初夏らしい日が続いていて今日も晴天。
風が殆どなかったせいもあり少し蒸し暑さを感じる。
職場のすぐ近くにお気に入りの木があったのだけれど
郵便局に行く途中にその木がばっさりと切られているのに気づく。
何の木かは知らずにいたけれど新緑の季節にどうしてと
腑に落ちずまたショックでもありすっかり肩を落としてしまっていた。
山里のシンボルと言っても良いほどの存在感があった。
よほどの理由があったのだとしてもなんと無残なことだろうか。
よく見ると切り株が残っていた。木はきっと生きていると信じたい。

仕事が忙しく2時間の残業となりくたくたになって帰宅する。
それでもよく働いた感があり時間給の皮算用をする余裕があった。
日給でお給料を毎日頂いておき月末に時間給に置き換えるのだ。
そうすると必ず差額が出て来てそれをごっそりと頂くことにしている。
だから1時間でも多く働けば家計が少しでも楽になるという訳なのだ。
これはごく最近思いついた事で過去の事は水に流しているけれど
我ながら良い考えだと思っている。会社の金庫番は他ならぬ私なのだから。
けれどもまた経営難に陥る可能性もある。その時はその時のこと。
だから今のうちにとほくそ笑んでいるのはここだけの話である。
お金の苦労はした人にしかわからないと思う。
けれども裕福な人達を羨ましいと思ったことは一度もない。
きっとこころが豊かなのだろう。うん、そう思って明日も頑張ろう。
霞がかった空は黄砂だったのだろうか。
それは強い陽射しを和らげてくれたけれどほぼ真夏日の暑さとなる。
そうなればもう半袖の出番。腕の染みも年々気にならなくなった。
早朝より川仕事。大量の洗濯物を干し終えるなりすぐに出掛ける。
時間の余裕がなかったせいか少し苛立っている自分を感じた。
玄関先の燕に「もういいかんげんにして」と怒鳴ってみたり。
二番子だろうか巣作りを始めていてポーチは土だらけになっていた。
川仕事は暑さとの闘い。8時にはもう汗びっしょりになる。
9時前には限界となり「帰ろうか」と意気投合していた。
撤収作業はまだ序の口で先が思いやられるけれど
今月中にはなんとか終えたいと思っている。
平日は私が手伝えないのでじいちゃんに苦労をかけてしまうけれど
仕方ないと諦めているようでそれが救いにもなっていた。
世間では「母の日」らしかったけれど我が家は普通の日曜日。
特別なことは何も考えていなかったし普通がいちばんに思う。
姑さんが生きていた頃は何か贈り物をしなければならなくて
それが少なからず心にも家計にも負担になっていた。
感謝の気持ちを伝えるためにどうして「モノ」が必要なのだろう。
詰め合わせの和菓子を届けたら玄関に立派な胡蝶蘭があった。
そんな昔の辛かったことを今でも忘れられずにいる。
「感謝をすることもなければ感謝されることもないだろう」と
それで良いのではないかと思ったのだ。いつもと変わらない気持ち。
特別でなくても良い。いつもの日常がどれほどありがたいことだろうか。
曇り日。少しだけ青空が見えていたけれどまたすぐに曇ってしまう。
どんな空もあってよし。ひとのこころも晴れたり曇ったり。
だいじょうぶ。雨が降れば傘を差せば良いのだから。
国道沿いや田んぼの畦道に初夏を知らせる黄色い花が咲き始めた。
外来種で繁殖力が強く駆除の対象になっている花なのだそう。
正式名は忘れてしまったけれど私はずっと「うさぎ草」と呼んでいる。
せめてそう呼んであげたいほどに可愛らしい花だった。
じいちゃんが川仕事の段取りをしていたけれど
職場に一日車検の車が入っており今日は職場の仕事を優先する。
私は整備士ではないので何の役にも立たないのだけれど
車検が完了したらお国に提出する大切な書類を書かなければいけない。
同僚を急かす訳にも行かずひたすら待って午後3時になっていた。
その後少し車にトラブルがあり帰宅がすっかり遅くなってしまう。
連休明けの疲れもあったのだろうもうくたくたの気分だった。
あやちゃんが「ばんごはんはなあに?」と笑顔で訊いてくれる。
それなのに「何も作る気がしない」とつい本音を漏らしてしまった。
いけない、いけないとすぐに反省しあやちゃんの好きな肉じゃが。
娘が鶏肉を揚げてくれて鶏南蛮も出来てなんとありがたいこと。
疲れた顔をしてはいけないなとつくづく思ったことだった。
お風呂上がりにじいちゃんが肩と背中にサロンパスを貼ってくれた。
貼り終わった後にパンパンと背中を叩いてくれるのが嬉しい。
じいちゃんも一人で川仕事ご苦労様でした。
明日は二人でやれるだけ頑張りましょうね。
| 2021年05月07日(金) |
雨と新緑とアマリリスと案山子 |
朝はぽつぽつだった雨が日中は本降りになる。
昨日よりも10℃近く低い気温で肌寒い一日だった。
朝の山道にお遍路さんの姿はなくなんとなく寂しい。
その代わりに目に沁みるような新緑が心を和ませてくれる。
それから道端の民家の庭先に咲く深紅のアマリリス。
山深い場所にも数軒の民家があり田んぼや畑もあるのだった。
畑では案山子さんが時々衣替えをしているのが微笑ましい。
猪や鹿から作物をしっかりと守ってくれているのだろう。
「おばちゃんおはよう」毎朝声をかけるのが私の日課でもあった。
仕事で平田町まで納車。庭先に犬が繋がれていてとても可愛い。
頭を撫でたら尻尾を千切れんばかりに振ってじゃれついてくる。
それが「ワン」とも吠えない犬でどうやら番犬ではなさそう。
我が家の亡きあんずを思い出す。あの子はご近所中の番犬だった。
お客さんのご主人は数年前に脳梗塞を患い五体満足ではなかった。
その上に昨年から癌を患い今も辛い治療中とのこと。
けれどもとても明るくて朗らかなご夫婦なのだった。
今日も二人揃っての笑顔にどれほど救われたことだろうか。
身の上を嘆き悲痛に暮れることはある意味とても愚かなことに思える。
それでいったい何が変わるのだろう。何も変わらないではないか。
過去の辛い経験にいつまでもしがみつくのも同じだと思う。
どうして「いま」を生きようとしないのだろう。
過去があってこその「いま」なのではないだろうか。
どうかどうか未来のために生き抜いてくださいね。
からりっと爽やかな青空。初夏らしく気温が高くなったけれど
湿度が低いおかげでずいぶんと過ごしやすい一日だった。
やっと日常が返って来る。今朝はなんだか浮き浮きとしていて
山里の職場に行くのが楽しみでならなかった。
四万十大橋を渡るとき川向の新緑が眩しいほどに目に沁み
思わず「突っ込め」と声が出る。なんとも爽快な気分だった。
伊豆田トンネルを抜け国道から山道に差し掛かったところで
両手に杖を持ち足を引きずるように歩いているお遍路さんに会う。
咄嗟に「足だいじょうぶですか?歩けますか?」と声をかける。
50歳くらいの男性だった。「はい、だいじょうぶです!」と
にこっと笑顔を見せてくれてとても元気そうでほっとする。
仕事を終えて帰り道またそのお遍路さんに会う事が出来た。
もう少しで国道に出るところ。後続車がいなかったのが幸いで
「よくここまで頑張りましたね。あと少しですよ」と言えて良かった。
お遍路さんは「今朝のおばさんだ」とすぐに気づいてくれたよう。
またにこっと笑顔を見せてくれて「はい、頑張りましたよ」と。
足の痛みに耐えながらも一歩一歩踏みしめるように歩いた事だろう。
諦めてしまったらそこでお終い。なんとしても歩こうという強い意志。
つかの間の出会いだったけれどとても大切なことを教わった気がする。
お遍路は人生に似ている。いや人生そのものなのかもしれない。
大きな荷物ではなかったので野宿ではなさそうだった。
宿でお風呂に入れること。ちゃんとお布団で眠れること。
お遍路さんにとってそれは決して当たり前の事ではないのだと思う。
明日は伊予路へと向かう事だろう。
足の痛みが少しでも薄れますように。どうか無事に結願出来ますように。
| 2021年05月05日(水) |
私の歴史のようなもの |
夜明けと共に雨が降り始める。静かで優しい雨だった。
「立夏」暦の上ではもう初夏となる。
沖縄では梅雨入りとのこともうそんな季節なのだ。
「こどもの日」ある方のブログで母に感謝する日でもあると知る。
こどもはみな母から生まれたからなのだろう。
だとすると私もこどもなのだろうと改めて思ったことだった。
18歳で私を産んだ母もまた「こども」だったことになる。
雨のせいもあり今日はひたすらステイホームを貫く。
連休も最終日。もうじゅうぶんだと思う気持ちが強い。
日常の事が恋しくも思う。明日からやっと仕事に行ける。
どうやら私には老後のスローライフなど無縁のようだ。
時間が在り過ぎるのが苦痛にも思う。貧乏暇なしがちょうど良い。
昼寝から目覚め一時間程かけて2004年の日記を読んでいた。
まだ月経もあった頃らしく驚く。そして恋もしていたらしい。
「おんな」は見苦しくもあるけれど懐かしくもあった。
そうして随分と遠いところに来てしまったことを感じる。
私にも歴史のようなものがあるのだろう。今もいつかそうなる。
あとどれくらいなのかわからないけれど書き残しておきたい。
最後の日に「これが最後です」と書けたらどんなに良いだろうか。
| 2021年05月04日(火) |
しがみつくような郷愁 |
早いもので5月も4日。明日はもう「立夏」であった。
風は春を忘れようとしているかのように吹き抜けていく。
思い出してはいけないのだろうかと風に問うてみる。
「過ぎ去る」という言葉はなんとなくせつないものだ。
川仕事の目処が立たず今日はぶらりと出掛けてみることに。
「みどりの日」だから新緑が見たいねと意気投合する。
コロナ禍の事、一切どこにも立ち寄らないと決めて
あらかじめ近所のお店でお弁当を買い求め出掛けた。
私の生まれ故郷でもある西土佐へと車を走らす。
途中から林道の峠を越え「藤の川」という地区に行ってみることに。
子供の頃に一度だけ父と言った事があり懐かしい地名だった。
それがすごい山道。獣道と言っても良いほどの酷道が続く。
まるで「ぽつんと一軒家」みたいでどきどきはらはらしていた。
ガードレールのない細い道は枯草に埋もれていて
落石もあったりでスリルは満点と言ったところだろう。
じいちゃんは若い頃この道をタンクローリーで走ったそうで
それは得意気に話すものだから面白く楽しくもあった。
その後転職してからはコンクリートミキサー車でも走ったそう。
「すごいね、すごいね」と言うと悦に入った顔をする。
やっと峠を越えると「藤の川」の集落が見え始める。
ポツンと一軒家どころではなくたくさんの民家におどろくばかり。
藤の川から西土佐へ抜ける道は快適なドライブコースだった。
四万十川の支流だと思われる小さな川に新緑が映える。
藤の花もあちらこちらに見られ、だから「藤の川」なのかと思った。
西土佐ではじいちゃんが私の願いを聞き入れてくれて
生まれ育った家があった場所まで連れて行ってくれた。
営林署の官舎があった場所で今はすっかり更地になっているけれど
坂道や石段は昔のままに残っていて懐かしさが込み上げて来る。
その坂道を上ってみる。そうして我が家があった場所まで歩いた。
記憶の底に見覚えのある裏山。確かにここだったとはっきりとわかる。
ブロック塀に絡みつく蔦までも大切な思い出に思えたのだった。
ふともう最後かもしれないとしがみつくような郷愁。
振り払う事はするまい。きっと死ぬまで忘れることはないだろう。
「ありがとうね」とじいちゃんに言ったら「おう!」と微笑む。
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