚を急かす訳にも行かずひたすら待って午後3時になっていた。
その後少し車にトラブルがあり帰宅がすっかり遅くなってしまう。
連休明けの疲れもあったのだろうもうくたくたの気分だった。
あやちゃんが「ばんごはんはなあに?」と笑顔で訊いてくれる。
それなのに「何も作る気がしない」とつい本音を漏らしてしまった。
いけない、いけないとすぐに反省しあやちゃんの好きな肉じゃが。
娘が鶏肉を揚げてくれて鶏南蛮も出来てなんとありがたいこと。
疲れた顔をしてはいけないなとつくづく思ったことだった。
お風呂上がりにじいちゃんが肩と背中にサロンパスを貼ってくれた。
貼り終わった後にパンパンと背中を叩いてくれるのが嬉しい。
じいちゃんも一人で川仕事ご苦労様でした。
明日は二人でやれるだけ頑張りましょうね。
| 2021年05月07日(金) |
雨と新緑とアマリリスと案山子 |
朝はぽつぽつだった雨が日中は本降りになる。
昨日よりも10℃近く低い気温で肌寒い一日だった。
朝の山道にお遍路さんの姿はなくなんとなく寂しい。
その代わりに目に沁みるような新緑が心を和ませてくれる。
それから道端の民家の庭先に咲く深紅のアマリリス。
山深い場所にも数軒の民家があり田んぼや畑もあるのだった。
畑では案山子さんが時々衣替えをしているのが微笑ましい。
猪や鹿から作物をしっかりと守ってくれているのだろう。
「おばちゃんおはよう」毎朝声をかけるのが私の日課でもあった。
仕事で平田町まで納車。庭先に犬が繋がれていてとても可愛い。
頭を撫でたら尻尾を千切れんばかりに振ってじゃれついてくる。
それが「ワン」とも吠えない犬でどうやら番犬ではなさそう。
我が家の亡きあんずを思い出す。あの子はご近所中の番犬だった。
お客さんのご主人は数年前に脳梗塞を患い五体満足ではなかった。
その上に昨年から癌を患い今も辛い治療中とのこと。
けれどもとても明るくて朗らかなご夫婦なのだった。
今日も二人揃っての笑顔にどれほど救われたことだろうか。
身の上を嘆き悲痛に暮れることはある意味とても愚かなことに思える。
それでいったい何が変わるのだろう。何も変わらないではないか。
過去の辛い経験にいつまでもしがみつくのも同じだと思う。
どうして「いま」を生きようとしないのだろう。
過去があってこその「いま」なのではないだろうか。
どうかどうか未来のために生き抜いてくださいね。
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