ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2021年04月28日(水) 母と握手

朝方どしゃ降りの雨が降ったけれど日中は小雨。

穀物をしっとりと潤す恵みの雨になったことだろう。



9時には母の病院へ。

10時半までに転院先の病院へ戻らなくてはいけなくて

なんとも気忙しい退院となった。

車椅子の母と荷物の多さに一人ではどうしようもなく

ナースセンターに相談に行き看護師さんの手を借りることに。

おかげで無事に母を助手席に座らせることが出来たのだった。


9時40分、時計とにらめっこしながら高速道路を走り抜ける。

なんとしても母を美容院へ連れて行ってあげたかった。

10時の予約に少し遅れたけれど顔なじみの美容師さんの手際よいこと。

見苦しいほどぼさぼさ頭だった母が可愛らしいおばあちゃんになる。

母のなんと嬉しそうな顔。私も思わず涙ぐみそうになった。


10時半を少し過ぎていたけれど病院で大歓迎を受ける。

口々に「お帰りなさい」の声。これほどの感激があるだろうか。

母にはちゃんと帰る場所があったのだ。なんとありがたいこと。


別れ際に母と握手をする。やわらかくてとてもあたたかな手だった。

またしばらくは会えなくなる。それはコロナ禍のどうしようもないこと。



午後J先生から母の病状についての説明があった。

胆石だと聞かされていたけれど結局そうではなかったらしい。

入院期間中は経過を診るだけで何の治療も無かったのだそうだ。

これからの入院も同じで経過さえ良ければ施設へ移れるとのこと。


ただ先日のような大きな発作がいつ起こるやら分からず

それは今夜かもしれないし明日かもしれないと言う。

「覚悟をしておいて下さいね」と言われたのだった。


これまで母が起こした奇跡を思い起こすと

なんだか母が不死身のように思えてならない。


今日は冬物の衣類を持ち帰ったけれど

夏が過ぎ秋が深まった頃にはまた母に届けてあげようと思っている。









2021年04月27日(火) 一期一会

朝の肌寒さもあと少しだろうか。4月も残り少なくなった。

5月の声を聞くともう初夏と言っても良いのだろう。

「八十八夜」「立夏」と季節が変わろうとしている。



山里の職場に向かう朝の道。

国道から県道の山道に差し掛かった処で

まだ20歳代だと思われる若いお遍路さんに会った。

金剛杖と右手にはごみが入っていると思われるビニール袋。

咄嗟に車を停めて「ごみを預かりましょうか」と声をかける。


コロナ禍の中コンビニのごみ箱が撤去されてからほぼ一年になる。

食料を調達することの多いお遍路さんにはなんと不便な事だろう。

ずっと気になっていたので咄嗟に声が出たのだと思う。

お遍路さんは快く袋を手渡してくれて両手を合わせてくれた。


その手首に水晶玉のような数珠がありはっと胸が熱くなる。

なんとなくだけれど家族が持たせてくれたのではないだろうか。

そう思うと私も一気に母親のような気持になってしまった。


「延光寺さんまでは何時間位かかりますか?」と問われ

車だと一時間程の距離なのだけれど歩くのはとてつもなく遠かった。

峠路を越えるだけでも辛い道のりになることだろう。

「少しでも車で送りましょうか」と伝えると

「大丈夫です。歩けます」と頼もしい笑顔を見せてくれたのだった。


後ろ髪を引かれるようにしながら私は峠道に向かう。

バックミラーに映った青年はしっかりと両手を合わせてくれていた。

ほろりと涙が出そうになる。これも一期一会なのだろうか。



仕事を終えて帰り道。国道に出るまでずっとその姿を探したけれど

その青年お遍路さんの姿はどこにも見つからなかった。

山里でひとやすみしているのかもしれないと思ったり

若者の足だものとっくに延光寺に着いているかもと思ったり

挙句には明日の雨が心配になったりもしたのだった。


どうかどうか無事に結願出来ますように。

祈ることしか出来ない夜になってしまった。






2021年04月26日(月) 未来に向かう

とうとう4月も最後の月曜日。

急いでいるつもりなどないのになんと早いことだろう。

いったい何処に向かおうとしているのか

どうやら私にも未来というものがあるらしい。

ふと胸をよぎる不安を払いのけて前へ進まなければならない。

きっと辿り着く場所がある。そう信じていたいものだ。



仕事を始めて2時間ほど経っていただろうか。

同僚がまた体調不良を訴えとりあえず近くの診療所へ。

発作ではなさそうだったので血圧の異常ではないかと思ったのだ。

どうやら私の思い過ごしだったようで血圧は正常値。

念のためにと心電図も取ったけれどそれも異常なしだった。

「大丈夫ですよ」と医師からお墨付きを頂きほっと安堵する。

すっかり弱気になっていた同僚もキツネにつままれたような顔。


病は気からと言うけれど弱気になり過ぎてはいけないようだ。

だからと言って無理をし過ぎてもいけない。

強気になるとついつい無理をしてしまうものだった。


同僚のお昼休みを2時間にして午後は平常通りに仕事をする。

幸いと言ってよいのか来客もなくとても静かな午後だった。



母の病院から電話があり予定通り明後日の午前中に退院となる。

それが一気に施設へは戻れないらしくしばらくは入院になるらしい。

主治医のJ先生の計らいでそのほうが安心なのだそうだ。

母には詳しく話さない事にする。とにかく「帰ろうね」と。

J先生の顔を見ただけできっとほっとすることだろう。


月末の仕事もありなんだかいっぱいいっぱいの気持ちだった。

けれどもこれも試練だろうと受け止めている自分がいる。


急いでいなくても駆け抜けてしまうかもしれない。

とにかく私には未来があるのだから。





2021年04月25日(日) いのちと向き合う日々

青空に捧げるように洗濯物をいっぱい干す。

嬉しそうな洗濯物を見ているだけで幸せな気持ちになる。

お天気次第で毎朝のことだけれど日曜日は主婦冥利に尽きる気がする。

時間に追われることもなくゆったりとした朝のことだった。




ご近所で不幸がありじいちゃんはお葬式へ。

よくご夫婦で朝夕の散歩をしていたのが昨日の事のように思う。

亡くなられたご主人は川漁師もしていてそれが唯一の楽しみだったよう。

定年退職後の人生をまだまだ謳歌出来たことだろうに残念でならない。


76歳、膵臓がんだったとのこと。病魔には勝てなかったのだ。

70歳が近くなったじいちゃんが「俺もあと少しかな」と呟く。

「そんなことはないよ」と笑い飛ばすのが精一杯のことだった。


明日のことがわからない。だからこそ生き抜く勇気がひつよう。

諦めてしまったらそこでお終いなのだ。なんとしても

ふたり揃って長生きをしよう。金婚式も米寿のお祝いだって待っている。


いのちと向き合うばかりの日々に「これでもか、これでもか」と

拳をぶつけるようにしながら今日も全う出来た気がする。


ありがとうございました。それはもう感謝しかない。



2021年04月24日(土) お母さん帰ろうね

曇り時々晴れ。ぽかぽかと暖かく春らしい陽気。

午後7時を過ぎてもまだ外は明るく

窓をいっぱいに開けて夕風に吹かれている。



今日は小学校の参観日だったので孫たちも通常通り。

めいちゃんも元気に登校しほっと胸を撫で下ろした朝だった。

初めての参観日できっと楽しみにしていたのだろう。


私は山里の職場へ。川仕事は全く目処が立たずどうしようもなく

とにかく働かなければとそればかり考えていた。

する仕事のあるのはほんとうにありがたいことだと思う。



仕事を終えて一週間ぶりに母に会いに行く。

なんと今日も「運のいい日」となり愉快なこと。

今日は自力で歩いてトイレまで行けたのでちょっと感動する。

入院が予定より長引いてしまったので寝たきりになるのではと

心配していたのだった。大丈夫、母はちゃんと歩ける。


退院は来週の水曜日に決まった。もう少しの辛抱。

母にそのことを伝えると「今度は何処に行くの?」と怪訝な顔をする。

「施設」と決して口にしてはいけないと肝に銘じており

「J先生のところよ」と言うとほっとしたように微笑んでくれた。

J先生の事が大好きなのだ。三山ひろしと同じくらい好きらしい。


また母を受け入れてくれること。ほんとうに感謝しかない。

出来ることならば最後の最後までと願わずにいられなかった。


退院の日には母にお気に入りの服を着させてあげたい。

それから少し寄り道をして美容院へも連れて行ってあげたい。



2021年04月23日(金) きっとだいじょうぶよ

気温はさほど高くならず風もあり過ごしやすい一日。

紫陽花に似ているのは大でまりの花だろうか。

朝の峠道を越え一番最初の民家の庭先に咲いていた。

小でまりの花よりもふたまわりほど大きくて

純白ではなく少しクリーム色に近い色だった。

すぐ近くに柿の木があってその背景には田んぼが広がる。

植えられたばかりの稲が風にちろちろと揺れていた。


そんなのどかな風景に心を和ませながら山里での一日が始まる。





今朝は寝起きのめいちゃんがシャワーを浴びていた。

昨夜はとうとう起きられず朝まで眠ってしまっていたよう。

宿題も少し残っていたようで可哀想だけれど仕方のないこと。

朝食もほんの少し。途中から「おなかがいたい」と言い出す。

茶の間の炬燵に潜り込むなりまた眠ってしまったのだった。


集団登校の時間には間に合わずあやちゃんを先に見送る。

娘が後から車で送って行くことにしてぎりぎりまで様子見。

はらはらと心配していたらじいちゃんに叱られてしまった。

私が心配し過ぎるとめいちゃんが弱気になるからだと言う。

「大丈夫?」ではなく「だいじょうぶよ」と言ってあげなくては。


目を覚ましためいちゃんは「もうおなかいたくない」と言って

すぐに準備をして元気に登校して行ったのだった。


心配性も程々にと思う。心配するのは信じていない事に等しい。

そうじゃないかもしれないけれどそうなのかもと思った。


私も以前に「心配だ」と言われてなんとなく不愉快だったことがある。

「心配無用です」とその場を切り抜けたけれど

とても後味が悪かったことをずっと忘れられずにいる。

「ありがとう大丈夫よ」その一言が言えなかったからなのだろう。


ある意味で人様に心配をかけないような生き方をしたいものだ。

「この人は大丈夫ね」と信じてもらえるような人間になりたい。



2021年04月22日(木) 大きな赤ちゃん

今日も夏日となりすっかり初夏の陽気。

全国的な暑さかと思いきや北海道では雪が降ったそうだ。

これも異常気象だろうか。なんだか少し不安になってしまう。


満開だったツツジが少しずつ枯れ始めてしまった。

なかでも純白のツツジは傷を負ったかのように見える。

痛かろう辛かろう。それでも嘆く声など聴こえてはこない。





今夜もじいちゃんと先に夕食を済ます。

少し遅れて娘と孫たちが食べ始めたのだけれど

めいちゃんが大きな「かん虫」を起こして泣き叫んでいた。

次第に大暴れとなりお箸やお茶碗を投げたり

何を言っても聞く耳を持たずとても手に負えないありさま。

挙句には「だっこして、だっこして」と娘にしがみつく。

怒って相手にしようとしなかった娘もそれには負けたよう。


よほど泣き疲れていたのだろう5分もしないうちに眠る。

娘に抱かれてまるで大きな赤ちゃんのようだった。


我が家は嵐の後の静けさ。その静けさにほっと胸を撫で下ろすばかり。


一年生になってまだ2週間しか経っていないのだった。

毎朝早起きをして歩いて学校へ行ってほんとうにえらいと思う。

一気に頑張らなくてもいい。少しずつ出来るようになればと。

泣きたい時はおもいっきり泣けばいい。それだけはゆるしてあげたい。

もう幼児ではないのだと誰が決められようかと思うのだ。


なんとあどけない寝顔なのだろう。愛しくてならない夜のことだった。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加